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だが剣が喋るはずがない  作者: 娑婆聖堂
第二部 動地剣惑星(まどいぼし)
31/39

乙女の髪は砕けない

なぜこうも長くなってしまうのか。描写か?描写に余計なものが多いのか?

 時は少しくさかのって、場所は日本アルプスの境界内、山央邸へと移る。

 新雪に覆われた山というのは一種の沼堀とも見なせる。古来多くの軍勢英雄がこれに挑み、本丸に辿りつかないまま凍死していった。


 だがそれは凍土を闊歩する術を知らぬがゆえ。長く寒冷の地に住まう者はそれを知っている。

既に日が隠れ、夜気が含んだ残照も針葉の黒緑に吸われて消えた。おとぎ話の狼が潜む、黒い森そのものである。おとぎ話に惹かれてか、黒い森に金の髪。闇と同色の体を覆う服のために、間からこぼれる髪と、そこだけに春を注いだ緑の瞳だけが光る。


 修道女にして裁判官。今は間諜の真似事を行うエリッサであった。身体の線を見せない修道服の内に防寒装備は着こんでいるが、それでも雪山でのハイキングに適した格好ではない。だのにその歩みに危なげは無く、どころか常人の小走り並の速力は出ている。


 月光がかかっていたならば、少女の周りにきらめく糸が観えたかもしれない。その手には神聖とはあまりにかけ離れた骨組みの器械。人によっては天使の白骨標本とも思うかもしれない。腰骨の持ち手に、背骨のフレーム。四つの頭蓋骨から吐き出された巨大な手にはエナメル質の大臼。


 滅魔の審問器たる煉獄の乙女プルガトリ・デ・ビルガイン。背骨から下に伸びる糸繰りの腕から、清流のごとく湧く髪の毛。およそ常識的な髪色を網羅した色とりどりの糸束は、気流の粘性に助けられて木立にからみ、エリッサの移動をワイヤーアクションじみて軽やかなものにしている。




 何故彼女が夜遅く、権利者のはっきりした土地に忍び込んだかと言えば、無論謎の小覇王、山央白姫の身辺を探るためである。

 屋敷には主人と小柄な従者の他、夜を過ごす者はいないことは分かっている。界隈では地主の変わった少女の噂に事欠くことは無かった。

 そして従者が用事でもあるのか、屋敷を後にしたことは遠方からの観察によって確認できている。今や広い建築に守りは一人。好機到来と判じたエリッサは侵入開始の決断を下した。


 赤レンガの洋館。形式はフランス様であろうか。メートル級の積雪に耐えるための角度の付いた屋根は、どことなくゴシック調の雰囲気もある。ガス灯に組み入れられたLEDの火は、無粋ではあるが効果的だ。周辺にはネズミの一匹もおらず、館についている灯りは一部屋だけ。


 入るだけなら造作も無い。石畳に音もなく降りる。南を正面にした建物の鬼門の位置から近接し、端から二つ目の窓の下に滑り寄る。窓も大分年代物のようで、窓枠は重厚な鉄製。両開きの内側をかんぬきで閉じる様式である。

