第4話 那岐と養父
那岐空也は養父のもとを訪れ、無事他のスポンサーと契約したことを報告していた。
「そうか、それは良かった。本間自動車との契約が解除されたって聴いたときは心配したよ」
「心配かけたね。父さん」
那岐はこの養父を呼ぶときにはいつもそう呼んでいた。
実際はもう亡くなった祖母の連れ合いで、血縁関係では無かったものの、那岐にとっては育ての親で、片岡もそう呼ぶばれることを普通に受け容れていた。
「九州は旨いものがいっぱいあるんだ。空港で見つくろったものだけど、色々旨そうな物をお土産に買ってきた」
「いつもすまないな。お前に世話ばかりかけて」
「いいんだよ。父さんはなにも気にしなくていいんだ」
那岐はこの養父の生活費を、レーサーになってからずっと用立てていた。
三年前に病に倒れた片岡を、那岐は献身的に支えてきたのだった。
他人の能力を奪い、気に食わない奴に対しては全く容赦のない那岐にもこういった一面があった。
加速能力を手に入れた今でも、自分の社会的地位であるレーサーを続けるのはこの養父を安心させるためでもあるのだろう。
神のように振る舞うこの男にも、人としての最後の執着がここに残っていたのだった。
「空也、今日はゆっくりしていけるんだろ」
「ああ、今日は父さんと飯を食って、一晩泊めてもらうよ」
「そうか。じゃあ、飯の用意をしないとな」
養父は席を立って、台所に向かった。
その背中を見送った那岐は、表情を一変させた。
養父の前では穏やかだったその表情は、怒りを含んだ苦々しいものに変わっていた。
「あいつら、殺してやる……」
ぼそりとそう言った那岐は、奥歯をギリギリと言わせて、何もない空間を睨みつけた。
夕飯は水炊きだった。
男所帯なら、野菜や肉を放り込むだけの鍋物は手間が少なくて丁度いい。
ぐつぐつと煮える鍋から、野菜が煮えるいい匂いがしてくる。
物心ついてから、那岐はずっとこの養父と顔を突き合わせて飯を食ってきた。
血の繋がっていない自分を、本当の息子のように育ててくれた。
中学の頃から高校にかけて、那岐は一時期荒れていたことがあった。
他人の能力を奪っては、自分を馬鹿にした奴らを笑ってやった。
自分のような優れた人間がこんな所でくすぶっているのはおかしい。そう思い、当時興味を持っていたオートバイレーサーの道を目指した。
実力がすべての世界で、那岐は他人の能力を奪い、一気に上り詰めて行った。
高校生にとっては多すぎる大金を手にして、質素な暮らしをしている養父を馬鹿にしたこともあった。
順調にオートバイレースで成功していた那岐の陰で、もともと体の弱かった養父は、無理がたたってある日倒れた。
一命はとりとめたものの、心臓の機能が極端に低下してしまっており、長くは生きられないだろうと那岐は病院で聞かされた。
那岐はその時初めて、恐怖した。
養父がいなくなれば自分は完全に孤独になる。
今まで気付かなかった養父の存在の大きさを、那岐は知ったのだった。
那岐には他人の能力を奪う特殊な能力があった。そして試したことは無かったが、那岐にはもう一つ特別な力があった。
奪うだけでなく他人に能力を移譲する力を那岐はもともと持っていた。
那岐は養父を生かすために、まず自分の健康な心臓の機能を養父に与えることに成功した。そしてサポーターの一人で屈強な男を選んでその機能を奪った。
そのサポータはほどなくして心筋梗塞で亡くなった。
心臓の機能が回復した養父ではあったが、七十四歳という年齢で他の病気も抱えており、やはりあちこち辛そうであった。
他人に能力を移譲するのにはリスクがあった。
まず自分の体に極端な負担がかかること。そして必ずしも成功するか分からないことだった。心臓の時は上手くいったが、歳をとった養父が能力の譲渡に耐えられない可能性もあった。
那岐は、今はそのことを考えるまいと少し頭を振った。
「父さん、最近変わったことはなかったかい?」
「変わったこと?」
「ああ、知らない人が訪ねて来たとかさ」
「うーん、ないなあ、食品配達の人が週二回来てくれるだけだよ」
「そうか。分かった」
那岐は市販のポン酢を器に足して、肉を野菜と一緒に頬張った。
「どうだ、空也。泊って行くんなら少し飲まないか?」
「ああ、いいね」
養父がそういったときは、あまり普段は飲まない日本酒を出してくる。
那岐は台所に消えていった養父の背中を見送った。
「さて、これからだな……」
ほどなく、お盆に二つのグラスを乗せて養父は戻って来た。
グラスにはなみなみと酒が注がれていた。
「乾杯しよう。お前もスポンサーが決まったことだし」
「ああ。乾杯しよう。今夜の俺たちに」
「かんぱーい」
「かんぱーい」
養父は旨そうに喉を鳴らして、半分ほど日本酒をあおった。
そして那岐も養父と同じようにグッとグラスを半分ほどあおった。
「旨いな……」
養父は心から息子と飲む酒を愉しんでいるようだった。
那岐はそんな養父に優しい笑顔を見せた。
「ああ、本当だ」
那岐はそのままゆっくりと体を畳の上に横たえた。
「なんだ? 飲み始めたばっかりじゃないか」
「うん。ちょっと眠たくなってきてさ……」
那岐は静かに瞼を閉じた。
静かな部屋に、ただ鍋のぐつぐつと煮える音だけがしていた。




