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ある王太子と婚約者

「今日は一段と美しいね。私の為に綺麗にしてきてくれたのかな。ありがとう。太陽もその輝きには負けてしまうだろう」


 わたくしの婚約者である王太子殿下は、今日もそんな甘い言葉を口にしている。しかしそれは、わたくしに対してではない。


 王宮の東に位置する王太子宮殿の庭園で、月に一度催される殿下主催のお茶会。その席で、殿下の周りに集まる令嬢達に向けられたものだ。殿下の言葉を受けた令嬢達は、きゃっきゃと声をあげて嬉しそうにしている子や、頬を染め、うっとりとしている子もいた。


 殿下のように、金髪碧眼の麗しい王子様に言われれば、そうなるのは無理も無いだろうと思う。


「まぁ殿下ったら」

「あの、殿下。今度の夜会でわたしと踊っていただけますか?」

「貴女、抜け駆けなんて狡いですわ」

「ならば、その次は私と」

「まぁまぁ。順番に踊ってあげるから、私の事で喧嘩はやめておくれ」


 そんなやり取りの中、わたくしはといえば、その光景を少し離れた場所から眺めているだけ。多くの令嬢や令息と交流したい、という殿下の希望で開催される会なので、なるべく邪魔をしないようにしているのだけれど、そろそろ退屈してきた。


 最初は令息達とも会話をしていた殿下だけれど、後半にもなれば緊張が解けた令嬢たちが殿下の周りに集まるのはいつもの事。そういう時の彼女達は、殿下の婚約者がここにいる事を、都合よく忘れているらしい。


 本当は行きたく無いけれど、輪の中へと足を進めれば、ピタリと面白いくらいに会話が止まる。


「ご歓談中失礼いたします、殿下。わたくし、そろそろお暇させていただきますわ」

「ああ、もうそんな時間かい? 楽しい時間というのはあっという間に過ぎてしまうね。残念だけど、今日のお茶会はここまでだ」

「殿下は残ってもよろしいですわ」

「彼女もこう言っている事ですし……」


 わたくしの言葉に令嬢の一人がおずおずと口を開くが、殿下は申し訳なさそうな顔で首を振った。


「いいや。婚約者を蔑ろにしては陛下に叱られてしまう。次もまたあるから、良い子で待っていてくれるかな、私の小鳥たち」

「もちろんですわ」


 殿下の言葉に嬉しそうに笑った令嬢達を背にして、わたくし殿下にエスコートされながらその場を去る。


「お可哀想な殿下……」

「お優しいから婚約破棄も出来ないのよ」

「彼女もいい加減、殿下を解放して差し上げればいいのにね」


 そんな会話が交わされているだろう事は、耳を澄ませなくとも予想がついた。




 殿下にエスコートされて辿り着いたのは、宮殿の出口ではなく殿下の私室だった。殿下は部屋に入ってすぐ、大きなため息を吐く。


 それから、着ていたジャケットを脱いで乱雑に放り投げ、ドサっとソファに座って足を組む。その顔にはもう、先程までの令嬢達を魅了していた笑みは消えていた。


 うんざりとでも言いたそうな表情を浮かべる殿下は、先程までと同一人物にはとても見えない。殿下は幼い頃から我が侯爵家に遊びに来ていたから、わたくしはこの姿を見慣れているけれど。この姿を見て、夢を壊されたとショックを受ける令嬢もいるに違いない。


 あらゆる思惑が絡む宮廷では、皆が仮面を被っているようなもの。殿下とて例外ではなく、むしろ、王位を継ぐものとして生きる上で必要な仮面なのだろう。


「どうして彼女たちは、ああも姦しいんだ。まるで花に群がる蜜蜂のようだ。羽音が煩わしくてかなわない。君もそう思うだろう?」

「そこは蝶に例えてあげるべきですわ。彼女たちは、あなたに良く見られようと必死なのですから」


 殿下が放り投げたジャケットを拾いながら、そんな事を口にしてみる。すると殿下は、無駄な努力だ、と鼻で笑って一蹴した。


「婚約破棄か愛人になる事でも狙っているのか? 私にとって美しく羽ばたく蝶は、後にも先にも君だけだというのに?」

「では、気を持たせる態度を改めればよろしいのでは?」


 殿下の行動を否定する気は無いけれど、一応そう口にしてみると苦笑が返ってくる。


「婚約したばかりの頃、君の兄上にもよく言われたな。もちろん、私とてそうしたいのはもちろんだが、ああいうところから意外と重要な話が漏れるものだ。例えば、親、もしくは本人の隠し財産や愛人の存在とかね。彼女たちの相手は面倒とはいえ、悪いことばかりではない。自分で決めた事だからな。ただ……」

「ただ?」

「香水がきつい。吐きそうだ。さっきはタイミングが良くて助かった。ダンスの約束はしてしまったが……」


 はぁ、と殿下がため息を吐く。わたくしはその姿に、気がつくと笑ってしまっていた。そんなわたくしに、殿下は困ったように眉を下げる。


「笑うなんて酷いな」

「申し訳ありません、つい」

「まぁ君が笑ってくれたからいいか。それより、立ってないでこっちに座るといい」


 自分の隣を叩く殿下を、思わず見つめてしまう。わたくしがその隣に座る事は、生まれたその日から決まっていた。あの令嬢達が憧れるその場所を、何の苦もなく手に入れたのだと思うと、少しだけ後ろめたくなるのは何故だろう。


「どうした?」

「いえ。今さらですが、わたくしは、そこに座る権利があるのだろうか、と」

「何を言っているのか。私の隣に座る権利があるのは、この世界でただ一人、君だけだ。おいで」

「では、失礼いたします」


 殿下の隣に座ると腰を抱き寄せられ、密着する形となる。殿下はわたくしに頬を寄せ、安堵したような吐息を吐いた。


「やっぱり私を癒せるのは君だけだ。今日から宮殿に住まないか?」

「結婚式が終わりましたら」

「残念。私のものだと世間に知らしめる日が待ち遠しくてたまらない」

「……殿下は本当にわたくしでよろしいのですか? こんな無愛想な女で」

「可愛くて綺麗なだけの妃なんて私はいらないな。君は頭もいいし気も利く。それに、笑うととても魅力的だ。変に取り繕ったりしない君を、私は愛おしく思う」


 殿下の言葉は、いつでも真っ直ぐにわたくしの心に届く。だからこそ、彼女たちに嫉妬する気持ちがわかないのかもしれない。もちろん寂しく思う日もあるけれど、殿下がこうやって寄り添ってくれる事を知っているから。


「ありがとう、ございます」

「照れている顔も可愛いな」

「照れてなんていませんわ」


 熱を持った頬を隠すようにツイっと顔を背けると、殿下は楽しそうな忍び笑いを漏らす。


「やっぱり、妻として披露するより、もう少し君を隠しておきたいな」


 そして殿下はそんな言葉を呟いて、わたくしの頬に口付けを落とした。


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