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狐巫女が、願い叶えます。

作者: 雨音鏡

 若草香る夏風が、南中まで昇った太陽の日差しと共に(けん)()の身体に向かい風となって叩きつける。

 都会と違って周囲が田んぼだらけの中、唯一舗装された道をバイクで疾走する。

 出発してからかれこれ四時間半。途中休憩を挟みながらでも長距離の移動だった。

 これから向かうのは祖父が住んでいる町だ。いや、町というより集落と呼ぶべきか。それほど住民は少ないのだ。

 そこで祖父は神社で神主として働いている。今回の帰省はその神社のお手伝いも兼ねているのだ。

 しかし、この町にやって来るのは実に六年ぶりとなる。中学・高校の時は部活が忙しく、夏休みなどは無かったのだ。

 そして今年は、両親が海外旅行に行ってしまったので実家に帰っても誰もいないときた。

 だから今年の夏は、一ヶ月祖父の神社でお世話になることになった。


「ふぅ、ようやく着いたな」


 バイクを神社下の階段の脇に止める。こんな住人の少ない所だと、駐車場も無ければ駐輪場すらない。

 いざ、階段を登ろうと一歩目を踏み出そうとした時、


「おっと、危ない」


 なんとか一歩目を踏みとどまり、階段の端へと移動する。


「そういや、真ん中は神様が通る道だって言ってたな」


 小さい時祖父から神社でのマナーは嫌という程叩き込まれた思い出(トラウマ?)がフラッシュバックした。

 階段を登りきると、石造の鳥居が見える。幅は階段よりも少し広いくらい。

 賢哉は鳥居の前で立ち止まり一礼する。鳥居から先は神様の領域であるため、ここで一礼するのだ。

 次に水で身体を清めるのだが、今回は参拝が目的ではないため省略しよう。


「あれ、じいちゃんいつの間に巫女さんなんて雇ったんだ?」


 とりあえず祖父がいるであろう社務所へと向かう途中、ちょっと不思議な巫女服を着た人が境内の掃除をしているのを見かけた。不思議な点というのは、頭をすっぽりと被るフードが付いていることだ。

 少なくとも六年前にそんな人はいなかったと思うが……。


「――っ!?」


 あまりにもじっと見すぎたのか、その巫女さんがこちらに気づいた。

 一瞬こちらを振り向いたが、フードを目深まぶかに被っているせいで顔までは見えない。振り向いた時にフードのてっぺんがピョコっと動いたように見えたのは気のせいだろうか。

 賢哉を見た巫女さんは、驚いたように手に持つ箒を取りこぼした。


「あっ――」


 賢哉が声を掛けようとすると、巫女さんはパタパタと境内の裏側へ逃げていった。


「俺、なんか悪いことしちゃったかな……?」


 なんだかよく分からないことに遭遇してしまった、と思いながら社務所への道に戻った。


 □ ■ □


 境内の裏に逃げ込んだ巫女は、陰から賢哉のことを見ていた。

 彼女の頭はフードで隠れているが、中に二つの突起物でもあるかのように尖っている。


「やっぱりケンにぃだ……」


 自分の勘は間違っていなかったと、自分の嗅覚と聴覚に自信を持つ。

 彼と会うのは六年ぶりとなる。

 その頃は"まだ"人間ではなかったため、この姿を見られるのは初めてだ。


「またケンにぃに会うの楽しみだな〜」


 彼女の背中ではパタパタと尻尾が忙しなく揺れていた。


 □ ■ □


 社務所は本殿のすぐ隣にあり、そこまでは迷わずに行くことが出来た。

 賢哉は控えめにノックをするとドアを開ける。


「じいちゃん、来たよ」


「おう、賢哉。久しぶりだな!元気にしてたか?」


「うん。今は大学に通ってるよ」


「そうかそうか。じゃあ今は夏休みか?」


「うん。だから六年ぶりにこっちに帰省しようかなと」


「六年か……。まあ、今年は災難だったな。両親二人とも旅行に行ってしまうとは」


「まあ、仕方ないよ。十何年かぶりの夫婦水入らずの旅行だもん」


「おうおう、そんなに大人になってしもうたか。お前さんがまだ小さい時はとにかく泣き虫じゃったのにのぉ〜」


 あはは、と苦笑するが、心中では「誰が泣かせたよ、誰が!」などと思う。祖父の教育がスパルタだったことが脳裏を過ぎった。

 おうおう、と大の大人が泣くのを見ていられず、賢哉は社務所の中を見回した。

 六年前とは少し内装が変わっているが、デスクが置いてあるとこは変わらない。

 すると、奥のデスクに座って、こちらに背を向けながら仕事をする女性が目に止まった。

 座っているから実際どうなのか分からないが、腰まで届く長髪は黄金に輝く麦穂のようだ。外国人かと、思ったがどこか懐かしい気がするのは何故だろう?


宗一郎(そういちろう)さん、お客ですか?」


 祖父の騒ぎっぷりを聞きつけて金髪の巫女さんが振り向く。

 端正な顔立ちがこちらを見た。


「おや? もしかしてケン坊かい? ケン坊じゃないか!」


 質問を返す暇もなくその巫女さんは賢哉に飛びついた。まさかの事態に賢哉はかわすことも出来ずに巫女さんのその豊満な胸に頭を埋める形になった。


「ふがふが!」


 口を塞がれ言葉にならない。

 そしてなんとか引き剥がした賢哉はそのまま五歩下がり尻餅をついた。


「おっと」


 賢哉は胸に手を当てると、尋常ではないくらいに鼓動が早鐘を打っているのを感じる。

 これは羞恥心からなのか、過呼吸のためか、もしかして恋なのか。おそらく全部だろう。


(抱きつかれたくらいで惚れちゃうとか、俺どんだけちょろいんだよ)


「あはは、急に抱きついちゃってゴメンね。つい、久しぶりだったから……」


(ま、まあ、外国人からしたらこのくらいのスキンシップは挨拶みたいなもんだし――え? 久しぶり?)


