真実は一つと限らない 中編
腰まで細氷の海に浸かり、木々の群れに印のビニール紐を巻きながら歩いていく。しばらく続いていた捜索も一旦休止となっていて、警察の非常線の隙間を抜けるのは容易かった。
場所は学院のほぼ直下。轟轟と流れる急流の近くである。
「堂馬。本当にここらにいるのか?これ以上は危険だぞ」
「そ、そうですよ。ここから落っこちたら一分で心肺がおじゃんですよ」
「まあ見てろ。時間と確率、見つかりにくさから考えれば、川の近くでほぼ間違いないはずだ」
そう一人で合点して、積もる雪もなんのその、先陣をきって進んでいく。しかし用心は忘れない。滑った時木に手が届く位置取りを確かめつつ、怪しげな場所を見つけると、命綱を久作に任せて崖の端まで接近する。
その眼が自然の中から人造の違和感を捉えた。
堂馬が行方不明者の居場所が分かったと伝えると、久作はその場で捜索を決定した。余計なことは聞かない。時間の無駄であるし、仮に勘違いでも、どうせほかにあてがある訳でもないのだ。賭けに出るのも悪くない。緊急招集された風花も含め、三人はまたも雪山に繰り出した。
天候は幸いにして曇天。ましな部類である。崩れる前に勝負をつけねばならない。
足場を確かめながら降りていく。途中で、足裏に違和感があった。未踏のはずの新雪の中に、ざらりとした感触。雨が降った覚えはない。まず間違いなく、何かが通ったあとだ。
雪の中の足跡を頼りに、傾斜を下る。崖と坂の中間のような道だが、川のすぐそこまで続いているようだった。
雪に包まれた岩肌、上から下に見ると、途中から雪質が違う事が分かる。
上から雪崩てきた雪が積もった上に、何かを蓋したような跡。横から蹴り崩すと、頭ほどの塊が川へと転がる。
現れたのは、首をすくめれば通れそうな空間。洞窟である。
それを見て久作が木に綱を縛り、自らも下ってくる。
「こんなところに」
「増水の時に少しずつ削られてできたんだろう。よっぽど暇なやつじゃなければ見つけられないな」
内部は外気に比べれば幾分ましだが、それでも吐く息が白くなるほどには寒い。頭を打たないよう手探りで進んでいく。暗い。外は曇りの上、何の光源も無い穴蔵なのだから当たり前だが。
しかし気配がある。微かにうなるような音。人、いや生命の起こす音ではない。そこで懐中電灯をつける。
「ビンゴだぜ。商品はハワイ旅行が良いな」
寝袋で厳重に包まれた人体。呼吸用に開けれた隙間以外、顔もろくに見えない。しかしほっそりした造作の頭蓋から女性、皺の無い皮膚から少女と分かる。
「こんな所に。いや生きているのか?」
「仮死状態ってとこだろ。薬で眠らせた後、起きられないくらいまで体温を落として保存してたんだ」
哺乳動物には冬眠を可能にする遺伝子が共通して存在するという。体温を保つため持続的にエネルギーを欲する哺乳類が、より過酷な環境へ拡散するために身に着けた必然の能力である。人間が場合によっては冬眠状態になることは、奇跡の生還を果たした遭難者の事例から知られており、この場合普段必要な酸素の半分以下、体温は30度前後でも生存できるという。
動物実験では、本来冬眠しない動物を意図的に低代謝状態にする方法が確立されている。マウスに硫化水素を一定の濃度で吸わせ、覚醒させると後遺症も残さず蘇生が可能だ。
「普通に運んだんじゃ時間がかかるし目立ちすぎる。まずどこかで眠らせてから、学校に近いこの洞窟に運び込む。夜にやれば山の中だ、誰も気にしやしない。ちゃんと学校から出て、まあ1時間くらい遅れてもスマホいじってたと言えば通る範囲だ。雪が降れば足跡も残らない」
「確かに、危険ではあるが直線距離なら数百m。入念に準備すれば可能だな」
