Ⅵ
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皇帝アンドレアス一世の嫡子、ヴィルヘルム大公――ルカの腹違いの弟である――が、前線であるラインコードに訪れた際、ランチカ共和国兵の凶弾により倒れたのである。その情報を聞いたとき、誰もが耳を疑った。何故ならば、ここ十年の間、お互いに一度も発砲していなかったのであるから。しかし、耳を疑ったところで現実は現実であり、仮初とはいえ平和が終わることを誰もが理解した。
ヴァルカニア帝国は、リヒテンシュタイン元帥を司令官とする四万五千の精鋭部隊を送り込んだ。それに加えて、フォーゲラント皇国よりシッテンヘルム上級大将を司令官とする二万の支援を受け、合計六万五千の連合軍にてラインコードとレスシアを、物量にて叩き潰した。後の〝ラインコード=レスシア制圧戦〟である
しかし、その戦いは弔い合戦になってしまった。ヴィルヘルム大公は、銃弾で出来た傷から破傷風となって死んだ。これは父である皇帝アンドレアス一世と、母である皇帝の側室グーテンベルグ侯爵夫人アルベルタを大いに悲しませ、国民を悲壮な感情で包んだが、それはあくまでも感情の問題に止まった。本当の意味で問題なのは、〝皇帝の後継者〟が一人もいなくなってしまったことである。もっとも、皇帝はまだまだ存命であるし、子供はまた作ることも出来るだろう。そんな楽観論もあった。男性は女性と異なり、かなり高齢であっても子孫を残すことが出来るのであるから。
しかし、そんな楽観的な意見は簡単に打ち砕かれた。同年十一月二〇日、皇帝アンドレアス一世は病に倒れた。当時流行していた、死者も出していた感染症である。まさか跡取りがいないままに皇帝が病に倒れるなど、誰も想像していなかった。皇帝は最初のうちは元気であったが、熱は下がらず、食欲も低下していたために、次第に体力が衰えていった。そして一二月四日、皇帝アンドレアス一世が感染症により崩御した。跡取りを残さぬままに!
それを知った、彼が最も愛し、彼に最も愛された女性は、人知れず涙を零した。彼女の息子は自分の父が死んだことに対して、然程の感慨を抱いた風ではなかったが、どことなく嫌な予感を感じたのか、自分の愛する相手を強く抱きしめた。決して離さないという意思表示であり、彼女もまたそれを受け入れた。純粋で、美しいものではあったが、所詮は一個人の決意に過ぎず、実質的な意味では些か無力であった。
彼らの運命は離れる方向へと進んでいた。実際には人為的なものであるから、運命などと形容するのも奇妙かもしれないが、本人が手出し出来ない、という意味では運命と大差はなかった。皇帝の崩御によって慌てたのは貴族達である。特に、国の政治を直接牛耳るような上級貴族にとっては、己のこれからの身の振り方が決まってしまう重大事であった。
「亡き皇帝の直系たる、ルカ殿こそが相応しい!」
「正当な皇帝家の血を引く貴族たる、ヴァルテンブルク公カールハインツ殿が相応しい!」
他にも幾つかの小候補があったが、主な派閥はこの二つであった。ルカを建てようとしているのはルーデンドルフ侯爵を中心とする派閥であり、カールハインツを建てようとしているのはバルシュミーデ侯爵を中心とする派閥であった。
論争は激化した。皇帝の血筋を優先するか、あくまでも貴族教育を受けたものから建てなければならないか。どちらの意見ももっともらしい理由を持っていた。しかしながら、国家元首の座が開いたままというのは、戦争中でもある今、明確な弱みにもなり得たために、すぐに誰かしらを玉座に据える必要があった。話し合いをする期間は、十日間という期限を持って行われた。しかし、話し合いはお互いの利権が絡んだことでまともには進まず、結果、一二月一四日、元老院による投票が行われた。
方式としては、棄権なしの、決選投票付き多数決である。一回目の投票を以て小候補の全てが消えて、ルカとカールハインツによる一騎打ちになった。一騎打ちとはいっても、当事者たちは双方望んでいなかったのであるが。結果として、小候補を仰いでいた者の多くはルカの方を指示した。これによって、ルカが皇帝になることが決まった。ルカの、否、ルーデンドルフ侯爵派閥の勝利である。
その後、いくつかのことが決まった。ルカという名前は平民に多い、いうなれば俗な名前であったので、彼の新しい威厳のある名前を考える必要があった。とはいえ、考える時間もなかったので、結局は先帝の名前を使うことにした。対外的な発表における名は、アンドレアス・ルカ・フォン・ヴァルカニア。あとは、戴冠式において、洗礼名を与える。そして、ルカを城まで連れてくる方法であるが、ここは貴族の権力を行使することにした。後に皇帝に据えるとはいえ、現段階では平民であるから、自分たちに逆らうことなど出来るはずがないのである。
傀儡皇帝の隣に立つ、帝国宰相となった自分の姿を幻視して、ルーデンドルフ候クリストフはほくそ笑んだ。