6.都市の中で
「くっそ!!」
ディアンが悪態をつく。周り中をぶっ壊してやりたい。
しかし、自分が少しでも魔力を放てば、ここ一帯が吹き飛ぶ。防護膜を内側に張ってから、魔力で部屋をぶち壊そうかと思ったが、そのひと手間が馬鹿らしい。発散で、なんでそんなことをしなきゃいけないのか。
そもそも、自分の魔力を防げる防護膜なんて、リディアぐらいしか展開できない。なぜアイツがここにいないのか。
ここは、図書館都市の中の宿。図書館都市と言われていても、すべての建造物が図書館のわけではない。
まるでとぐろを描く蛇のように、環状の迷路のような水路が行き渡り、図書館達の合間に人は店を建て商品を売り、家を建て生活をして街として成り立っている。
しかし、その正体は生きて意思を持ち、入る人間を選ぶと言われる図書館都市。
その図書館都市の中でもひときわ高い塔は、叡智の結晶ディアノブルの塔。その姿はまるで他教の古のバベルの塔の絵姿そのもの。
図書館都市はあくまでも都市で、そのディアノブルの塔こそ図書館都市の神髄と言われている。
街中のどこにいても、それは存在を主張し、眺めることができる。
今回、そこに入ることが許されたのは、アーサー・ダーリング教授だけ。
ディアン達は、塔周囲の街中の宿を仮基地としていた。
――本当はリディアもここにいるはずだった。大学院性でアーサーの助手であるリディアとキーファは入塔許可がおりていなかった。
ただ無類の本好きだったリディアは、都市に入り図書館巡りができると聞いただけで、興奮していた。なのに――。
男に攫われ、しかも妻になっている。しかもどっかの怪しげな王の妻に。
(アイツはなんで、どこでもなんでも攫われるんだ!)
八つ当たりだとわかっている。悪いのはリディアじゃない、あのクソヤロウだ。
そしてそれを許した自分。そもそも、リディアは自国でも変な神や兄にストーカーをされたりと狙われるのに忙しい。
――結局、守り切れなかった自分が悪い。
「あの、クソヤロウ」
「魔力を垂れ流すな、ここが壊れる」
ドアを乱雑に開けて、ディアン以上に苛立ち部屋に入ってきたディックをディアンは睨みつける。
ディックは、師団の中でもトップの実力者だ。そして頭脳の一人。
ディアンは団員を圧倒的な実力で従わせているが、恐怖政治は敷いていない。というか、怯える奴らではない。
だが任務においては絶対服従を強いている。
「俺を睨むなよ。俺だっててめえをぶっ殺してやりてえ」
しかし、一部の奴らはリディアのことになるとディアンに容赦がない。
このディックもそうだ。リディアに対するディアンの態度が気にくわないと、口も手も容赦がない。
今もそうで、敵意丸出しだ。やすやすとリディアが攫われるのを許してしまった自分に対してディックのあたりは最悪だった。
「――二人とも。仲間にいら立ちをぶつけるのは止めなさい」
静かに窘める声に、ディアンは振り返り珍しく頭を下げた。
「ダーリング教授。失礼しました」
アーサー・ダーリングは今回の護衛の依頼主であり主人。
そしてリディアが攫われたのは師団の問題。本来は研究のためディアノブルの塔にこもっているはずが、彼女の奪還のために協力してくれている。
「いや。リディア君は教え子だからね。協力は惜しまないよ」
王に言ったように、力強い言葉でディアンを見返してくる。それにディアンは頭を冷やす。
「――確かにリディアは、あの中にいる。が、警護が厳重すぎてこの人数じゃ潜入できない」
この地は管轄領ではないから、潜入団員がいなかったのもあだになった。
そして巨大な後宮。女でなければ潜入できず、今回女の団員を連れてきていないのも痛い。
「どうも、あの中じゃ魔法がうまく働かねえ」
「あの王宮の形、守る街、全てが結界になっている。魔法と相殺する」
ディアンは頷いた。今回、ようやく中に入ってわかった。これまでは何かに弾かれて入れなかった。魔力が強い者ほどその作用が強く働くようだ。
ディックが、机上に分かった範囲内での内部構造の地図を広げて考え込む。
――遭遇した砂嵐。そして魔神という存在。
「『魔神は正しく恐れろ』か」
ディックは、リディア達が聞いた旅の前の忠告を口にする。あの件についてもディックが調査をしていた。
「男は知らないという、女は知ってる素振りだが口を開かない。自然崇拝みたいなもんだな。奴らは魔神を恐れている、粗末にしたらいけない、口にしたら呼び寄せる、だから話さない、そんな感じだ」
「お前が女の口を開かせられないのか」
ディアンが言えば、ディックは不機嫌に眉間にしわをよせた。わざとだ。ディックは女で遊んでいるわけではないが、女の警戒を解くのに長けている。
というより誰の口でも開かせられる。けれど傷つけないし、痕跡も残さない、風のように素早く気がつかせないうちに撤退する。
情報収集に、一番長けている。それを知っているディアンが言ったのは嫌みではないし、ディックもそのことをわかっている。
