偽物の力
あれからどれだけの時間がたったんだろう。
右手でドアノブを握りしめ、左手で小野奏の学生証を握った体勢から次の一歩を踏み出すことが出来ず、シィーンと足音1つ聞こえない他学年のフロアで僕は1人立ち続けている。
「やればできるやればできるやればできるやればできる」
必死に自分に再度自己催眠をかけるが一向にかからない。
ずっと直立している足がほんの少し痺れる。
「よし、いこう。」
小声で僕は自分に語りかけた。そして、ドアを勢いよく開き、
「し、失礼します!小野奏さんいますか?!!」
たどたどしいながらも小声で聞き取りづらい声ではいけない、という気持ちに押され、僕は言葉を発した。
そして相手の返事よりも僕は先に教室じゅうを見渡した。
が、そこには、小野奏はおろか、誰1人として居なかった。
「えっ?」
僕は驚き頭の中が真っ白になった。その状態は、いない相手に緊張していた自分のバカさに対する嫌悪感や、小野奏と上手く話せなかったらどうしようという緊張感からの解放感でもない。正真正銘の「無」だった、数秒後、フリーズした頭が回復した頃には事態が飲み込めなさすぎて、ただボーっと無人の教室を見渡すことしか出来なかった。そしてすぐに「恥ずかしい」という感情が芽生えた。
誰にも会わずにさっさと帰ろう、そう思った時だった。
「あ、あの、上村先輩?」
聞いたことがある、いや、今朝聞いたばかりの声がすぐ後ろから聞こえてくる。
僕は振り向いた、やっぱり、小野奏だ。
そして僕はできるだけ平然をよそおい会話を返す。
「お、おう、小野じゃねーか、ビ、ビックリさせるなよな」
自分なりに平然をよそおった、が、どっからどうみても不自然だ。
「あ、はい、すみません!このフロアを通りすぎるときに私の名前がこっちから聞こえてきたので……というか、今朝、私、先輩に自分の名前教えましたっけ?」
不思議そうにこちらを見てくる、当たり前だ。明らかにおかしい上級生に教えてもないはずの名前を言われたら不思議に思わない方がおかしい。
「あ、そう、その事で来たんだ。」
僕は左手に持っていた小野の学生証を右手に持ち変えて小野に差し出した。
「あ、私の学生証!あれ?どこで落ちてましたか?」
僕が差し出した学生証を手に取り小野はそう言った。
「実は今朝受け取った学生証は小野のだったんだ。」
頭の中は「早く帰りたい」の気持ちでいっぱいだった。
「す、すみません!どうぞ!!」
小野は胸ポケットから僕の学生証を取りだし僕に渡した。よし、ミッションクリアだ。
「おう、じゃあな」
なんて返して足早にフロアを出ようとした時に小野は僕を呼び止めるように言った。
「せ、先輩って時止めれますよね?!」