「警察も捜査はするだろうが、雪に埋もれた川沿いの崖なんて危なくって近寄れやしない。下手すれば二次被害だからな。初めから当たりをつけてなければまず見つからない」
「それでほとぼりが冷めるのを待って、解凍か」
「川沿いだしな。天気がましになるのを待って、ボートでゆっくり下れば道路に行き着く。で、警戒が緩んだ街から脱出、と」
「悪くはない。悪くはないが、では何故教師が死んだ?犯人であったにせよ、回収には不可欠の人材のはずだ」
「冬眠だよ。つまり」
久作は少し考えて、あ、と声を上げた。納得と、同乗が小さじ一杯ほど含まれた声音である。
「熊か」
「ああ、いい場所を見つけたと得意満面だったんだろうが、目を付けていたのは犯人ばかりじゃなかったってことだ」
冬眠から無理やり目覚めさせられた熊は悲惨である。そも厳冬から生き延びるために生理反応まで落としていたのに、雪のただ中で起こされたら当然機嫌は最悪。取り合えず目の前にいる生きのよさそうな下手人に襲いかかった。
「因果応報か。しかし熊もいい迷惑だ」
「まったく。俺だって散々探し回って灯台下暗しじゃ気が滅入るぜ」
「とにかく生きているなら万々歳だ。客にもいい顔が出来る。運び出そう」
「おうよ。能島の奴に救急車呼ばせてくれ。流石にこの状態で叩き起こす勇気はない」
それももっともである。久作とて医者では無し、こういったことは専門家に任せるのが最良と心得ていた。一旦外に出て、風花に救援要請を求める。その間に堂馬は寝袋へと目を移した。
大事な商品を保全するために、寝袋には様々な機器が接続されていた。体温の急な低下を抑えるための電気カイロ。バイタルチェック用の機器類。それらに電力を供給するバッテリー。
そしてあった。大陸製の格安スマホであろう。恐らくは盗品。機材を操作し、情報を送るために必要なはずだと思っていた。黒く大振りなそれを、音も無く抜いて、ポケットに滑り込ませる。横から監視しても、手を軽く振ったようにしか見えない早業であった。
救急車が駆けつけ、静かな山並みが途端にやかましくなる。堂馬たちはとりあえず車に入っていた。
「いやー良かったです。弱ってはいたけど命に別状がないとは、生命の神秘ですね」
「お手柄だな。新聞に載るかもしれん」
「勘弁してくれ。目立つのはそう好きじゃない」
長く頭を悩ませた事案が解消し、風花はもちろん久作も胸を撫でおろす。緩んだ空気の車内で、一人堂馬は面倒そうな顔だ。
不意にドアを開けると、また細かく降ってきた雪に身を晒す。
「どうした」
「もう家に帰るよ。最近警察の厄介になりっぱなしだ。これ以上やると稲にシベリアでミレニアムまで冷凍されかねない」
「えー、稲ちゃんだって褒めてくれますよ。女の子を助けたんですよ?胸を張ればいいじゃないですか」
「勘弁してくれ。だいたい俺が目立つとろくなことにならん。趣味が趣味だしな。マスコミは鬼門だ」
そういって本当に街へ歩いていく。久作が窓から半身を出して呼びかけた。
「お前がそういうなら構わないが、本当にいいのか?」
「ああ、丑寅さんにそれとなく言ってくれればいいよ。俺も言い訳を考えとく」
首を傾けて、後ろに車の影が残っていないか確かめる。先ほど手に入れたスマホを起動。ロックはかかっていない。不用心、ではないだろう。洞窟の奥に入れるだけのものだ。
履歴を照会、最近電話をしたのは一件。かける。
ワンコールで出た。尊敬する反応速度だ。素晴らしい。
『山央でございます』
「俺だ。北山の麓辺りで。夜会おう」
返事を待たず、切る。来るはずだ。間違いなく来る。武装が必要だろう。出来れば面倒な事にはしたくないが。
家路を急ぐ。愛刀ならぬ、腐れ縁の刀を持ち出すために。