 賢哉は脳をフル回転させて、この金髪美人外国人の記憶を探した。検索結果は、皆無だ。

 どんなに遡っても外国人の知り合いなんていない。


「ああ、もしかしてまだ私のこと分からない感じ?」


 微笑を浮かべて首を傾げる金髪美人。

 外国人に記憶は無いが、その髪の色はなんとなく懐かしい感じだけはする。それが何故懐かしいのか、それが分からなくてもやもやするのだ。


「すみません……どちら様でしょう?」


「しょうがないわい。賢哉が最後に来たのは六年前じゃ。コンらの姿をまだ見ておらん。もう正体を明かしても良かろうて」


 どうやら祖父は知っているような口ぶりだ。


(そりゃあそうか。ずっと一緒にいるんだもんな)


「ケン坊は、この山で一緒に遊んだ(きつね)のことは覚えているかな?」


 月並みな表現だが――雷に撃たれたような衝撃が賢哉を襲った。

 真っ先に浮かんだ二匹の狐。

 小六までこの山で遊んだ記憶がフラッシュバックし、この金髪美人の正体を悟った。


「……久しぶり。今は、コンって言うんだ。ケン坊も大きくなったね」


 どういうわけか、狐だったあの時の友が、人となって再会したのだ。


(わけわかんねぇ)


 正直、賢哉には展開が追いつけてない。

 どうして、どうやって、と頭で考えるが全く分からない。

 ――結局、考えるのを放棄した。


「そういや、もう一匹の方はどうしてるんだ?」


 動揺を隠すため、賢哉は冷静に質問した。

 凡そ検討はついているが、とりあえず訊いてみた程度だ。


「ん? そうだったね。――ほら、早く入ってきなよ、白」


 そう言って賢哉の後ろのドアから耳がぴょこんと出てきた。

 しかしただの耳ではない。二等辺三角形を思わせるピンと伸びたケモミミだ。

 それから純白の新雪のような毛色を覗かせ、くりくりとした瞳までが見えた。

 何度かパチクリと瞬きをすると、その『白』と呼ばれた子が突然飛び出してきた。


「ケンにぃ――――!!」


 『白』は賢哉の背中に抱きつくように飛んできた。

 咄嗟のことで賢哉は何も反応できずに為されるがままだ。

 『白』は賢哉の首元に顔を近づけ、鼻をスンスンと動かす。


「わぁ、やっぱりケンにぃだ!」


「わっ、ちょっ、くすぐったい」


 どうやら賢哉の匂いを嗅いでるようだ。

 どことなく獣らしい、と賢哉は思った。


「白、先に自己紹介しな。ケン坊はもう私たちが狐だったことは知ってるから」


「あ、そうなの? なーんだ、ケンにぃを驚かせてやろうと思ったのに……」


 しょんぼり、とケモミミが垂れる。

 感情がわかりやすいなぁ、と賢哉が呑気に考えていると、白は自己紹介を始めた。


「白はね、白なの! えーっと、好きなのはコンの作った『さば味噌』!」


 好みが渋い! と思いつつ、賢哉はコンに質問する。


「そういや、この町って山に囲まれてるけど。魚はどこで買ってるんだ? ここに来るまでにはそんな大きなスーパーは無かったみたいだけど」


「本物のさばは隣町まで行かないと無いよ」


「本物……?」


 一部気になり、賢哉はオウム返しする。

 すると、コンは賢哉の耳に顔を近づけボソリと呟いた。


「実は、白にさば味噌を作ってやる時は、たいてい川魚で代用してるんだ。隣町まで行くのは何かと大変だからね。だから白はほとんど本物のさば味噌は食べたことがない」


「じゃあさ、俺が隣町までさばを買ってくるから、白に作ってやってくれないか?」


 好きな食べ物が実は偽物でした、なんて知ったら白はすごくがっかりするだろう。そしてそんな白は見たくない。

 だからバイクで隣町まで買い出しに出掛けようと言ったのだ。

 コンは少し申し訳なさそうな表情を見せると、渋々頷いた。


「やったぞ、白。今夜の夕食はさば味噌だ」


「ホントに!?コンは滅多に作ってくれないのに!」


 白は全身で喜びを表現するようにぴょんぴょん跳ねたりした。尻尾もゆっさゆっさ揺れている。


「今日にするのかい? ケン坊はまだ来たばっかりなのに……」


 それはコンが賢哉の疲れを心配してのことだ。


「大丈夫。大学生は金は無いが体力だけはあるんだ。じいちゃん、手伝いは明日からでもいいかな?」


「おう、構わんよ。今までもコンと白が頑張ってくれてたからの」


「もう、しょうがないなぁ。今日のさば味噌は腕によりをかけて作ってやろうじゃないの!」


 もうこうなってはコンも自棄だ。

 こうして夕食は本物のサバの味噌煮に決定した。


 ――夕食時。

 賢哉はあれから往復一時間で隣町のスーパーまでさば、そしてついでに醤油なども買って神社に帰って来た。

 今はコンがさば味噌を作っている最中だ。

 賢哉は夕食が出来上がるまで横になっていよう、と居間でゴロンと寝転がる。


(さすがに今日は疲れた……。もう何もできんぞ……)


