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千年書館

オオカミの心、花知らず

作者: 琳谷 陸

オオカミの心、花知らず




 苦手な奴がいる。

『ウェル、休め』

 犬じゃねーんだぞ!

『昼も手伝ってくれて夜も寝ずの番とか死ぬから。うちそんな真っ黒な業務形態じゃないし。だから、寝て。少なくとも、仮眠取って』

 雇用主の業務命令! と言われたら逆らえない。

 一宿一飯の恩を返そうとこの丘の上の図書館、その夜間警備員になった。他の人員が見つかるまで、のつもりで。

「う……」

 僅かに夕闇が名残を残す本館と宿泊棟を繋ぐ廊下が揺らいで見えた。

(本当に、そろそろヤバかったのかも、な)

 寝不足からくる頭痛と眠気に、世界が陽炎のように揺らいで、部屋までが酷く遠い。

 途切れそうになる意識を引き留め、一階から二階へ階段を昇り、自室の戸を開けて寝台まで辿り着く寸前、ふらっと身体が傾いた。

「もー。あと数歩なのに手間かけさせないでよね」

「メーラ?」

 葡萄酒色の髪がふわりと舞って、視界を掠める。

「ほら。さっさと寝台入ってさっさと寝てよ。主人(マスター)のとこ戻れないじゃん」

 俺を後ろから支えて、ぷりぷりと文句を言いつつ背を押すのは幻想化身(イマジンアバター)という物語の化身、その一人であるメーラだった。

 一宿一飯の恩義の相手である我らが館長、メリーベルが作った本の物語が人の姿をとって現れたものらしいが、わけわからん。

「あんまり主人に心配掛けないでよね。ワンコ」

 見た目は俺よりも長身で、腰を越えるくらいの葡萄酒色の髪と瞳が女みたいに艶を帯びている。肌も雪みたいに白く、顔の造りは同性から見ても綺麗だと思うのだが、人の事を犬と呼ぶあたり性格は見た目と釣り合うか怪しい。

「今、何か失礼な事、思わなかった?」

「べつに」

 寝台に腰を下ろすと、意識が更に遠退く。

「こらこらこらー! ちゃんと布団掛けて寝てよー。主人が心配するって言ってるでしょ」

「ああ……」

「もー! 返事してるのに寝るなー!」

 仕方ないだろ。もう声も半分くらい届かないんだ。

「うー。……まあ、とりあえず主人の言い付けは果たせたし」

 いいか。そう言っている声がしたのを最後に、俺の意識は真っ黒に塗りつぶされた。




 フクロウの鳴く声と、部屋の窓から差し込む月の光で目が覚めた。

「う……」

 月の位置から見て、夜中と呼べる時間だろう。

 寝台から降りて、かろうじて脱いでいたらしいサンダルを履く。

 部屋には寝台と大きな窓、当座の生活用品が入った長持ちと、書き物机と椅子。寝台横にあるサイドテーブルには水差しとコップがある。

 水差しから水をコップの注ぎ、それを一息に飲み干して口許を手で拭うと、少し目が覚める。

 仮眠のつもりだったが予想以上に寝入ってしまったらしい。

(早く交代しないとな)

 俺は何だったら昼間に訓練時間じゃなければ眠れる。けど、メリーベルはそうはいかない。昼間こそあいつの業務時間だ。

 寝台の追い立てられる前にもそう言って断ったのだが、キッパリ拒否された。いわく、

『昼間、ウェル寝てるように見えないんだけど。そこに関してウェル信用できないんだよね。だから寝て。私はまだやりたいことあるし、メーラ達も居るから』

 とっとと寝ろ。

(しかも、意識途切れたって事は……)

