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「図書館都市のリディア」~砂漠の王にさらわれて、陰謀渦巻く後宮へ~  作者: 高瀬さくら
2.ヴァルハラ宮編

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12.狂おしいほどの瞳

「お前は、薬を嫌がるのだな」


 寝台の壁にファズーンが寄りかり、その膝に頭を載せてまどろみ始めた頃、彼が呟く。

 何のこと、と目をあける。


「最初は、子どものように苦いものを嫌がっているのかと思ったが、全身で暴れる。あれ()で痛みが取れるのに、それでも抗う。本能が拒絶しているのかもしれないな」


 何のことか、と目をあけて彼を見れば考え込んでいる。


 と、彼が枕元の剣に手を伸ばした。同時に、微かな気配にリディアも気がつき、ファズーンの身体を押し返し、飛び上がるように離れ起き上がる。


「……リディア」


 闇の中で、影が動いた。その闇の中を凝視した。怖いとは思わなかった、何かを感じた。掠れた声に感情が動いたのはたった一瞬だった。すぐに消えてしまった。


「何者だ」


 離れたリディアを引き寄せたのはファズーンだった。守るかのように、そして俺の女だ、と主張するかのように。


 その誰何(すいか)する声は鋭く、挑発と優越を帯びていた。

 何が起きたのか、そしてファズーンはどうしたのか。


「碧妃様、いかがなさいました?」


 ファズーンの声に控えていた二人の侍女が駆けつけてくる。ペトラの掲げる淡い橙色のランプに照らされたのは、一人の男性だった。


「……っ、曲者、だれか」


 シーリが宮殿の兵を呼ぼうと叫ぶのをファズーンが手をあげて制する。ペトラも怯えたたずんでいた。


「よい、そのままで。明かりを近くに」


 ファズーンの命令で、ペトラが震えながらランプを上に掲げたのが見えた。

 半身だけ照らされた男は、闇の中に溶け込むような黒髪の黒い衣装を着た男だった。

 顔はあまりよく見えないが整っている。底光りするような黒い瞳はリディアを凝視していた。


「お前、どうして……」


 言われて、嫌だ、と思った。痛みにさいなまれて、ファズーンに身体を接して寝ていたこと。薄い寝間着も気にせず、ファズーンのもとにいたこと。


 この人の視線のもとに、晒されたくないと思った。慌てて身を隠す何かを引き寄せようとしたが、ファズーンは腕さえ押さえつけてくる。


「……ソイツを、離せ」


 闇の中から響くのは、怒りと憎しみを最大限まで堪えた声。たぶん、抑えないと声だけでこの宮を壊してしまいそうなほどなのだろう、放つ気に圧倒される。


「ソイツ、か。お前が私の妃のなんだと?」


 その喉から絞りだされ唸り声はファズーンより余裕がない。ただ殺気というのはこういうものか、とリディアにも理解できた。


 ソイツ、というのは自分のことだ。なのに、その声を放たれている理由がわからない。


 その瞳は闇の中から狂おしいほど必死にリディアを見ていた。


「誰……?」


 喉から呟いた声は、それぞれが緊張して張りつめた空間によく響いた。壁を切り抜いた窓にかかる紗の布が風に揺れた。


 黒ずくめの男は瞳で射抜くのではないかという位リディアを見ていたが、その一言で凍り付いた。魔王のような瞳が見開かれ、愕然と変化し、全身が虚脱したように緩む様がスローモーションのようにはっきりと見えた。


「……リディア……お前?」


 信じられない、という掠れた声の主が手を伸ばす。リディアは凝視してその姿に何かを求める、なのに何も出てこない。この人に、見知ったものが何もない。


 相手は自分を知っていて――。


「……わからない」


 本当に、出てこない。自分の中で混乱が高まる、ようやく落ち着いてきた感情。どうしよう、本当にわからない。


「誰っ、あなたは!」


 ファズーンの手を振り払い、前に出る。


「私は誰なのっ、何か知ってるの?」


 黒い瞳に黒い髪、ランプに照らされた姿。記憶のどこにも掠めない。


「リディア、落ち着け!!」


 彼のほうも自分の混乱に巻き込まれたように駆け寄ろうとした、けれどファズーンの冷ややかな声に遮られる。


「碧妃は、知らないと言っているが? 侵入者よ」

「コイツに、何をしたっ!!」


 目の前には既にこの人がいた。殴りかかる腕、それをファズーンが拳で受け止める。もう一つの手は、リディアを取り戻そうと伸ばされていた。


 けれど瞬間、彼はリディアを掴む前に飛び退る。リディア達と、黒い男の間に醜い黒の紗のようなものが吹き上がっていた。まるで呪われたオーロラのようだ。


「ジャイフ」

「遅れて申し訳ございません、陛下」

「いい、封じは?」

「すべて整いました」


 その返事に、いきなり黒い髪の男が膝から崩れる。片手を床につく、真っ赤な円陣に囚われて、そこから噴出する黒いタール様のものが彼の身体を包み込む。少しずつ、地面に彼が沈んでいく。


