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「図書館都市のリディア」~砂漠の王にさらわれて、陰謀渦巻く後宮へ~  作者: 高瀬さくら
2.ヴァルハラ宮編

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98.囚われの身


「他の神官達もこちらで寝泊まりをしていますか?」

「最奥が私の寝室兼仕事部屋です。他の神官達は地下で勤めに励んでおります」


 感情は押し隠したのだろう、ジャイフが声を平坦に戻して答える。


「確かジャイフ殿は陛下の体調管理を任され、薬の調合もされるとか」


 ジャイフは何も示さない。尋ねていくキーファのほうが不利だ、こちらはカードが何もなく、答えを待つしかない。


「星を詠み、その時にあった薬を調合します。ただし私は陛下の薬のみ。他の方々は弟子が作業部屋で行います」


 ジャイフの私室には、寝台と机、棚、更に書棚があった。


「碧妃様の薬も調合されているでしょう?」

「陛下のご寵愛が深い、いずれは皇后となられるお方ですから」

「そのような事、ただの臣下が口にしてはならぬことでしょう」

「これは失礼を。海嬪様も十分ご寵愛を受けていらっしゃるのでした」


 先ほどの出まかせを逆手に取られるが、互いに気にしていない。表面的なもの。


 キーファは棚に目を向けながら、先ほどの会話に頷いた。


 ガラス戸で鍵がかけられた棚には、いくつかの壺、その下の小さな引き出しの中はわからない。そこに目を向けているキーファに気がついていながら、ジャイフは止める様子はない。


「地下を見ることはできますか?」


 ジャイフは大きく首を振る。とんでもないと大げさなものだ。


「倉庫ですよ、尊い方をそこまで入れることはできません」


 ここまでか、とキーファは諦める。いくつか気になる点はあるが、これ以上は無理だろう。師団に頼むしかないのだろうか。


「そういえば、あなたは皇太后様がグレイスランドより連れてきたとのこと。どこで知り合ったのですか?」


 リディアから得た情報だが、宮廷内では特に隠されていない。後宮では、遠い国で行くこともない見たこともない国に思いを誰も馳せない。


 だが、グレイスランドのシステムに入り込んでも、師団は未だに出自が突き止められないのだ。


 一歩先を歩きながら背後に警戒をしつつ尋ねる。


「卑しい私の出自などに目を向ける必要などありませんが」

「あなたの碧妃様への態度が心配です。恨みはそこにあるのでは、ないのでしょうか?」


 振り返り一度足を止める。顔と背を伏せられているため――目が合わない。それがひどくやりにくい。


「そこ、とは?」

「出会った場所です。宮殿の者に聞いたところ、皇太后さまがお輿入れの際はまだお前はおらず、伯花宮を出る際に連れていたとか」


 後宮内には何があったか、必ず覚えている者がいる。それによると、伯花宮――廃宮に入る前は見かけなかったと。さらに金を握らせると声を潜めて廃宮から連れ帰ったのではないかと言っていた。


