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老勇者ウォーデン・ラース  作者: ぷにぷにぺぽりん
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魔の森


ザッ…ザッ…ザッ…


遠くに薄ぼんやりと何かが見えてきたのが二日前。魔王の居た城より歩いて何日過ぎたかはもう気にしない事にした。気にしてもどうにもならないが(ゆえ)にだ。


「死の淵」は何もかもが魔王の強い呪いで死に絶えた土地だ。

大地は枯れ、水は毒となり、風も止み、金属は朽ち、火は凍てつき形を保てない。空間が歪み、空気すらも毒を孕み、耐性のない者ならば数分で命を落とす。あらゆる恵みを、生命を拒絶した土地。この世で最も忌むべき、呪いに満ちた空間。


その周囲を囲むのが魔の森。

滲み出た魔王の呪いと魔力に満たされた森。潜む生命も、植物も、そこに存在する全てがが敵同士。生き残る強さを持たなければ何者も餌としかならぬ魔境である。「死の淵」も魔の森も、どちらも魔王の影響により変性した場所ではあるが、生命の有無という点において性質が明確に異なる。森を形成する樹木は魔王の影響を受け異常な生命力と呪いへの抵抗力を持つが、それでも「死の淵」には入り込めない。森に茂る樹々は生育圏ギリギリまで枝葉を伸ばし、「死の淵」の外に拡がった。その性質により魔の森と「死の淵」の境は分かりやすく、魔王を中心として球状に存在している「死の淵」、その周囲を囲む森はピシリと線を引いたように明確な終わりが存在するのだ。




一月程前だったか。

「死の淵」に入る前、当然儂は魔の森に居た。森は苛烈過ぎる生存競争により常人では生きられぬ場所であったが、老いたとはいえ勇者の端くれ、死なずに過ごすだけなら何とかなった。そうして森に潜み、「死の淵」が如何なる場所なのかと数週間に渡り魔の森と「死の淵」の境界付近から観察していた時の事だ。気配を殺し、息を潜め、何日も何日も身動(みじろ)ぎ一つせずに境界付近に伏していた。虫が身体を這い、犬に似た生命に小便をかけられても、死体の如くじっと忍んでいた。

森の中は弱肉強食が必然。その中でも森の中における食物連鎖上位の(しゅ)に狙われればまず命は無い。そうした様を何度か上位種に追われた魔の森の生命が誤って「死の淵」に転がり出る事があった。大抵の場合は即座にそこで充満する呪いに蝕まれて死に至る。しかし、ある程度魔王の呪いに耐性を持つ個体も存在するらしく、そういった個体は少しの時間であれば「死の淵」に滞在することが可能であるらしかった。食物連鎖上位種であっても濃い呪いの蔓延する「死の淵」近辺には近寄らない。ならば、その呪いへの耐性を利用し、「死の淵」への一時的な逃走も選択肢に入れても良いだろう。


だが、実際はそうはならない。


彼等は境を越えると、怯えた様に周囲を見渡し、即座に反転して逃げ戻る。そのまま境付近で待ち構えた上位種の大口の中に飛び込むのだ。


魔の森の生物達にとって「死の淵」に足を踏み入れるという事は、喰われるよりなお恐ろしい出来事であるらしい。はたまた「死の淵」に滞在するより喰われる方が苦痛が少ないと踏んだか。

魔の森の生命が明確に何を忌避しているのかは解りかねるが、それでも奴らにとってこの地は絶対に、それこそ死んでも立ち入りを拒否する場所である事は確かな様だった。



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜



数日は歩いただろうか、魔の森を構成する巨大な樹々が判別出来る様になってきた。歩き近付く程に、その輪郭はクッキリとなっていく。どれほど良い眼を持っていても空間の歪みのせいで視界は常に霞がかり、このだだっ(ぴろ)い荒野を見渡す事は出来ないのだ。相応に近付かなければ、見えている物が何なのか判別もつかない。