 うつらうつら、と微睡(まどろ)みかけた所に腹に微かな重みを感じた。

 さすがに違和感を覚えた賢哉は薄ら瞼を開ける。


「うぅ……」


 小さな呻き声を上げる白い毛玉。

 よく見れば耳と尻尾と身体を丸めた白だ。

 今は白の頭だけが賢哉の腹の上に乗っている状態で、さほど重さは感じない。

 毛色と巫女服が同じような色のせいで、ぱっと見白くて大きな毛玉にしか見えないのだ。

 賢哉は肘を支えにして少し起き上がる。急にに起き上がってしまっては、白が驚いてしまう。まあ、ビックリさせてみたいという衝動もない訳ではないのだが。


「本当にぐっすり寝てるのな」


 現在、居間には賢哉と白しかいない。コンは台所、祖父は社務所にいる。

 一応、周りを確認すると、賢哉は白のかわいい寝顔を見ようと顔に掛かっている髪を退ける。

 すると、白の目元がピクリと動いた。


「……むにゃ……?」


「あ、悪い。起こしたか?」


「んーん。別にいいよ。美味しそうな匂いがしてきたし」


 そう言うと、台所からコンがお盆の上にいくつも皿を載せて持ってきた。


「ご飯出来たよ〜。悪いけどケン坊、宗一郎さんを呼んできてくれない?」


「わかったよ」


 そして社務所まで祖父を迎えにいく。

 祖父と賢哉が戻ってくると、ご飯まで準備し終えたコンが待っており、すぐに『いただきます』と食事を始めた。


「ん〜〜! おいしいっ!」


 どうやら白はご満悦のようだ。

 コンのさば味噌は白味噌を使った薄めの味付けだ。と言っても味噌自体味が良くするので物足りなさなどは感じない。


「うん! 美味しいよ、コン!」


「良かったよ。みんなに喜んでもらえて」


 そして夕食も終わりかけの所で、賢哉は少し疑問に思っていたことを尋ねた。


「なぁ、コン。コンと白は狐から人に成ったんだよな?」


「ええ、そうですよ」


「白は耳や尻尾があるのに、どうしてコンには無いんだ?」


 白の名前が出て、ご飯を頬張った顔を賢哉に向ける。どうやら話の内容は理解していない顔のようだ。


「私にも耳や尻尾はあるよ。ただいつもは隠してるだけ」


 ほら、とコンは自分の頭の上を指さすと、ぴょこんと音が聞こえそうな登場をする狐耳。

 続いてコンの背後にファサッと大きな尻尾が現れる。

 やはり耳と尻尾を覆う毛はコンの髪の色と同色の黄金だった。


「白はまだ耳と尻尾を隠すことができないから、境内の掃除とか。私は耳と尻尾を隠して参拝者の接客って具合に割り振ってるの」


「へぇ、しっかりバランスは取れてるんだな」


 コンの耳と尻尾が現れても賢哉はさほど驚かなかった。白のものを見ていたから少し耐性がついたのだろう。

 そして、コンは「ついでだし」と言って語り始める。


「私と白はね、五年前に山で人に成ったの。その時、宗一郎さんに拾ってもらって名前と居場所をくれた。ちょうどケン坊が来なくなった一年後の事だね」


「そうだったのか。あの時は色々と忙しかったからな、ずっと来れなくてゴメン」


 賢哉が謝ると、コンはかぶりを振った。


「ううん。宗一郎さんから聞いてるから。ケン坊は『ブカツ』ってのを頑張ってたんでしょ?」


 コンたちは部活というものを知らない。なぜならこの町に学校というものが無いためそれを知る術がないのだ。


「でも今年は、前より少し長くいられると思う」


「ホントに!? なら、また白とも遊んでくれるの!?」


 ご飯を食べ終えた白が、食いつくように賢哉に飛びつく。背後では尻尾が忙しなく振られている。嬉しさの表現の一つだろう。


「ああ、また白とも遊んでやるよ」


 なんとか白を(なだ)めて賢哉の背中から下ろす。

 そして思い出したかのように賢哉は口を開いた。


「そういや、コンたちの名前はじいちゃんが決めたのか?」


「ん? おうよ!」


 今まで蚊帳の外だった祖父が、突然話を振られて少しだけ動揺したように見えた。


「まぁ、まず、コンは如何にも狐って感じだったからのぉ、狐といやぁ『コン!』と鳴くものじゃろ。じゃからコンだ。そして白は毛が白いから白! がははは! 分かり易かろう!」


 祖父の絶望的なネーミングセンスに思わず頭を抱えたくなる賢哉。

 白のネーミングはまぁ分からんでもない。特徴を捉えた名前というのは動物によく付けられることだ。

 しかし、コンはおかしいだろ。犬にワンと名前を付けるようなものだ。

 少し記憶を遡るが、狐が『コン』と鳴いた(ためし)がない。鳴くのは童話や絵本の中だけだ。

 実際に狐と遊んでいた賢哉にとって見れば、絵本の中の狐が狐とは思えなかったほどだ。

 だが、視点を変えればコンという名前も合点がいかないわけでもない。白と同様に毛色で見るが、金色(こんじき)の毛色ということでコンという名前なら多少由来としてはマシだろう。


