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白銀の乙女と婚約者

 つい先日18歳を迎え、幼馴染である彼女と正式に婚約を果たした俺は、今夜王宮で開かれる夜会で初めて彼女の婚約者として出席する。そのため、彼女の屋敷へと迎えに来たわけだが。


「遅いですわ!」


 彼女の部屋に足を踏み入れた瞬間、叩きつけるような声色で彼女が言った。俺が約束していた時間より遅れて来たのだから、きっちりした性格の彼女が怒るのは当然だ。一緒に育ったも同然なのだから、そんなことは昔からよく知っていた。


 由緒ある侯爵家の一人娘として育った彼女は、感情を表に出す事をはしたないと思っている節がある。常に美しく、優雅である事。これはどこの貴族令嬢にとっても重要だが、侯爵令嬢として恥ずかしくないようにと完璧を目指した結果、人前に出る時の彼女は美しく着飾った人形のようだ。令嬢たちからは嫉妬と羨望を、令息たちからは熱い視線を送られる。その髪色からだろうが、白銀の乙女などと呼ばれる彼女はいつだって、手の届かない高貴な存在だ。


 ただしそれは、気を許した相手を前にした時以外は、だが。


「ああ、悪い悪い」


 軽く受け流しながら近くに置かれた椅子に腰かけた俺に、彼女は呆れたようなため息を吐く。


「もう何回目ですの? 本当にだらしがないですわね!」


 ぷりぷりと怒りながら椅子の前に仁王立ちする彼女だが、正直恐ろしさは皆無だし、むしろ怒りに紅潮した頬と煌めく翡翠の瞳が綺麗だ。さらに、今夜の為にあつらえた紺色のドレスが彼女の銀髪を引き立たせ、その美しさを際立たせている。この姿を見たいがために、いつも約束には遅れるようにしている、などと言ったらさらに怒るだろう。とはいえ怒ったところで、小犬が吠えているような可愛らしいものだが。


「5分だけだろ。それに約束の時間だって早めに設定したろ。お前は相変わらずせっかちだな」

「何ですって?」

「まぁ落ち着けって」

「あなたはいつもそうですわ! 婚約してからも待たせるなんて! こっちは30分も前に支度を終えたんですのよ? それなのにあなたと来たらいつもいつも! もう少し私の婚約者であるという自覚を……!」

「俺が来るのを、首を長くして待ち侘びていたわけだな。早く着飾った姿を見せたくて」


 まくし立てるように言う彼女の言葉を遮ると、彼女はその勢いのまま『そうですわ!』と胸を張る。


「せっかくあなたが贈ってくれたドレスですもの! 毎日毎日、着るのを楽しみに待って……」


 言いながら自分の言葉に気がついたのか、それとも俺の顔が緩んでいたせいか。彼女の言葉は尻すぼみになり、頬に朱がさした。 


「っ、いえ、今のは違いますわ! 私はその、遅刻したくないだけですわ!」

「うんうん、そうだな」

「変な笑いをやめなさい!」

「ああそうだった。そんなお前に、贈り物を用意したんだった」


 声をあげて笑いそうになるのを咳払いで誤魔化し、持っていた箱を彼女に差し出す。未だ不服そうではありながら、素直に受け取って箱を開ける彼女は可愛らしい。これもまた、一部の近しい人間しか知らない一面だろう。


「……真珠のネックレスですのね? 綺麗ですわ」

「そのドレスと合わせたんだぞ」

「メイドたちが付けなくていいと言うから、おかしいとは思っていたんですのよ。あなたが用意していたからでしたのね」

「その通り。付けてやるよ」


 そう言いながら立ち上がり、箱からネックレスを持ち上げて一歩彼女に近づく。目の前に立つ俺を見上げる彼女は、怪訝そうな顔で口を開いた。


「後ろを向いた方がいいのでは無くて?」

「いいから、じっとしてろって」


 彼女の正面からネックレスをかけ、首筋に顔を近づける。とても甘く芳しい香りがするのは香水のせいか、それとも彼女自身の香りだろうか。ほぼ密着しているせいで、彼女が緊張しているのが伝わって来る。キスだって何度もしているくせに、可愛らしい事だ。


「……早くしてくださらない?」

「動くなって。うまく留められないだろ」


 このまま押し倒したらどんな反応をするか見てみたい気もするが、それはまだ早い。というか、そんな事をして婚約が立ち消えになったら困るのは俺だ。親同士の仲が良いから決まった婚約とはいえ、彼女の父である侯爵の怒りを買うのは得策ではない。結婚して彼女が侯爵家を出るまで、穏やかな婚約期間を送るつもりだ。


「よし、出来た」


 そう言った瞬間に、彼女が安堵したように息を吐く。それに少し悪戯心が沸き首筋にキスを落とせば、彼女は猫のように素早く飛びのいた。いつまで経っても不意打ちに弱いのもまた、彼女の可愛い所だ。


「何をするの!?」

「やっぱり、怒った顔が一番好きだわ」

「は?」

「いつも澄ました顔してるお前が、そうやって怒るのは気を許してる証拠だろ?」


 彼女は顔を赤くして何か言いたそうに口をパクパクとさせていたが、やがて諦めたのか、大きく深呼吸をする。そして背筋を伸ばすと、他人向けの微笑みを浮かべた。


「極力、怒らないようにしますわ。あなたを喜ばせる気はございませんの」

「無理だと思うけどな。なんせ、お前が隣にいるだけで俺は嬉しいんだから」


 幼なじみで気を許しているというだけで、伯爵家の次男に過ぎない俺が彼女の婚約者になれたのはラッキーだ。身分を見れば王子の相手になり得た彼女なのだから、それは本心からの気持ちだった。

そんな俺の言葉に彼女は目を見開き、そっぽを向いて呟く。


「……そういうのは、ずるいですわ」

「照れてるのか?」

「っ、早く行きますわよ!」

「はいはい」


 笑いながら、さっさと部屋を出て行った彼女の後を追う。ところが廊下に出て数歩行ったところで、彼女が突然足を止めて振り返った。


「どうした急に立ち止まって。キスして欲しいのか?」

「なっ! ち、違いますわ! あなたはすぐそうやって揶揄う!」

「化けの皮が剥がれてるぞ」

「誰のせいだと!」

「はいはい、馬車までエスコートしろってんだろ。さっさと行ったのは自分だろうに。ほら、お手をどうぞお嬢様?」

「分かっているなら何故……、いえ、あなたに期待した私が愚かでしたわ」


 ため息を吐きながら、彼女は俺の手を取った。王宮へ向かえばこんな彼女の姿はなりを潜め、綺麗に微笑むだけの存在となる。その彼女はつまらないものだが、本来の彼女を知っているという優越感には浸れるのが唯一の良い所だ。


 そんな事を考えながら玄関へ向かう途中で、彼女を揶揄うのが楽し過ぎて忘れていた事を俺は思い出す。


「あ、言い忘れてたんだが」

「はぁ。今度は何ですの?」

「そのドレス、よく似合ってるよ」

「っと、当然ですわ!…………あなたが選んだのですもの」


 これ以上揶揄うと機嫌を直すのが大変そうだから、ポツリと呟かれた言葉は聞こえなかったふりをして。


「お前と婚約出来なかった男どもがどんな顔をするか、今から楽しみだな」


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