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だが剣が喋るはずがない  作者: 娑婆聖堂
第二部 動地剣惑星(まどいぼし)
32/39

関節技(サブミッション)に仁義はない

 堂馬の胸あたりに頭がくる矮躯を、ますます縮めて間合いを詰める。腰だめに構えた刺身包丁を固めて、避け辛い下腹部を狙う。自身を肉弾とする刺殺の基本形である。


 これをよけるのは簡単ではない。まっすぐ突っ込むだけならともかく、こちらを追ってくるのである。

当たりさえすれば間違いなく重症なのだから、攻撃側は著しく有利だ。古来より受け継がれた基本は伊達ではない。


 だがそれは反撃の手段を持たぬ場合。堂馬とてカカシではない。

 足を地面から水平に浮かせ、滑空するように半歩。硬い踵から伝わる力を減することなく足腰にて増幅。位置エネルギーを前進力に変え、膝に額が付くほどに沈む。


 抜刀の優劣は素人にも分かりやすい。理想的な抜き打ちには音が無い。

 強すぎず弱すぎず保持された刀は、鞘を擦ることなく抜き放たれ、実態を感じさせるのは笛のような風切りだけである。

 納刀と切断の間にある動きを、カンナにかけるように削り取るのが居合の迅さであり、だからこそ抜く手さえ見せないという魔術が可能になる。


 堂馬のそれは、流石に名人達人の域にまでは達していない。しかし腕力と前歯の白さは七難を隠す。練鉄のごとく研ぎ澄まされた手足は、3尺ばかりの鋼刃を鞭の速度に運ぶ。

 狙うのはすね。弁慶の泣き所とも呼ぶ部位は肉が薄く、軽く撫でれば骨に達する。小兵から足を奪えば勝ったも同然。突然の攻撃に対し、冷静な対応と言えよう。


 刃が骨を割らんとする寸前。メイドの足運びが変化する。前から上へ、走行から蹴撃の動きへと。堂馬の剣尖をしっかりと見極めている。人間離れした動体認識。しかし彼女の足を守るのは、人形に履かせたいくらいの可愛らしいバンプス。よくここまで歩いてきたものだと感心するほどの軽装備だ。

 鉈ならともかく日本刀。それも妖しい切れ味を持つ妖刀である。足ごと斬り落とされるのがオチだ。ささやかな抵抗は傷をを深くするだけであろう。


 常人ならば。


 黒の革靴に刃が埋まり、後ろに抜けることなく流れた。


「む!」


 堂馬が唸ったのは手に返る感触から。板状のものが挟まっていた。おそらくは鉄板。備えていたのは堂馬だけではない。常在戦場はメイドのたしなみ。見事な心技体である。


 と、堂馬はそう納得する。果たしてそうか。不均一な路面を定規を引いたように刻む利剣が、靴に隠せる程度の鉄板を斬り抜けられぬものだろうか。白刃に鏡に、煙る血の気。

 鉄は断たれ、肉まで達していた。最後に阻んだのはメイドの骨である。永久凍土に敷かれたレールのごとき骨。人類に許された強度ではない。


”こいつ、混じって(・・・)るやがる!”


 嘘か真か、異類と人は交わるという。矮躯に流れる化外の血。野獣の密度を持つ骨格が凶刃を払ったのだ。最後の一歩が踏み込まれる。

 もう首を断っても間に合わない。横薙ぎの一閃を返して、両手持ちに切り替え、打つ。刺身包丁の横腹に切先三寸が走り、火花を上げて中ほどから折れ飛ぶ。山女は迷わず得物を捨てるが、足は止めない。体当たりするつもりか。


 本来なら無謀である。75kgを超える体力自慢に、40kgにも届きそうにない少女では、そも同じ土俵に立っていないのだ。体重差ほぼ二倍。転ばせるのは勿論動かすことさえ難しい。