「コンたちはこんな安直な名前の決め方で良かったのか?」


 何をいまさら、と思うがやはり可哀想だと賢哉が感じたのだ。


「元々私たちに名前なんて無かったんだ。どんなものだろうと嬉しかったさ。それに五年も使い続ければ愛着も湧いてくるのさ」


「白も白は簡単で覚えやすかった!」


「そうか。だったら良かった」


 そこまで言われれば賢哉もこれ以上強くは言えない。


「んじゃ、もうそろそろ風呂入って寝ましょうか」


「そうだな。明日から頑張るよ!」


 そうして一日目が無事終了した。


 □ ■ □


 ――数日が経った。

 アルバイト程度の仕事は覚え、そこそこ役に立っていると思えてきた頃。

 賢哉はコンに呼ばれ、社務所に向かった。

 社務所に入ると、ちょうどコンが白に何か紙切れ渡しているところだった。


「コン、来たよ」


 とりあえず自分が来たことを報せると、コンはちょいちょいと手招きをした。

 それに頷いて、コンの許まで行く。


「どうしたんだ、コン?」


 まだ賢哉はどうして呼ばれたのか知らない。

 白の横に並んで、コンの指令を待つ。


「今日はね、白のおつかいについて行って欲しいんだ。そろそろ白のお手伝いもしてもらおうかと思ってね」


「そうか。分かったよ。で、俺は何をやればいいんだ?」


 おつかいというのだから今日のご飯の買い出しとかだろうか? と思考を巡らす賢哉。


「特に難しいことは無いよ。白が無理をしないように、帰りに貰い食いをしないように見張るだけだよ」


 貰い食いという言葉に隣の白は、バツが悪いように苦笑いを浮かべる。

 コンの説明を受けても賢哉には白の手伝いというものの全容が把握できなかった。

 そして『手伝い』の内容も知らされず白と町の方へと出掛けた。


 白はいつものようにフード付きの巫女服で出歩き、尻尾は袴の内にしまっている。

 これは参拝客に耳と尻尾を見せないためだそうだ。白はまだ耳と尻尾を隠すことができないためにこのような処置で誤魔化している。

 そして町の住宅街に入ってしばらく歩くと、白は周りをキョロキョロと見る。

 賢哉も辺りを見回すが、人気(ひとけ)はほとんど無い。


「ふぅ……もう大丈夫かな」


 白は嘆息を吐いてフードを外し、巫女服の上下の隙間から尻尾を伸ばした。


「ちょっ……!」


 あまりの突飛な行動に賢哉は慌てて飛び出た狐耳を抑えつけて隠す。尻尾はデカすぎたために隠しきれない。見られた時は飾りだと言い張ろう、とかそんな事を決心していた。

 対して、突然耳を抑えつけられた白は、うむむと唸る。


「だいじょーぶだよケンにぃ。町の人は白たちが狐だって知ってるからぁ!」


「え? そ、そうなのか?」


「この町にはおじいちゃんやおばあちゃんばっかりだけど、みんな優しいんだよ」


「そうなのか……」


 賢哉はあまり町の方を知らない。帰省してきても神社または近くの森までしか行かないため、町の住宅地まで行くのは初めてなのだ。

 周りの住宅を観察すると、やはり高齢者が多いせいか和風建築の一階建てが多い。

 家先の庭も雑草が生い茂り、ますます限界集落としての印象が強まる。

 ひび割れが目立つコンクリ道を白は、迷いなく進み、とある一軒家で足を止めた。


「今日はここだよ、ケンにぃ」


 そうして足を止めた先は、相当年季の入った古ぼけた屋敷だ。

 白はピョンと、およそ擬音語とは不釣り合いな高さで門を越えた。


「お、おい、勝手に入っていいのか!?」


「うん、だって葉山(はやま)さんちだし、知らない人じゃないもん」


 白はさも当然のように言い放つ。そしてそのまま中に入って行った。

 賢哉も遅れぬように、だが礼儀正しくノックをして門を開ける。

 門から先は玄関まで飛び石で繋がれ、周りは竹藪が茂るなかなか歴史を感じさせる家だ。

 飛び石を越えていくと、玄関先で白が待ってくれていた。


「おっそいよ、ケンにぃ」


「すまんすまん。そういえば、白はここに何をしに来たんだ? とりあえず流れでついてきちゃったけど」


 白の『おつかい』の内容をコンから聞けずにここまで来てしまったので、賢哉はここで何をしたらいいのか分からない。


「白はね、お願い事を叶えに来てるの」


「お願い事?」


 意味が分からずオウム返しする賢哉。


「うん。神社の絵馬に書かれたお願いごとを白たちが叶えるの」


「え、白そんなことができるのか!?」


「えっへん!」


 白はのけ反って自信満々に胸を張る。

 白たちの見た目は普通(?)の人間だが、狐から成った妖狐の類だ。もしかしたら超能力的なことができるのかもしれない。

 と、期待の妄想が大きくなっていく賢哉。


「うーん、玄関は開いてないなぁ。じゃあ、庭の方から行こう」


 白がガシャガシャと扉を()するが開かないので、玄関から家沿いに裏庭の方へと向かった。

 周りが竹藪で囲まれてはいるが、無闇やたらに生えているわけではなく、きちんと柵が植えられている向こう側だけに群生していた。

 そうして、少しばかりの面積を持つ裏庭に着くと、白は縁側に座っている人物に注目した。


「葉山のおばちゃん! お願い叶えに来ました!」


 元気よく言い放つ白。


「よく来たね。おや、そちらの方は?」


