剣の戯れと魔法使いの八つ当たり
のんびりお出かけと思いきや、事件です。
「近道があるんです」と言ったのは、レイドリック様でした。
そういった経緯から、国境近くまで伸びる街道から逸れ、その脇に広がる林を現在歩いている最中でございます。
林の中は地元の人々が使用しているのか、多少歩き易く拓けています。
「レイ、『レイパレス』の服について、以前から聞きたい事がある」
敬語を早々に禁止されたディノが、歩きながらレイドリック様に話しかけました。
らしくなく、緊張しているようですね。敬語を外すだけで、こうも緊張するものでしょうか?
そんな魔法使いの様子を不思議そうに見ながら、魔臣は「何でしょうか?」と返します。
「前々から、魔法の研究者の間で話題になっている事なんだが」
と前置きをして、メガネを押し上げます。
「服の一部に使われている刺繍について、あれは護符の一種なのではないかという話がある。そうなのか?」
その言葉にレイパレスの創立者は慌てたように首を横に振ります。
「あ、あれはそんな大層なものじゃありません。ただ、デール王国に昔から伝わるおまじないなんです」
古来より、デール王国では服に着る者の安寧を願って、刺繍を施す習慣があるのです。
それは見える場所に柄と共にあったり、ひっそりと服の裾に施されていたりします。
レイドリック様の刺繍は長年に渡り『レイパレス』の徴として、その服に必ず入っているのでございます。
「ただ、この趣味を始めるまで一時期その刺繍の歴史を調べたりしていたので、デール文明初期の頃の呪術的なものが混じっているのかもしれません」
魔臣は思案しながら、言葉を発します。
「ですが、本来の様な効果は発揮されないと思います。考えすぎだと思いますよ」
それを聞いて、様々な魔法を修めている男は「意図したものじゃないのか」と呟きました。
この話は実際のところ、護符の様な守りの効果は何件か報告されています。
最たるものが、数十年前、破落戸に襲われた貴族が服のお陰で助かったという話でございます。
なんでも、刃物を向けられた瞬間、犯人が何かに弾かれたように吹っ飛んだそうです。
レイドリック様も、この話をご存じですが、ただの刺繍にそこまでの力はないとして、その噂を否定されています。
何故か魔王様は、この話を大層面白がっておいででしたが。
「その話はもういいでしょう。この丘を越えれば目的地はすぐなんですよ」
林はいつの間にか、緩やかな坂になっていました。足下も下草や枯れ葉ではなく、茶色い土が覗いています。
「俺は今まで街道の方を使っていたが、こちらの方が大分早いようだな」
ディノは目を細めて、丘の上を仰ぎ見ました。そして、やおら手に持っていた杖(召還士の証です)を地面に打ち付けました。
「そうですね。使い慣れていないと、案外気付かないものです」
そう言って、レイドリック様は荷物を優しく道端に下ろしました。
「謙遜を。これも想定内なんだろう?いい加減出てこい。気付いていないとでも思っているのか!?」
魔法使いの呼びかけは、少し前方の歪な形をした木にかけられました。
すると、そこから不細工……いえ、悪人面をした男たちが、その顔をさらに歪めながら出てくるではありませんか。
どうやら、野盗のようですね。
「どうしましょう。私、盗賊に襲われるのって初めてですよ!」
彼らを見た瞬間、魔臣は頬に手を当て嬉しそうに言いました。
それもそうでしょう。
普段はアリアルが幻惑を使って回避していますから、遭わなくて当然です。あと、遭ったからといって嬉しそうにする必要もありません。
「目的を知っているなら早ぇや。小綺麗な格好のにぃちゃん、オレらにちょいと恵んでくれんか」
リーダー格と思わしき男が、手に持つ広刃のナイフをちらつかせながら、言いました。
語尾に疑問符が付いていないですね。その言い方は。
