第14話 大志の目覚め
幸枝は大志の傍でいつの間にか眠っていた。
窓から夕日が射し込んできている。
大志が入院してから丁度一週間。
今日はどういうわけか晴香の姿がここに無かった。
何故だか電話を入れても繋がらなかった。
心配だったが、幸枝には大志の傍についていてやることしか出来なかった。
毎日見舞いに来ていた仁美と歩実も、結局顔を出さなかった。
「どうしたんだろう……」
ぽつりとつぶやいて、窓からの夕日が大志の顔にかかっているのに気付いてカーテンに手を伸ばした。
「もう眩しくないよ」
振り返った幸枝は一瞬息をのんだ。
「うん。ありがとう。ゆきちゃん」
「大ちゃん……」
大志は目を開けて、少し眩しそうな目で幸枝を見ていた。
「気が付いたんだね……」
「その様子だと、長いこと眠ってたみたいだね」
穏やかな口調。ずっと昔から知っている大志だった。
幸枝の目から涙がぽろぽろと溢れ出した。
「大ちゃん」
幸枝は大志に抱き着くと、そのまま黙って涙を流し続けた。
やっと落ち着いた幸枝に、大志は自分がどうゆう状態で、どれくらい眠っていたのかを教えてもらった。
話し終えたあと、幸枝は大志に、マンションの七階から転落をしたにも拘らず、何故この程度ですんだのかを尋ねた。
「どうしてあんなところから落とされて、このぐらいで済んだんだろう」
「ああ、それね……」
大志は少し肩をすくめて説明した。
「思い出しても身震いするよ。あいつに首を絞められて、ベランダのヘリで俺は多分気を失ってしまった」
「え? それじゃあ」
「うん。その時に加速は解けたんだ。そして俺はあいつにベランダから投げ落とされた」
「晴香ちゃんはその時に気付いたのね」
「そうみたいだね。それで俺はそのまま地面に叩きつけられるはずだった。でも戸成の声が聞こえたんだ。はっきりと」
大志は苦笑交じりにこう表現した。
「あいつの声ホント良く通るんだ。消防車のサイレンもあいつには適わない」
「フフフ。そうかもね」
「それで俺は落下中、再び加速した。今まで落下しているときに加速したことなんて無かったから大発見だったんだけど、重力の影響を受けていた体が解放された感じになったんだ。落下のスピードが極端に弱まったことで手の届く範囲にあった木の枝を掴んで引っ張ったんだ。そうすることで落下速度を抑えながら、角度を垂直から緩い角度に変化させたんだ」
「それで衝撃を弱められたのね」
「またすぐに意識が遠のいて、気が付いたらこうしてゆきちゃんが傍にいてくれたって感じだよ」
「うん。本当に良かった」
大志は話し終えた後、気になっていたことを幸枝に聞いた。
「戸成は?」
「えっと、大ちゃんが眠っていた一週間の間、ずっと昨日まではここに泊まり込んで大ちゃんが目を覚ますのを待ってたんだけど」
「え? 一週間もここに?」
「うん。ろくにお風呂も入らずにずっとここで生活してた。よっぽど大ちゃんが心配だったんだよ」
「そうか、戸成が……」
大志は胸の奥に苦しいような感情が溢れてくるのを感じながら、ここにいない晴香の事を心配していた。
「黒川さんは? 歩実君は?」
「二人も毎日ここに大ちゃんの様子を見に来てくれてたんだけど、今日はどういうわけかいないの」
その言葉に大志は嫌な予感を感じてしまっていた。
もし、戸成が早まって、影山を何とかしようと行動していたら……。
そう考えてしまい大志はベッドから身を起こした。
「いたたた……」
「駄目だよ。鎖骨とあばら骨三本、それと左腕の骨が折れてる。それに全身打撲だって。肩も脱臼していたんだよ」
「どおりであちこち痛いわけだ。でもみんなを探さないと」
痛みをこらえて大志はさらに身を起こした。
痛くない所を探すのが、難しいくらいだった。
それでもあの影山に対抗するには、加速能力以外では不可能だと必死で歯を食いしばった。