 おばあさんは白に視線を向けると、次にその隣の賢哉に注目が移った。

 賢哉は慌てて自己紹介を始める。


「あ、えっと、初めまして。夏の間神社で働かせてもらってます、賢哉です。宗一郎の孫になります」


「あら、宗一郎さんとこの? 昔はよく来てたみたいだったわね」


「俺、じゃなくて僕のこと知ってるんですか?」


「知ってるも何も。私は毎日神社に通ってるんですもの。よく森に遊びに行くのを見かけてたわ」


「そ、そうだったんですか……。知らなかった」


 どうやら、こちらが知らないだけで、神社の関係者として知られているらしい。


「そういえば、白、おばあさんの願い事って何なんだ?」


「えっとね……」


 白は袴のポケットからコンに貰ったメモを取り出す。

 人化したコンたちが読み書きをできる辺り、祖父はそれなりに教育を施していたのだろう。


「腰痛が治りますように、だって」


「そ、そりゃ辛いわな。腰痛って長引くものだし」


 賢哉の中では『願い事』と聞いて壮大なものを思い浮かべていたのだが、思いのほか普通のことで少し戸惑った。


「近頃、腰が痛くてね。庭の雑草取りもせんといかんのだが、この腰じゃ難しくてのぅ……。それに白ちゃんのマッサージはよく効くからねぇ」


「うん、分かったよ!」


「じゃあ、俺は庭の雑草取りをするよ」


「すまないねぇ。雑草取りまでさせちゃって」


「いいんですよ。白がマッサージしてる間、俺が出来ることなんてありませんから」


 そうして、賢哉は軍手を借りて雑草取り、白はおばあさんの腰のマッサージを始めた。

 作業は黙々淡々と進み、徐々に夕焼けが見え始めたところで作業は終了した。

 雑草全てを抜き終えたわけではないが、最初に比べれば見違えるように庭が綺麗になった。

 額に汗を浮かべて一息ついていると、白とおばあさんが戻ってきた。


「お疲れ様。すごく助かったよ」


 縁側まで出てきたおばあさんは幾分か背筋がピンとしているような気がする。どうやら本当に白のマッサージは効果があるようだ。

 そしてそのマッサージ師はおばあさんの隣でケロリと、一片の疲労を見せない明るい笑顔でいた。


「ケンにぃ、お疲れさまー」


「おう、白も頑張ったな」


「えへへー」


 白の笑顔を見ると、賢哉の疲れも吹き飛ぶような気がした。

 軍手で汗を拭うと、帰りの支度を始める。


「じゃあ、頑張ってくれた白ちゃんたちにご褒美をあげようかね」


「あ、いえ、これは――」


「わーい! やったー!」


 賢哉が丁重にお断りを入れようとするが、白の声に覆い被されてしまった。

 白はバンザイしながらおばあさんの許へパタパタと駆けていく。

 タンスの中から和菓子を取り出し、白に手渡すおばあさん。


「あ、おい、白、コンから貰い食いはするな、って言われてるだろ」


 白がお菓子を口にする寸前のところで賢哉が止めた。白はお預けをくらった犬のようにお菓子を見つめながら止まる。


「うー。でも、これおいしいんだよ? (だま)ってればコンにもバレないよ」


「たぶんコンは白が夕飯を食べられなくなるから、そう言ってるんだと思うぞ」


 実際帰ったらもう夕食を準備しているだろう。コンだってせっかく作った料理が残されるのは悲しいはずだ。

 だが、白の食欲ならば多少の貰い食いも夕食に影響しないかもしれないと思える。

 そんなことを考えていると、白が代替案を提示した。


「じゃあ、帰りに遊ぼうよ! 遊んで帰ればお腹も減るし、夕食だっていっぱい食べられるよ!」


 キラキラと期待に満ちた瞳を賢哉に向ける。

 白にとっては一石二鳥の案だった。

 おそらく白の中ではお腹を減らすことが建前で、遊びたいのが本音だろう。

 賢哉は眉を顰め、その見え透いた意図をどう汲むか考えていた。


「まあ、コンには寄り道をするな、とは言われてないからな。だけど、あんまり長くはやらないからな」


 賢哉は『言わずもがな』という言葉を屁理屈で塗り潰し、白の案を採用することにした。あとでコンには俺から謝っておこう、と決めて。


「今から森で遊ぶのは危ないから、そこの竹藪で遊びなさい」


「え、いいんですか?」


「ええ。あの竹も雑草のようなものですから。折っても構いませんよ」


「わーい! ケンにぃ遊ぼ!」


 おばあさんの協力のもと、白と賢哉は竹藪の中で遊ぶことが決定された。


 □ ■ □


 もうすぐ日が暮れるので、時間は三十分だけ。

 そしてフィールドは、この竹藪の中のみ。

 遊びの内容は、鬼ごっこだ。賢哉が鬼、白が逃げる。

 賢哉が白を捕まえたらそこで終了。

 こんな感じのルールが交わされ、現在スタートから十分が経過している。


「はぁ……はぁ……!」


 賢哉は既に息が上がり、疲労も見え始めている。

 雑草抜きのせいもあるだろうが、明らかに鬼ごっこを始めてからの疲労が大きい。

 住宅街にできた竹藪なのだが、地面が少し盛り上がり、少しばかり勾配(こうばい)があるのだ。山ほどではないがこの高低差で体力は徐々に削られている。


「ケンにぃこっちだよー!」


 対照的に白は元気いっぱいにぴょんぴょんと飛び回っている。竹から竹へ。白にアクションムービーでもやらせたらCG使わずにすごいのができそうだ、などと思うくらいに軽やかに動き回る。

