第14話 山小屋泊
一日の疲れを癒すのにはやはり温泉がいい。
歩き疲れてやっとたどり着いた宿泊先の山小屋は、高山にある秘境ムードの施設という感じではなく、少し快適な宿泊が出来そうであった。
至れり尽くせりの山小屋には温泉が湧き出ており、大志たちは真っ先に風呂に入って一日の疲れを癒したのであった。
そしてその頃、女風呂ではワンゲル部の数少ない女子も白濁した湯船につかって温泉を満喫していた。
ワンゲル部の女子は晴香と可奈子を入れて六人。
三回生の坂井美里。二回生の宍戸唯。そして今年入部した一回生の上月弥生と関泉美と加総研の二人だった。
ちょうど湯船は六人で入れるくらいの大きさで、晴香以外にやや警戒感を抱いている菊池可奈子も仕方なく隅っこに収まっていた。
「なんだか、緊張してる?」
美里は可奈子が硬くなっているのに気付いて、先輩らしいおおらかさで尋ねる。
「はい。まあ、ちょっとこういうのに慣れてなくって」
「そうよねー。女の子が山小屋に寝泊まりするってあんまし無いかもだもんねー」
美里はこの環境の事を気遣ってくれているのだが、可奈子の気になっているのは勿論よく知らないワンゲルの女子たちだった。
美里は気兼ねなく話す人だったが、あんまり話しかけないでオーラを出している可奈子に、他の女子たちは様子を見ている感じだった。
「すみません。ちょっとこの子人見知りでして」
晴香が仕方なくフォローしてやる。
「何にも心配ないよ。仲良くやろうね。そうだ、ここで自己紹介し合おうよ。お互い裸なんだから包み隠さずって感じで」
美里の言い出した案で風呂場での自己紹介になった。
しかし意外とそれが良かったのか、他の女子たちも可奈子の事を個性的で面白い子と受け止めてくれたため、少し距離感は風呂に入る前よりも近くなったのだった。
自己紹介していた関係で、やや皆のぼせ気味な女子たちは、お風呂から上がって着替えようとしていた。
体を拭いていた晴香が視線を感じて振り返ると、眼鏡をかけた可奈子が晴香の素っ裸を舐めるように見ていた。
「なに! なんでそんなに見てるわけ?」
「いや、戸成っちってけっこう……」
晴香はなんだかいやらしい視線を感じ、腕で胸を隠した。
「さっきまでは眼鏡をしてなかったから良く分からなかったけど、なかなかのもんだわ……」
「いやらしい言い方しないでよ。あんまし見ないでくれる」
「ちょっと触っていい?」
「いいわけないだろ!」
やたらと晴香にくっつきたがるのは同じだったが、このお風呂以降、晴香以外の女子たちと少しは話をするようになった可奈子だった。
お風呂上り。山小屋名物のカレーを前に、二十歳を過ぎている先輩たちはさっそく持ち込んだ缶ビールで乾杯していた。
二回生と一回生は勿論ジュースで乾杯した。
大志が席に着くと、すかさず晴香が隣に座った。そしてその横にすかさず可奈子が腰を下ろし、続いてその横に加藤君が座る。
「仲良しなんだね。すごい結束力だわ」
美里は手に持った缶酎ハイに口を付けた後、なんだか感心していた。
部長の野口も美里に続いて感心していた。
「確かにもう相当結束してる感じだな。ワンゲル部はこれから仲よくしようって始めたばかりなのに、加総研に先を越されるどころか、振り切られた感じだな」
そう見えているのかと意外だったものの、大志は好意的に見てもらえてる事については歓迎した。
山小屋の特製カレーはまろやかで美味しかった。
こうして皆でカレーを食べていると、やはりあの合宿の事を思い出してしまう。
懐かしいと今感じるということは、時が流れてしまったという事なのだと、大志は感慨深く受け止めていた。
そして相変わらず変わらない笑顔を見せて傍にいてくれる生意気な後輩を、ただ愛おしいと感じるのだった。
「さあ、じゃあここで一人ずつ、あらためて自己紹介と今日の感想を聞かせてもらおうかな」
部長の野口が、今席についている順番に感想を求めた。
皆少し照れながら、自分の感じたことを話していく。
こういった人前で話すことも、部活の醍醐味だと教授は熱く語っていた。
社会に出ていく前に部活で体験して、己を磨いていく事がとても大事なのだと、日頃から教授は口にしていたのだった。
そして早食いの加藤君のところまで来て、スムーズだった流れがピタッと止まった。