魔王め。死してなお、未だこれ程の呪いを振り撒くか。

もうちぃとばかし見晴らしが良くなっている事を期待したのだが。




「……うむ。さて、ようやっと戻って来たな。」




左右を見てもキッチリとはみ出す事もなく綺麗に森との境が続いている。その境は内も外もどちら側をとっても地獄でしか無い。仕方がないので今居る最悪の地獄からまだマシな地獄へと行くとしよう。魔の森なら食える肉を持つ生命も居る筈……多分だが。少なくとも行きで通った際には犬もどきは食っても平気だった。数刻程口の中から消えぬ妙なえぐみがあり、不味かったがな。

さて、もう幾らか歩けば森に入れるじゃろうか。……少し、森の様子がおかしい様だがとりあえず行かねば分かるまい。




森はそのほとんどが頑強さで名を馳せる鉄の樹で構成されている。ただし、普通の鉄の樹が槍の様に細いのに比べ、この魔の森の鉄の樹は圧倒的大きさを誇る。人間にしてはかなり恵まれた体格をした儂でさえも、数人居らねば腕で囲めぬ程に立派である。それが押し合いへし合い密集し、鬱蒼とした森を形成している。

遥か上の方では樹々が陽の光を奪い合い、地表付近は例え真昼間であろうとかなり暗い。ましてや夜ともなるともはや闇の世界と化す。目が慣れるまでは伸ばした手の先すらも見えぬ。まこと、人には生きづらい環境だ。


そんな人には生きづらいこの森にも、生命は沢山の生命が存在している。しかし、そのどれもが真っ当とは言い難い者共だ。棲む生命は(ことごと)くが魔王の呪いに当てられて変質してしまっている。そこらに生えている鉄の樹さえも通常種の綺麗な白い木肌とは異なり薄墨色に白い斑点を散らした様相をしていて、暗い森を一層不気味にするのに一役買っている。


「…そういえば、行きの旅路にてこの森を抜けた際には、蔓を伸ばし猫の様な奴を捕食する光景を目にした事があったか。」


胴や片前肢の中程など、少々身体の部位が存在しない様に(・・・・・・・)見えたが、その他の異変は見受けられぬ、忍び足をする大きめの猫であった。猫も中々俊敏そうであったが、あっさりと蔓に絡めとられていた辺り、侮れない樹々である。これは通常種の鉄の樹にはない性質であり、この森の中でも観察する限りでは捕食する鉄の樹と捕食しない鉄の樹が存在する様だった。


「見分け方は未だに分からんからなぁ…。襲われた時には伸ばされた蔓を片端から斬って捨てる事で対処していたが…もしかすると、襲って来ない樹は腹の膨れた樹であり、腹が減った樹だけが襲ってくるのやも知れぬな。」


勿論、樹に「腹」なぞ無いと思うが、この森であれば無いとは言い切れぬから、恐ろしいものよなぁ…。



魔の森の中で生きる生命は、異常な程に苛烈な弱肉強食を生き抜く為に進化と絶滅を繰り返し続けている。生き抜く為に滅ぼし、進化し、そして滅ぼされる。この森に長く残っている生命はそれだけ強いという証左だ。


その生態はもはや森の外とでは明らかに違っており、外では取るに足らない矮小な(しゅ)でさえもこの森の中の個体では強さや性質が全くの別物となっている。故に、この森に挑む人間達は森のありとあらゆる全てに警戒し続けなければならない。なにせ、この森で生き(・・)延びている(・・・・・)という、ただそれだけでその強さは保証されるのだ。弱者はただ死に絶えるのみ。そこに現れた生命がただ一体の小鬼(ゴブリン)だったとて、それはこの魔境で生きる生命であり、強者であるのは確実。相対する者は生き抜く為に全力を賭す必要がある。