「ふふふっ、嫌ですよ。この荷物は私の大事なものが入っているんですから」
そう言うと、レイドリック様はどこからともなく細身の剣を取り出しました。
もちろん、剣の魔法で出したものでございます。
しかし、それを庇うかのように、魔法使いが一歩前に出ました。
「……」
何かを言いましたが、俯いていましたし誰も聞き取れませんでした。
「ディノ?」
「おいおい、にぃちゃん。騎士様気取っているのか?大丈夫さぁ、ちょっと痛い目をみてもらうだけさ。ちょっとイイコトしてもらうってのもイイな」
舐めるようにレイドリック様を見ながらその男が笑うと、周りも品のない笑いと囃し立てるような声をあげました。
「口を閉じろ。ゲスが」
魔法使いの低い重い声。
あまり大きな声ではありませんでしたが、悪漢たちの笑いを引っ込めるには十分な威力がありました。
「あぁん、何だって!?」
その重力に負けず、リーダー格の隣にいた腰巾着風の男が凄みます。
しかし、そんな事ではM3と呼ばれる男は怯みません。
「ゲスで群れないと何も出来ない低脳な馬鹿共と言ったんだ。あぁ、耳も悪い様だな。では言ってやろう。この俺のちょっとドキドキな至福の時を邪魔するだけでなく、その醜悪な口でレイと会話し、あまつさえ恐喝するなど」
彼のメガネがキラリと光ります。
「万死に値する」
何だかツッコミどころが沢山ある台詞を絶対零度の声で言い放ちました。
と同時に、冷たい風がびゅうと吹き抜けます。
本日は穏やかな天気だったはずでございます。こんな鋭い風が吹く事などありえません。
自然には。
野盗たちは、目の前の青年に目を向けました。表情という表情を削ぎ落としたような顔。金色の目は完全に笑っていません。本気と書いてマジです。
喧嘩を叩き売られた形の襲撃者達は、その言葉に一瞬呆けた後、真っ赤になりました。
「テメェ、チョーシに乗ってんじゃねーぞ!テメェからやってやらぁ!!」
語彙が貧困ですね、顔と同じく。
いきり立った野盗の一人が危害を加えようと動き出しました。
いえ、しようとしました。ですが、体は意に反して全く動きません。
何故なら、足に蔦のようなものが絡みついていたのですから。
「何だこりゃ!」
「初級の魔法ですか……」
もう必要ないだろう細身の剣を仕舞いながら、レイドリック様はそれの正体を言い当てました。
魔力で出来た蔦を目標物に絡みつかせるだけの魔法ですが、縄の代わりになったり、初級に分類される事もあって、頻繁に見かける魔法の一つでございます。恐らく最初に杖で地面を打った時に発動させていたのでしょう。
それに先程の風。あれは……。
「凍てつきし息吹、顕現せよ、顕現せよ。高き空を突き、大地を覆う其は、光さえ届かぬ」
ディノの魔力の高まりと共に、空気が一気に冷えていきます。
「あ、ディノ」
同行者が声をかけましたが、もう止まりません。
「頭を冷やして出直せ、馬鹿共が!アイスバルグ!!」
大気が冷気という重さを孕んで、取り囲む男達に襲い掛かりました。空気中の水分が凍る……所謂、ダイアモンドダストが起こっているようで、光る粒が大きくなって鋭利な刃物のように大地へと降り注ぎます。
その地面がみるみる凍り付き、近くの樹木が音を立てて割れました。寒さに耐え切れなくなったのでしょう。次々と木の発する悲鳴が上がります。
そんな中にいる野盗たちは、もちろん耐えられるはずありません。氷に身を切られ、寒さで立っていられなくなったのか座り込み、倒れ伏しています。さらに追い打ちをかけるように、その上にも氷のつぶては容赦なく打ち付けます。
「ディノ、やりすぎです」
そこにレイドリック様が腰に手を当てながら、止めに入りました。
その言葉とほぼ同時に場を包んでいた冷気が霧散します。
「他の物にも被害が出ています。周りの人が迷惑しますから止めて下さい」
少し領主様っぽく告げると、魔法使いは無言のまま、ツカツカと倒れている盗賊のリーダーの傍まで寄り、その頭を踏みつけました。口は嘲りに象られています。
