第8話 女心は怖いもの
「なによ! なによ! なによ!」
「いや、仕方ないだろ。事情が事情だし」
解散した後、三人は今日泊まるホテルに帰って行った。
二人になってすぐ、晴香の抑えていた怒りが爆発したのだった。
「デレデレしちゃって何よ!」
「してないしてない。誓ってしてない」
「してたわよ! おまけにいやらしい想像までしてたじゃない!」
「いや、それはその、そうだったのかなって思っちゃって」
「くやしー! もう頭にきた。当分口きいてやらないんだから!」
「いや、ちょっと落ち着けよ。頼むよ」
晴香は猛烈に腹を立てたまま、大志を置いてドンドン帰り道を歩いて行く。
大志は何とか機嫌を直してもらおうと必死でついて行く。
「ちょっと待ってくれよ」
大志が晴香の肩に手を置いた瞬間だった。
「気やすく触んなオタンコナス!」
振り返りざま強烈な平手打ちが大志の頬を捉えた。
腰の回転を加えた見事なビンタだった。
「絶対許さないんだから!」
叩かれて呆気にとられた大志を置いて、晴香はどんどん先を行く。
そしてクルリと振り返り、ベーッと舌を出した。
「おととい来やがれ!」
怒りだしたら死語で罵倒する晴香は、快調な罵りを残して帰って行った。
大志は男子寮の自分の部屋で、叩かれた頬を鏡に映していた。
なかなか綺麗な手形がくっきりと付いている。
芸術的だなと、晴香のビンタのテクニックを評価していた。
「前にも何度かやられた事があったな……」
嫉妬が最高潮に達するとビンタが飛んでくる。大志は肝に銘じる事にした。
しかし、びっくりしたな、まさか黒川さんがここへ来るなんて……。
大志は再会した仁美の事を頭に思い浮かべた。
高校の時も吃驚するくらいの美少女だったけど、少し大人っぽくなってまた綺麗になってたな。
戸成の前で思わず見入ってしまった。今日のはやっぱり俺が悪いな……。
もう一回謝っとくか……。
大志は携帯を手に取って晴香にかけてみた。
「なによ!」
いきなり怒ってはいたが、出るには出てくれた。
「まだ怒ってる?」
「当たり前でしょ!」
あんましさっき分かれた時と変わってない。これは相当怒り心頭のようだ。
「ごめんなさい。これしか言えないけど許してくれよ」
「当分口きかないって言ったでしょ! 一生許さないんだから」
「一生口きかないのか?」
「そっちの出方次第よ!」
こうなるとなかなか手強い。癇癪を起すと手に負えない晴香は、とことん拗ねると決め込んでいるようだった。
「仁美先輩が好きなんだろ!」
「いや、それは違うよ。俺は戸成が好きなんだ」
「でも、滅茶苦茶見てたじゃない……」
「まあ、久しぶりだったし、確かに可愛い子だから見過ぎてたかもだけど、好きなのは戸成だけだよ。俺の引金を引けるのがその証拠だろ」
「そうかも知れないけど……」
好きだと大志が言ったことで、晴香は少しは落ち着いてきたみたいだ。
嫉妬はまだまだありそうだったが、大志の言葉に揺れている感じが電話でも伝わって来た。
「ごめん。どうしたら許してくれる?」
「そんな簡単に許せない。私の乙女心をあんなに傷つけて電話で済まそうなんてムシが良すぎよ」
「困ったな……」
これはまた明日会った時に、この続きをしなければと思った時だった。
「ねえ、許してあげてもいいよ」
「え? ホントか? やった」
「ただし、電話じゃ駄目。会いに来て」
「今からか? というより女子寮には入れないんだけど」
「先輩なら、入れちゃうよね」
大志を試そうとするかのように、電話の向こうの晴香は意味ありげにほのめかした。
「いや、それってダメな事だろ。健全な大学生がやっていい事じゃない」
「あら、私への想いってその程度なんだ。じゃあもういいわ」
「ちょっと待った。じゃあ女子寮の前で会おう。それでどうだ?」
「私、さっきお風呂入ったばかりなんだ。湯冷めしちゃいそうだから部屋がいいなー」
大志はこういう決まりごとは、きちんと守りたいタイプだった。
しかし、いつもどおりというか、やはり晴香に押し切られた。
「じゃあ、ちょっとだけお邪魔します……」
「ホント? じゃあ下着身につけないと……」