早食いに特化し過ぎて、おしゃべりのスキルはスカスカだった。あえて美的に捉えるとすれば、天才によくあるやつだと言えた。
「ぼ、僕は……」
注目されてガチガチになっている。助け舟を出してやろうとした大志を晴香が止めた。
「頑張って……」
ぼそりと呟くように言った可奈子の言葉が加藤君の背中を押した。
「ぼ、僕、加藤典孝と申します。加総研の部員で……今日は、菊池さんに勧められて参加しました」
大志はほっとして、止めてくれた晴香に笑顔を見せた。
そして、緊張しながらも話を続ける後輩を見守る。
「部活に入る予定も無く、なんとなく大学生活を始めた僕を菊池さんは引っ張ってくれました。大した取り柄のない僕をそんな事ないって励ましてくれて、気が付いたらこんなに楽しい所に連れ出してくれていました。僕にとって今ここにいるのは夢のような事なんです」
一度滑り出した言葉は、また次の言葉に繋がっていく。今日の感想を言いあおうという趣旨からは内容が外れていたが、これはこれで皆の注目を集めた。
「僕の大学生活は僕の予想していたのより百倍は素晴らしいものとなりました。これも全て幸せを運んできてくれた菊池さんのおかげです。今ここで隣に座る菊池さんにお礼を言わせてください」
目に涙を薄っすら溜めて、加藤君は可奈子に顔を向けた。
可奈子は眼鏡の奥で細い目をしばたたかせて動揺している。
「ありがとう。菊池さん。君に出会えて良かった」
可奈子はうつむいて真っ赤になった。
なんだか愛の告白みたいになってしまっていた。
「おおお、なんと感動的なんだ……」
大人しく日本酒を飲みながら話を聴いていた教授は、とうとう号泣した。
意外な伏兵のスピーチはたくさんの拍手をもらった。
そして次の可奈子の番は、相当話し辛そうだった。
「えっと、菊池可奈子です……加総研とこの部を兼部してまして、それで……」
さっきの、ほぼ告白が効いていて、何も頭に浮かんでこないみたいだった。
可奈子は猫背をさらに丸めて、もじもじと両手の指を絡めている。
結局、そこから今日は楽しかったですと言ったきり着席してしまった。
そして晴香は、可奈子の肩をポンと叩いて立ち上がった。
「理工学部、戸成晴香です。加速総合研究調査部、略称、加総研の部長をしながらワンダーフォーゲル部と兼部しています」
晴香は堂々と背筋を伸ばし自信に満ちあふれた声で話し始めた。
そう、これが戸成晴香なのだ。
大志はまた一段と大きくなった相棒を眩しげに見上げる。
「わが加総研は、加速研究を通して、この二人の様にお互いを思いあい、高めあう、そんな活動を行っています。ここにいる菊池さんは加藤君の中の光るものに気付き、そして彼もまた菊池さんの輝きに触れました。私たちの今いる時間は一瞬で過ぎ去っていきます。教授の加速理論に基づいて考えれば過去は存在せず、また未来も同じく存在しません。そうでしたよね教授」
「そうだね。過ぎ去った過去には人は誰も戻れない。そして自然の理を跳び越えていけない以上、我々にはこの今しかないのだと考えられるんだ」
教授に一言を添えてもらい、晴香はすっと息を吸い込んだ。
そして魅力的な明るい笑みを浮かべてこう言ったのだった。
「もしかすると私たちは生まれた瞬間に、この時間の流れに置いて行かれないよう加速しているのかもしれません。私たちが感じる一生は全く加速していない者の目からすると流れ星のように一瞬なのかもしれません。その一瞬の中で、こうして同じテーブルで同じ一瞬を過ごす事の意味を、ただの偶然だと私は捉えたくないんです。そしてきっと加藤君も菊池さんもそう感じたのではないかと思うんです」
そして晴香は可奈子の肩に手を乗せた。
「今が特別なんだって。きっとそう思ってるんだよね」
可奈子は薄っすらと頬を染めて何度か頷いた。
「というわけでここにいる皆さんに感謝です。私からはこのぐらいです。ご清聴ありがとうございました」
大きな拍手が山小屋の食堂に響き渡った。
言いたい事を言って席に座った晴香に、大志は困った顔をして見せた。
「もうまとめちまったじゃないか。この後に何をしゃべったらいいんだよ」
そんな大志に晴香はぺろりと舌を出した。
苦笑しながらも大志は楽しげに席を立ったのだった。




