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王と奴隷のファンタジカ  作者: 文月 竜牙
第一幕 ヴァルカニア帝国
5/16

 Ⅳ


 ルカはレナとすぐに仲良くなった。優秀な奴隷商人によって躾けられたレナは、弱冠六歳にして既に完璧に奴隷というものを把握し、己が誰かの〝モノ〟であることを諒解していた。丁寧で謙った態度ではあるものの、わざとらしい下から目線ではなく、極自然なものであったために、ルカを不快にするというようなこともなかった。彼女の主人であるルカの方は、奴隷というものを良く理解していなかったから、レナに対して友人に接するように対応した。否、それ以上の対応をした。ルカはレナのことを好きであったから、六歳というのはまだまだ〝好きな子に意地悪する時期〟よりも前であり、純粋に優しくしていた。もっとも、個人差はあるであろうが、ルカは優しく出来るタイプであった。


 なんともアンバランスな主従関係かつ友人関係は、二人の関係を深めつつ、二人の心を豊かに育てた。もしも、あの奴隷商館でレナに出会わなかったら、ルカは心を病んで廃人のようになってしまったかもしれなかった。そこまではいかずとも、希望の見えないままに生きていくことになる。また、ゾフィアとルカの親子に買い上げられなかったら、レナは極普通の奴隷として人生を終えたであろう。こちらの方はもっと悲惨で、器量が良いから筆頭奴隷くらいにはなれるかもしれないが、それでも、働いて、働いて、働いて、たまに男の主に抱かれて、それだけの人生だ。

 運命というよりは宿命に近い形で、二人はお互いを必要としていた。


 ルカは会話することが楽しくて仕方がなかった。レナと話しているだけで、空にある雲が何割か消え去るような錯覚を覚えた。彼女が笑ってくれた時など、暁や黄昏の曖昧な光であっても、自分たちの周りだけは正午のように感じられた。レナという太陽は、順調にルカの表面に張られた氷を溶かしていった。永久凍土となるかと思われたそれは、喜ばしい温暖化によって、ある日ついに地表を晒した。――ルカは、心の底に溜まった汚泥すらも、愛しい少女に対して開示する決意をしたのだ。

 現実の太陽は雲に隠れていた、春のとある日のことである。窓の外には、ザーザーと豆をかき回すような音をたてながら、桶を返したような雨が降りしきっていた。


「レナ、おれはさ、同じくらいの子と話すのが怖いんだ」


 ソファーに腰掛けて窓の外を眺めやりながら、ルカは半ば独語するような口調で呟いた。最初に名前を呼ばれなければ、レナも聞き逃してしまったかもしれない。彼女は片付け途中であったものをローテーブルに置くと、ルカの左隣に腰を下ろした。


「『売女の子』って言われたんだ。その時は意味も分からなかったけれど今はなんとなく分かる。エッチなことをしてお金を貰う女の人のことらしいんだ。信じたくはないけど、母さんは、そういう仕事をしていたらしい……」


 レナは黙って聞いていた。ルカは言葉を必死に探す。


「えっと、それで、意味は分からなかったんだけど、馬鹿にされているってことは分かった。それで、カッとなって殴り合い。その時の相手が威張ってる子でね、その子の命令を皆聞いちゃうから、おれは友達がいなくなった。怖くて、寂しかったんだ」


 言い切ったルカの手は震えていた。それは思いだした嫌悪というよりも、そう言った自分がレナに嫌われるのではないかと、恐れていたことで震えていた。唇が噛み締められていて、前髪に隠された顔からは、痛々しい血が流れていた。

 そんな主人をレナは強く抱きしめた。短い人生ではあるが、今までの人生で最も優しくしてくれた彼のことを、そんな些細なことで嫌いになれるはずもなかった。右腕はルカの左脇の下に、左腕はルカの右肩の上に、それぞれ回して体を密着させる。男女ではあったが、幼い彼らの間にそれは、感情を慰める以上の意味は持たなかった。レナはルカの肩に顎を乗せて、耳元で優しく囁いた。


「ルカさまは、ルカさまです。私のご主人様です」


 少年の瞳から、堪え切れなかった涙が溢れ出した。熱い滝となったそれは、流れ落ちてルカ自身の服ではなく、彼を抱きしめていたレナの服に染みを作った。しかし、ルカにはもう余裕はなく、レナのことを抱き返した。強く抱きしめた。レナはそれを受け入れて、こちらからも抱きしめる力を強くした。十分間ほど、二人はそのままに抱き合っていた。


 どちらからもなく体を離した二人は、過去について語り出した。お互いにお互いのことをより深く知った。それは、六歳児が語り合うにしては、重すぎる内容であったかもしれない。けれども、彼らは重い星の下に生まれてしまったのである。歴史に深く関係世ざる負えない血筋の者と、その一人に強い影響を与えた一人の少女。ある後世の歴史家は、次のように述べている。


「『傀儡皇帝』ことアンドレアス二世に関して語る際には、レナという奴隷の存在は欠かせない。将来的には彼の妻となるこの少女であるが、彼女が居たからこそアンドレアス二世が幼少期の苦難を乗り越えたことは確かであり、また、彼女の為に亡命をしてヴァルカニア帝国内を混乱に陥れたことも確かである。あまりこういう言葉を使うべきではないが、まさに宿命であり、二人のうちどちらかが欠けただけでこの時代は語れなくなってしまう」


 この文章は真に事実を捉えており、もしも二人が存命中にこれを読んだのならば、最後の一文以外はその通りであると頷いたことであろう。彼らは、幼少期に限らず、ルカが志尊の冠を頂いた後であってもなお、自分たちが大したことある存在であるとは認識していなかったのである。ルカの視界はレナに対してしか開けていなかったし、レナの視界は主人が全てであるという、奴隷教育の段階で塗りつぶされてしまっていた。


 そんなお互いしか見えていない二人は、語り合ったことでお互いに〝良き理解者〟となった。相手がどんな境遇を経て、どのような考えを持つのか、以心伝心分かり合えるようになったのである。もっとも、通常の生活におけるコミュニケーションは必要であった。この場合の以心伝心とは、もっと深層心理における、微妙な感情の機微においてのことである。


 彼らは人生は全てを通してみれば、少なくとも客観的には、決して不幸とは言えないものであった。その中でも、〝良き理解者〟という奇妙な主従・友人関係で過ごした、皇帝アンドレアス一世が崩御するまでの十年間は、特に輝いていた時の一つであったと言えるだろう。

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