第18話 神のいる世界
市川の入院している病院での騒動以来、大志達は行方をくらました那岐の情報を集めていた。
しかしこれといった手掛かりはなく、一週間が経った。
恐らく足の怪我のせいで、たとえ加速したとしても思うように動けないのだろう。
実際に加速能力を使っている大志だからこそ、今の那岐の状態を推測できた。
思考の加速が復活した影山は、早速様々な手を立案し、行動に移した。
まず、身辺の守りを固めた。
影山が投資で購入していたタワーマンションの最上階。
そこを拠点にして行動することになった。
加速できたとしても空を飛べるわけではない。
セキュリティーは破られる可能性があるものの、部屋の入り口は一か所しかないので密室を作れる。
これで一応は安全だと言えた。
そして那岐の情報を集めるために、レースの関係者や、友人関係など、様々な調査をして那岐の行動パターンを調べ上げた。
恋人や、親しい友人などと接触する可能性は高いと判断し、可能なら先回りして仁美に暗示をかけてもらい、罠にかけてやろうと考えた。
那岐の特に親しくしている者は三人いた。
一人は那岐のサポーターである角谷圭三。那岐がレースを始めてすぐに知り合った男で、大勢いるサポーターの中で一番の古株だった。
そして、恋人関係である、桧山このえ。レースクイーンだった彼女は二年ほど前から那岐と付き合っていると噂されていた。
実際のところはどうか分からないが、いずれにしても仁美の暗示は同性にはかからないので、接触をするのは一旦見合わせた。
そしてもう一人は片岡修一。那岐の養父だ。
那岐は複雑な環境で育った。
那岐の母、那岐優子は那岐を生んですぐに亡くなっていた。
高校一年生だった那岐優子は、当時付き合っていた年上の彼に妊娠させられ子供を産んだ。
若くして何の知識もなく子供を身ごもった優子は、家を出て一人暮らしの彼の家に転がり込んで、その部屋で那岐を産み落とした。
誰にも相談できずに、不安と悩みを抱えながら、彼女はあまりにも早すぎる出産をした。
その結果母親は妊娠中毒症で亡くなってしまったのだった。
年上の彼は、那岐を認知する事なく逃げ出した。
那岐優子の母はその時には病気で亡くなっており、唯一の親類であった那岐優子の父親、片岡修一が那岐空也を育てたのだった。
片岡は那岐優子の父親に当たる存在だったが、実際は那岐優子の母とは婚姻関係はなかった。
片岡は離婚した那岐優子の母にできた恋人で、周囲からは籍を入れてはいないものの、事実婚であると認識されていた。
つまり那岐優子と片岡とは血縁関係はなかったのだった。
当然那岐空也は片岡と血は繋がっていなかった。
それでも那岐は育ての親である片岡を父親のように慕っていた。
レースの世界に入って多忙な身になった後も、那岐は片岡に会うために時間を作っていた。
罠を仕掛けるには最も適当な男だと影山は判断し、それを実行に移す計画を立てていた。
「片岡を暗示でこちらの駒にする。そのうえであいつが片岡と接触した時に罠にかける」
「どんな罠をかけるつもりなんだ?」
大志がそう尋ねると影山はいくつかのパターンを提示した。
「例えば飲み物に毒を混ぜる。眠り薬でもいいが、確実に仕留めるには毒の方がいいだろう。麻酔を注射で打つのは先に相手に気付かれる可能性があるな。ナイフや包丁で背中から一突きというのもある」
「殺害するのを前提にしてるな。それは回避したいな」
大志は人殺しをほのめかした影山に、またぞっとしていた。
晴香はそんな大志の横で思いついたことを口にした。
「抹殺するかどうかはさておいて、あいつが油断するタイミングを狙うのがいいよね。例えばお風呂に入っているとき、寝ているとき、ご飯を食べているときとか」
「そうね。那岐が片岡を訪ねてきたとしたら、そんなチャンスもありそうね」
晴香の意見に仁美も同意したものの、その美しい横顔に少し躊躇いが浮かんでいるのに大志は気が付いた。
「でも、目的のためとはいえ父親に向ける気持ちを利用するのはちょっと気が引けるな……」
家族のために、かつて大きな危険を冒した仁美の言葉には重みがあった。
そんな仁美の言葉に歩実も静かに頷いた。
「俺もそうだ。姉さんの気持ちは良く分かるよ。他のやり方があるならその方がいいんだけど」
「甘いな」
歩実の意見を遮って、はっきりと影山は冷たい言葉を吐いた。
「あいつは俺たちの脅威でもあり、人間社会全体の脅威でもある。生かしておくべきじゃない」
「姉さんの能力で力を封じるんじゃなかったのか?」
「仁美の力で封印できるかどうか、確信はない。封印に失敗したら、恐らく大変なことになるだろう。もしあいつとまともにやりあったら、やられるのは俺たちだ」
そして影山は、ぞっとするほど冷徹な声で言ったのだった。
「どちらかが死ぬ。俺の加速した思考で導き出した答だ」
見晴らしだけはいい、都心の殺風景なタワーマンションの一室。
気分を変えようと、晴香がテーブルのリモコンに手を伸ばし、大画面のテレビを点けた時だった。
そこにいた五人とも、速報で流れたニュースにくぎ付けになった。
「速報です。午後三時四十分ごろ、本間自動車のオートバイレース部門総責任者、風間洋一氏が来季契約ライダーの発表会見の途中、倒れてそのまま死亡しました。なお、昨年の覇者、那岐空也選手との契約更新はせず、スーパーバイクから転向した元木晴彦選手に決まったと会見で明かした直後でした。発表直後の不吉な責任者の死に、会場は騒然としております」
そしてテレビカメラが向きを変えて、リポーターが一人の男にマイクを向けた。
「会場に来ていた那岐空也選手にコメントをもらえそうです。すみません。こんな時ですが那岐選手、この不吉な事態をどのように感じられましたか?」
「そうですね。私は選ばれなかった身ですので、こう言ってしまうと憎まれ口だと捉えられてしまいそうですが……」
大志達はテレビ画面に映る那岐が何をコメントするのか注目していた。
そして那岐は少し言葉を探すようなしぐさを見せた。
「ひょっとしたら天罰が下ったのかと、あ、失敬。とにかくご冥福をお祈りしていますよ」
そうコメントを残し、那岐空也は少し足を引きずりながら、会場を退席していった。
カメラの前で、神がいるかのように表現した那岐。
こうして世界はゆっくりと、神を語る怪物の登場と共に、ほころび始めたのだった。