 けちな盗人でも隙間をこじ開ければ開けそうな、山奥でなければ不用心のそしりは免れないであろう旧式の警備である。エリッサにとっては赤子の手にも満たない相手だ。


 きい、と抑えた金切り音と共に鉄窓が開く。閂は絹のように細い髪によって上げられていた。

ゆるゆると力を入れない動き。加速も減速もなく窓のさんを乗り越える。板張りの部屋に着地すると、ひとりでに窓が閉じた。


 部屋自体はなんの変哲もない、強いて言えば古びた調度の多い寝室。長年使われていなさそうだが、シーツはきちんと引いてある。偏執なまでの几帳面であった。

 風が無い分体温は奪われないが、気温は外とそう変わりない。この広さの屋敷を維持できる財力なら、床暖房でも入れられるだろうに。

 主人は古風な環境を好む質かと疑うが、ガス灯にLEDを入れる現実主義者には似合わない。ならば考えられることは、業者を家に入れたく無い理由がある。怪しいのは。


「地下ですか」


 カルト集団の捜査で、似たような事例があった。人目をはばかる行為を地下に埋めたがるのは、生き物の本能といって良い。骨臼の髪をまとめ、肩にかける。

 シスター服から取り出したるは、大きめの聴診器のような器具。本来なら耳あてに繋がるコードは、手のひらに握り込めるほどの端末に繋がっている。


 小型の超音波探査機である。精度はさほど高くないが、地下空間を見つける程度は可能だ。

とりあえず床に探知部を押し付け、反応がないので部屋を出る。ドアの部品が触れ合う事の無いよう軋むことの無いよう等速で動かす。

 廊下は文字通りの真暗。一筋の明かりも差してこない。訓練を受けた者でなければ、立つことにすら支障が出るレベルだろう。薄っすらと目を開けて、視覚から他の4感に意識の比重を移す。壁の圧迫感が肌を揺らし、木材と鉄の香りが方向を知らせる。

 耳鳴りの奥へと歩を進め、広間に出たことを肌で感じる。館の規模に見合った階段が、窓からの雪の反射で滲んでいる。探査機を当てる。反応あり。

 近くに入り口があるはず。人の情として目立つ場所には置きたがらないとすれば、階段の影辺りか。慎重に探査機を当てつつ移動する。


 ごっ


 画面に乱れ。平衡感覚が一瞬失われた。煉獄の乙女を押さえ、右手と膝で倒れ込むのを防ぐ。目眩がするほどの重圧。階段の影に背を預けて深く静かに呼吸する。

 何故今。気付かれるはずがない。全くの無音ではないが、外でうごめく山風の唸りでかき消されているはず。かといってこの夜に自室から出る理由も。


「山女?」


 満身の毛がぞわり、と逆立つ。大蛇が耳元を通り抜けたようである。人類にはふさわしくない迫力。だがその主は、ただの少女のように従者の名を呼ぶ。


「帰ってきたのかしら?玄関の明かりはつけないとだめよ。いくら夜目がきいても危ないわ」


 ごつ、ごつ、と階段を下りるというにはあまりに重すぎる足音が建物を基礎から揺らす。自然頼れる相棒の存在を確認せんと、煉獄の乙女を握る手に力がこもる。


「あら?来ていないのかしら。おかしいわね」


 足音が止まる。エリッサは祈ろうとする自らの心を押しとどめた。祈りは信仰において最も重大なる行為であるが、だからこそ気弱になった程度の事で救いを強請るべきではない。彼女は他者の為祈る聖職者であるのだから。

 冷汗が垂れるのを留めるように目をつむり、気配が離れるのを待つ。ごつ、と一段上がる音。じっと鬼が去るのを待つ。


 エリッサの襟首が持ち上がった。過敏なまでに反応した防御が、半身ほど身体を逃がす。すぐに見えざる手の正体が、煉獄の乙女の楯部分から延長した手指と知る。

 なにが、と我を取り戻した瞬間。黒い水が押し寄せた。


 肩に触れる寸前。黒髪の束は所在無さげにのたうつ。手すりからはみ出るのは、180cm近い乙女の上半分。左ひざを支柱にかけ、右足だけで五体を保持している。脚は弓なりに曲がるが、腱が断裂する様子はない。

 髪がなだれ落ちたことで露わになった顔。その左目。

 筋組織の収縮する震えが聞こえそうなほどに細動している。遠心力で目が飛び出しそうだ。残る右目も、何かを見据える様子はなく、ベラドンナを点眼したかのように瞳孔が開いている。


「おかしいわ。においが、するのだけれど。山女?いないのかしら。お客様?いけないわ。お迎えしないと」


 見えていない。見えてはいないが、におい?は分かるようだ。触覚も生きているのだろう。髪に触れていたら危なかった。良く気の付く相棒に内心で感謝する。

 仰向けになっていた白姫の腰が山型に折れ、支柱の隙間から抜けていった。可動域がおかしい。ごきりという音も聞こえた。筋力で関節を外したのか。前衛的新体操の中でも髪を床に着けることなく、怪人は立ち上がる。腰椎をはめなおすと、今度こそ上に歩いて行った。