ただ一重に幸運だったのは、この森の生命は何故か森の外には出たがらない性質を持つという点だ。この森の生態系は森の中で完結しており、その異常性と驚異を森の外へと(もた)らす事はほぼ無い。



「…確か、エルフの学者が「魔王の呪いありきの生態を持っていると仮定すると、彼らにとって森の外は空気の無い世界の様な物なのかもしれない」とか何とか言っておったかな。とすると、魔王亡き今、この森もやがて消えていくのやもしれんな。」


しかしながら、この森の生命共がそれしきの事で死に絶えるとは思えないのもまた事実。森から離れ、他所へ移る様な事態にならんけりゃ良いが。



そして何より、とりわけ気を付けねばならないのが特異個体と云われる怪物だ。この特異個体とは魔の森でなくとも時折り発生するものらしく、産まれてより幾つもの命の危機を乗り越え、(しゅ)生来(しょうらい)から持ち()る機能や本能に()る生存戦略以上の強さを獲得した歴戦の個体の呼称である。


そしてこの魔の森で育まれた特異個体は最悪だ。

元より、外の世界からすると魔の森の生命は(すべから)く特異個体と呼んで差し支えない生態をしているが、これらよりも頭が一つ二つ所か、程度にして大鬼(オーガ)二、三体程は抜きん出ている強者共である。


加えて、魔の森にはそれが何体も存在している。

奴らは魔の森の中である程度の縄張りの様なものを持っているらしく、場所にさえ気を付ければ無闇に遭遇せずに済む。また、縄張り争いなのかどうか、時折り特異個体同士で争う事もある様であった。遠く離れていたとて感じる程の闘志、殺意、憤怒。奴らは総じて恐ろしいまでの闘争心を持っているのだろう。


その昔、出立の前に賢者達より魔の森についての知識を教授して貰った際に、それら魔の森の特異個体を指して異常個体だと呼ぶ賢者も居た。

それ程までに通常の特異個体とは違うのだ。儂もこの森にてそれをどれ程思い知った事か。足が捥げようと、腕が斬り飛ばされようと、這いずってまで攻撃を加えようとしてくる連中だ。体の一部が欠損している個体も多い、逆に五体満足の個体の方が少ないだろうとまで思う。攻撃性が高まり過ぎた、頭がどこかおかしい連中だ。



そうこうしている内に、もう魔の森の境目は目前にまで迫って来ていた。

が、しかし……これは……。




「さて……境に着いたは着いたが…。なんぞ、あの異常個体共の縄張り争いでもあったか?」




それは、普通の頭をした者ならまず近付かないであろう惨状。


森の一部が焼かれ、消し炭になり、そこには広場が出来ていた。

小さな街程度ならすっぽりと収まるであろう程の広場だ。

黒く煤けたその広場は、未だにチロリチロリと幾らかの火が残り、(くすぶ)っている。ちらほらと散らばる肉片も散見されるが、もはやそれが何の生命の物であったかは判別がつかない。

そしてその広場が、外から軽く見ただけでも五箇所程確認出来る。

巻き込まれるのを恐れてか、辺りに生命の気配は感じられない。



肉片がそこら中にあるというのに、溢れ漁り(スカラル)共さえ居ないとは、こりゃ相当だのぅ…。



そして何より困るのが、この惨状程度(・・・・・・)であるなら、原因として考えられる特異個体が何体も居るという点だった。

何と何が争った結果なのかも分からない。

それどころか、儂が魔の森を出てそこそこ時間が経っているため、環境や生態系が変化している可能性もある。


一応辺りに生命の気配は無い様だが、隠蔽に長けた個体なぞなぞありふれている。油断は禁物だ。


ここであったらしい争いが既に決着しているのかどうなのか

そしてその参加者共が未だ近くに居るのかどうか

そもそも参加者共が何か


それが分からない事には、今森に入るのは危険が過ぎる。




はてさて、どうしたもんかのぅ……。




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