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王と奴隷のファンタジカ  作者: 文月 竜牙
第一幕 ヴァルカニア帝国
9/16

 Ⅷ


「アンドレアス・ルカ・ヨナス・フォン・ヴァルカニアに、神の名において、皇帝の位を授ける」


 黒をベースに赤を入れ、ところどころを過剰なほどに金銀であしらった、豪華絢爛であり、それ以上に重苦しい服に身を包んだルカは、志尊の冠を頂くと、神官に一礼をした。左足を軸に反転すると、右手を上げる。――どれもぎこちない動作であったし、新皇帝は一言の演説すらしなかった。それでも国民は熱狂した。


新皇帝(ハイル・ノイエ)万歳(・カイザー)!」

アンドレアス(ハイル・カイザー・ア)二世陛下万歳(ンドレアス・ツヴァイ)!」

我らが(ハイル・マイン)祖国万歳(・ファーターラント)!」

ヴァルカニア(ハイル・ライヒ・ヴ)帝国万歳(ァルカニア)!」


 その熱狂ぶりには様々な理由がある。一つはヴィルヘルム大公と皇帝アンドレアス一世の死を振り払うが如く、新たなる皇帝がそれ以上の者であること願い望み、せめてもの慰めにすること。もう一つは、事前に撒かれていた情報によるものである。担当者曰く、「新たな皇帝はヴィルヘルム大公の弔い合戦であるラインコード=レスシア制圧戦に参加して武勲を立てた勇者である」という内容であったらしい。根本から真実は微粒子も含まれていないが、噂には勝手に尾鰭や背鰭が生えてしまっている。


 室内に入ってもなお、歓声は鳴りやまない。壁一枚隔てた程度では防ぎえない、大音量で響いている。とんでもない熱狂ぶりであった。しかし、その熱を受ける本人はといえば、これ以上ないほどに冷め切っていた。自らの身を守る為に、最低限の演技はしたものの、襲ってくるのは達成感ではなく虚無感だ。自分は何をしていたのだろうか。

 城は大きいが、それは外壁の中に〝空〟が詰まっているようなものであった。思わず背筋が震えた。確かに今の季節は真冬と呼べる頃ではあるが、暖炉には火が入っているし、服も今までになく潤沢に布が使われている。果たして、気温だけで片付けてよいものだろうか。思わず、ルカは自分を抱きしめた。正確に言うと、誰かを抱きしめようとして、しかしその相手が隣にいてくれなかったのだ。


 帰りたい。優しい母と、唯一無二の理解者が待つ、中流階級のあの家へ!


 そう思っていると、扉をノックする音がした。その音はルカにとっては、レナの来訪を告げるものであった、ゾフィアはルカの部屋の扉を開くときにノックをしなかったから。ルカは愚かではなかったから、ここが下町の家と違うのは充分に理解していたが、僅かばかりは反射的に期待してしまっていた。そして、その期待は刹那に打ち砕かれた。


 入室してきた者は、くすんだ金色の髪こそレナと同じ色であったが、年齢も、性別も、体格も、身分も、雰囲気も、全てが対角に存在すると言っても過言ではなかった。太っているとは言わないが充分に肉のついた体を持った中年の貴族であり、年齢よりも若く見える程に整った容姿をしつつも、相応の威厳を備えていた。ヒスイを溶かしたような瞳には、知恵と知識の強さを象徴するが如く、奥底には鮮緑の光が揺蕩っていた。彼は名を、クリストフ・フォン・ルーデンドルフと言った。現在の主流派閥の長たる侯爵であり、ルカを皇帝に仕立てた張本人でもあった。


「皇帝陛下に置かれましてはご機嫌麗しゅう。戴冠式はお見事で御座いました」


 ルーデンドルフ候は自然な動作で、少なくとも表面上は恭しくルカに頭を垂れた。しかし、ルカは過去の辛い体験から、自分に向けられる他人の感情に敏感であったから、目の前の男に対して強い異物感を覚えた。少なくとも害意ではないし、悪意でもないのだが、自分に対して何らかのマイナスな感情或いは、プラスな感情であるのに、不快な、そんな何かが向けられていることが分かった。

 そして何よりも、ルカのご機嫌は麗しくなどなかった。大好きなおもちゃを取り上げられたうえで歯医者に連れていかれた子供の心境に近かった。寂しさと、不安感と、恐怖と苛立ち。そういったものが綯い交ぜになった感情が、目の前の男がそれを作り出した原因であるとき、噴出まではいかずとも、漏れ出さない筈がなかった。


「麗しくなどない。レナと引き離されて不幸の極致に居る」


 ぶっきらぼうな口調は、皇帝が臣下に言うものとしては妥当であったが、昨日まで平民であったことを考えると異常であった。思った以上の胆力があるのか、とルーデンドルフ候は思ったが、実際には心の声が溢れ出ただけである。そして、それ故にその言葉には鬼気迫るものがあった。なんでそこまで奴隷の少女に執着するのか、ルーデンドルフ候には分からなかった。昨日の段階でルカには説明したのだ。後宮に居る美姫たちは全てあなたのものになります。一人を愛するのも、酒池肉林に興ずるのも、全ては赴くままに出来るのです。ルカは、そんな垂涎ものの話題に興味を示さなかった。彼はあくまでもこう主張した。

 ――「レナが居ればいい」と。


 ルーデンドルフ候は良識ある貴族の立場として、一般論を説かねばならなかった。昨日の段階ではホームシックのようなものだと聞き流していたが、流石に危ういと思ったのか、偉大な貴族は口を開いた。


「お戯れを……。奴隷など、家畜程度の存在です。そのような汚らわしい存在を何故、神聖不可侵たる皇帝陛下の御前に差し出せましょうか」

「俺も、レナも、同じ人間だ。そこに何の差がある!」


 今度は先程と違って、意図的に声を出した。声音は怒りで低く震えていた。


「皇帝と奴隷、違う人間で御座います」

「分けるほどのことではないだろう」

「いいえ、核心的に違うものです」


 ルーデンドルフ候のそれは、選民意識の論法であった。生まれた時から貴族の、その中でも高位に居たルーデンドルフ候はそれを自然に受け入れていた。


 ルカは納得がいかなかった。しかし同時に、自分は書類上は国の頂点に君臨しているが、実際の権威権力ではルーデンドルフ候に到底及ばず、逆らうことなど実質不可能だということを理解していた。些細なことであるように思えて、彼にとっては重要なのかもしれないと、無理矢理飲み込まざるを得なかった。

 もっとも、根本的にレナと会うことを諦めたわけではない。あくまでも、貴族を説得するという方向性を諦めただけである。近道を失ったルカは、思考に勤しむようになった。視線の先を幸せだった過去と、これから作るべき未来へ向けて、ルカが現在をあまり見なくなったのは、皇帝になった初日からである。

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