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婚約者に勝てない話

 貴族同士の結婚といえば、大抵は家同士の結びつきを強くするための政略結婚がほとんどだ。伯爵令嬢である私もその例に漏れず、婚約者を紹介されたのは私がまだ七歳の頃だった。


 相手は二つ年下で、ふわふわしたライトブラウンの髪と大きな榛色の瞳をした男の子。自己紹介をした後の、少し恥ずかしそうな笑顔を今でも覚えている。


 遊びに来た時は私の話をニコニコと聞いてくれたし、幼いながらエスコートは完璧。そしてなんと言っても、大人たちでさえ魅了される、天使のように可愛らしい微笑みが、彼の一番の魅力だろう。本当に可愛くて、狡いなぁと思った事もあった。




 そう、あの頃は可愛かったのに!!



「ちょっと、やめて、こっちに来ないで!」


 我が家の小さな温室で、私は追い詰められていた。追い詰めているのは、誰あろう私の婚約者。その手に私の大嫌いな蜘蛛を捕まえて、私に近づいてくる。一歩後退しようとするも、もはや逃げ場は無い。扉のほうに逃げなかった事が悔やまれる。


「あなたに拒絶されるなんて、俺は悲しくて泣いてしまいそうです」


 などと言っているけれど、正反対の表情をしている。どこからどう見ても楽しそうだ。


 出会いから十年。彼が十五の成人の儀を終えるのを待ち、来年には結婚式が予定されている。だというのに、婚約者を揶揄って遊ぶのはおかしいわよね? 私は悪くないわよね?


 なんて心の中で自問自答しても、助けが来るはずもない。まぁいたとしても、仲がよろしい事だと微笑ましく見守られる事だろうけど。お母様なんて、好きな殿方のそういった面も受け入れてこそですよ、と諭してくるのだから。残念ながら、この屋敷に私の味方はいなかった。


「笑いながら言わないで怖いから! というかわざとでしょ! 蜘蛛が嫌いなの知ってるくせに! 近づけないで!」

「ふふふ。怯える貴女はとても可愛いですね?」


 いつからか、彼はそんなことを言うようになった。一番最初は、雷に怖がって思わず抱きついてしまった時だったと思う。それ以来、思い出したように私を怖がらせようとするのだ。当然のごとく身長はとっくに追い越されたとはいえ、私の方が年上なのに!


「嫌ぁ! 昔はあんなに可愛かったのに! どうしてそんな風になっちゃったのよ!?」

「貴女限定ですよ」

「嬉しくない!」

「しょうがないですねぇ。……ほら、もういませんよ」


 彼は草陰に蜘蛛を逃すと、両手を上げて何もいない事をアピールした。ニコニコと笑うその姿に、そうしてるだけなら素敵なのに、と思う。


「ほんと……?」

「俺は貴女に嘘はつきませんよ。こちらへどうぞ」


 手を差し伸べられたけれど、さっきまで蜘蛛を掴んでいた手だ。人を怯えさせておいて、素直に取ると思っているなら大間違いだ。


「先に手を洗って来て」

「手厳しいですね。まぁそこも可愛いですけど」


 彼は私の事を、年下の女の子だと思っているかしら。


「……おどかすのはやめてって、いつも言ってるわよね?」

「すみません。貴女の怯える顔に正直ゾクゾクして、やめられなくなりました」

「笑って言う事じゃないんだけど? 素直に言えば良いと思ってる?」

「すみません」


 クスッと笑う姿に、反省の色は皆無である。


「……まぁいいわ。どうせ何を言っても無駄なんでしょ」

「なんだかんだで、俺に甘いですよね」

「婚約解消するって言って、また泣かれたくないだけよ」


 二、三年前だっただろうか。今と同じようにおどかされた私が、『あなたと結婚なんてしない!』と怒って告げたら、彼は呆然とした後、綺麗な瞳からポロポロと涙を零した。泣き喚くでもなく、ただただ静かに。


 その姿に罪悪感が込み上げ、絆されたのは言うまでもない。そんな事があったから、結局はいつも許してしまうし、彼もそれを知っている。なので、余裕で笑っていられるのだろう。


「もう泣きませんよ」

「あらそう。じゃあ……」

「次に婚約解消するなんて言われたら、俺はこの世とお別れするでしょうね。貴女に愛されないのなら、生きている意味がありませんので」


 私が戯れに言おうとした言葉を察してか、先回りするように言った彼にしばし絶句する。前から、なんとなく察してはいたけれど。


「………………重いわ」

「ふふ」

「ふふ、じゃないわよ。……ほんと、どうしてそんな風に育っちゃったのかしら。私じゃなかったらとっくに逃げてるわ」


 想いの深さの違いはあれど、今さら別の人と結婚なんてしたくないし、してほしくない。おどかされる事を除けば、彼は怒ったとこを見た事ないくらい優しいから。好きかと聞かれれば、そうだと答える。


「こんな俺は嫌ですか?」


 思わずため息を吐いた私に、彼は助けを求めるような顔で言った。しょうがないと思ってしまうのは、それが演技でも何でもないと知っているからだ。


「あなたが狡いのはそういうとこよ。いいから早く手を洗ってきてよね。外の木陰でお茶でもしましょ」


 私の返答に彼は、それはもう幸せそうに笑って、足早に温室を出て行った。結婚したら、私をおどかすのはやめてほしいものだけれど、されたとしてもきっと許してしまう。


 彼のあの笑顔に、私は勝てないのだから。


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