第1話 深い闇
全日本ロードレース選手権。
年間を通じて八度行われるこの大会は、十月の秋晴れに恵まれた、ここ三重県鈴鹿サーキットにて最終戦が開催されていた。
おおよそ1000㏄クラスの大型排気量のバイクは、各メーカーの威信をかけて最大にチューンナップされおり、もともとのベーススペックで200馬力はある怪物をさらに凶暴なマシンに変貌させていた。
レースは序盤こそ混戦状態であったものの、後半飛び出した一台のバイクがじりじりと後続たちを引き離し、独走状態になっていた。
最終コーナーを曲がってメインストレートに現れた先頭のバイクは、甲高い排気音を響かせながら、そのままゴールラインを駆け抜けていった。
大勢の観客が総立ちになる中、両手の拳を高々と上げて歓声の祝福を受けるライダーに冷ややかな視線を向ける男がいた。
観客席の最前列に座っていたその男は、走り過ぎて行ったライダーを見送った後、レースの結果にまるで関心の無いような、さばさばした感じで席を立った。
湧きたつ大勢の観衆の間を抜けて、レース場から出て来た男は冷たい表情のままぼそりと呟いた。
「恐らく、間違いないな」
ただ何かを確認したくてここへ来た。そんな印象だった。
表情が冷たそうなのは、普段からあまり感情を表現しないからなのだろう。
遠目に大学生くらいに見えるその男は、その表情の乏しさから何となく老けて見えた。
影山冬真。
それがこの男の名だった。
大志と同じ加速能力者。もっとも影山は思考だけを加速できる能力者だった。
あの教団の一件で大志たちに敗れ、能力の発動する引き金を封印された影山は、今は思考の加速を出来ない状態だった。
だが、彼は頭は加速できなくとも、依然思考加速によって得た知識を有しており、一般的には天才と呼ばれる部類に入る頭脳を持っていた。
そして能力を封印されて以降も、人間が加速できるようになった謎を究明し続けていた。
それは損得といったものというより、未解決の物をそのまま放置できない影山の性格からきたものだった。
知的好奇心をただ満たしたい。渇望に似た欲求が、執拗なまでに真相を求めて彼を衝き動かしていた。
影山は過去に遡って真相を知ろうと、あらゆる手を尽くして当時の情報を漁った。
そして当時看護師をしていた者の所在を突きとめ、情報を得たのだった。
そして今、彼はその真相に近づきつつあった。
それは影山が生まれた時に遡る。
今は建物すら残っていない当時の産婦人科には、分娩後に新生児を移す新生児室と、早産などで早く生まれてしまった未成熟児に対応するための、新生児集中治療室が設けられていた。
新生児室と新生児集中治療室は部屋が隣同士になっていて、一度部屋を出なくとも看護師や医師が行き来できるように、扉一枚で繋がっていた。
そして、未成熟児や低体重児は経過を見て、集中治療室から新生児室へと移していっていた。
影山が注目したのは新生児室で通常の状態で生まれた加速能力を持つ自分達五人ではなく、集中治療室にいた未成熟児の方だった。
看護師の記憶によると、そこで奇妙な出来事が起こったというのだ。
今思い出しても不思議だったと、その時担当した看護師が話してくれた内容は、影山の想像を超えるものだった。
当時、病院の新生児集中治療室には三台の保育器があり、そのうちの一台にあまりにも早く生まれすぎた超低体重児が緊急で入ることになった。
恐らく助からないだろう。その時様々なケースを見て来た看護師はそう思ったそうだ。
だが、看護師の予想は見事に外れた。
どういうわけか、助かる可能性の無かった超低体重児は、通常の生育スピードより明らかに速く成長し、あちこちで臓器不全を起こしていた状態も不思議な事に正常に回復していた。
それだけなら、一つの命が助かったのだと喜べたのだろう。
だが、まるでその代償を払わされたかのように、他の二台の保育器に入っていた新生児は衰弱し、あっという間に死んでしまったのだった。
たまたまそういう巡り会わせだったに違いない。
当時の担当医は理解出来ない現象をそう片付け、新たな低体重児を受け入れた。しかしその部屋に新たに入れられた新生児は次も、その次も衰弱して死んでしまった。
保育器に問題があるのかも知れないと、一時的に低体重児の受け入れを止め、保育器を点検に出したのだがどこも異常は見られなかった。
釈然としないまま、いつの間にか気味の悪い現象は収まっていた。
それは、あの超低体重児だった新生児が順調に回復し無事に退院した頃と同じぐらいだと看護師は言っていた。
あの部屋で何かが起こった。
影山はそう確信していた。
そして19年前に新生児だった影山たちの、隣の集中治療室にいた超低体重児は、先程の全日本ロードレース選手権の覇者、那岐空也だった。




