Ⅱ
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少年ルカは、生まれた時はただのルカであった。
事の始まりは、帝都にある、とある高級娼館に、皇帝がお忍びで訪れたことであった。高級娼館の主は、皇帝の来店に歓喜して、これ以上ない上客に対して、全ての娼婦を紹介した。どのような者がお好みでしょうか、と。彼女たちは、ある者は中年と呼べる域に差し掛かっており、またある者は子供らしい幼さが残る年齢であったが、全員に共通して言えることは、美しいことであろう。
そんな美しい芸術品の中で、ひときわに輝く存在がいた。彼女はゾフィアという名前の若い娼婦で、未だに〝本番〟は未経験の秘蔵品であった。透き通るような金髪は天使を彷彿とさせ、ラピスラズリの瞳の奥底で、蒼い光が揺れていた。左右対称な卵型の輪郭に、高く筋の通った鼻、薄い唇、形の良い眉などが乗る。象牙色の、染みのない肌も合わさって、古代の女神の彫像を思わせる美しさであった。
皇帝アンドレアス一世は、日参とまではいかなかったが、ほぼ隔日でゾフィアの元を訪れた。ゾフィアの方も、高級娼館の主の皇帝に対する配慮で、他の男性の相手をすることはなかった。暫くして、アンドレアス一世は高級娼館に多額の金を払い、ゾフィアのことを買い上げて、家と、年金を貰える身分である貴族の末端である、〝帝国名誉貴婦人〟の称号を与えた。彼は自分の妻に気を使って、最後までゾフィアを後宮におさめることはしなかったが、彼が最も愛した女性が彼女であることは明白であった。そして、彼女の方も彼のことを好ましく思っていたから、両想いの成人の男女の間で行われることといえば明白であった。皇帝たるもの、平民の女性に心酔するなど愚行の極みではあったが、真の愛の前には、理性も建前も白旗を上げて降伏した。いや、降伏なんて優しいものではなく、正面から粉砕されたようなものかもしれなかった。
そして、結論を言ってしまうと、ゾフィアは妊娠するに至った。正妻にも、後宮にいる側室にも子がおらず、不敬甚だしいが、一部から種無し扱いをされていた皇帝であったが、ゾフィアに関してはむしろ早かった。心の穢れた者達は、「娼婦の子など……」と疑ってかかったものだが、彼女が皇帝しか知らぬことは、他ならぬ皇帝自身が最もよく知るところであった。しかし、皇帝アンドレアス一世の子を孕んだゾフィアであったが、それでもなお、彼女が後宮に上がることはなかった。かといってアンドレアス一世がそれを認知していない訳ではなく、認知したうえで、皇族とすることを避けたのである。父親と母親、双方の同意と意思によって、赤ん坊は平民としての生を予約された。
妊娠が分かって七ヶ月後、王都の一角の大きな家にて、美しい女性は珠のような子を産んだ。皇帝を父に持ちながら、しかし平民の階級で生まれたその男児は、ルカと名付けられた。苗字は無く、ミドルネームや洗礼名もなく、ただのルカである。父親譲りのダークブラウンの髪に、母親譲りのラピスラズリの瞳を持っていた。瞳の奥には白い光が揺蕩い、それが母親の瞳とは違う様相を見せていた。
ルカは、父親とは数えるほど顔を合わせたのみであったが、母親の愛情を小さな体いっぱいに受けて、すくすくと成長した。鼻筋の通った卵型の顔は、幼少にして既に美形であり、流石に両親が両親であったといえるだろう。美しい象牙色の肌は、若さゆえに母親のそれよりもさらに美しく、古代の彫像はおろか、そのモチーフすらを思い起こさせるようであった。その滑らかな肌に、初めて傷が入ったのは、ルカが五歳の時であった。きっかけは、近所の同年代の子供に、馬鹿にされたことであった。
「違う! 知らない! おれは、売女の子じゃない!」
