33.睦言?
リディアはぎょっとした。今までのは酔狂だと思いたい、でも今のもまだ酔狂?
「やめて」
興味を持たれている場合じゃない、記憶がない自分はとても困っている。
そしてリディアは、危険だとわかっていながら彼に顔を近づけて見上げる。
「なぜ、私の記憶がないの? ジャイフが何かをしたの」
「――なぜジャイフの名がでる?」
無表情になり、その内面は読めない。ジャイフの虐待をしらないのか。彼は、ジャイフにいいように操られているのか。
「ジャイフは何者、ですか」
彼は不意にリディアを抱きしめて、耳元で囁く。これまでとは違う抱き方のような気がした。肩に頭を置き、背中を強くだきしめる。まるで思いを込めているようだ。
「――俺の腕の中で他の男のことを考えるな。もっとうまくやれ」
前もいわれた。けれど、今度は突き放していない、尊大でもない。
「うまくやれば、考えてもいいの?」
「できない女だな。――だから俺は惚れた」
「――思考はとめられない」
「なら、俺のこと以外考えられない様片時も離さず抱いてやる」
余計に煽ってしまった。切ったばかりの髪の先は硬くてリディアの肌を刺す。わずかに伸びた髭がリディアの頬にこすれる。顔を逸らせば、彼が離れてリディアの頬を両手で挟む。
「痛かったのか? 肌は傷ついていないか?」
「――今更、何を?」
彼の目がじっと見つめてきて、とまどう。これまであんなに自分勝手で散々なことをしてきたのに、なんでそんな風に気にしてくるのか。
「お前を惜しいと思う。なくしたくない」
”惜しい”という感情は他者にやりたくないというただの独占欲だ。
言えばまた煽るだろう、どんなものであれ、彼の感情を更に進ませたくない。
――疑問は全く解消しない。ジャイフのこと、ファズーンがなぜ自分に執着するのか、なぜ自分は記憶がないのか、神のことも、妻である必要も。
「……星読みというのはそんなに重用されるの? 宰相や侍従よりあなたに近い気がする」
ファズーンが黙る。そしてリディアの脇をかかえ子どものように膝にのせて、天井を指し示す。
一度振り払おうとしたけれど、その絵に興味を引かれた。
そこには、闇夜を示す藍色の壁に六角形のアラベスク紋様。その囲いの中に、二つの顔と二つの翼を持つ獣。そして乙女がいた。
「あちらの真白の円、つまり光にさらされているのがメルスト。日の神であり、今は日の時。あちらの黒い円にさらされているメイラ神は夜の神。夏至でメイラの闇の時に変わる。そして乙女によって二神は融合しメルクリッサ神になり、乙女を貫いた王こそ、神の力を得て真の王者となる」
「……つまり」
なんだか、直接的な表現。顔を赤くするよりも不吉なことを聞いて、リディアは彼を押しのけたくなる。というか押しのけないとヤバい、その先を聞きたくない。
「お前を貫けば――」
「いいです、その先はいらない」
彼は大笑いをしながら、続けてくる。いつもは鋭い瞳が楽し気に緩んでいる。この人の中は、気さくな人柄と獰猛な獣が混在している。
(甘えて図にのれば、厭われる――もしくは殺される)
「いいから聞け。メルストは日の神、明るいうちに睦むことはできん。夏至を迎えメイラの時代になれば、今度は闇の世界。いくらでもお前を抱くことができる」
「――他の女性たちは? 彼女たちもそうしているの?」
蒼妃はそんな配慮はないと言っていた。ファズーンは毎夜、どこかの妃のもとに訪れるのだと。そして予想通り、はん、と彼は尊大に皮肉気に鼻で笑う。
「あれらは慰み者だ。神の意思は関係ない、かまうものか」
最低だ。そう言おうとしてやめた。彼を非難して何になるだろう。
ここは、彼の後宮。女性の意思はない。すべて彼の思うがまま。
ただ、自分もそこに巻き込まれている、それが困る。
「わかりましたが、もう話さないで」
拒絶を示して、リディアは彼の胸を押しのけて、膝から立ち上がる。
「それをジャイフが予言したのね、私がその乙女だと」
ジャイフがリディアを特別だと予言したのならば、丁寧で敬う扱いになるはず。けれど、彼はそれとは反対に憎悪を見せた。ただ星を読んで古い神殿に行ってみたら倒れていた女性、というわけではなさそうだ。
むしろ、仕立て上げられた、と考えてもよさそうだ。
(記憶を取り戻すしかない)
というよりも、取り戻さないと”いけない”。彼がリディアを憎む理由を知り、でていく。
ファズーンの妻となり、後宮争いに人生を捧げるつもりはまったくない。
「細い腰だな。腰のくびれは極上だが、尻がもう少しでかくないと難産になるぞ」
「離して!」
リディアが押しのけようとすると、気に入ったとばかりにさらに引き寄せてくる。
「やめて!」
「褒められることになれていない。お前の旦那は褒めたことがないのか、本当に人妻だったのか?」
「知らない!」
頭を押しのけようとすると、身体が回されて向き合わされる。リディアは睨みつける。
「なぜ、あなたは予言に従って私を妻にしているの? たくさんの妃嬪たちがいる。私は形ばかりにしておけばいいのに」
何度聞いてもわからない。後宮には美しい女性がいるのに。
「リディア」
ファズーンはリディアの腕を取り、顔を唇が触れそうなほど近づけた。のぞき込む二つの色の目に吸い込まれそうだ。
「お前は理由ばかり聞きたがる。美しい、気性が好きだ、それだけで女達は舞い上がるのに。他にも誉め言葉が必要か? 他の女よりも優位な理由を」
リディアは彼の手を一度引き寄せ、重心を自分の方にかけさせた後、いきなり力を抜く。
本来はそのぐらいじゃ揺らぐ人ではないが、意外性にファズーンは力を抜きその隙にリディアはようやく離れることができた。
「バカにしているの?」
そう言いながらも、なんとなくわかる。他の女性よりも好きと言われる理由はそれだけで充分なのだ。
「では言ってやろう。お前を抱きたい」
リディアは胸を大きく上下させて、息をすう。獰猛な瞳は衣装の下を見透かしていそうだ。薄物は身体の線を浮き彫りにする。たくさんの女達を組み敷いてきた彼はたくさんの裸体を見てきたはずなのに。そんな目で見ないでほしい。
「顔が赤い。穢れをしらぬ乙女のようだ」
「そういうのはセクハラっていうのよ」
いちいち狼狽えてしまい、それを喜ばれているのがわかる。
そうじゃなくて、もっとうまく駆け引きができないといけない。




