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加速する世界 時の彼方へ  作者: ひなたひより
第一章 春、輝いて
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第17話 山小屋での朝

 温かい布団の中で目を覚ました大志は、自分が寝過ごしている事に感覚的に気が付いた。

 体を起こし、部屋に自分だけしかいない事を知って、今何時なのかを確認する。

 壁の時計は十時を少し回っていた。


「置いてかれたか……」


 七時に起床して八時頃には山頂を目指して出発する予定だった。

 大志は大きなため息をひとつ吐いて、日差しが射し込んでくる窓の外に目を向けた。


「せーんぱい」


 誰もいないと思っていた大志はびっくりして振り返った。


「戸成? みんなと一緒じゃなかったのか?」


 晴香は朝の陽ざしに負けないくらいの明るい笑顔で部屋に入って来た。

 そして大志の隣に腰を下ろす。


「私以外はみんな山頂目指して行っちゃった。疲れて爆睡してた先輩を起こさないでおこうって部長が気を利かせて静かに出てった。お昼過ぎぐらいに戻ってくるって」

「そうか、戸成だけ残ってくれたのか、なんかごめんな」

「私はいつだって先輩と一緒なんだから」


 もう何度も大志が晴香から聞かされた言葉。

 少し照れながら、大志は変わらない笑顔にほっとする。


「ああ、そうだったな」


 当たり前のようにそこにいてくれる晴香に、口には出さなかったが、感謝していた。


「先輩、どこも痛いとこない? だいぶあいつと追いかけっこしてたみたいだけど」

「そうだな……」


 あちこちに疲労感があったものの、取り立ててどこかを痛めている感じはなかった。

 ざっと見た感じ、怪我らしきものは擦り傷ぐらいしかなかった。

 月明りの中を、あの大きな猪と追いかけっこをしたにしては奇跡的だと言えた。


「大したこと無さそうだ。俺の事よりもあのお爺さんと、田所さんはどうなった?」

「お爺さんは山小屋のスタッフに明け方運ばれていった。ロープウェイで下まで運んで病院へ連れてくって。山小屋の主人は捻挫だって言ってた。痛そうだったけど、みんなに朝ご飯を作ってくれてたよ」

「ホントか? 猪に撥ねられてたのに、その程度で済んだっていうのか。よっぽど頑丈な人なんだな」

「フフフフ。昨日先輩を襲ったあいつ、山小屋の主人が解体してシシ鍋にするって言ってたよ」

「ホントか? なんだか可哀そうだな」

「あれだけ怖い思いをさせられたのに慈悲深いんだね」


 晴香は可笑しそうにクスクス笑い声をあげた。


 ちょっと可愛いじゃないか……。


「ね、先輩、そろそろご飯食べにいこーよ。一緒に食べようと思って我慢してたんだ」

「え? そうなの。それじゃあ急がないと」


 そして遅い朝食を二人で採った。

 向かい合わせに座る楽し気な姿にまたほっとする。

 今回もまた晴香に助けられた大志は、昨日何故あそこにあのタイミングで現れたのかを晴香から教えてもらった。


「先輩と二人きりになりたくて男子部屋覗きに行ったの。そしたらいなくって携帯に電話したんだ。どうゆう訳か圏外みたいで繋がらなかったから、位置情報アプリでどこにいるか調べたの。山小屋から離れた登山道にいるって分かって、篠田教授に聞いたら詳しく教えてくれたんだ」