 体格差では、賢哉に軍配が上がるはずなのだが、白の体力と運動能力が賢哉のそれを遥かに上回っているのだ。


「まぁ、最近運動してなかったしな」


 誰に対しての言い訳なのか、そんなことを呟いた。

 賢哉は高校まで運動系の部活をやっていたのだが、受験シーズンを機に引退し、それ以来運動らしい運動をしていない。

 十代にして筋肉の衰えを感じた賢哉は、さらに衰えを感じる事態が起こった。


「うわっ!」


 地面から顔を出していた根に足を引っ掛け、慣性そのままに空中を漂う。賢哉の中では一瞬が一分にも加速されたような気がした。

 当然その中で次の展開がどうなるかなどを考えていたのだが、顔面から地面に着地するイメージしかできない。


「ケンにぃ!」


 痛みを覚悟し目を瞑っていると、顔にフサリと柔らかくてチクチクするものが触れた。咄嗟にそれを掴む。

 しかし、膝を擦りむく程度に低かった。


「んぎゃあ!」


「いっつぅ!」


 白と賢哉の悲痛の叫びが重なった。


 □ ■ □


 ――家に戻り。


「いてっ」


「これくらい我慢なさい」


 賢哉はコンに消毒液が付いたガーゼを膝に当てられていた。

 出血というほど血は出ていないが、擦りむけたところから細菌が入らないように、とコンが治療してくれているのだ。


 賢哉たちはあれから竹藪から出て、恥ずかしながら白にお姫様抱っこされながら神社へと帰った。

 道中(どうちゅう)町の人に見られたが、白に降ろしてとも言えず、両手で顔を隠すことしかできなかった。

 幼女にお姫様抱っこされる大学生なんて一生の恥だ。


「これじゃあ何のためにケン坊を連れて行かせたのやら……」


 呆れた表情で嘆息までついた。

 そして白といえば、賢哉のテーブルの向こう側で肩越しに尻尾の毛繕いをしていた。賢哉から尻尾を掴まれた時は根元に鋭い痛みを感じたらしい。

 それを謝らなければ、と思い白の方に顔を向ける。


「白、ごめんな。突然尻尾掴んだりして。痛かったよな」


 白は尻尾から目を離し、賢哉を見る。そして顔を横に振った。


「ううん。白が助けようと思ってやったことだもん。後悔はしてないよ。……尻尾は痛かったけど」


 賢哉に多少の罪悪感を残して、白は尻尾の毛繕いに戻った。しかしこれはまだ救われた方だ。何も言わずぷいっと顔を背けられた時には後悔に押し潰され死にたくなったことだろう。