「はっ、優しい主人がこう言っているんだ、有難く思え。お節介ついでに、温めてやらん事も無いぞ?もちろん、炎の魔法で」
明らかに温めるのではなく、焼く規模の魔法を使う気満々でございます。
氷漬けにされている今、温度差がとんでもない事になるので、確実に死への招待状が届く事でしょう。
「ディノ、脅すのもそれくらいにしておいて下さい」
ディノ曰く優しい主人は、野盗には余り優しくない台詞を口にしました。
「こうでもしないと懲りないだろう。こういう輩は」
その言葉にやり足りない、という表情を全面に押し出して魔法使いはそう宣います。
足は未だ野盗の頭をグリグリ踏んでいます。
「それについては心配ありません」
この地の領主様は、彼の様子に微笑みます。
「グランさん、連行して下さい」
その声に、背後から数人の男たちが新たに現れました。
普通の人間より部位が変わっていたり多かったりするので、一目で魔族と判ります。その内の何人かは、野盗の仲間と思われる人間を縛り上げて担いでいるようですね。後ろから挟撃するつもりだったのでしょう。
「旦那、見事に引っかかってくれたな」
その中の一人、青い髪にオオカミの耳を生やした男が、傍に寄ってきました。
魔臣の部下であるグランです。
「引っかかりたくて引っかかったのではありません。私って、そんなに弱そうに見えますか?」
魔臣である彼は不思議そうに首を傾げます。
見えます。
そうしていると、どこぞのお坊ちゃんにしか見えません。
強さを知っている部下たちでさえ、微妙な表情。みんな多少なりとも、そう思っているようです。
「レイ、これは?」
上司の問いに誰も答えられないところに、仲間外れにされていた魔法使いが歩いてきました。何だか訝しげです。
確かに、思わぬところで魔臣の部下が大勢現れれば、眉間にシワも寄りましょう。
「あぁ、すみません。ディノには話していませんでしたね」
この地の領主様は足下に置いていた荷物を持ち上げ、彼の方を向きました。
「最近、この辺りにこういう人たちが出没して、金品を強奪したり、傷害事件を起こしたりしている、と町全体に通達があったのです」
事情を知る人以外もいるため、レイドリック様は町人の視点で話します。
「放置しておくわけにも行かないからな、俺たちが見回りに当たっていたわけだ」
野盗を捕縛する部下に注意しながら、魔臣の片腕が続けます。
「そこに旦那が通りかかった。釣れるとは思わなかったが……」
「近道なんです。急いでいるのは事実ですから、使うのも当然でしょう?」
魔臣は少し目をそらしました。
街道を使わなかった事に対して、マズいとは思っているみたいです。曲がりなりにも魔臣なのですから、こんなところで怪我なんてするわけにはいきません。
「こいつらの前情報はあったという事か。オレだけ知らずに囮作戦をしたのかと思っていた」
領主様の様子に、ディノがニヤリと口元を歪めます。
「そんな事はしない。今回は囮なんて無くても捕まえられるレベルだからな」
その笑みに何でもないように返すグラン。領主様も頷いています。
ある意味、野盗が可哀想になります。
「まぁ、野盗にレベル付け出来るようになる程、慣れたくはないんだがな。ほら、さっさと行ってこい。あまり屋敷を留守にするものじゃない」
ため息を付きつつ、グランは上司を促しました。
次の町まで『レイパレス』の仕事に行く事を知っているのです。
「すみません。そうですね、時間を食ってしまいました。
行きましょう、ディノ。グランさん達は引き続き見回り頑張って下さい」
「わかった。気を付けてな」
オオカミ耳の青年に見送られ、魔臣と魔法使いはまた歩き出しました。
先程より少し早足で。
レイドリックは普段絡まれる事は無さそう。
ディノは絡んできたら、絡み返し返り討ちにするタイプ。