5.神殿の名残
「ところで、ここは何なのでしょうか」
「事前の調査では、こんな遺跡があるなんて聞いてないけど」
ここは、明らかに人工的に作られた隧道らしきもの。ろうそくの火を頭上の通路に一定間隔で灯していくような洞が並び、色あせた壁画が描かれ奥へと誘っている。
今はいちいち蝋燭に火をともしていく場合でもないし、かといって初歩魔法である光球も出せない。ペンライト型でありながら、自分達の周囲二メートルほどを照らす光源で周りに注意を払いながら、進んでいく。
「魔神、というのと関係しているのでしょうか」
「――かもしれない」
師団が砂漠越えをして図書館都市へと要人を護送するのは、初めてではない。
ただ今回は、本来のルートが鉄砲水で川になっていると聞き、別ルートをたどることにした。それでも、情報収集も計画立案も念入り行った。
絶対に砂嵐に巻き込まれる時期でもない。なのに、このような目にあった。
――人外の存在の介入。
阻まれたというよりも、むしろ招かれているかのように。
『そうさ。魔神は時に本気で、時にはいたずらで襲い掛かってくる』
老婆の忠告めいた言葉が頭によぎる。
「あの後、ディックに聞きましたが土着信仰のようなものだと。口にすると呼び寄せてしまうと信じられていて、あまり口にはしない。敬っていればよそ者には何もしない。今までの旅でも、特に支障はなかったと」
「でも、いきなりあの人は忠告してきたよね」
リディアの顔を凝視して、まるで自分がこれからその魔神と遭遇するかのような口ぶりだった。キーファが足を止めてリディアを見る。
「だったら、あちらからの接触は免れないでしょう」
「そうだよね」
キーファが安心させるように少し笑う。
「だとしたら、気を付けておくだけです。俺もあなたに何かがあれば助けますし。……今回遭遇も一人じゃなくてよかったと思います」
前向きな彼の言葉に自信を感じて、緊張が解けてリディアも笑う。
「そうだね」
そうしてリディアは、目の前の壁画に改めて目を向ける。
「進みますか?」
質問系で聞かれたが、互いにわかっていた。魔法は使えない、穴からは上がれない。しかも地上は砂嵐。進むしかないだろう。
頷くリディアと彼は「自分が先に」「探索能力は私の方が得意だから」そう言い合うとキーファは「探索は、後ろからでもできますよね」と続けた。
確かに。
「光源は先導する者が持った方がいいです」とも。
結局、彼が先に歩むことになった。
自分が教員時代ならば、絶対にそんなことはさせなかっただろう。でも、身体能力では彼の方が上。
魔法が使えない場での不意打ちに対抗するには、剣を持つ彼のほうが向いている。同時に彼がリディアの盾になっている間に、自分も闘う準備ができる。
リディアは自分が前にたてない理由を、残念とも彼が頼もしくなったことを嬉しくも思いながら、背後から周囲の探査を行う。
こちらは魔法ではなくリディア特有の能力なので、阻まれずに行うことができる。そしてわかるのは、この隧道には魔力を持つ生命体がいないということ。
「何かを祭る――神殿みたいなもののようですね」
「絵から見ると不吉なものではなさそうだけど」
壁画から読み取れるのは、有翼人らしきもの。左右シンメトリーで片方が白、片方が黒の二つの顔を持つ。白の方が丸い球に照らされて、黒のほうが黒い球に照らされている。
その次の画は、下からオーロラのような鮮やかな光に照らされる女性。それが、片膝をついた男性に冠を被せている。
「この地方はメルクリッサと呼ばれる神を信仰していましたね」
「師団もほとんど情報を持ってないの」
その地方の信仰の事前調査は当然のこと。ただし、この地方は排他的で詳細が明かされていない。情報網を自慢とする魔法師団でも十分に得ていない。これがそのメルクリッサの儀式の絵かもしれないが、わからない。
「それに、流派も多様で秘儀もあるみたいだし。この先がその儀式を行う祭壇かもしれない」
キーファが頷いて、魔法剣を翳す。
「この先に、扉があるようです」
すぐ先には石材の扉が二人を待ち受けていた。キーファが軽く手の甲で石扉を叩く。
中央に線が入った扉は、分厚いのか音を吸収して響かない。
扉は男性が女性を抱きしめている図で、中央の線、丁度扉が開くところで二人の間が区切られている。
索敵をして、この先に魔獣がいないことを確認したリディアは、「進みましょう」とキーファに告げた。
一日一個ですむ固形タブレット型の飲用水は、残り少ない。
落ちてきた穴には昇れない。歩んできたのは、目的地に近い。何よりも、呼ばれている――気がする。
「リディア?」
男女の壁画は、それぞれの胸部分でへこんでいる。よく見ると、それは手形だった。大きさの違うそれは、まるでそれぞれが手を当てるようにと招いているようだった。
「ここに手を当てるのが、鍵となっていると?」
禍々しいものは感じない。――呪いではない。
「やってみるしかなさそうですね」
キーファは頷きながら、リディアに一歩下がるようにと促した。大丈夫、といつものように軽く微笑んで、リディアはキーファと頷き合い、そして同時に凹みに手をあてた。
それが、今回の事件の始まりとも知らずに。
――何百年も閉ざされていたかのような重い扉が地響きとともに内側から開いて、奥から光が漏れてくる。
唐突に天井が崩れ、激しい音と共に、大小バラバラな石が頭上から降り注いできた。
「リディア、こちらに!!」
「キーファ」
キーファの声が音と砂埃の中で響き、リディアを強く引き寄せかばう。同時に彼は開いたばかりの扉の中にリディアを押し込んだ。
扉の向こう越しにみたキーファの頭上に壁が崩れ落ちていく。叫んだリディアは、彼の腕を引っ張り扉の中に誘う。
そこで二人は意識を失った。