その時息を切らした仁美が病室に駆け込んできた。
「丸井君……」
いつも綺麗な黒髪が今日は乱れていた。仁美は大志の姿を見るなり、その場で泣き始めた。
「気が付いたんだね。良かった……でも大変なの……」
仁美は肩を震わせてしゃくりあげながら、大志と幸枝に今起こっている事を話した。
大志は穏やかだった雰囲気を一変させて、奥歯をギリギリと言わせて青筋を立てた。
「私が止めていればこんなことにならなかった。ごめんなさい。ごめんなさい……」
「黒川さんのせいじゃない。俺がこんなところでいつまでも寝ていたせいだ。すぐに二人を助けに行くよ」
「私タクシーを呼んでくる。ちょっと待ってて」
幸枝はそう言って部屋を飛び出していった。
大志の体はかなりの重傷だった。
幸枝がさっき説明した部位以外に、脱臼して戻した右足首は、複雑な捻挫で腫れあがっていた。
苦痛を我慢して立ち上がった大志は、蒼い顔で仁美に向き直った。
「黒川さん、頼みがあるんだ」
「うん。何でも言って。私にできることは何でもする」
「うん。じゃあ黒川さんにしかできないことをお願いするね」
「私にしかできないこと?」
「うん。そうなんだ」
痣だらけの大志の体の、痛くなさそうな腕の部分を支えながら。仁美は大志の言葉の続きを聞いた。
「俺に暗示をかけてくれないか」
「暗示を? どうして」
「この状態では加速したとしても、奴に近づくこともできないに違いない。体が万全になるまでは相当かかると思うけど、待っている時間はない。今すぐ何とかしなければいけないんだ」
そして大志は、仁美が絶対にしたくないことを頼んだ。
「黒川さん、俺に痛みを感じないように暗示をかけてくれないか」
仁美はその大志の一言に愕然とした。
確かに暗示を与えれば苦痛を感じなくすることはできる。
しかし痛みを感じないというだけで怪我が治るわけではない。
痛覚を抑えつけて動かしてはいけない部分を酷使すればどいういう事になるか分かり切っていた。
「駄目、駄目だよ。そんなことしたら丸井君が……」
「黒川さん」
大志は痛々しい痣のある頬で笑みを浮かべた。
「俺はずっと子供の時からノロマと呼ばれて馬鹿にされてきた。きっとそのままだったら、くさってしまっていたと思う。でも俺にはゆきちゃんがいた。馬鹿にされても、出来なくても、前に進み続けることが大切なんだと手を引いてくれた」
「……」
「俺は、嬉しいんだ。何もできなかった自分がこの能力を手に入れたことで誰かの役に立てる。今この力を使わなければきっとこの先ずっと後悔する。そう思っている」
「丸井君……」
「あいつを止められるのは俺だけなんだ。黒川さんも分かってくれるよね」
仁美はまた涙を流しながら小さく頷いた。
「俺には戸成のような行動力もないし、黒川さんみたいな魅力もない。そしてゆきちゃんみたいな強さだってない。そんなパッとしない奴だからこそいい所を見せたいんだ」
「ううん、違うよ。丸井君は自分のことで勘違いしてるよ」
仁美は大志の言葉を力強く否定した。
「丸井君は素敵な人だよ。たとえ能力を持っていなかったとしても」
そして仁美は涙に濡れた目で、大志を真っすぐに見た。
「ずっとあなたの事が好きだった。ううん、今この瞬間も」
そして仁美の唇が大志の頬にそっと触れた。
大志は何が起こったのか分からないみたいで、呆然としている。
「く、黒川さん……」
「ごめんね。丸井君。このこと、あなたの記憶には残らない……」
微笑みを浮かべて、仁美はささやかな願いを口にした。
「でもいつか、思い出してくれたら嬉しいな」
仁美の頬に一筋の涙が伝った。
「あれ?」
大志は一瞬前のことを、どういうわけか思い出せなくなっていた。
そして大志の体からは痛みが消えていた。