そして投げるか極めるかする時、必ず隙が生まれる。堂馬は後の先を狙う。腕を取らせてそのまま投げ落とす。


 堂馬の左の袖を、メイドの丸っこい手が絞る。

 上半身が一気に持っていかれた。


「お、お!?」


 爆発的な馬力。完全に崩される。筋繊維から放射された熱が、顔を炙るようであった。

メイド服の黒が、堂馬の肩を這う。左手首を掴み、左腕を逆側から回して固める図が、堂馬の目にまざまざと浮かんだ。

 アームロック。あるいは腕緘うでがらみ。護身術において初めの方に習う基本技だが、かなり変則的だ。体を崩したモーメントと進む勢いに乗って、瞬間に腕をもぎ折る気だ。


 だが固めるということは両手が塞がるという事。これは柔術の試合ではない。極め切る前に刀の柄で顎を横殴りにせんと、腰をひねる。

 的確に急所を穿たんとした柄頭は、しかし山女の体が沈んだことで空ぶる。極め技をキャンセルしてからのタックル。膝を刈らんとした腕から左脚だけでも逃がす。右膝を取った山女は、その場で縦回転して堂馬を転がそうとする。

 しかし堂馬はこらえた。驚くべきはその足腰の粘り。倒されるどころか、泥濘から足を引きずり出すように、メイドごと足を持ち上げて地に蹴り落とす。


 山女の回転が、縦から横に変わった。猫のように体幹の捻りだけで、上体と下半身を入れ替える。腕は腿を掴んで伸び、スカートの中身、月下の百合にも似た脚が首に絡もうと唸る。三角締めへの移行。

 背筋をそらして難を逃れる堂馬だが、幾度となく揺さぶられて平衡を逸している。山女が海老反りになって身体を浴びせると、遂に倒れこんだ。


 一つ一つの技に、驚嘆すべき技巧や恐るべき秘密がある訳ではない。どの技も多少の変形はあるものの、市井に出回っているものの中で基礎に位置づけられるものである。だが自らの力と技を知り、効果的に運用する戦術。考えずに感じるまま動く運用。そしてなんらの躊躇なしに折りにいく迷いの無さ。

 よく研がれた鉈の鋭さである。丈夫で、使いでが良く、強い。


 上に乗ったとて、山女が優位に立ったとは言いづらい。体重差とは内に秘めたエネルギーの差であるからして、多少の位置エネルギーを覆し得る。

 堂馬が跳ねる。針金をきつく巻いたような肉体は、一回り大きい相手でも十分浮かせられる弾性がある。それを難なくやり過ごす山女の巧みさ。既に重心は堂馬から離れて、地面にぴたりと張り付いている。刀を握る右腕には体が載せられ脚がかかり、うかつに動けば破壊される気配がある。


 宿主を絞め殺すつる植物の腕。丹田から力が入っているために緩んだ所が無い。肺を圧迫されると息苦しさから動きが鈍くなり、小柄でもかなり拘束力を発揮する。抑え込みも立派な技術である。

 焦りからか空いた左手で山女を引き離そうとするが、寝技で安易に手足を伸ばすのは禁物。メイドの手が素早く堂馬の左手を取ると、頭上を巡って腕ひしぎ十字固めへと繋ぐ。

 柔術の定石、関節技の王道たる十字固めは、一撃必殺と呼ぶにふさわしい威力を持つ。極まれば反撃の暇もなく肘が外れ、呼吸困難を起こすほどの痛みで戦闘継続はほぼ不可能。

 関節技は遅いと思われがちだが、熟練したものが行えばものによっては打撃に近い速度を持ち、何が何だか分からぬうちに敗北を喫することになる。小柄故に機動が効く山女の挙動は正しく芸術。返すのはまともに見ては不可能であろう。


 だがまともではないが故に、それが堂馬の誘いであった。

 

 頭上を通過する山女の胸。身体の線を隠すメイド服の生地を、大口開けて噛みしめる。


「なっ!」


 血を吐かんほどに丹田を圧縮。内臓が押し出され、中の空気が動く。ぐ、と体内を揺らす轟きは虎のそれ。先ほどに倍する力で、噛みついた少女ごと跳ね飛んだ。

 小さいとはいえ人の一人を、顔に乗せたまま持ち上げる。踏みしめた靴が焦げ、競争車の車輪のごとき摩擦力で両者を縫い留める。回天。


 まさに一発逆転であった。攻守が転換し、今や下にいるのはメイド服の乙女。抑え込まれて合計で百を超す質量を甘んじて受ければ、しばらく動くことはできまい。もとより装備の時点で分の有る堂馬の勝ちは揺るがぬものとなる。

 

 そこでまたもや攻撃に移ったのは、それを誰よりも山女自身が知るが故。狙いをコートの襟に転換。交差した腕を丸められた身体に巻き込み、彼我を陰陽の太極図となす。

 背中を大地と言う鈍器が打ち、背骨が軋みをあげるが、円の動きの中に逃がすことで致命傷は防ぐ。そして回る運動量と満身の力で突きあげる両脚で、打ち上げ、落とす。


 巴投げ、と言うには不完全。だからこそ危険である。殺傷力の観点では、投げが不完全な方が威力が高い。背中全体で打つより、首、あるいはい後頭部に圧を集中した方が効果的なのは明らかである。

