第11話 ささやかな手紙
晴香は大志のベッドの傍らで、ただ涙を流していた。
痛々しい包帯だらけの大志に、幸枝と仁美も涙を流していた。
晴香の口元が小さく動いた。
「良かった……」
大志は奇跡的に助かった。
七階から転落した人間がこの状態で生還するのは奇跡だと、手術した医者は話していた。
それでも体のあちこちの骨が折れ、酷い打撲を脇腹と腕、そして背中に負っていた。
そして麻酔が切れてからも大志は眠ったままだった。
CTとMRIの検査結果では脳に異常はなかったと聞かされたが、大志は目覚めなかった。
何故意識が戻らないのかは、医師もはっきりとした回答を見いだせていないようだった。
晴香は大志の傍につきっきりで毎日を過ごした。
大志が生きていると知れば必ず影山はとどめを刺しに来る。
それを警戒して晴香はありとあらゆる手を尽くして大志を守った。
ここに大志が入院していることを知られないように細心の注意を払い、病室の鍵はかけたままにし、可能な限り密室にしておいた。
大志の服に大量の血液が付着していたので、影山も怪我をして入院しているのではないかと調べ上げた。
そして影山が入院している病院も突き止めた。
絶対に許さない。
晴香は痛々しい大志の傍らで、影山に対する昏い怒りを抱えていた。
そしてそれは明確な殺意を孕んでいた。
晴香はずっと大志の病室に寝泊まりしていた。
幸枝も黒川姉弟も毎日欠かさず大志の様子を見に、病室を訪れていた。
「どう、戸成さん」
穏やかな午前の日差しが射し込む病室に現れた仁美は、憔悴した顔の晴香に声を掛けた。
「まだ、そのままです」
晴香は仁美にパイプ椅子を用意してやった。
仁美は晴香の隣に腰掛けながら、心配そうな顔をした。
「ありがとう。ところで晴香ちゃん大丈夫? なんだかすごく疲れているみたいだけど」
「私は大丈夫。先輩に比べたらこれぐらいなんでもないです」
「ちゃんと食べてるの? あなたが体を壊したら丸井君を守ってあげられなくなるよ」
「そうですよね。体調管理もしっかりやらないと」
晴香はコンビニの袋から、総菜パンと牛乳を取り出して食べ始めた。
「あれからずっとここなんでしょ。気持ちは分かるけど、時々はまともな食事をして布団で寝ないともたないよ」
「先輩の意識が戻ったらそうします」
「頑固ね。分かってたけど……」
仁美は小さくため息をついて、総菜パンにかじりつく晴香を眺めていた。
「恋ってすごいね」
仁美の口から自然にそんな一言がついて出ていた。
「え?」
晴香がくちゃくちゃ咀嚼音を鳴らしながら聞き返す。
「大好きなんだね。丸井君のこと」
晴香は黙って頷いた。
「ずっと好きだったんだよね。あの合宿の頃から」
「はい。そうです」
晴香は否定せず、少し恥ずかし気に認めた。
そんな晴香を仁美は羨まし気に見つめる。
「素直なんだね。羨ましい」
晴香はそう口にした仁美に何かを感じ取ったようだった。
「もしかして仁美先輩も……」
「駄目よ。それ以上は言わないで」
仁美は晴香の言葉を遮った。
「丸井君は素敵な人で大切な友達。特別過ぎるくらいの……」
仁美はそう言って眠ったままの大志に目を向けた。
「彼はあなたを選んだ。あなたは彼の想いにいつも全力で応えてる。今もそうよね」
晴香は仁美の言葉に静かに頷いた。
そして仁美はポーチから一枚の封筒を出した。
「これを渡しておくね」
いきなり渡された薄っぺらな茶封筒に、晴香は首を傾げた。
仁美は晴香にその中身を教えた。
「丸井君からあなたへの手紙だよ」
「先輩からの手紙……」
それは晴香が幸枝と入れ替わった時に、大志が服装のことで失言をしたために書いたお詫びの手紙だった。
そのことを話した後に、仁美は晴香に中身を読んでみてと笑顔を見せた。
「なんだか、手紙なんて初めてだな」
晴香は茶封筒に入っていたただのレポート用紙に書かれた手紙に目を落とした。
戸成晴香様
ごめん。申し訳ない。
もう何回も言ったけど、本当に気が付かなくってごめんなさい。
ちょっとみんなの前だったから、あんなふうに言ってしまったけど、実はけっこう似合ってたし、可愛いって思ってました。
黒川さんが手紙書いたらって勧めてくれたけど、確かにこの方が照れずに気持ちを伝えられる気がします。
この手紙で機嫌を直してくれるのを祈ってます。
また甘いものご馳走してあげるから、いつもの笑顔を見せてください。
あ、別に食い物で釣ってるわけじゃないよ。
大好きな晴香へ、丸井大志より
読み終わって、晴香は目を細めて柔らかな笑顔を見せた。
「なにこれ、文章下手過ぎだよ……」
晴香の目から涙がこぼれた。
その後に次から次にとめどない涙があふれ出し、ぽろぽろと膝の上を濡らしていく。
「初めて手紙書いたみたい……」
眠り続ける大志の傍らで、晴香はそれからしばらく泣いていた。




