第17話 消えた怪物
「先輩! 先輩!」
晴香の声に朦朧としていた意識が少しずつ戻ってきた。
白壁の部屋、ベッドに横たわっているという事は病室なのだろう。
「あいつは? 那岐はどうなった?」
大志はまず大事な事を尋ねた後、何度か頭を振って靄のかかったような感覚を振り払おうとした。
「あいつは逃げたわ。私たちが駆け付けた時は先輩とあいつが路上で倒れてた。それから病院の人が気付いて、すぐに二人を病室に運んだの。その後いつの間にかあいつはいなくなってしまったわ」
「そうか、しくじったな……」
意識を取り戻しさえすれば拘束するか、密室に閉じ込める以外、やすやすと逃げ出すだろう。
「戸成は大丈夫だったか? 怪我してないか?」
「うん。私は何とか大丈夫」
「そうか。良かった……」
ほっとした表情を見せた大志に、晴香は安心してと笑顔を見せた。
そして大志はここに晴香しかいない事に気が付いた。
「黒川さんたちは? 二人はどうなったんだ?」
「あの二人は眠ってる。多分先輩と同じ麻酔を打たれたんだと思う」
それを聞いて、ようやく大志は少し落ち着いた。
大志はまだぼんやりとした頭で、あの病室で何があったのかを晴香に尋ねた。
晴香の話では、大志が影山と部屋を出て行ってからしばらくして、あの四人に襲われたらしい。
市川のいた四人部屋の他のベッドには、初めから那岐と那岐の仲間が潜んでいたらしい、カーテンを引いていたのでまるで気が付かなかった。
病室であることに油断してしまった自分たちの不手際だった。
そして影山のつけていた見張りはすでに那岐に洗脳されていた。
那岐達はまず背後から歩実の口を塞ぎ、麻酔で眠らせた。
そして潜んでいた男たちに晴香と仁美は口を押さえられて、さらに身動きを取れなくさせられたのだった。
那岐は仲間に命じて、意識のない歩実の喉元にナイフを押し当て、仁美を脅した。
市川を暗示で覚醒させろと迫ったのだった。
仁美は弟を人質に取られて仕方なく市川に暗示を試みた。
そして市川は、那岐の読み通り覚醒したのだった。
その後、仁美は麻酔を打たれ、晴香も麻酔を打たれそうになったのだが、晴香は必死で抵抗し、相手と揉み合ったため麻酔の入った注射を相手が落としたので、何とか眠らされるのだけは避けられたのだった。
「そういう事か。しかし暗示で市川の意識が覚醒するとは、その可能性には全く気付かなかった」
「完全に裏をかかれたわ。ここへおびき出すために市川の意識が戻ったなんて偽の情報を流したのね」
すべて計算づくで踊らされていたという事だった。
「そうだ、市川はどうなった?」
「市川はまた昏睡状態に戻ったわ。能力を奪うためだけに一時的に覚醒させられてそのまま……」
「そうか……」
人間性などまるで感じない非道な手口だった。
わざわざここへ市川を目覚めさせるためにおびき寄せられ、まんまと能力を奪われただけでなく、危うく始末されそうになった。
那岐の計算が狂ったのは今回も晴香の存在だった。
「戸成が抵抗してくれたおかげで、俺は加速できた訳だな。でも済まない、席を外した俺のせいだ」
「先輩は悪くないよ。起こってしまったことは仕方ない。これからの事を考えようよ」
「そうだな。戸成の言うとおりだ」
あくまでも前向きで、可能性に満ち溢れた晴香の声は、大志の心をスッと軽くした。
「戸成、俺から離れるな。これからは一層気を付けないといけないからな」
「うん。ずっとくっついてる」
晴香はそう言って大志の体に腕を回して、ぴったりとくっついた。
緊張感のない晴香に大志は呆れるも、いつもと変わらない晴香にほっとしたのだった。
歩実に続いて仁美が目を覚ましたのは三時間ほど経ってからだった。
仁美は自分が市川を覚醒させてしまった事について悔やんでいた。
「私、大変なことをしてしまった。ごめんなさい。本当にごめんなさい」
「弟を人質にされて脅されたんだ、仕方ないよ」
大志が慰めるも、仁美は涙を流し続けた。
「まさか暗示で彼が目覚めるなんて……思いもしなかった……」
「仕方ないよ。俺たちの誰もその可能性に気付いていなかった」
「ごめん、みんな俺のせいだ」
歩実は重い口調で謝罪した。
姉を守るためにそこにいた自分が、姉の足を引っ張った事に責任を感じているようだった。
影山も自分の計画の甘さを謝罪したが、起こってしまったものは仕方ないとこれからの計画を口にした。
「とりあえず、能力を奪ったあいつは何らかの行動を起こすだろう。俺たちはそれに対応していくしかない」
「本当にそれでいいのか? 事が起こってから動いてもあいつを捕まえられない。悪いけど影山、お前の今まで立てた計画は今のところ全部上手くいってない。そうじゃないか?」
「悔しいが、そのとおりだ」
影山はあまり表情に出すタイプではなかったが、それでも悔しさをにじませた。
「なあみんな、悔しいがこのままではあいつに俺たちは勝てそうにない。あいつは加速能力を手に入れて、ますます悪知恵を働かせるに違いない。そこでどうだろう、俺の思考加速を元に戻してくれないか」
影山の提案に大志達は険しい顔をした。
「確かにお前の言う通り、思考を加速できるお前がいたらかなり心強い。俺も加速して考えることはできるが、もともとそんなに難しい事を考えるのは苦手だから自信もないし……だが俺たちはお前を完全に信用できない」
「そうよ。元はといえばあんたが蒔いた種じゃない」
晴香は皆の気持ちを代弁するように言い放った。
「それは反省している。どうだろう、能力を戻して、また事が終わってから封印するというのは。俺にとってもあいつは共通の敵だ。それに使えるものを全て使わないと奴には対抗できない。そうじゃないか?」
確かに影山の言うとおりだった。
このままいい案も浮かばないまま、時間を無駄にするわけにもいかなかった。
影山に席を外してもらい、大志達はその事について話し合った。
そして決断した。
「影山、話し合った結果、一時的にお前の能力を戻すことにした」
「そうか。いい選択だ。じゃあ頼む」
仁美は浮かない表情のまま影山に向かい合った。
そして影山の引き金の封印を解いたのだった。