 知らず腹に入れていた力を抜き、息を出すに任せる。やはり異様だ。早い所調べて今日は戻らねば不味い。念のため館を封鎖する必要さえでてきた。

 聴診器を床にあてると、反応が強い。大理石の床を掌で撫でると、線のような違和がある。爪を立てる。大理石に閉じ込められた化石が、滑らかに外れ、中から鉄製の武骨な取手。引いてみるがびくともしない。3桁の重量はあるか。

 煉獄の乙女の糸巻きから髪をひと房。いくつかに分け、手すりの支柱を経由して取っ手にくくると、真っ白な繊手が糸束を回し、床材を巻き上げていく。


 優に2mはある長辺をもつ長方形の穴。間違いなくただの物置きではない。始終神経にかかる重圧に、目的を半ば達成した高揚。そして屋敷には主の他自分しかいないという油断が、あってはならない隙を生んだ。


「動くな」


 かかる声に振り向きかけて、止める。視界の端に銃口がよぎった。不覚である。山央の家が怪しいというのなら、引き寄せられるのは彼女だけではない。

 目だし帽と黒いツナギ。無論善良な市民ではない。恐らくは北山学院内の内通者が消え、商品が届かないことを怪しんだ非合法組織の狗であろう。エリッサとは別口から忍び込んだのだ。そしてこの大雪の中そんなことができるのはまず人類ではなく。


「おいおい、運がいいな。まさか教会の殺し屋の後ろをとれるなんてよ。今夜神様は俺に微笑んでいるんじゃないのか?え?」


 くぐもった笑いから隠しようのない血臭。その奥にはナイフのような犬歯が伸びているに違いない。吸血鬼。下位の雑魚なのが災いして気配に気づけなかった。

 嘲笑は聞き流すがいかにもまずい。男の得物はカラシニコフ。サイレンサーなど当然なく、人気のない山奥で女二人を射殺して帰るだけのつもりで来たのだろう。挽き潰すのは簡単だが暴れられると困る。煉獄の乙女は不満そうに身をよじるが、ここは我慢してもらわねばならない。

 吸血鬼を即死せしめるためには、頭部を破壊もしくは胴体より切断分離し、心臓を貫徹する必要がある。袖に隠した短剣で腕を斬りつつ頸部を切断、腰の刺突剣で心臓を打つ。


「その物騒な機械を置いて、そのまま壁に手をつけろ。ゆっくりだぞ。ミツユビナマケモノのように」


 言う通りにゆっくりと骨臼を地面に置く。手を壁に向け、死角になる袖内から十字の短剣を引き出す。優位に立っているとのおごりから、敵には手妻が見えていない。手から離れれば無力と考えているようだが、煉獄の乙女は自律兵装。自分で判断して、いまだ若い使い手を補佐するのも機能の内である。

 エリッサは短剣の柄をつまみ、相棒が機会を作り出すのを待つ。


 がた、と骨が鳴った。


「何!?」


 まさか勝手に動き出すとは知らない男は、思わずエリッサから視線を外す。踊るようにターンした勢いそのまま、逆手に取った短刀が、銃身を保持する左腕を深く切る。驚愕に見開かれた赤い眼を頼りに首を落とそうとして。止まった。

 男が跳び退る。憎々し気に目だし帽が歪み、片腕だけでカラシニコフを照準した。だがエリッサが見るのはその背後。男の後ろから流れる長い黒髪。


「におい、が、あるわね」


山央白姫。


「うお!?」


 突然に湧き出した気配に突撃銃を向け。斜め上に飛んで行った。

 アジア系の女性としては破格の長身に、切れ長の整った眼。その口元には8本の指。

 五つまでは彼女のもの。もう三つは、もぎ取られた男の。


 「うぐおおおおおおおお!!!??」


 苦鳴が轟き、少女はちょうどパンを千切ったかのように、血の滴る指を口に運ぶ。ざぐり、と青い果実を齧る音。鋼鉄並みの強靭を誇る骨を難なく圧断する咬筋力。

 エリッサが飛んだ銃を掴み、男もろともフルオートで射撃する。7.62㎜の鉛玉がツナギを貫通し肉を通るが、傷は小麦粉を溶かした水のように戻る。これは当然。下位といえど鬼は鬼。鉛如きでは通用しない。