 賢哉はいつか白に何かお礼をしようと心に決めた。


「よーし! これでいいでしょ!」


 パチーンと傷口を叩いて治療が終わったことをコンが知らせた。


「いってぇ!」


 未だヒリヒリする膝を抑えて恨みがましくコンを睨む。

 だが、コンの表情は決して柔和な笑みではなかった。

 頬をぷっくりと膨らませ、怒っていると目で告げていた。

 その表情を見て賢哉は、自分が怒るのはお門違いだと悟る。治療までしてくれて、感謝こそすれ憎むなどあってはならない。


「…………」


 またしても罪悪感に苛まれ、視線が床に落ちる。

 すると、途端にコンの表情が破顔し、プッと笑い声が漏れた。

 え、という表情を賢哉が向けると、コンはいたずらっぽい笑みを浮かべる。


「ふふっ。狐につままれたって感じでしょ?」


 コンは親指と中指、薬指を合わせて狐のポーズをとる。

 それでようやく賢哉は悟った。


「あ……! もしかしてさっきのは……!」


「ふふっ。今日はもうご飯食べて寝なさ〜い。それが傷を早く癒す近道よ〜」


 コンは立ち上がり、手をひらひらさせながら居間を後にした。

 白をアクションスターに例えるなら、コンは大物女優だろう、などとバカげたことを考えるくらいには痛みのことを忘れていた。


 □ ■ □


 ――次の日。

 賢哉の仕事は、売店コーナーでコンと一緒にお守りを売ることだ。

 白は境内の掃除をやっている。

 賢哉は今までレジを打つバイトの経験があるので、金銭の扱いに関しては問題ない。


「あ、いらっしゃいケン坊」


「ああ、おはよう」


 コンはパイプ椅子に腰掛け、背筋をピンと伸ばした状態で売り子を務めていた。


「あら、どうしたの? 腰を抑えたりして」


 裏口から入ってきた賢哉に対してコンは訝しげな視線を向ける。

 賢哉は右手で腰を抑え、左足を引きずるようにしてやって来たのだ。これを見て知らん顔出来ないぐらいには、コンと賢哉は他人として生活はしてなかった。


「いやぁ、昨日の傷はもうどうもないんだけどね。今日になって筋肉痛が……いてて」


「はぁ……。なんだそんなことか。心配して損したかも」


「いやいや、筋肉痛も十分心配事に入ると思うんだが……」


 コンは呆れたような目を賢哉に向ける。


「だって筋肉痛って普段の運動不足のせいでしょ? そんなのケン坊の生活習慣が悪いじゃない」


「うっ……。ぐうの音も出ないな」


 賢哉が言葉に詰まると、コンはふふっと笑った。

 そして席を立ち上がり、賢哉を手招きする。それに従って賢哉はコンの許へ向かった。

 コンたちが向かったのは暖簾の掛かった奥の部屋だ。藍染めの暖簾をくぐると、そこは六畳ほどの畳部屋だった。

 部屋の隅には木目箪笥(たんす)、その隣に二段で積まれているダンボール箱。おそらくこちらはお守りの在庫だろう。

 コンは畳に上がる前に草履を脱ぎ、(しろ)足袋(たび)で箪笥まで歩く。

 そして箪笥の棚を引き、中からある物を取り出した。


「これ、よく宗一郎さんが使ってるけど、まあ効くでしょ」


 そう呟き、コンは部屋の中央へ移動する。


「ケン坊、こっちにいらっしゃい」


 コンに招かれて賢哉も足袋を脱ぎ、畳に上がる。


「まず、そこにうつ伏せに寝てちょうだい」


 賢哉はコンに言われるまま、うつ伏せになって寝転がった。

 すると、服を捲り上げられ賢哉の背中が(あらわ)になる。

 そして直後に氷を当てられたような冷たさが(はし)った。


「つめたっ!」


 その感覚を経て、ようやくそれが何なのか悟った。


「ただの湿布よ。宗一郎さんがぎっくり腰になった時とかに使ってたから、筋肉痛にも効くと思うわ」


「じいちゃんも無理しないといいんだけどな」


「ふふっ。そうね」


 二人して笑い合うと、コンは次に賢哉の足まで湿布を貼ってくれた。

 湿布から伝わる冷たさが痛みを和らげてくれるのを気持ち程度に感じた。


「じゃあ最後に仕上げといきましょうか」


 そう言ってコンは今の位置から少し下がり、正座に組み直し耳と尻尾を出した。そのまま尻尾を膝の上に置く。

 そして少し毛繕いをすると、ぽむぽむと尻尾を撫でる。


「さあ、ケン坊、膝枕ならぬ尻尾枕したげる」


「へ?」


 賢哉はコンの行動に一瞬戸惑う。だから返事も上ずった声になった。

 賢哉にとって膝枕すらしてもらったことが無い上に、未だ触れたことも無い尻尾との初の接触だ。

 あまりにも賢哉が(ほう)けていたからか、コンが焦れて賢哉の頭を無理矢理尻尾枕の上に乗せた。ぐるりと頭を回したので体がうつ伏せから仰向けになる。

 後頭部が包まれるような感覚。白のものとはまた違い、尻尾だが羽毛布団のように手触りの良い心地だ。

 これならそこら辺の上質な枕よりも寝つきが良くなりそうだ、なんて感想を抱くほどにコンの尻尾は気持ち良かった。


「やばい……寝ちまいそうだ……」


 既に賢哉の瞼は半分ほど閉じかけていた。

 そこにコンの甘い声が降りかかる。


「いいんですよ、寝てしまっても。でも、後でお仕事手伝ってね」


「ああ、分かったよ」


 この時の意識で何に返事をしたのか、賢哉は覚えておらず、意識が深い眠りへと誘われた。


 □ ■ □


 次に賢哉が目を覚ました時は、外が茜色に染まった頃合だった。


「あっ!」


「ん……? ふぁい」


 すぐに覚醒した賢哉が声を上げると、上から寝ぼけたような声が降ってくる。

 そして今賢哉がどんな状況だったのかを思い出す。

 賢哉はコンに膝枕ならぬ尻尾枕をしてもらっていたのだ。

 いきなり起き上がるとコンにぶつかりそうだったので、そっと尻尾枕から離れ、コンの前に正座する。


「ごめん! こんなに寝ちゃって、本当はちょっとだけ寝るつもりだったんだ!」


 賢哉は急いで言い訳をまくし立てた。

 それを聞いていた――ちくわ耳だったかもしれないが――コンは眠たげな目を擦りながら微笑む。


「ふふっ。筋肉痛は治りましたか?」


「あ、はい。おかげさまで」


 言われて気づく。足の動けなくなるくらいの痛みはいつの間にか消えていた。湿布の効果だろうか。


「では、お仕事をしましょうか」


 そう言って耳と尻尾をしまい、すっくと立ち上がる。

 長時間尻尾枕をしていたにも関わらず、足を痺れさせた様子さえ見せず外の方に歩いて行った。

 賢哉も慌ててコンについて行く。


「でも、もう夕方だぞ? これから仕事なんてあるのか?」


 いつもはこの時間帯で仕事は終わり、コンが夕飯の支度を始める頃だ。

 しかし、賢哉の問い掛けを夕飯の準備だけに絞られてコンに聞こえたらしい。


「大丈夫。夕飯の時間には間に合うから」


「いや、別に夕飯のことを気にしてるんじゃなくて……」


 賢哉たちは本殿の裏にある小さな鳥居の所まで来た。

 ここはあまり人に知られておらず、神社の清掃の時に何度か見かけたくらいだ。だから鳥居の先に何があるのか、賢哉には未知の領域なのである。


「賢哉はまだ鳥居の向こう側って行ったことないんだよね。あまりここには近づかない方がいい。人間にはあまり良くないところだから。今回は私と一緒だから、ということで大丈夫だけど一人では絶対に来ないこと。いいね」