 すんでの所で落下が止まった。堂馬の前腕が衝撃を受け、互いの鼻がこすれ合いそうな位置でこらえている。

 危機を乗り越えたその皮膚はしかし、病身の如く白い。

 山女が最後に選択したのは力技。ましらの腕力で襟を締め上げる。多少粗くとも力は七難を隠す。散々に痛めつけ合った肉体では返すのは無理だろう。全ての感覚を捨て、一心に締めを強くする。


 その顔に、冷たい液体が降り注いだ。血か吐瀉物かと錯覚するが、そのかぐわしい香りに呆ける。


「みかん?」


 思わず上げた頭の下に、野獣の腕が滑り込む。襟を振りほどきながら、相手の首に回した右腕と左手首をかみ合わせ、左手を後頭部に添える。

 完璧に極まった裸締めは、頸動脈流を遮断して数秒で意識を刈る。『落ちる』という言葉に相応しい即効性である。


 くゆ、と寝息のような吐息をこぼして、最後まで表情の無かった相貌が寝顔となった。反発する磁石のように離れると、堂馬は離していた妖刀を取り、残心を決める。油断は出来ない。強敵であった。


「ポケットに蜜柑を入れてなかったら危なかったな」


”なんで蜜柑入れてんの?”


 タネは簡単。空いていた左手を動かす前に、ポケットから蜜柑を取り出し、袖に入れる。メイドに手を伸ばした時には首元に蜜柑が転がっているという寸法だ。つまらない手品であり、当然鬼道妖術の類ではないし刀が喋るはずがない。


 潰れてしまった蜜柑をむいて、皮の苦みがのる果実を口に運ぶ。


「メイドさんの生絞り蜜柑か。ふっ、舶来もん食ってる気分だぜ」


”頭おかしいんじゃないの?”


 何がおかしいかと言えば剣が喋る声を聞く頭の方であり、もちろん堂馬はそんな声は聞かない。


 食べ終えて皮をビニール袋に詰めると、下げ緒を解いてメイドを縛る。さすがに自由にしておくのは危険だ。それはそれとしてこのまま放っておくのもあれなので、どこか風がしのげる目立たない場所を探そうとして、本能的に身構えた。


”お、おいおい!こりゃあ、おめえ何呼んだんだ!?”




 風が吹いている。山がさんざめく。祝いの饗宴のようだ。笑い声のような。いや、笑い声が響いている。風に乗って、身を震わせる哄笑が。





 わあっはっはっはっはっはっはっはっは


 わあっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっ


 わあっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっ


 男とも女とも、老いとも若きとも人とも獣ともつかない声。ただ叩きつけるような威圧と、骨髄の底から湧き上がるような恐怖があった。

 その源はすぐにやって来た。髪の長い女の形をとって。


 すらりとした長身。鉱石の結晶のような肌と造形。眼は茫洋としているが、かっと見開かれ、画竜に点睛を差している。紅く艶やかな口は、引き結ばれてびくとも動かない。雪道のはずだが、山の奥からしずしずと、名家の令状に相応しい足取りで降りてくる。

 声はその奥から吹いてきていた。それは嘲笑わらっていた。生きとし生けるものを。天に座する神か鬼のように。



「山央白姫か。偉いご主人様だ。休む間もなくこれとはね。ところで腹話術上手いな。俺もそれ出来るのか?」


”さんおうって。マジで山王か!?不味いぞおい!逃げた方がいい。桁が違うぞあいつはよ!”


 笑い声以外聞こえない。聞こえないからには退くことも無い。妹の先輩が危険人物ならば、打ち倒すのが兄たるものの務めである。


 ふと、白姫の焦点の有っていない瞳が、抜かれた刀身の位置で止まる。暗い鉄から立ち上る妖気を吸ってか、意味も無く見開かれていた目を細め、足が止まった。



わあっはっはっはっはっは


わあっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっ


わあっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっっはっはっはっはっ




 笑い声。近づいて強まる。いや、すぐ横にいた。


 剣を振るう。空を切った。遠く離れていく。否。己が飛ばされているのだ。


 火花が散って、視界が暗転した。


 


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