5.ディアン・マクウェル
懐から碧妃の飾りを取り出し翳す。調べさせたが虹色の鎖の素材はわからない。先端には見事な花の蕾を模した細工の翠玉。
一見してネックレスより長めの鎖の宝飾品の様にしか見えない。ただ、ジャイフに調べさせたら強力な魔法がかけられていて、そこに碧妃の所属する識別番号らしきものと、名前をみつけることができた。
「……リディア・マクウェル。――リディアか」
確かにあの娘には、ふさわしい綺麗な名だ。褥で呼びかければ、艶やかに響くだろう。
「よい声で啼きそうだな」
呟いて、控えているジャイフに問う。
「あの娘を抱けるのは、あと何日先だ」
「――四十日後。メルスト神がメイラ神にかわり、そして乙女の中で融合しメルクリッサ神になる時。その先は、いくらでもお抱きくださいませ」
面倒だな、と胸中で呟き、高い列柱が立ち並ぶ回廊の下を大股で歩きながら膝下の裾をさばく。
だが、それも酔狂だと思い直す。
これまでは、胸中で何を考えているかわからないが、王という身分に惹かれ身を投げ出してくる女ばかり。
記憶がないものの、リディアは一筋縄ではいかない女だ。その頃には、気を許しているのか、それともこのまま毛を逆立てた猫のようなままか。
美しいだけではなく、面白い女だ、と思う。少し話しただけで、すでに惹かれている。
「――今日の碧妃の刻限は?」
「深更頃かと」
ジャイフにしかわからない碧妃の身に起こる頃合いを訊ねる。
「ならばまだ時間はあるな」
あの症状はどうにも気になるが、ジャイフの言い分を聞けばいつかは収まるとのこと。
苦しませてやりたいわけではない、傍にいてやりたいと思う。そんな自分も初めてで、調子も狂うがそれもまたあの女だからだ。
(予言の女だから、じゃないな)
そう思い歩いていると、侍従長が正殿の入口で叩頭するのを見て、またかと思う。
「魔法師団の者が、陛下への謁見を求めております」
「何回目か?」
「五回目でございます」
北・中央諸国連盟にあるグレイスランド魔法師団。この組織は、国内外に広く名を轟かせている。
人外の存在の駆逐、国内外の戦争以外の紛争解決、広く展開させたネットワークによる諜報活動、あらゆる活動に長けており、各国の王や指導者も一目置いている。
その組織が二週間もの間、行方不明になった仲間の所在を問い合わせてきていた。
彼らが武力行使に走らずに粘り強く面会への交渉を続けてきたのは、よく持った方だと思う。が、引き延ばしもそろそろ限界だろう。
「会おう」
噂のグレイスランド魔法師団の第一師団団長は、たぐいまれなる威圧を放ち、その場を一瞬で凍り付かせ同時に誰もを惹きつける男だった。
身にまとう衣装は黒。ジャケットにパンツ、王宮に入れる前に一切の武器は外させている
が、その身体と魂すべてが武器のような男だった。
黒曜石のように深く鋭い光を宿した瞳、血石のように光の角度で赤にも見える髪。
中肉中背だが鋼の筋肉と服越しにもわかる身体。猛獣の魂。
(なるほど。確かに、ジャイフのいう魔の帝王と呼ばれるにふさわしい男だ)
ディアン・“マクウェル”
碧妃の飾りに刻まれた“リディア・マクウェル”という姓と同じ男。
ディアンは、壇上に坐するファズーンに礼を取らず、大股で足をさばきまっすぐに見上げると、一言告げる。
「ここにいるリディア・マクウェルを即刻返してもらおう」
「――お前、無礼であるぞ。陛下の御前で」
階下の侍従長が慌てて引き留めようとすると、それを眼圧だけで下がらせファズーンの王座まで足をかけ迫る。
その手には武器はない、だが同等の視線を交わせばわかる。その気になれば、ヤツは即こちらを殺しにかかるだろう。ジャイフは緞帳の影に、副官のヘンシュは、王座の右側に控え腰の柄に手をやり控えている。
「――へ、陛下……」
侍従に下がれと命じる。
「ここにいるのは、私の后のみ。しかし下女ならば好きにもっていくがいい」
「金髪碧眼、白い肌の二十一歳。翠玉のネックレスを持つ女。それがメルクリッサの崩れた神殿からそちらで保護されていると既に調べはついてある」
「知らん」
ディアンは黙る。けれど言外に放つ魔力か、それとも覇気というものか。侍従長も階下に控える宰相もそれ以上口を挟めず固まったまま。
「部下であり、俺の妻だ」
男は、一言告げる。その目に宿るのは強い敵意。
やはり、あの娘はこの男のものか。そう思ったが、それ以上の感情はわかなかった。自国は花嫁に純潔を求めるが、あの娘であれば例え昔に男がいても、気にもならない。
今は、自分の妃であり、記憶もすべてない。生娘と同じだ。
その時、もう一人ディアンの後ろに控えていた、年配の落ち着いた声の男性が進み出る。
「ヴァハラ陛下。私からもよろしいでしょうか」
侍従長が囁く。
「アーサー・ダーリング教授です」
ああ、と頷く。グレイスランドだけではなく、魔法師の世界では有名な教授だと聞いていた。魔法に縁がないこの国でも、砂漠の緑化や魔獣から守りを得るため街や城に陣を敷いてもらうなど、ヴァルハラにも貢献を惜しまず、むしろ彼自身とは友好関係を築いている。
今回、図書館都市の入都を認めたのも都市自身の意思もあるが、これまでの関係からだ。
そして魔法師団がここに来たのも、もとはと言えば、アーサー・ダーリングの砂漠越えの護衛として。アーサーはすでに図書館都市に入ったはずだが、彼も意見を言いに来たのか。
「リディア・マクウェルは私の博士課程の生徒なのです。指導者として行方不明のままでいるわけにはいかないのです。――ぜひ、捜索にご協力を願いたいものです」
物腰は柔らかいが、押し通す力強さがある。学者というのは、武力ではなく言葉で戦う。けして圧力に屈さないところがある。彼には、ディアンとは違う底知れぬ強さがあった。下手に会話を続ければ、こちらも不利になる。
「わかった、それらしきものがいないか、調べさせておこう」
そう言えば、アーサーは底光りする目を一度向けた後、頭を下げ、ディアンは一同を睥睨し、ファズーンに背を向けた。
一行が出て行ったあとだった。緊張感から逃れた侍従が軽く胸を押さえた直後だった。影に潜むジャイフが囁く。
「陛下、すぐ離れて下さい」
緞帳の影からジャイフの声が囁く。
パキンと音がした。ファズーンは立ち上がり一歩進んだ。ヘンシュがファズーンの背を守るように背後に立つ。
――瞬間、ファズーンの背後の純金の王座が、花火のように破片と火花をまき散らし砕けた。