 コンは賢哉の方を何度もくぎを刺すように見つめると、すぐに鳥居の方に向かった。

 この先に何があるのか、賢哉は興味が惹かれてコンに続く。


 鳥居の大きさは人ひとりが通れるほどの幅と高さがあり、賢哉が少し頭を下げるほどだ。

 鳥居をくぐると、空気が変わったような気がした。いや、空間が変わったという表現が正しい。

 外から見えていた景色とはまるで違い、そこは神聖、聖地という言葉を形にしたような場所だった。

 外では夕方だったはずが、ここでは深夜、月の無い夜のようだ。周囲は木々で囲まれ、空は星の明かりすら映さない満天の虚空が広がっている。

 それでも賢哉がコンを認識できるのは、中央にある池の明かりのおかけだ。月明かりが無いので輝いているのは池自体ということになる。

 その幻想的とも言える光景を前に賢哉は、声も出せずに佇んでいた。


「ここはね、私と白が人間に成った所なの」


 ポツリと呟く。コンの視線は過去を見つめていた。


「私と白はここの『奇跡』によって生まれた。狐だった私たちがここに彷徨(さまよ)いこみ、この池の水を飲んだ時、私たちは人間に成れた」


 賢哉はところどころ理解できなかったが、ここで話に水を差すのは良くないと思い、コンの話に耳を傾けた。


「それは私たちが望んだ結果だったかもしれない」


 コンは振り返り、賢哉の方を向いた。濡れた紅色の双眸が賢哉を見つめる。


「賢哉と同じ人間に成りたいっていうね」


 ケン坊、ではなく、賢哉と。戯れ無しの真剣な表情でそう言ったのを賢哉はしっかりと受け止めた。


「それで、人間に……」


「重い女、って思われたかな……」


 賢哉から視線を逸らす。右手で左腕を掴み、自分の身体を抱きしめるようにした。

 コンは怖かった。この話をして賢哉にどう思われているのかを知ることが。

 賢哉は一つ深呼吸をする。


「そんなことない。俺はまたコンと白に会えて嬉しかった。一緒に話せるのが嬉しかった」


 今度は賢哉がコンを見つめる番となった。

 優しく、芯のある言葉。

 硬直しかけたコンの身体が、ゆっくりと溶かされていく。不安や拒絶される恐怖も一緒にコンの中から流れ出していく。

 空いた穴に何か新たな感情が芽生え始めたのをコンは自覚した。


「……ありがとう。今は、それだけで嬉しいよ」


 さて、とコンは拳を握りしめ、気合を入れる。


「今日最後のお仕事始めますか!」


 今まで漂っていた張り詰めた空気が一気に消え失せた。

 それ感じ取って賢哉もようやく一息ついた。


「お仕事って、何をするんだ?」


 賢哉はいつも仕事の内容を始まるまで教えてもらえない。それを理解したから拗ねたりもしないのだ。

 コンは池の方へと歩き始めた。


「今からやるのは、『お祈願』。この池の『奇跡』の力を借りて今年の豊作を願うの」


 コンの足が池に浸かる。そのまま進み、腰の辺りまで池に浸かった。


「俺もそっちに行った方がいいのか?」


「ううん。ケン坊には私を家まで送ってほしいの。この『お祈願』はすごく疲れて、いつもぶっ倒れるから」


「そんなにハードなのか?」


「内容はすごく地味だよ。ただ祈願文を唱えるだけ」


 そう言われて賢哉に今仕事はないと理解した。

 賢哉が頷くと、コンは両手を合わせ目を閉じる。

 それから何かぶつぶつと唱え始めた。おそらく祈願文だろう。

 手持ち無沙汰な賢哉は、ひたすらコンのことを見ていた。池が蒼碧色に輝く中、コンの金髪がその光を受け、さらに美しく輝く。

 この光景はずっと見ていられると思いながら、三十分待った。

 祈願文が終わり、コンの両手が解かれ池にパチャっと音を立てたのを機にコンの身体がぐらりと揺れた。


「こういうことか……!」


 ぶっ倒れる、というのは比喩でも何でもなくそのままの意味だった。

 賢哉は急いでコンを池から引き上げる。その際、池の温度は夏にも関わらず冬の湖に触れたかのように冷たかった。

 案の定コンの身体も冷えきり、かなり体温を奪われているようだ。

 賢哉はコンをおぶって神社の家の方に向かった。


 □ ■ □


 家に着くと祖父が的確に指示を出し、白にコンを風呂場まで連れて行かせ、賢哉は濡れた服を着替えるよう言われた。

 賢哉は着替え終えると、祖父の所へ向かった。

 祖父はちょうど夕飯の準備をしているところだった。


「コンが『お祈願』の時はじいちゃんが夕飯作ってるんだな」


「ああ。『奇跡』の力を授かったのは、コンと白。そしてその力を使えるのはコンだけだ。だから『お祈願』の日はワシが夕飯を作るんじゃよ。町民にはコンたちを神様の遣いだと信じる者もおる。だからコンの『お祈願』を休むわけにはいかないのだ」


「そうか。大変なんだな、巫女って」


 祖父は賢哉の言葉を聞いて驚いた表情をした。意外、という顔だ。


「賢哉は止めさせるのかと思っとったわい」


「短い間だったけど神社の仕事をして分かったことがある」


 賢哉の脳内でここ数日のできごとを思い返す。


「ここにはいろんな人が来て、巫女っていうのはささやかだけど人々の願いを叶える職業なんだな、って」


「どうじゃ? こっちに就職する気になったか?」


 唐突な勧誘に賢哉は面食らったが、首を横に振った。


「いや、遠慮しとく。適材適所。俺にここは勤まんねーよ。アルバイトが精々だ」


「そうかい。んじゃあ、また来年もよろしくな」


 ニカッと年に似合わない笑顔を作った。


「おっ、久しぶりの宗一郎さんのご飯だ」


 風呂から上がったコンが声を上げる。


「わーい、じーちゃんのご飯だー!」


 コンの後ろから白も姿を現す。二人とも既にラフな部屋着に変わっており、そのまま食卓の席に座った。

 ちょうど祖父との話も終わったところなので賢哉も席に着く。


「さーてさて、宗一郎さんは料理のスキルは上がったのかなー?」


 いただきます、を手早く終わらせると、コンは祖父の料理を口に含んだ。


「うー、まずー」


 表情からも不味さが伝わるほどだ。祖父は料理が得意ではないらしい。

 不味いと言いながらもパクパクと料理を食べ進めるコンと白。出されたものはきちんと食べるように教育されたのだろうか。賢哉も不味いからと残すようなことをせず全て完食した。


 まだ八月半ば。賢哉とコンたちの神社勤めはもう少し続く。


『私たちが、願い叶えます』


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