第15話 月光の下で1
夕食で盛り上がった後、男女別の部屋に入ったワンゲル部はやはり恋の話で盛り上がっていた。
男子部屋で弄られていたのは、勿論夕食時に告白まがいのスピーチをした加藤君だった。
そして女子部屋では当然ながら可奈子が弄られていた。
殆ど何の質問も答えなかった二人に飽きてきだしてきた頃、山小屋の主人が来て篠田教授と何やら込み入った話をし始めた。
「どうかしましたか?」
部長の野口が何やら深刻そうな二人に声をかけた。
「いや、ちょっとね」
なんだか話し辛そうにしていた山小屋の主人は、篠田教授と部長を連れて部屋を出て行った。
「どうしたんだろうな」
「さあ」
少しは気にかかったものの、この時大志はこれがこの後、深刻な事に発展していくとはまるで想像もしなかった。
それから十分ほど経ってから、部長の野口は部屋に戻ってくるなり、大志ともう一人、戸塚という大志と同じ二回生に声を掛け、部屋から連れ出した。
いつもにこやかな部長の様子がおかしいのに、二人ともすぐに気付いた。
「何かありましたか?」
戸塚が先に口を開いた。
「ああ、戸塚、丸井、ちょっと二人に頼みたい事があるんだ。詳しいことは山小屋の主人の田所さんから聞いてもらう」
奥の部屋に通された二人は、そこで深刻そうな表情で篠田教授と話をしていた山小屋の主人に、今何が起こっているのかを聞かされた。
どうやら山頂から下山してここで宿泊する予定の老夫婦が、まだ到着していないらしい。
八十歳を超えた夫婦なので、ゆっくり下山しているものと思っていたのだが、それにしても遅すぎた。
他の下山客に聞いてみたところ、山頂では見かけたが、その後は知らないと口を揃えて言っていたらしい。
「下山途中で怪我をしたりしてなければいいが……」
田所はかなり深刻そうな顔つきになっていた。
「人が多い賑やかな日中はまず大丈夫ですが、暗くなると野生動物も山道に出てきたりします。それも心配なんです」
「電話は繋がらないんすか?」
戸塚がそう聞くと。山小屋の主人は首を横に振った。
「携帯電話は山小屋では使えるんですが、この先へ行くと圏外の場所が多いので、彼らもこちらに連絡できなくなっているんじゃないかと思うんです。そこで、彼らのの下山してくるコースを逆に辿って行って、電波の届かない所を重点的に探そうと思っています。私は一応、獣に出くわした時のため猟銃を持って行きます。学生さんのお二人には私に付いて来てもらって、万が一怪我をしていた場合に運ぶ役をお願いしたいんです」
「そういうことだ。丸井、戸塚、悪いが付き添いで行って来てくれないか? 本来なら俺や三回生で行くべきだろうが、三回生は全員相当飲んでしまっていて逆に足手まといになりかねない。しらふで体格のいいお前たちに頼みたいんだ」
なるほど、高校時代、体育会系の部活に所属していたごつい体格の二人は、他の部員たちに比べて適任だと言えた。
「分かりました。行ってきます」
「悪いな。頼んだぞ」
「すみません。学生さんにこんな事を頼んでしまって」
そして二人は一旦部屋へと戻り山を登る準備をした後、山小屋を出た。
ほぼ満月の月が照らす蒼い山々。
息を吐くと白い呼気が宙を舞った。
夜になって冷え込んできた山の空気に、大志はブルっと身を震わせた。
「足元に気を付けてついて来てください」
田所はそう言って、明日大志達が進む予定の山道を歩き出した。
大志と戸塚の二人は、手渡された懐中電灯で足元を照らしながら田所に付いていく。
さすがに歩きなれている様子で、田所は同じペースで息も乱さず山道を登っていく。
月明りのお陰で、もしかすると懐中電灯が無くとも目が慣れさえすれば快適に歩けるのではないか。大志は不思議と落ち着いた気持ちで、前を行く田所の通った足跡を辿るように進んでいく。
熟達した者が一人いるだけで、かなり気が楽だった。
そして一行は尾根沿いに歩く道を抜けて、少し木々が覆い被さってくる様な道に出た。
こうなると月明りも殆ど届かず、相当気味が悪かった。
こんな暗闇で山の中を歩いた経験は勿論ない。
暗闇で誰の表情も分からないが、田所はともかく、大志と戸塚は暗闇の中で震えあがっていた。
本能的な恐怖に、冷たい汗を流しながら、大志は晴香の事を考えていた。
きっと心配するだろうからと声もかけずに出てきたが、もし晴香がここにいたら心強いだろうと想像していた。
数多くのピンチを晴香は持ち前の行動力で乗り越えてきた。
晴香の尋常ではない突破力がなければ、これまでのピンチを切り抜けてこられなかっただろうと、大志は常々感じていた。
小柄で勝気な目をしたいつも明るい笑顔の女の子。
特別な能力を持つ自分よりも、もっと特別な存在であると強く思い、今も傍にいて欲しいと感じていた。
あいつがいないと俺は駄目だな。
頼りになりすぎる相棒の事を考えながら、暗闇に震え上がっている自分の事をちょっとカッコ悪い奴だな思ってしまう大志だった。
一時間ほど歩いただろうか、大志は闇夜に明滅する小さな光を見つけた。
まだ少し遠いが、明らかにこちらの照明に気が付いて自分の位置を知らせているみたいだった。
「あそこですね」
「ええ。やっと見つけました。意外と夜のほうがああやって合図を送ってくれたら見つけやすいんですよ」
田所は少し安堵したように、懐中電灯を持った手を振り返す。
何かの原因で下山できなくなってしまったのだろう。
「帰り、きつそうだな」
月明りの中で、戸塚はぽつりとそう口にした。
「ああ、俺たちの出番だな」
大志はまだ遠い小さな明かりを見ながらそう応えたのだった。
 