金切声ではなく、美しい音階すら伴っているように思えるボーイソプラノで、ルカは叫んだ。彼自身も、喧嘩相手も、〝売女〟の意味を理解はしていなかったが、とにかく侮蔑的な意味が込められていることだけは、お互いに直感的に理解していた。売り言葉に買い言葉であったが、其れは非常に高額で取引されて、お互いの腕に流血に至る爪痕を残すことになった。もっとも、回復力の強い子供であったから、一ヶ月もすれば痕も無くなったのが不幸中の幸いである。
この時の喧嘩相手が、下町の子供たちの中ではリーダーのような存在であったことが、ルカにとって不幸であったと言えるだろう。或いは、その後の運命に対しての重要なターニングポイントであったから、そう決めつけるのは早計かもしれないが、少なくともその時のルカは枕を濡らし、最終的には涙を枯らした。
大人ならば、皇帝の子として認知されているルカに手出しをするような愚者は少数派であるが、理屈を弁えていない、人間の本質の権化たる子供たちにとってはそうではなかった。実際に喧嘩した時は、喧嘩相手の親は青ざめて説教し、ゾフィアの元へ直接謝罪へ赴いたものであるが、これは逆に子供たちの自尊心を傷付け、頑なにしてしまった。子供たちは完全にルカを敵と認定した。しかし、手出しをすれば親に怒られる。そういった相手に対して取られる方法は、古来より決まっているのである。村八分ならぬ街八分――即ち、無視である。
原始的な方法や、古典的な方法というものは、どうしてか最大の効率を発揮することも多い。人類の本質などどいうものは、獣を狩って焚火を囲んでいたころから、大した成長が無いという証明でもあるだろう。そういった意味でも、子供の虐めほど残虐なものが、この世に他にあるだろうか。確かに、一個人としての行為ならば存在するかもしれないが、複数人が行うカテゴリーにおいて、これに勝る残酷性を持つものは無いように思える。子供の悪意というものは、大人のような打算も節度もなく、さながら黒曜石のナイフのように、研ぎ澄まされた純粋な凶器たる悪意なのである。
ルカの心はじわじわと、しかし明確にズタズタに引き裂かれ、六歳になる頃には、母親意外とは会話すら交わさないようになっていた。僅か一年足らずで、彼の心は深刻な傷を負って、立ち直れなくなっていたのである。このままではいけないとゾフィアは思ったが、ことは人間個人の感情に大きく依存する問題である以上、彼の父親に任せたとしても収束し得ない問題であり、ルカ自身の心のケアをするほか道が無いように思われた。しかし、そのケアの方法が問題であった。
ルカにとって、同年代の元友人は、全員〝敵〟とでも呼ぶべきものであった。中立の者すらいなかった。大人とは、ゾフィアの使用人との間ではあるが、徐々に話せるようになってきたが、子供とは鎧袖一触といった状態が続いていた。大人たちの皇帝への恐れもあって、暴力によって応報されることは終ぞなかったが、それでもお互いに心を鎖して、視線と雰囲気で牽制し合っていたのだから。
見かねたゾフィアは、旧来の友人との関係修復を諦め、〝友人を買う〟ことを決意した。それが本来の意味で友人と呼べるかどうかは微妙なところであるが、とにかくルカには、会話できる同年代が必要なように思えたのである。今の彼の心の為にも、将来の彼の人生の為にも。
幸いと資金は潤沢にあった。皇帝から与えられたもので、本来は国民の血税であるが、年金を貰っている者は誰しもがそうやって他人の汗水で生きているのである。むしろ、ゾフィアは貯まっていることからも分かる通り、最低限しか使っていなかったのだから、経済学的な効果を考えなければ、謙虚な人格者であったかもしれない。そんな謙虚なゾフィアではあるが、息子に対する愛は他の母親のそれに劣るものではなく、ここで資金を使うことに躊躇いなどなかった。