汝、自らの命の終わりと同等に正義を想え
正義とは何だ?
正義とは不変であるべきだ。正義とは不惑であるべきだ。
正義とは不確かであってはいけない、不動の一本柱でなければならないのだ。
とここまで断言してしまう私はまだまだ未熟なのだろう。
正義にも色々な形がある、否正義こそ万民が同じ物を共有する必要がない。
かつてDIO様も「ジョジョの奇妙な冒険」第六部ストーンオーシャンで親友のプッチ神父との過去の回想シーンで「王様には王様の、乞食には乞食の苦悩がある」みたいな事を言っていた。「サバイバー」という作中屈指の厄介なスタンドが登場した話だ。
とにかく苦悩や正義とは、その人間の生い立ちそのものが関わってくるので家族でも無ければ共有することは難しいだろう。いや少年漫画でも近しい関係だからこそ理解し合えないエピソードは多々存在する。
「うずまきナルト」と「うちはサスケ」、「はたけカカシ」と「うちはオビト」などだ。
あんな風に綺麗に解決したのは漫画だからだ。リアルでは絶対にあり得ない。
安心しろ。この魑魅魍魎集う阿鼻叫喚の無間地獄に、許しなど存在はしない。ない、あってたまるか。
兎に角、大切なのは「許しの境界線」だ。今日は地獄の伝道師ことふじわらしのぶ様と、どこまでは「許されて」どこまでが「許さん。貴様のチンコ引っこ抜いてやるフンガー!」なのかを存分に検証して行こうではないか。
前提として人間は余程稀有な関係でない限り、正義”観”を共有する事は無い。
友人同士であっても決して譲れない一線というものはあるはずだ。つまり「乳輪の小さい巨乳がいい」とか「体毛が濃い女じゃないと嫌だ」みたいな話だ。
人間は利害の不一致やそういった決して譲れない一線が衝突する際に別離を繰り返していくのだろう。
その結果、精神的に成長を迎えたり、心の大きな傷を負って外に出れなくなったりする事もある。
原因がひどく曖昧な為に未然に防止できない事が些か残念だが、感情の発露そのものを封殺してしまえば個性が失われてしまう。
ではそのようなデリケートな問題に対処する為にはどうするべきか?
簡単な話だ、見て見ないふりをすればいい。それと少量の我慢が必要か。
人間と日々肥大化する一方の過分な自尊心は不可分で、歳を重ねればより一層人間は度し難い存在となっていく。即ち本人の意志に関係無く狷介な老害になってしまう事が運命づけられている。
おそらくは最悪の最後を迎えない為にも今から慣らしていくしかない。我々はそう自覚した瞬間から許しの境界線を把握し、その上で互いの粗相を見て見ぬフリをしなければならない生き物なのだろう。
媚びるなどと貶してはいけない。よりよく生きる為の知恵なのだ。
だから私がしばしば会社でおならをしても指摘するのは間違いだ。四十を過ぎるとケツのあなが緩んでおならがつい出てしまうのは人間の宿命なのだ。
宿命なんだよ‼
ハイ、この話終わり。
帰ってオナニーして寝る‼
じゃあね‼
ぷんぷんっ‼