ディックはこの件全般に対して、ディアンに対して不満があることを示しただけだ。
「この地では女は家にこもりきりで中から出てこない。もう少し時間がかかる」
「わかった」
「――魔神という人外の存在を呼び出し操るには、魔法陣のようなものが有効だ」
同じように考え込んでいた、アーサーの言葉にディアンは彼を見つめ返す。
「思い当たるモノがありますか?」
誰の追随も許さず、ついでに礼を逸した俺様喋りのディアンだが、尊敬を抱いている相手には敬意を示す話し方をする。
アーサーは魔法陣学専門の教授だ。ディアンはそちらの方面には敵わない。同じ魔法師だが、魔法陣という図を描き現象をおこさせるものと、詠唱で発現させる魔法は大きな違いがある。
なんにせよ専門を極めた人間には敬意を払うし、敵わない相手の専門的な発言は有効だ。
問いかけるとまだ思考中のアーサーは、残念ながらと首を振る。
「魔神というものを呼び出す魔法陣は聞いたこともない。“魔法”ではないかもしれないが、調べてみる余地はあるだろう」
気負いこみすぎだと我を取りもどし、ディアンは息をつく。
「私は、予定通り塔に戻ろう。そして、それについて調べてみることにしよう」
「――感謝します」
本来アーサーがここに来訪したのは、魔法陣の歴史をたどる研究のためだ。それなのにリディアのことに時間を割いてくれるのだから、感謝しかない。
「そういえば、キーファが目を覚ましたと聞いたよ」
ディックが頷く。崩れた神殿で助けたキーファからリディアのことを聞いた。だがその場にはキーファしかおらず、彼も重傷だった。
今は街の医師のもとに預けて治療に当たらせている。さすがに知識の宝庫というべき図書館都市だ、医学も発達していてキーファの治療も安心して任せられた。
だが、リディアのことは彼には、知らせていない。
知らせればすぐさまベッドから抜け出して探すと言い張るだろう。
が、そうなるのも時間の問題。身体が少しでも動けるようになればごまかしはきかず、必ず起きだしてくる。
「都市長には顔が利くからね。そこからも掛け合ってみよう」
「お願いします」
頭を下げて教授を見送ったディアンはディックに伝える。
「大体は、奴がわかった」
ファズーンに会ってみて、わかったことがある。まず奴は魔力がない。それから腕や胸の筋肉、歩き方で戦いに精通していることがわかった。恐らく剣と白兵戦が得意だ。
「――殺せるか」
ディアンは頷くが、引っかかるものがあった。そのせいでいつものようにごり押しできない。
「あの王本人だけなら何とでもできる。だが宮殿の造りだけではなく、いくつかの力を得ている」
身体を雑巾のように絞り、捻り切る魔法一つをかけてみたが、奴は何事もないように悠然と座っていた。
――弾かれた。
「あの銀髪野郎と。不確定要素の魔神か」
あのファズーン自体はさほど問題ではない。だが影に控えていた銀髪の男からは歪みを感じる。迂闊に手を出せない感覚は、久々だった。
「お前。随分大人しくね?」
団長である自分に“お前”呼ばわり。だがそれはどうでもいい。ディックが、不審げに尋ねてくる。
今までファズーンに対して、同じように苛立っていたのに、いきなりこっちを伺ってくる。
「――リディアが、気になる」
一言、その名を出せば、ディックも口を引き結ぶ。
砂漠ではぐれた時は、何らかの妨害で魔力波ネットワークでも繋がれなかった。あれはディアン自身の魔力で作ったネットワークであり、師団全員の情報がディアンに集約してくるものだ。
今回の砂嵐でのアクシデントは想定内だ、そういう磁場はどこにでもある。
だが、ここはそうじゃない。今現在は、おおむね範囲内の団員の情報を得ることができる。
その中にリディアの生体反応は捉えることはできている。けれど彼女の魔力は薄く、しかも接触してこない。
リディアは特別だ。感応系魔法師という特殊能力で、ディアンの魔力を増幅することができる、マグマのように煮えたぎる自分の魔力のコアにアイツを入れたこともある。
唯一、それを許した相手だ。なのに、何も言ってこない。
(生きているのに、連絡を寄こさない。……寄こせない。囚われているのか)
他に考えられるものはなんだ?
なぜ、今回はファズーンだけしか出てこなかった。アイツならば王宮から意地でも出てくる、連絡を取ろうとするのに。
(何かが、おかしい?)
自分の感覚に没頭するディアンに、ディックが問いかける。
「しばらくは正攻法でいくしかねぇか?」
ディアンは顔をかすかにあげて、宙を見すえる。
思い浮かぶのは様々なリディアの顔、声、台詞。全部見てきた。
「いや、あれは俺の女だ」
長い間待った。やっと手に入れた。もう離さない。誰かに取られるなんて冗談じゃない、許す気もない。
「渡す気はない」
それをディックが見ている。
時折思う。長年リディアに思いを抱いてきたディックは、ディアンからリディアを取ろうとしなかったのだろうか、と。
奴のなかの葛藤もあったはずだ。
「だな」
だがディックは同意し、軽く目を伏せただけだった。




