序.それは、はじまり
激痛が襲い掛かる。それは断続的な痛み。痛みには我慢強いと自負があった。
どんな時でも耐えていた。なのに、叫びが止まらない。喉が痛くなるほど叫び、血にむせる。喉が枯れたのか、痛む身体のどこかから出血しているのか。
(薬を、薬を、ちょうだい)
これまで、そんなものを、のぞんだことはない。
そんなものを望む性質ではなかった。けれど、激しく渇望する。
飢えていた。この痛みがなくなることに、すがる。
何かを叫ぶ。けれどさらに強くなる痛み。
――もう叫べない。
「碧妃! 碧妃!」
何度も呼びかけられて、それが自分への呼びかけだと頭の片隅でわかる。
痛いのは、お腹、それから背中、全身。まるで箸で身体の中をかき回されているようだ。かばうように曲げた腹を押さえて、動けないながらも叫びたい。
(――違う、違うの)
なぜ、この人は、自分をそんな風に呼ぶのだろう。
「碧妃、問題ない。俺がついている」
逞しい腕が、身体を支える。その上から被さってくるのは、腹の底に響く太い声。それが少しばかり焦っている。
離して、と喉の奥で響かせる。なのに、口の中で消える。声の主に手を振りはらうのに、むしろ掴まれて、もう離せない。力は入らない。あまりの痛みに、その腕にしがみつき、肌に爪を立てる。それにもびくともしない腕。
目を開いた合間に、濃い金髪と日に焼けた赤銅色の肌、そして印象的な琥珀と蒼のオッドアイが自分を見下ろしていることに気がつく。
彼は自分を抱きしめて、強い眼差しを注いでいる。それが口を開いて誰かに命じている。
「ジャイフ。薬を早く与えよ」
口に無理に当てられる陶器の器から、液体が注がれる。最初は水分に喜ぶ唇が、苦みに嫌だと口が拒絶する。
こんなものは飲みたくない。薬は嫌だ。
けれど喉が、飢えている。感情は拒絶するのに、身体が欲する。嫌がり逃げようとすると、数人の手で押さえつけられて無理やり器があてられる。唇からこぼれるのに業を煮やしたかのように、不意に唇に唇で塞がれる。
柔らかく熱かった。知らない他人の唇に驚き目を開けると、先ほどの色違いの彼の目は伏せられていた。綺麗な顔だと思うけれど、嫌だ、と思う。
(……この人じゃない…違う人は嫌だ)
抵抗し唇に噛みついて拒絶すると、一瞬それが離れる。けれど再度塞がれる、少しだけ血の味がする。自分の血じゃない他人のもの。
――怪我をさせた。少し動揺していると顎を掴まれて、合わさった唇の中から苦い液体が、舌ごと挿し込まれる。
払いのけようとして、爪先が彼の頬をひっかく。それでもその唇は離れない。
――入れられ、口をふさがれたことに悔しさを覚える。
吐き出そうとしても、執拗で吐き出せない。眦に滲んだ涙を、彼の太くて硬い指が拭い離れると同時に唇からこぼれた液体をぬぐい、そして口端をなぞる。
見上げると、微かに頬に伝う汗。疲労と満足を両方満たした眼差しがじっと見ている。
随分と苦労した様子で息も荒くついている。左右の目が安堵しているのはどうして?
まだ許していないのに。
開放された顔をそらし拒絶を示して身体を丸めると、しばらくして痛みが消えていく。ふっと、背中から熱を感じる。
抱きしめてくる腕を払おうとしても、もう暴れる力がない。それからお腹をあやすような手は優しかった。
濃く赤銅色の髪がリディアの顔に流れてきて、顔をあげる。
影の中、部屋の隅で銀色の長い髪と揃えたように氷のような冴え冴えとした銀の瞳、床に膝をつき頭を下げていたジャイフと呼ばれた男が顔を少しかまたげる。薄い唇から低い声が呟かれる。
「――これで碧妃も落ち着かれましょう」
“碧妃”なんて、知らない。
そんな名前じゃない。彼らはだれ? ここはどこ?
わからなくて、でも考えることもできなくて、意識も身体も泥の中に沈んでいった。