「成る程、それで?」

「なんだか胸騒ぎがして、坂井先輩に相談したの。そしたら野口先輩と話してくれて、あまり遠くに行かないのなら行ってもいいって許可をもらったの」

「そういうことか」


 晴香の行動力と突破力の前では、あの二人も断り切れなかったのだろう。


「坂井先輩はあんまし飲んでなかったから行ってくれるって言って、山小屋のスタッフと三人で山小屋を出たの」

「ふんふん」

「そしたらまたあのオカ研志望女子が追いかけてきたのよ。私も入れてくれって。その後にやっぱり加藤君が引っ付いてきて結局五人でって事になったわけよ」

「そうか、なるほど。後からやたらと人が集まったなと思ってたんだ」

「その後、銃声を聴いて、私は月明りの山道を猛ダッシュしたんだ。坂井先輩はみんなの安全を配慮して急がず登って来たわけ」


 話を聴いてやっと昨日の全体像が分かった。


「どう、女の直感は。先輩のピンチにぴったり間に合ったでしょ」

「それはすごいと思ってる。何か特別な能力があるんじゃないかって疑ってしまいそうだよ」

「それはきっと先輩を思う私の気持ちがそうさせたんだよ」


 真っ直ぐにそう言われて大志は紅くなった。


「だからね、もし浮気なんかしたらすぐに分かっちゃうんだから。気をつけてね」


 何となく信用されていないのは知っていたが、また念を押された大志だった。



 折角だからと山小屋周辺の散策コースを二人で歩こうと大志が誘うと、晴香は大喜びでついてきた。


「やっと二人きりで山岳デートだね」

「うん。そう言えばそうかな……」


 あらためてそう言われると緊張してきた。


「なあ、ちょっと気になってたんだけど、あの大猪を片付けたの変に思われてなかったかな」

「先輩がまだ寝てた時に結構質問攻めにあっちゃったよ。どうやってあんな巨体の猪をぐるぐる巻きにしたんだって。もう胡麻化すのに苦労したんだから」

「でも胡麻化しといたんだろ。流石だな」

「もうそれは適当にね」


 晴香は立ち止まって、朝みんなに聞かせた作り話を再現してみせた。


「血眼になって怒りをあらわにした大猪。突進してきたそいつを間一髪で先輩はヒラリとかわした。そして勢いづいていた猪はそのまま大木へドーンとぶつかって気を失った。そして我らが丸井大志は卒倒した大猪を縛り上げたのでした! みたいな筋書きを即興で作ったの」

「漫画みたいな話だな。そんなんで信じてもらえたのかな?」

「みんな納得してたよ。先輩って意外と身軽なんだなって感心してた」

「嘘で俺の評価も上がったってことか」


 きっとまた訊かれるだろうから、今聞いた漫画みたいな話に口裏を合わせとかなければいけない。

 何だかちょっと悪い事をしているような感じがした。


 二人で歩く散歩道はなんだか楽しかった。

 晴香も終始明るい笑い声を上げながらはしゃいでいる。

 ここに来て良かった。大志は素直にそう思った。

 散歩道の目的地、一番見晴らしの良い場所まで来て、晴香は携帯で二人の写真を撮ろうと誘った。

 グッと大志が腕を伸ばして二人をフレームに収める。

 晴香は紅くなりつつも遠慮なしに大志にくっつく。

 何枚か自撮りした写真は、どれも二人ともどこか恥ずかし気で、素敵だった。

 写真を撮り終わっても晴香は大志に寄り添っていた。

 大志はどうしても晴香の柔らかそうな唇に目がいってしまう。

 昨日、月明りの中で晴香を抱きしめて、その後してしまった事が頭から離れない。

 きっと晴香もそうなのだろう。

 さっきからちょっと恥ずかし気に大志を見上げている。


「昨日は突然すぎてびっくりしちゃった」

「それは、その、ごめん……」


 もう何度も繰り返し回想した話題が出て大志は紅くなる。


「先輩って、意外と情熱的だったんだね……」

「え、いや、そ、そうかな……」


 晴香は大志にさらにぴったりとくっつく。


「ファーストキス、先輩に奪われちゃった……」


 普段見せない恥ずかし気な表情に大志の胸が一気に高鳴る。


「うん、その……ムード無くってごめんな」

「謝んないでいいんだよ。忘れられない最初のキスになったんだから」

「ほ、ほんと?」

「うん。すごく嬉しかった。でも二人の初めての記念のキスを見届けてくれてたあいつは、近いうちに山小屋で美味しく振舞われるんだろうね」

「なんだかいけないものを見てしまって、消されるみたいな響きだな」


 キスについては意外と好感触だったので良かったのだが、猪については微妙な気持ちになった。


「まあ、その……今度からはちゃんと場所と雰囲気を考えるから」

「もう先輩硬すぎ。私ずーっと待ってたんだから」

「え? そうだったの?」

「そうよ。待たせすぎよ。そんな感じだと私を他の誰かに奪われちゃうよ」

「いや、冗談だよね」


 晴香は冗談にしては真面目な顔をしていた。

 大志はからかわれていると知りつつ、少し不安になる。


「さあ、どうかしら。けっこう今までも言い寄ってくるのを断るのに苦労したんだから」

「いや、ホントに?」

「そうよ。オオカミ先輩みたいなのが私の周りにはうじゃうじゃいるんだから。ちゃんと見ててくれないと連れて行かれちゃうかもよ」


 確かに晴香の言うように、最近またちょっと可愛くなったせいで、オオカミ先輩のように言いよるやつが現れても不思議じゃない……。


 大志は真面目に不安になりだした。

 そんな大志の様子を晴香は探るような目で見ている。


「だから先輩、時々昨日みたいにギュッとしてね」

「うん……」

「それとその後のも……」


 頬を紅く染めてそう言った晴香の可憐さにまたやられそうになる。

 やはりまた晴香のペースになってしまっていた。


「またいつか二人で山頂まで登ってみたいな」


 すうっと吹き抜けた涼しい風に晴香の髪が揺れる。

 大志はそんな晴香を、もう少しここで見ていたかった。


「俺もだよ」


 山頂まで登る事の無かった新入部員歓迎登山。

 それでも新緑の散歩道を肩を並べて歩いた二人には、特別な思い出が残ったのだった。

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