103.レイリー・アバーテ
「――儀式というのは我々が思っていた以上に複雑なようだ」
ディアンと部下の二人、ディックとシリルが身を隠していた部屋に入ってきたのはアーサーだった。
ディアノブルの塔はあれ以降、誰にも門扉を閉ざしていて、入れなくなってしまっていた。研究に来ていたアーサー教授も多少は困っていたようだが、こういうこともある、と苦笑して他の図書館群での書籍を漁っていた。
アーサーが脇に抱えて持ってきたのは、長方形の箱に入れた書と巻かれた羊皮紙らしきものだった。手袋をしてまず一枚の羊皮紙を取り出すと中央の机に開く。
羊皮紙のそれはB4サイズ程度のものだったが、見事な魔法陣が描かれていた。
保存状態はいい、けれどかなりの年代物だ。
だが――自分が解読できないものだった。
「これは、なんです?」
「この一枚は、我が家に伝わる魔法陣でね。私はこれを見て魔法陣学を極めようと思った」
そして、ともう一枚の書物を慎重に取り出す。これも古いものだが、手にしても崩れる様子はない。綴じてあるが、開くことができそうだ。
「保存魔法がかけてある、閲覧は可能だ。ただ本来は見ることももちろん持ち出しも厳禁でね。ここで見たことも口を閉ざしておいてほしい」
秘密で、と手袋をした一本指を口の前に立て、片目をつぶる彼は、かなり魅力的だ。自分でも相手にしたら許してしまいそうだ。ルールを守る絶対の信頼を相手から得ているが、時折融通を利かせてもらえるコネはこの愛嬌のある魅力からか、いつもごり押しの自分にはない方法を学ばさせてもらった気分だ。
まず、と一枚の羊皮紙を指す。端の署名を指す。けれどその文字の解読ができなかった。
「リュミナス古語? いや、グロワール……ですか?」
リュミナス古語は、自分達が魔法を使う際に六属性に願う請願詞で詠唱する古代の言葉。そして、グロワールは失われてしまった誰も知らないもの。
自然界と通じ合えるものだが、それは感覚で話すようないわゆるテレパシーのようなもので、発声方法もわからない。
感受性の強い子供が“何か”と話している、そんなもので大人が本人に尋ねても大人はけして理解できず、本人も大人になるにつれて忘れてしまう。
録音しておいても、子供によって全く違うし、それを使える子供もわずかだ。
例えば『お腹にいた時はこうだったよ』などのような胎児記憶を子どもが漏らし、そのことを大人が次に尋ねると、なんのこと? と子供は首をかしげるようなあやふやなもの。
――昔、幼い頃にリディアが自然界の者と通じ合って使っていたのをディアンは知っている。だが、あえて覚えさせはしなかった。
アレは全く現代の魔法とは異なる言語、違う世界へ繋がる鍵となるもの。使っていたらリディアは魔法師の道を閉ざされる、だけではなくその世界に呼びこまれてしまう、そう思っていたからだ。
異次元を多少呼び出すことができるディアンだからこそ感じることができる。だがディアンでさえも、グロワールはわからない。
だが、この署名に書かれている文字は、なんとなくグロワールの一部、解明されている一部のわずかな言葉に似ている。
「恐らくそうかもしれないが……ここに署名がある」
「“――敬愛する――捧げ”か?」
ディックは魔法剣士だが、その剣にかなりの魔法術式を刻んでいる。リディアとおなじくらいリュミナス古語に長けている。シリルよりは得意だろう。アーサーは頷く。
「インクが薄いから読み取れるのはそれくらいだろう。そして、この署名は“レイリー・アバーテ”」
「魔法陣の始祖ですね」
「彼以前の名が残っていないからね。私は、彼は偉大な魔法陣の描き手とは思っているが、繋いだだけ。記録されているよりさらに古い家系と思っている」
「なぜですか?」
怪訝そうなディアンに苦笑で返す。
「うちはアバーテの系譜でね、家系図は更に古い名があるんだ」
「教授はアバーテ家の血を引いているのですか!?」
