88.たらして思う
この突然の憎悪はなんだ? リディアが乙女だから憎んでいるのか?
「乙女は、碧妃のことか」
「それだけじゃない! 乙女というのがまがい物よ!」
「確か、エーロ姫もそうだな。お前の母親の――」
「やめて!!」
切り裂くような叫びに、ディアンは口にするのをやめた。確か、エーロ姫は乙女として後宮に入った。その後、偽の乙女として告発、ローゼ、シヴァと共に幽閉。
だが、恩赦で宰相に嫁ぎ紅妃が産まれた。
「エーロ姫が指名したのは――前王弟のヘンシュのほうか。前王ではなく」
エーロ姫が誰を指名したのかは不明瞭だ。姫を乙女と”間違えた”神託は抹消されている。けれどヘンシュは、一時期皇太子だったとファズーンはリディアに語った。
それはエーロ姫の指名があったからだろうか。
だが、ファズーンも皇太后から疎まれていたという。本当はエーロ姫はファズーンの父親の前王を皇太子に指定したのかもしれない。
(もしくは、まだその時期は誰も立太子がなされていなかった)
前国王は猜疑心が強かったと王宮内では有名だ。後宮内での争い、母子を含めてたくさんの皇子達の幽閉、そんなに簡単に王座を譲ろうと考えていなかったかもしれない。
だが兄には敵わない――紅妃が言うのは、ファズーンとシヴァのことだけではないだろう。その前の世代も含まれている気がした。
ただヘンシュがその座を奪われ甥であるファズーンに仕えているのは、どういうわけだ。そこまで大人しい性格なのか、あのヘンシュは。あの目、恵まれた体躯、剣の腕、好戦的な性格。
ヘンシュの態度を疑問に思っていたが、どちらかと言えば警戒していたのはシヴァのほうだった。
長年ファズーンの忠実な部下だ、そう思い監視を緩めていた。だがそういう奴こそ、力を溜め続け機をうかがう。
「その時――エーロを乙女だと告げたのは誰だ。その神官達はどうした?」
詰問するディアンに紅妃は不快そうに眉を寄せる。逸りすぎた、これでは垂らし込むどころじゃない。
「知らない。全員、火刑にあったもの」
「ジャイフはその頃もいたのか」
「――もう遊ぶ気はないの?」
ディアンは息をつき、いきなり赤妃の唇に己のものを重ねた。少し不満そうに漏れていた吐息が、唇を深く重ねると満足そうにくぐもった声に変わる。
白粉の匂いがやけに鼻をつく、紅の匂いがペンキのようだ。
(下手くそなやり方だ)
バレそうになって身体でごまかした、ディックに言わせればンなの三流だと散々なじられるだろう。
だが頭の端で考える。その頃からジャイフも神殿にいて、火刑を免れた。それならば醜い傷跡は何らかの理由でその時にできたのか。
皇太后は、ジャイフをいつ連れてきたのか。いつ自分のものにしたのか。その時期の詳細がわからないと考えが進まない。
「お前はハラールの名は捨てたのだろう。その証に穴を随分空けている」
声に艶を含ませて囁き耳飾りに指をかけ軽く引けば、紅妃は声を立てて笑う。途端に機嫌を直す。
――ヴァルハラでは、身体に傷をつけること、穴をあけることがある程度の身分以上でないと許されない。だが、ハラールでは別だ。身体に傷をつけるのは罪人の印。
ハラールで貶められたエーロ姫とヴァルハラの宰相の娘だった紅妃は、ハラール様式を一切排除したいのだろう。
だから皇太后の機嫌を取る。
自分の母親を憎むあまりに、そのライバルにつく娘もいる。そうすることで親を否定できるからだ。
だが本当にこの深読みは当たっているのか? この女は何も考えていないのかもしれない。その場しのぎの奴への深読みは、失敗することもある、それに惑わされるな。
不意に吐き気がこみ上げてくる。なぜ俺はこんなのことをしているのかと。
――リディアではないこの女に。
――今回、紅妃の赤花宮への潜入を前にした時、一度リディアに会いに行き、それを告げた。リディアは顔を伏せ、何かを考えたように間を一拍おき『いいよ』と言った。
『何故、その許可を自分にとるの?』までは聞かれなかった。
女の前で目を一瞬閉じる。それを聞かれたら、さすがに衝撃を受けていたかもしれない。
――過去は危険地帯の潜入の前に、必ずリディアに会いに行っていた。まだ自分の女でもなく、互いにそんな気配さえさせていなくても、自分が最後に思うのはリディアだと知っていたから。
もし、潜入に失敗して死ぬとしたら考えるのはリディアのことだけだっただろう。
最後に会いに行くと、まだこの世に未練があったのかと思わされる。そして本当に覚悟が腹に据えられる。
もうひとつは、リディア自体への未練。会うとむしろ、また会いに戻らなければと思わされていた。
それほど、大事だった。自分のことは自分で決められる、そうじゃなかった。リディアは、最後の一押しは彼女だった。
だが、女に関わることでは――会いに行くことはなかった。
たまに女友達に自分の色恋を話すという男もいるが、リディアには絶対に見せなかった。十六歳の彼女に告白された、けれどその前から気配を感じさせたくなかった。
それは、――好きだったからだ。
なのに、何故今回の自分は会いに行ったのか。
(馬鹿らしい、自分が止めてほしかったからだ)
記憶を失くした彼女に、欠片でも止めて欲しいと思ったのは、不安を覚えたから。
そのせいで余計に、彼女をただ不安にさせたのに。
(本当に、間抜けだ)
顔をあげたリディアは『いいよ』と言い、真正面で向かい合いディアンから目を離さなかった。目をそらして拗ねた顔も見せなかった。それに自分は『そうか』と言い背を向けた。
その後、背後で聴こえた衣擦れに、リディアが顔を伏せたのではないかと期待した。気づき、再度振り向くともう背が向けられていた。
――互いに、タイミングが異なる。『いい』と言われたのに、むしろ自分の方が『嫌』だと思ったのに。
紅妃の顔に近づく、唇を重ねる。
リディアとは違う。
結局他の女とは付き合えなくなったのは、リディアに告白されてから。あの十六歳の彼女が未だに目に焼き付いている。
痛ましい顔で、まだ自分の前で泣いている。それを慰めたいと思うのに、あの時は突き放した。
アイツが自分を抑えてしまうのは、自分のせいだというのに。アイツを無視して、聞く耳をもたずにいたのに。なのに、今更正直に気持ちを言ってくれと願ってしまう。
ここにいる間、考えるのはすべてリディアのことばかりだった。
ヘンシュの立場はファズーンの”叔父”です。(ファズーンの父親の弟)。
ときどき表記が間違えてしまっていました、混乱させてしまってすみません。




