第15話 市川との対面
影山から伝えられた一言は、四人に衝撃を与えた。
「市川が、そんなまさか……」
回復は絶望的だと言われていた市川が、このタイミングで意識を取り戻した。
この事で大志たちの優先順位は完全に入れ替わった。いや、入れ替えざるを得なかった。
大志と同じ絶対的な力を持つ最後の能力者。
最も危険な力が略奪者の標的にされるのは時間の問題だった。
そして問題は他にもあった。
意識が回復したとしても、市川の脊髄は損傷していて体の殆どを動かすことはできないようになっていた。
加速能力を持つ市川だったが、たとえ加速をしたとしても何もできないことに変わりはなかったのである。
つまりその状態で、那岐が市川に接触したとしたら、身を守れない市川は簡単に加速能力を奪われてしまうに違いない。
もしそうやって那岐が大志と同じ能力を手に入れてしまえば、必ず恐ろしいことが起こる。
それだけは回避しなければならなかった。
大志達は那岐の足取りを追う事をやめて、市川の入院先に向かったのだった。
大志たちは市川の病院に到着した。
向かった病室は市川のような身動きの取れない患者がいる大部屋で、市川も含めて4人の患者が入院していた。
大志達は部屋に入って市川のベッドの前で足を止めた。
影山は入り口で見張りをさせていた男と話をしている。
久しぶりに見る市川の顔は痩せこけていた。
狂気を抑えきれずに、加速能力を思うままに使った男の辿った末路がこれだった。
仁美たちが眉をひそめてやせ細った市川に目を向ける中で、大志だけは複雑な表情をしていた。
一度は心を許しあった友人だった。
同じ境遇を生き、同じ能力を持ちながら、大志とは違う道を選択した市川。
もしかすると幸枝の存在がなければ、自分もこのような怪物になっていたのかも知れない。
いつも手を差し伸べてくれて、前に進み続ける事の大切さを教えてくれた幼馴染。
市川にはそんな存在が傍にいなかった。
それが同じ境遇の二人をここまで分けたのだろう。
大切な幸枝を傷つけようとした市川を大志は許せなかった。
しかし変わり果てた市川の姿は、大志の胸をどうしようもなく苦しくした。
身を守るためとはいえ、二度と立ち上がる事のできない体にしてしまったのは自分だった。
「眠っているみたいだな」
歩実が市川の様子を見てそう言った。
意識を取り戻したというのならば、覚醒している状態ならば話もできるのかもしれない。
市川は俺の姿を見てなんと言うだろうか。
他のベッドに眠っている者たちも市川と似た状態らしいので、この部屋の中は異様なまでに静かだった。
しばらくして、廊下で話し込んでいた影山が部屋に入ってきた。
「丸井、ちょっといいか?」
「ああ、いいけど、どうした?」
話しにくいことなのか、影山は大志を病室の外に連れ出すと、少し離れた休憩室まで連れてきて、そこでやっと切り出した。
「とりあえず那岐はここには現れていないらしい。先にこちらが市川を押さえられたのは良かったんだが……」
「それでなんだ?」
「なあ、丸井、襲撃に備えて市川を監視するのは難しいとは思わないか」
「そうだな。それは間違いない」
「丸井、ちょっと言いにくいんだが、市川をここで始末してくれないか?」
「ええっ!」
影山は指を立てて大志に大声を出すなと言った後、落ち着いた声で説明した。
「あいつが死ねば、能力は奪われることはない。もともと意識を取り戻したとしても動けない体だ。安楽死を選択してやるんだと考えたらいい」
「無理だよ。そんな風に考えられる訳ないだろ。人殺しじゃないか」
「そうだとしても、お前なら証拠を残さず奴を始末できる。医者か看護師の見ている前で心臓を止めてくれたらいいんだ」
「無茶言うなよ。そんな事できるか」
「なら、どうする。お前にいい策があるんなら言ってくれ」
「それは、今は思いつかないけどさ……」
大志にはどうしてもそれはできそうになかった。
那岐から市川を守る名案はなにも浮かんでこなかったが、今ここで決断する前に皆に意見を聞くべきだと影山を説得した。
「丸井、気持ちは分かるが、奴を怪物にしてしまう可能性を排除していかないと取り返しのつかない事になる。その事だけは頭に入れといてくれ」
影山の言葉は重かった。大志は相当な覚悟を迫られる可能性を排除できないまま、市川の病室に戻った。
そしてそこで大志は信じられない光景を目にした。
「どういう事だ……」
病室のベッドに横たわる市川に男が馬乗りになっていた。
「んー、んんー!」
理解の追い付かないまま、大志はうめき声が聞こえた方に目をやった。
そこには男に口を押さえられた状態で必死に抵抗している晴香がいた。
「戸成!」
大志は晴香をベッドに押さえつけていた男に掴みかかった。
背後から腕を回して首を極め、締め上げる。
しばらくすると呼吸のできなくなった男は、晴香の口を塞いでいた手を放した。
「加速して!」
解放された晴香の口からやっと声が出て、大志の引き金が引かれた。
ゴトリと頭の中で音がして、キーンという細く鋭い音が始まった。
加速世界に入った大志は、この状況を落ち着いて観察した。
男は全部で四人。
最初に目に飛び込んだ一人は市川に馬乗りになったままだ。
晴香の口を塞いでいた男は、大志に気道を締められたせいで、目を血走らせて苦し気に首を押さえている。
そして一人は仁美をベッドに押さえつけていた。
あと一人は床に倒れている歩実の近くでかがみこんでいた。どうやら歩実は意識を失ってしまっているようだった。
病室に行くには大志達がいた休憩室の前を通らなければ行けないはずだ。
休憩室の前は誰も通らなかった。一体どういうことなのだろう。
「くそっ!」
大志は晴香の口を塞いでいた男を抱えて、壁に軽く投げつけた。
本気で投げれば即死してしまうのは大志には分かっていた。
そして次に仁美を押さえつけていた男を引きはがして投げつけ、歩実の近くにいた男も同様にした。
そして市川に馬乗りになっていた男を引きはがそうと手をかけた時だった。
大志の顔に緊張が走った。
「まさか……」
男の腕をつかんだ感触。
それは加速世界では絶対にありえない感触だったのだ。
加速世界では重力の干渉を受けにくくなる。
従って加速していない人間は極端に軽くなるのだった。
しかし男の腕は重く、普通の質量を有していた。
考えられる結論はたった一つだった。
「フフフフ」
男の口から笑い声が漏れ出した。
蒼白になった大志の前で、男はゆっくりと振り向いた。
「俺は手に入れたぞ」
男は切れ長の目を大志に向けて唇の端を吊り上げた。
こうして大志は、初めて那岐空也と対面したのだった。