 だがその先にいた怪物より怪物らしい少女。石膏じみた肌の前で、弾丸が爆散した。


 弾倉から弾が失せ、撃針が空を噛む音が響く。誰も動かない。聖職者は驚愕で、暗殺者は恐怖に囚われ、そして支配者たる館の女主人は、食事のために。一歩も動いてはいないその肌に、傷も汚れも見当たらない。

 魔術や異能ではない。ただ敵意を感知して毛がざわりと逆立っただけ。そのつややかな黒糸に鉛玉が触れ、からまり。一本の髪を切ることさえ出来ずに、逆に粉砕されたのだ。馬鹿げたまでの強度。

 

 歩く死人にも遺伝子の残り香があったのか、獣に戻った暗殺者は逃避を選択した。玄関へと跳び、瞬きの間に飛燕の速度に到達する。


セーラー服を着た少女型の怪人は、大理石と一体になったように動かない。生命を感じさせるのはうごめき続ける左の眼球のみ。右へ、左へ上下へ。


そして真中にて、静止する。


「におう、わ」


 石像めいた容貌に完全な均衡が表出した時。光だけが世界に焼き付いた。


 爆音。地震。残像が消えたとき、吸血鬼の頸部は消失し、体は折り曲げられた葦のように転がる。扉の枠を曲げて、窓の雪の明かりを受けて立つ黒髪の魔人。


 エリッサは口を開けていた地下室への入り口に身を滑らせ、煉獄の乙女と共に潜り込む。石の蓋が閉まった。






「やま、め?どこに、いる、の、かしら?どこ、か、しらん?」


 砕けた窓から、蛇のように水のように漏れ出でる。唇を赤黒く濡らす肉片を、より濃い赤が舐め取った。 もはや跡形もなくなった死骸の名残をとどめるのは、セミの抜け殻のような衣服のみ。西洋料理のスープを、パンで綺麗にぬぐったように、血も肉も食い尽くされた。灰になるはずであった死にぞこないの身体が、魔人の滋養となったのは幸か不幸か。

 撃たれた鳥のように石畳に落ちる。ご、と肉の身とは思えぬ衝撃。足取りだけは完璧な淑女のまま、しかし馬も後塵を拝す速度で山を下りる。颶風ぐふうか夜叉か。超自然そのものとなった少女は、何処へか獲物を求め消えた。





「……来ない?外へ行ったの?」


 漆黒の中、懐中電灯の明かり。壁に耳を付け、来襲を待っていたエリッサは肩透かしをくらった形であった。足音が遠く館の外へ去っていったことを確認すると、とりあえず下へ向かうことにする。追った所でどこに行ったかも分からない。館の秘密がここにある以上、それを探って白姫の目指す場所へ先回りした方が良い。

 それにどうもおかしい。一般人を襲うような輩なら無理を押しても追跡せざるを得ないが、エリッサを見逃してどこかへ消えたのならその可能性は薄い。あの動きなら不意を打てばエリッサの首とて容易くもげたに違いない。だが無視した。

 

 その謎も、懐中電灯の光が照らし出してくれるのだろう。階下を照らしつつ、一段一段降りていく。骨を持つ手に動きはない。余計な番人はつけない主義か。

 そして地下室が現れる。


 まず目を引いたのは、巨石を研いだ一枚板。いや、厚みから言って直方体か。滑らかに削ってはあるが、粒子の隙間にこびりついた鉄分は隠せない。さらに大型獣の解体用と一目で分かる、大振りな刃物類。手入れされていないのか、錆が浮いている。

 床には瓦礫が転がり、クレーターじみた大穴から、壁が砕けたものだと分かる。エリッサの経験は、そこがどのように利用されるかをすぐに教えた。


「屠殺場、兼、解体場ですか」


 入り口の脇に帳簿のようなものが置いてあった。めくると人名と簡易な身辺情報が記載されている。利用者、いや、利用された(・・・)者の名簿か。百は下らない名前の羅列。かなりの達筆で、異国人たるエリッサには理解が難しい。だが、その最後に書かれた名前は、簡単な文字だけだったので読めた。


「八尺……山女?」



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