121.毒の秘密
赤は、いつも血を連想させられる。ずっと戦場にいたからだろう。だが、ここの赤は安い場末の売春宿で使っているような偽色。
そそられもしないし興覚めするばかり。だが今日のやり取りは、さらにうんざりするものだった。
「よくも!! 碧妃は死んでないじゃない!!」
頬を打つ音と人が倒れる派手な音が響いた。
「申し訳……ありません」
「その同情を引くような声は何? あなたのような奴婢が嫌らしくあがいても、腹が立つだけ。慈悲を乞うなら、役に立ちなさい」
ヒステリックに吠えているのは、紅妃だ。ディアンは、緞帳の向こうで腕を組む。魔法を使わなくても、気配を消すだけで誰にも気づかれない。それほどにここの防衛は甘い。いや、ここの宮殿だけではなく、ヴァルハラ宮自体の守りはさほど厳重ではない。自分達だから出入りできるのもあるが、見張りを誤魔化すのはたやすい。
ただ、魔法による攻撃、侵入が難しいのだ。
「こんどこそ、碧妃を殺しなさい」
「ですが、紅妃様! 私には、その術が」
「ジャイフに手筈を整えるように言ってある。連絡を取りなさい」
前を通っていくリディアの侍女のシーリは、ディアンには気づかなかった。気配を消してなかったとしても、あの必死な様子では何も見えていなかっただろう。
「あら、愛しいあなた。来ていたの?」
声をかける紅妃に、そろそろ引き上げかとディアンは冷淡な目を向け、ひとかけの枝を指に挟んで掲げた。
「……」
「この枝を真水につけておけば毒になる。もとはアレスティアのイリヤ神の大樹、この小枝は挿し木にして増やしたラキュス・フェリシタティだが」
妖艶な笑みを浮かべた顔だが、その目は何も映していない、ずっとそうだった。まるで蝋人形で、目はガラス玉のようだといつも思っていた。これは生きているのかと。
他の妃をいたぶる時でさえ、その目の奥に感情があるのか怪しかった、まるでそうしなければいけないと思っているかのようだった。
「この木自身、切られると痛みを感じる。水につけることで、その痛みが伝播して毒になる。聞きたいのは、お前がどこで手に入れているのかということ」
ファズーンの侍従が調査のため持ってきた若芽は何の毒性もなかった。漬けておいた水も毒性を示さなかった。けれど、その水を与えられたラットが苦しんで死んだのだ。
「碧妃の毒ね」
樹の痛み――神経性なのか、心痛なのかわからないが、それが水に転写させられた毒。本来はすぐ死に至るはずが、リディアが生きているのは人の感情を取り込み浄化させる能力のため、その毒もわずかながら解毒できているからだろう。
ジャイフの毒の調整がうまくいっているからじゃない。
錬金術に長けているオーディン神は毒と妙薬を自在に操る。ジャイフは魔神を操り、あの枝から毒も薬も作っているのだろう。
ただ、そんな難しいものをジャイフが完全に扱えているとは思えない。やつは、自分が解毒剤を作っていると信じているだけ。
だが、それを紅妃に教える必要はない。
紅妃は自分がカギを握っているとわかり、笑みを深くする。深紅の唇が弓なりに上がる、まるで口裂け女のように。
「そんなことより。解毒剤がわからないと、困るでしょう?」
「大方、その痛みの元となる小枝が死ねば、リミットで痛みも消えるのだろう」
本当は、その断末魔のような小枝の痛みで転写されていた水毒を盛られていた生物は死ぬ。けれどリディアは自ら浄化している。ただ、このまま不確かな状態でいいわけがない。積もり積もった毒がリディアの身体にどう影響を及ぼしているのかがわからない。
だからこそその木を探したいのだ。そして根源となるそれをやめさせたい、もしくは完全な解毒を行いたい。
「お前かジャイフか、どちらだ。持っているのは」
「そんな聞き方をして、手に入るとでも?」
「言うさ、お前は」
ディアンは一拍おいて、紅妃がしなだれかかるソファに立ち、彼女を睥睨する。
「こんな便利な毒、今後も使わないわけがない。盛られている者よりすでにお前自身が中毒になっている。違うか」
己は服用しない。だが、他者への毒として利用する中毒性がある。
まだ妃に犠牲者はいないが、濱や妾には不審死が相次いでいる。調べてもただの水だ、わかりようがない。
「そんなこと、ない。使っても見つかるはずがないもの」
「そうだな。使うことはやめられない。だが自分が犠牲者になることは考えていないのか」
「――ジャイフが裏切るはずがない!」
そう言ったあとで紅妃は顔色を変えた。ようやくその名を漏らしたと気付き怯えた顔。
「皇太后に守ってもらえるとでも? ファズーンにばれないてないとでも思っているのか?」
「……」
「碧妃は自分で解毒できている、死ぬのはお前たちだ」
紅妃の白粉だらけの白い顔はいっそう白くなっている、喉はわずかに動き瞳孔が開いた。恐怖を目に浮かべ手が震えている。
「今、ジャイフとファズーンの仲は亀裂が入っている。お前はジャイフ派だが、アイツは儀式が近づくにつれて、皮肉なことに魔神の制御ができなくなりつつある。さて、ジャイフに加担してすべてが失敗した後に巻き添えにされるか、もしくは成功後、捨てられるか。無味無臭のただの水。いつ盛られるか、今後一生気にして生きるんだな」
言い放ち背を向けるディアンの足を掴もうとして失敗し転がり落ちる紅妃。その気配を感じても気にかけはしなかった。
あとは、彼女の侍女がその木を見にいくなり、手に入れるために動くだろう。
「――お父様よ、お父様が持っている!」
予想もしなかったその名にディアンは振り向く。床に手をつき、結い上げた髪が何本も落ち、乱れた髪から覗く据わった目がこちらを見ていた。
「バハムトが……」
「――だから、助けて」