 メリーベルが正しかったとなるのではないか。

 がっくりとくるものがある。恩を返しに来ているのに、体調管理されて世話されてどうする。

 蒼白い月の光に一つ身震いし、防寒の為のブランケットを手にして部屋を出た。

 部屋を出てすぐの共有スペースである談話室を突っ切って階段を降りる。一階には食堂と小さな厨房、風呂と手洗いがあり、全て共有だ。

 どこの部屋もまだ冬には早いからだろう、暖炉に火は入っていない。

 本館と宿泊棟を繋ぐ廊下を渡って本館の扉を開く。

 正直に言って、本の匂いは嗅ぎ慣れない。嫌というより変な感じがする。

 村では最低限の読み書きと計算を覚えるが、本は嗜好品。よほど好きでなければ手は出さないし、そもそも村では本屋も図書館もない。

 村中の本をかき集めても、両手の指で事足りる数しかないのは確かだ。

 だから今一つ、本好きの思考も幻想化身なんてものを生み出すくらい本に思い入れのあるメリーベルの思考もわからない。

 嫌いではないのだ。ただ、苦手なだけで。

「あ。ウェルさん」

 貸し出しカウンターの側に近寄ると、ランプの灯りとそれに映し出される光景が飛び込んでくる。

 カウンターに突っ伏して小さく寝息を立てるメリーベルと、側に立ってどうしようかと惑う、幻想化身のパロマだ。

「悪いな。もう少し早く交代するつもりだったんだ」

「いえ、大分お疲れのようでしたし、御主人様(マスター)も心配なさっておいででしたので、少しでも疲れが和らいだのなら幸いです。御主人様もお喜びになります」

 メーラと違ってパロマは丁寧で穏やかな奴で、メリーベルが創った化身の中では一番普通。

「他の奴は?」

 すやすや眠るメリーベルを見下ろしながらそう聞く。

 とりあえず、手にしていたブランケットを掛けておく事にした。

「メーラは念のため地下へ。セレは御主人様にホットミルクを作ると言って食堂の方に」

 行き合わなかった所を見ると、僅差だろう。

「とりあえず、まともに使える部屋が俺のやつだけなんだが」

「お借りしてもよろしいですか?」

「ああ」

 むしろ館長はメリーベルで、俺の方が宿直として間借りしているようなものだ。

 パロマは静かにそっと、メリーベルをブランケットごと抱き上げた。

 何と言うか、幻想化身は全員もの凄く顔が良い。同性から見ても認めるしかないくらいに。

(セレーヤに至っては女に見えるけどな)

 ホットミルクを作りに行った幻想化身は、見た目が少女にしか見えないくらい綺麗だ。

 それを創った張本人(メリーベル)は、パロマに抱えられて気の抜けた顔で眠っている。その様子はやけに様になっているというか、パロマがなまじ美形なせいだと思うのだが、まるで王子と姫だ。

(メリーベルの中で、これが基準とかなのか?)

 だとしたらきつい。

(いや、待て。きついって何だ)

 今、一瞬浮かんだものはとりあえず忘れよう。

「ウェルさん……?」

 先立って再び宿泊棟の方へ(きびす)を返した背後で、パロマの不思議そうな声が聴こえた。

 少し振り返って、確かめてみる。

「手、塞がってるだろ?」

 パロマ達みたいな顔は無理でも、扉を開けるくらいなら出来る。

「あ。……ふふ、ありがとうございます」

 廊下から階段に辿り着いたのとほぼ同時に、食堂からホットミルクを手にしたセレーヤが出てくる。

「セレーヤ」

 声を掛けると、セレーヤがハッとしたように駆け寄ってくる。

「マスター……寝てる」

「とりあえず、俺の部屋に運んでおこうと思うんだが」

「わかった」

 コクッと頷き、それから少し困ったように両手で持ったホットミルクのマグカップに目を落とす。

「飲んで良いなら貰っとく。代わりに、俺の部屋のドア開けてやってくれるか?」

「うん……。ありがと。ウェル」

 ふにゃっと子供のようなまっさらな笑みを浮かべ、嬉しそうにセレーヤは首を縦に振った。

 ホットミルクのマグカップを受け取り、セレーヤに交代するために位置を譲る。

 階段を昇っていくセレーヤ達を見送って、本館へと引き返す。

 貸し出しカウンターの所へ戻れば、メリーベルが読んでいた本と書いていたノートとペンがそのままだった。

「凄いな……」

 見開きのノートいっぱいに文字。本人に言うとアレだろうが、意外と綺麗な字だ。

「これは……」

「なーに見てるの、ワンコ」

「うわぁっ?」

 いきなり背後から手を伸ばされれば誰でも驚く。

 飛び退るようにして振り返ると、メーラが半眼で両手を腰に当てていた。

「勝手に主人のノート見るとか。ワンコのスケベ」

「なっ……」

「はい、没収」

 そう言って、メーラはさっさと本と筆記用具を片付ける。

 それから一度振り返って。

「今回は見逃してあげる。だから、主人の為にキリキリ働いてよね」

 言うだけ言ってメーラは書架の闇の中へ消えていった。

 若干ムッとしていたのは、ノートにあった内容のせいかも知れない。

(まさか本気で……)

 あのノートは、メリーベルが俺の為に作っている読み書きの教科書(テキスト)だった。

『宿直してくれるお礼に、読み書き計算手伝うよ。新しい知識も、新しいものだって、成人儀礼で認められるかな?』

 認められるだろう。

 もし認められなくても……。

(なんか、だから苦手なんだよな……)

 頬が何故か熱い。思い出した笑顔に、胸の奥がざわめく。

 苛立(いらだ)ちとも違う、どことなく落ち着かない感じに、息苦しさを感じる。

 けれど。

(苦手なんだけど……)

 眼が離せない。

 まず間違いなく、こんな気持ちになっているのは俺だけだ。

 頭を抱えたい。

 相手(メリーベル)は絶対こんな気持ちになんてなってないとわかるから、余計にだ。

(苦手だ。人の気も知らないでほんとに好き勝手……)

 八つ当たりなのは重々承知。だが、思うくらいは許されるよな……。

(想ってるくらいは)

 ほんとに、俺の気も知らないで……。

 俺は深く、溜め息をついた。




 終

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