整えられた口ひげの下の口角があがる、それが返事だった。
魔法陣の始祖、レイリー・アバーテを祖先に持つ。それがどんなにすごいことか。黄金期の魔法の記録は失われ、ほとんどが不明だがその名はたびたび、魔法陣の経典に出るほど。彼が”魔法陣”を作ったといっても間違いではない。
「うちの悪ガキ、とはもう言えないな、だがそれ、家系についてはウィルには教えないでくださいよ。魔法陣にはとんと興味がない」
「いや、でも……」
「彼は今、まだ魔法を極める最中だ。浮気している場合じゃない」
魔法陣の名門なのに、それを継がそうとする意思がないこと、そしてそんな重要なことを魔法陣学会に明かしていないことに驚く。「本人がやる気があれば、そのうちたどり着くでしょう」と。
「研究では客観的に見ることが大事。自分の先祖だと勘繰られてしまう。何しろ、自分の家の屋根裏から出してきた、捏造だと疑われるからね。私はいくつも証拠を出し、整合性をもって発表しているが。そんな面倒を息子にかけたくない。それより、この一枚を見てくれ。レイリーの言葉、彼が“何を”、“誰に”捧げたのかを」
この、署名の前の文を、と彼は指す。ディアンは羊皮紙をまじまじと見下ろす。
彼の残した魔法陣は二つの円だった。アバーテ家は非常に魔法陣に装飾を施す。花、蔦、鳥、実、動物、とくに自然界のものが多い。概念や抽象的なものはあまり使わない。けれど、この二円は、ほとんど装飾がされていない。その代わり幾何学的な紋様が複雑で美しい。
魔法陣はフリーハンドで描くもの、それなのに線は揺るぎなく、そして線に強弱やインクの濃淡をつけることで、力の流れを操る。
意味は読み取れないが、美しいものだった。
「レイリーにしてはとても珍しいデザインだが、掠れなく細い均一な線、濃淡はない、線事態では表現しない、かれの癖が出ている。彼の魔法陣で間違いない」
アーサーが言えばそうなのだろう、そして自分達でもそれは間違いないと思う。だがなぜ彼がそれを見せてくれたのか。学会でも発表したことがないのは、アバーテ家のつながりを知られたくないという事情の他にも何かあるのだろう。
「レイリー・アバーテは一説ではアレスティア時代の者だったと言われているが確証はない。だが今回は、この魔法陣は儀式とは関係なくてね、あくまでもレイリーの話をしたいだけで見せた」
そして、と教授はその羊皮紙を丁寧に箱に収める。顔をあげてディアンを見つめ、それから他の二人にも目を向ける。
「まず、“ヴァルハラ”国と聞いて一度は何かを連想したことがあるだろう」
書を開かずに教授は言う。その教授の鋭い眼光を受けて、三人が頷く。代表でディアンが口火を切る。
「北方のオーディン神の宮殿と同じ名だが、似ているだけと思っていましたが」
そう、その名は誰でも思い浮かぶ、だが足りないとアーサーは首をふる。
「オーディン神の宮殿の名は『ヴァルハラ』というのは誰もが知っている。だがオーディン信仰は北方地帯、ここヴァルハラ国には遥か遠く、メルクリッサ神を信仰しており関連がないと見逃していた。――でもよく考えてみなさい、他にも共通点があるだろう?」
まるで生徒のようだ。ディアン達も他国の宗教には通じている、そして思いついたのは同時、だが予測だけで確証はない。
「まず挙げられるのは、オーディン神は、北の伝承では戦いの神であり知恵の神、更に狂気の神。ですが万能の特徴を持つのは最高神にはよくあることです」
アーサーは頷き付け足す。
「この国のメルクリッサ神も智と剛を合わせた神だ」
ディアンは動きを止めた。だが先ほども思ったが、たいていの神は万能の力を持っている。そこには相反する能力を持っている場合も多い。
それよりオーディンと聞いて深く記憶をたどると、一つのことを思い出す。そして唸る。
「オーディン神の別名は、メルクリウスですね」