「えっ! な、何も着てないの?」
「冗談よ。エッチ」
大志の純真を晴香は弄んでいる。
何だかまた晴香のペースにされてしまっているのではと思いつつ、誘いに乗ることにした。
「じゃあ、そちらに行かせてもらいます。どうぞ……」
「加速して」
引っ越しの時に一度来ていたので、大志は普通に女子寮の晴香の部屋に到着した。
加速が解けて晴香の前に大志は姿を見せた。
「お邪魔します……」
分かっていたことだが、一瞬で現れた大志に晴香はちょっとだけ驚いている。
「来てくれたんだ。今お茶淹れるね」
晴香はさっきまで電話越しに激怒していた人とは思えないくらい、しおらしくなっていた。
座卓に置かれたお茶を一口飲んでから、二人はちょっと硬い表情で向かい合っていた。
「あの、これで機嫌直してくれるかな……」
「まあ、直してもいいかな……」
何だか晴香の部屋は、ちょっと照明を幾つか落とされていて、それっぽいムードが漂っていた。
恐らくわざとやっている。ちょっとアリジゴクに入ってしまったのではないかと大志は感じていた。
入ってはいけない女子寮で、しかも夜に付き合っている彼女と二人きり。
何も起こらない方が不自然なのではないか。
パジャマ姿の晴香は、何か食べるものをと菓子箱を漁り始めた。
何となく気になってチラチラ見ているうちに、大志はすごいことに気が付いた。
ひょっとしてブラを着けてない?
何となくだがいつもよりその辺りが柔らかそうに揺れている。
大志は猛烈に熱くなってくるのを感じた。
見てはいけないと思うと余計に見てしまうものだ。
お菓子を幾つか座卓に置いた晴香は、すぐに大志の視線に気が付いた。
「やだ……」
恥かしそうに腕で胸を押さえた時に、またその弾力をしっかりと見てしまった。
「いやいや、見てないよ。視界に入っただけだから」
「恥ずかしいけど、先輩だったらいいよ……」
いつもはあまり見せない艶めかしい程の女らしさに、大志の胸は高鳴る。
「あ、あんまし長居しない方がいいかな」
「今来たばかりじゃない。もう少しゆっくりしていって。ね、一緒に映画見ようよ。おかし食べながらさ」
「えっと、そうだな、じゃあそうしようかな」
晴香は早速ノートパソコンを開いて映画を再生する。
昨年流行った恋愛映画が始まった。
「この映画もう配信されてるんだ」
「うん。先週からだって、実は前から観たかったんだ」
ベッドを背もたれにして、二人はちゃぶ台に置かれたノートパソコンの画面を鑑賞する。
晴香は大志にぴったりとくっついて映画を観ている。
近すぎる距離感とお風呂上がりのシャンプーの匂い。そしてちょっとだけ腕に当たっている柔らかいもの。
とても映画どころでは無かった。
何だか内容も入ってこないまま、大志はお茶ばかり飲んでいた。
「ねえ、先輩」
「うん、どした?」
「こうして、夜に一緒にいるのってあの時以来だね」
「ああ、あのオープンキャンパスの時だな」
「うん。先輩と二人で初めてお酒飲んだんだったね」
「うん。やっぱりビール苦かったな」
「私の飲んだ桃のやつは美味しかったよ」
晴香は大志を上目遣いで見上げる。その仕草は大志の一番弱いやつだった。
「本当はすごくドキドキしてた。同じ部屋に二人っきりで」
「俺もだよ……」
ノートパソコンの小さな画面の映画をもう二人とも見ていなかった。
ただお互いの体温と、いつもよりよく聞き取れる息遣いが二人の間に確かにあって、その柔らかさに手を伸ばして触れてみたいというもどかしさを大志はじっと抱えていた。
「私の事、好き?」
「うん……もちろん……」
「朝まで一緒にいて欲しいて言ったらどうする?」
「え、いや、それは、いくら何でも……」
大志は真っ赤になってあたふたし始めた。
まさか今日そういう事になるのか?
男子禁制の女子寮で?
殆ど夜這いみたいな情況で?
おかしな能力者の出現で、みんなが大変なこのタイミングで?
いいのか俺?
このまま突き進んでも本当にいいのか?
常識人としての感覚と、男としての昂ぶりが拮抗する中、大志は猛烈な喉の渇きをまた覚えたのだった。