 動じない顔が微かに歪み、苦し気な苦悶を浮かべる、なのに顎をあげてリディアをじっと見ている。


 リディアはその苦しそうな顔に耐えられず助けようとファズーンを押しのける。彼が沈んでいく、この中に囚われたら、死んでしまう。


「やめて……やめて!!」


 さらに壁から、巨大な手が出てくる。それは二メートル以上もあった。まっすぐ黒髪の男性へと伸びていく。


 二人の侍女が叫んで、ペトラが腰を抜かし、シールが支えている。


 囚われた黒髪の男性の上で、その手は拳を握り締めて、力を溜め、一気に振り下ろす。


「やめて!!」


 リディアは叫んだ。下ろされた巨大な拳はそのままだ。黒髪の男は潰されてしまったのだろうか。


 リディアは、何かを感じて炯々とした目でその光景を見つめるジャイフに目を向ける。これらすべてを、ジャイフがしているのだろうか。


「やめて!」


 もう一度叫んだところで、その拳が持ち上がる。男が、その拳に逆らい持ち上げていた。そして、その拳が弾け散る。

 だが、その円陣からは抜け出せないようだ。ただ苦し気に膝をつき、リディアを見ているだけ。


「――リディア」


 もう一度彼が名を呼ぶ。そこに行きたいのに行けない。


「リディア。この男を知っているか?」


 そしてファズーンは見せつけるかのようにリディアの後ろ髪をかき上げ、耳元で名を呼ぶ。その感触にリディアは身をよじる。


「やめて」


 この人の前でそれをしてほしくない。その隙を狙うようにファズーンは囁く。


「――その男に、帰るように命じろ」


 ファズーンは、リディアの耳朶に触れるように唇を近づけ、更に告げる。


「今なら、まだ助けてやる」


 反応できなかった。深く大きく息を吸い、まだ男を見つめているリディアにファズーンは後ろから頬を撫でる。


「俺を、倒せるとでも思っているのか?」


 男が強い口調で睨み上げる。


「ならば闖入をむざむざと許した侍衛と侍女を罰するしかないが、リディア」

「……そんな」


 シーリとペトラが怯えて身をすくませる。


「そうだ、門衛もだな」 


 侍衛と言葉は交わしたことはないが、力仕事などをやってくれて姿を見かけていた。門衛は、碧佳宮に付かされた兵だ。彼らも、屋上から姿を見ることがあった。


「だがリディア。そいつをお前が追い返せば、不問に処す」


(また、脅しだ)


 身体をすくませて考える前に、黒髪の彼が黒い呪縛から抜け出していた。

そして、怒りを纏わせて一歩足を前に出す。手のひらが軽く開かれている。

彼が何かをしようとしたのがわかった、けれどそれをさせてはいけない。


 脅されているからじゃない。


「――帰ってください」


 彼が信じられないものを見ているかのような視線で立ちすくむ。


「お願いします」


 声は思ったよりはっきり出ていた。彼と自分との間の空間が遠くなったようで、ゆらゆら揺れている。


「これ以上は、碧妃本人を罰するしかなくなるな」


 彼の拳が握り締められる。けして諦めない、どんなに傷を負っても向ってくる人だ。


 でも、視界の隅で、ジャイフが叩頭しながら口角をあげて笑ったような気がした。

これ以上、ここに留めていたらだめだ。ジャイフは何かをするつもりだ。――企んでいる。


「私はあなたを知りません。だから――帰ってください」


 その声に彼が動きを止める。口が引き結ばれる。

 表情が消えた、能面になり悔しさも怒りもない、自分を見つめる瞳は、ただの感情のない闇の塊だった。


 それが立ち上がり、淡々と背を向ける。

 ホッとするより、胸が痛む。もう闇しかない、姿はない。でもまだそこに居ると感じた。いきなり未練に取りつかれて、叫び声がでていた。


「待って! あなたは私を知っているの?」


 もう姿はない。なのに、声だけが闇夜に響いた。


「――知ってる。誰よりもお前を。リディア」


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ありがとうございます。楽しんでいただけますように。
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