 あの廃宮で何かが起きた。だが、そこで何が起きたのかは誰もわからない。

 だが、そこで皇太后は力を得てエーロ姫は気が狂い、それぞれの人生が変わっている。


 もちろん後宮は常に立場が変わり、寵愛を受けていたものが次の日には首を落とされる場所、だがジャイフも廃宮でから出てきた、こいつの正体は何だ。


「海嬪様。廃宮の話をするのははばかられますよ」


 伯花宮を廃宮とはっきり言い、その場で話を終わらせる。やはり皇太后とジャイフは廃宮で会ったのだろうか。

 だが、ジャイフは男だ、妃嬪妾ではなかった。どこから入ったのか。


 帰り道も、ジャイフはキーファの後をついて回る。


「ジャイフ、あなたが顔を隠しているのはメルクリッサ神の教えのためですか?」


 まるで影のように端を歩く神官達もフード付きのローブで顔を隠しているが、見えないわけではない。


「いいえ、顔に見苦しい傷があるのでお見逃しください」


 それか、コンプレックスか顔を覚えられたくないためか。その美貌のため、というのもある。垣間見える美しさは、宦官とはいえ女官達が時折浮足立ち噂をするほど。


「もうよろしいですか」

「はい」


 キーファは神殿のドームの天頂下に立ち、振り返る。その時、ジャイフが紗を取り除き、顔をさらけ出していることに足が止まる。


「どうかし……」


 いきなり禍々しい気配が空間に立ち込める。キーファは完全に体を返し、攻撃に備えるが、ジャイフ以外の姿はない。

 ただ何かがいる。

 躊躇なく、隠した切り込みのスリットの隙間から取り出した短剣を、右手に構える。


「魔法剣ですか。あなたは魔法を使えないと思っていました、特殊体質のようですね」


 普通の魔法師は必ず魔力波というのを纏っている。だが自分は魔力を外に放出することができないため、魔法師と気づかれない。

 魔法が使えず悩んだ時もあった。それを武器に伝導させることにより魔法剣が使えると教えてくれたのはリディアだ。


 魔力の放出がないために、探知されることがない潜入捜査に向いているという自分の特殊能力にも今は感謝している。


「――だが見えない。あなたが女性ではなくて残念ですよ」


 どういう意味だ、と思いながらキーファは勘を頼りに飛びのく。何かが自分の前を通りすぎる、まるで大きな腕が掠めたかのよう。


 風圧で髪の毛が舞う。髪留めが外れ、結い上げていた長い髪が舞う。邪魔になったかつらを振り落とし、元の短髪で向き直る。


 今度は後ろに気配を感じて振り向きざまに縦に切り裂く。ちょうど自分も攻撃できる距離の場所だった、当たったらしく一瞬攻撃が止む。


 風圧を受けながらもキーファは横に飛びのく。


 そして、祭壇にあった銀製の装飾燭台をジャイフに投げつける。そこまでは予想していなかったのか、ジャイフが纏う布でそれを払い落とす。

 だが遅かったようだ。燭台に灯された火が彼のローブに炎を宿す。小さな声をあげて慌てて体に巻き付けているローブを脱ぐジャイフ。


 その下は他の神官たちと同じように簡素な白い貫頭衣のようなもの。

 その薄着の身体に、胸から腕へと焼き印のようなものが見えた。


 傷か火傷か、自分ではつけるのが難しいほど深く刻印のように押されている。他者につけられたものだろうか。


「見るな…見るな!!」


 ジャイフが叫び、慌てて体の傷を隠す。傷跡は悲惨なもの、だが攻撃をやめてこれを隠そうとする怯えと怒りの態度に驚く。


 一瞬目が奪われた隙に、背後から首を取られる。


(ゆるして……)


 ジャイフではない、耳元でか細い女性の声が響く。ゆらりと床に落ちた影がキーファの喉を絞めている。首をめぐらすが実態がない。


 同時に、ジャイフがキーファの剣を拾い脇腹を刺す。灼熱の痛みに思わず屈むと、床に鮮血が落ちていく。一度ジャイフがそれを抜き、その拍子にまた血が吹き出る。


 拍動する痛みと、喉を絞めつけられ息のできない苦しみ。歩んでくるジャイフの狂気混じりの憎しみが吹き付けてくる、前後の存在に追い詰められる。


「残念ですよ、あなたが女ならば見えたはずなのに」

「……なるほど」


 魔神は、女でなければ見えないというわけか。だからリディアにだけ見えた、女だけに伝わる伝承なのも、そういうことか。

 目に見えない巨大な存在、そして今自分の身体を締め付けてくる何か。二つのものは、違うけれど別種の魔神なのか。


「メルクリッサ神は雌雄が合体し性別がない。だから男ではない宦官が神官を務める……そういうことか」

「少し違いますね。男のシンボルがついていない者にしか魔神は見えない、神は姿を現さわず力を貸さない。だから乙女を介す、そういうわけですよ」


 リディアは依り代だ。儀式で男神、女神が下ろされメルクリッサ神になる。だが、それをしてどうするのだ。


 それによる何の力が得られるのだ。王を選ぶ、それだけ、か。


「考えている場合ですか?」


 ジャイフがキーファの血が滴る剣を下げやってくる。床には魔法陣もない、彼からは特殊な力も感じない、だが彼が見えないこの何かを――恐らく魔神を操ることができるのはなぜだ。


 ジャイフが剣を握り締める。拳に力が入っているのが見える。


「そんなに知りたければ、私の(しもべ)にして教えましょう。ただし、あなたが男でなくなってからですが」


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ありがとうございます。楽しんでいただけますように。
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