ⅩⅤ
ⅩⅤ
ルカは様々な準備をしてきた。それらのものはバラバラの日に一つずつ集め、そして、今日という日に一つになるのである。
夜ではあるが、柔らかく肌触りの良い絹製のパジャマではなく、しっかりした作りの服を二着用意した。そのうち一着は着込み、もう一着は鞄の中に詰め込んだ。
丈夫なベルトを締め、右腰にホルスター、左腰に剣の鞘を下げて、それぞれフリントロック式ピストルと、バスタードソードを収める。
鞄の中にパンや干し肉を詰め込んでいく。貴重な食料だ。水筒に入れた水は重いが、こればかりは致し方が無いので我慢する。
長いロープを柱にしっかりと縛り付け、窓から外に向けて垂らす。幸いなことにこの城は庭を有していなかったから、窓から出てしまえばそのまま城下町に抜け出せるのである。新月であるため暗くて、余計に足がすくむが、その分見つかりにくいというものだ。ルカは心を決めて、遂にその窓から抜け出した。
窓が開閉して音を立ててはいたが、それだけならば珍しいことではなかったし、気が付く者は誰もいなかった。垂れ下がったロープも、日の出まで気が付かれなかったのであるから。
ゾフィアの家は特に警備されているわけではない。それどころか、窓の鍵すら閉まっていなかったのである。前者に関しては前皇帝アンドレアス一世ことアンドレアス・ルイス・フォン・ヴァルカニアのゾフィアへの気遣いであったし、後者に関してはゾフィアの息子に対する気遣いであった。
母親は予感していたのである。いつか息子が愛する少女を迎えに来ることを。
両親のおかげで、少年は容易く少女に会うことが出来た。彼は安らかな寝息を立てて、可愛らしい寝顔を見せながら眠る少女を揺すり起こすと、端的に結論を述べた。
「俺だ、ルカだ。迎えに来たよ、レナ。ランチカ共和国へ亡命しよう。あそこは、皇帝も奴隷もいない国だから」
少女はそれが夢か現実か判断しかねたが、どちらにせよルカの誘いを断るはずがなかった。
「はい、ルカさま、喜んで」
暗い中でお互いに表情は無得なかったが、声を聞き違えるはずもなく、その優しい声音にルカは胸が高鳴った。暗闇であるから手を繋いで二人が家から出ようとすると、ふいに後ろから声をかけられた。家の主である、ゾフィアであった。
「ルカ、レナ」
「母さん」
「お母様」
「良いのよ、引き留めようってわけじゃないわ。二人とも、幸せになりなさい」
やはり表情は見えなかったが、きっと優しい表情をしていただろう。本当は寂しいのだろうが、それを全く表には出さずに、息子と義娘を思う優しい笑顔を。
言葉を聞いて、レナは正月の記憶を思い出していた。
――レナ、私は息子には幸せになって欲しいと思っているの。そして、そこには私は必要なくて、きっと、貴女が居れば良いのだと思う。
――ルカは必ず貴女のことを迎えに来る。不器用だから、楽ではない道へ手を引いていくかもしれないけれど、息子のことを好きでいてあげて。きっとあの子は、それだけで幸せになれると思う。
どちらも「思う」の形ではあったが、誰よりも息子のことを知っている母親の言うことである。それの実質は断定に限りなく近いものであった。
レナは自然に涙が流れてきたことに気が付いた。自分を、奴隷であった自分のことを、ゾフィアはまるで本当の娘のように愛してくれたのだ。それはルカの為であって間接的なものであったかもしれないけれど、もしそうならばそれでもよかった。レナはルカのことが大切であったから、そのための愛ならば純粋に自分に向けられたものと同じように、温かく感じることが出来たから。
ルカはそんなことを知るはずはなく、感謝の気持ちには溢れていたものの、それ以上の使命感によって涙を流すことはなかった。ただ、幸せにならなければという思いを強くして、レナの手を強く握りなおした。レナもルカの手をより強く握り返した。二人は声をそろえて言った。
「絶対に、幸せになります」
そう言い残して去っていく二つの影を見送って、ゾフィアは静かに優しい涙を流した。自分が得られなかった、愛する人と対等に隣に居られる幸せを、息子と義娘が掴むことが出来るように、祈りながら――。




