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123.キーファの変貌


 窓辺の枠に腰をかける姿に、リディアはちらりと目を向けた。窓は開き、外を見れば白すぎる床にオレンジの葉が濃く影を落としている。


 後宮なのに、なぜこんなに簡単に男性が出入りできるのだろう。


「今更なぜきたの?」


 従者だと言いつつ、一向に姿を見せないシヴァに呆れていたら、彼が書束を渡す。

 見てみたら、ハーブティー一覧だった。


「ペニーロイヤルや、セイヨウネズ、ヤロー、イラクサにそれからセントジョーンズワート。セイヨウタンポポにカモミール、ミント……」

「薬草茶が苦手なアンタのためにシーリが入れてくれるハーブティー一覧だ」

 

 リディアはその効能と注意書きを見た。


「全て妊婦に禁忌ね」


 子宝の薬は捨ててくれているシーリだが、普段入れてくれるお茶は堕胎する可能性があるもの。もちろん、お茶や薬は大体が妊婦に禁忌となっていて、気にしていたら何も摂れなくなってしまうけれど。


 おおむね初期が飲めなくて、中期になれば問題ないものも多い、例えばカモミールなどはそうだ。ただ初期に飲めないのならば堕胎させたい時に使える。もっともハーブティーごときですぐに堕胎するのかというと疑問。そこまで効能は強くない。


「役に立っただろ」


 リディアはランプの蓋を外して、紙片の端に火を移し、燃え始めたそれを飾り壺の中に落とす。そしてシヴァを見る。


「今頃来てなにがしたいの?」

「それより、シーリは怪しいだろ。俺が変わりについて行ってやるよ」


 彼こそ誰の味方かわからなくて怪しい。けれど、リディアは強張った顔で頷いた。

シーリには同行は許さず、その代わりに抜け出すことをばれないようにするよう厳命していた、これぐらいできるようになってもらわないと。



***


 キーファの居住は碧佳宮の西の別棟。とはいえ、本宮ではないといえ、立派な一つの館。 


 リディアは彫り細工に着色された内門を通り、屋根付きの吹き抜けの柱廊を歩くと、途中に庭が見える。

 インフニティの水面に桃色の睡蓮は浮かび、強い日差しの中純白な地面と共に照らされている。互いの館を結ぶ水路はリディアのほうから薔薇の花びらが流れてきて、風が吹くと甘いふくよかな香りが漂わせる。

 

 基本はリディアの宮殿と同じ造り、ただし碧佳宮本殿のほうが殿内の宝飾が多く彫り飾りも見事だ。キーファの宮女たちがリディアの姿を見ると叩頭して見送る。

お忍びではなくなってしまったけれど、ここまでくればもういい。


 吹き抜けの部屋を通り、仕切り布で遮られたいくつかの部屋を通り過ぎる。キーファの趣味か、仕切り布は柄がない青系統の淡い色。リディアの宮殿の布に色彩が多いのとは異なっている。


 風にゆるゆると揺れるそれ。普段ならば風の感触を楽しむけれど、なぜかよそよそしく感じる。


 とはいえ、殆どの部屋を使っていないようで、仕切り布も束ねて、端に寄せられている。そこを覗くと見苦しくない程度に小物が仕舞われたまま。彼を招いた時のままで、部屋の装飾をした様子はない。


 いつもキーファの方が訪ねてくるから、この小宮殿を見に来ることはなかった。華美ではなく、控えめ、というよりも興味がない。もしくはすぐにでも撤退できるように、という意図を深読みしてしまうほど。


 案内のまま奥に進めば、スラリとした立ち姿のキーファがいた。臍の下で合わせた両手、伸びた背筋なのに硬すぎない優雅な物腰、乱れのない衣装は浅黄色の地に、袖口には蔦模様、そして裾にはダチュラの花がポイント刺繍されている。


 控えめだけどほどほどにラインが優雅で上品だ。彼の雰囲気にあっている。

 そのキーファは、リディアを見てまず頭を丁寧にさげた。


「ええと、キーファ」

「ご足労願いまして、申し訳ございません」


 顔をあげたリディアを見下ろす彼の瞳は、いつもと同じような青。なのに、氷山からの雪解け水が流れ込んだ鮮やかな透き通る湖の色ではなく、ただの都会の空色。 


 そう思った理由がわかる。よそよそしい。


「どうぞ、お座りになってください」


 彼が合図をすると、侍女がお茶を運んでくる。困惑の視線を向けても彼女達は何も返してこない。もともと別に味方ではなかったが、彼女たちは何も感じていないのだろうか。


 ジャスミンティーのふくよかな香りが部屋に漂う中、リディアは彼に手を伸ばす。他人が触れていい距離を超えている、せいぜいドレスの採寸の時ぐらいじゃないだろうか。


「キーファ、はい」


 彼は意図を理解したようだが、その目が示す反応でリディアも理解した。


「なんですか」


 両手を伸ばし、さらに近づくリディアを、彼はただ怪訝そうに見ている。


「抱きしめてあげる」

「……どういう意味ですか」


 明らかに、不快、それは『この人大丈夫か』という顔だ。普通の男性ならば、驚くだろうし、訊き返してくる。それはわかる。でも、いつものキーファならば、違う反応を見せてくれただろう。


(例えば、叱る……)


 確かに、何をやっているのかと理由と行動の意味を問いかけて、それから『そんなことをしてはいけない』とディックみたいに諭してくる。それから、そんな行動を起こしたリディアに何があったのか心配だと言葉をかけてくる、それぐらいする人だ。けれど今は全くの他人行儀。


 リディアは予想していた、今巡らせた考え全てを顔に出さずに、顔に愛想笑いを浮かべて『少しふざけただけよ』と返した。


「いつものお遊び」

「そんな遊びをあなたとやった覚えはありませんが」


 もう決定的だ。記憶を失ってからの短い付き合いだが、いつも彼との会話には心があった。打ち明けて話してくれている、リディアとの間には信頼感があった。だから任せられた。今の彼には壁がある。


(記憶はあるのだろうけど)


 『キーファ』と呼んでも『誰だ』とは返されなかったから、自分のことは覚えているのだろう。


 でも、リディアに対する感情を取られた、失くされた、そんな感じだ。


(私が幽閉される前ぐらい?)


 何をしにいって、何をされたの?


「前に、私があげた刺繍を覚えている?」


 一瞬怪訝そうにしたキーファだがすぐに「はい」と頷く。すぐに思い出せないのか、それに対して何の感情も出さないのも彼らしくない。もうわかっている、彼が何かされている。残念よりも悔しい、でも何もできない自分がもっと情けない。


「まだある?」

「――はい」


 どうだろう。あの時はあんなに喜んでくれたけど、今は仕舞われているかもしれない。


「これを持っていて」


 そしてリディアはもう一枚差し出す。この間とは全然違うデザインだ。それを受け取り、彼は「どうもありがとうございます」と深く頭を下げた。


「どーすんだ、あれ。確実になんかされてんだろ」


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ありがとうございます。楽しんでいただけますように。
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