真実は一つと限らない 前篇
雪、雪、とにかく雪である。あらゆる行動が封じられていた。
堂馬たちの捜索は道路が見える範囲に限られ、それさえも吹雪く山風によって遅々と進む他ない。
これは無理からぬ事である。動物が冬籠りするのにはれっきとした理由があり、遺伝子の知性は雪を克服するよりやり過ごすのが吉と知っているのだ。獣で無理なことを人がやるものではない。
国家権力も行方不明者の捜索に裂く余力は乏しく、どころかライフラインの維持さえ危うい状況である。
当然行方不明者の生存は絶望的であった。もし生きているとするなら、人身売買ブローカーにさらわれて大陸にでも売られている場合だ。しかし町には完全に包囲網がしかれている。
警察とて、女学院の生徒が消えたというセンセーショナルな事案は早い所解決したいのだ。だがそれも春を待つ必要がありそうだった。
雪、全ては雪である。白い結晶こそがこの街の支配者であった。
歩道は溶けて固まったざらめ雪に固く覆われ、除雪の苦闘の痕跡が門前にうず高く積まれている。堂馬は赤のコートに茶のブーツという出で立ちで、北山学院への通学路を歩んでいた。
学校は大雪のため休校である。バスも無ければ自転車も動かないとなると無理もない。国道も封鎖同然の状態であるし、海も荒れ模様。行方不明の女学生をかどわかした何者かがいるなら、そいつも身動きが取れないはずである。
すでに大陸に持って行かれたならお手上げであるが、彼女の親が警察に通報したのがいなくなった日の夜中。その短時間で人を輸送できるかといえば、五分五分であろうか。
それにしても不可解であった。堂馬が振り積もるぼたん雪の中歩き回っているのも、手がかりの捜索というより考えをまとめるためである。
教師が死んだ。生徒が消えた。この間に関連が見当たらない。誘拐現場を見られて殺されたのであれば、多かれ少なかれ騒ぎになるはず。
しかし現場には争った形跡はなかったという。そも学院から離れ過ぎではないか。
教師は実は共犯者で、口封じに消された。とするなら犯人はどこに逃げた?教師の残骸が見つかったのは学園から遠く離れた森の中ではないか。どうやって天然の要害から運び出したのか。ぶつ切りの事実だけが並べられ、推理の糸は中が見えないほど大きく、固い結び目を作っていた。
数十年来の大雪といえど、長年の戦いに鍛えられた家主たちは押しつぶされることなく働き、氷雪を退けている。その中の一人に目が留まった。若い。少女である。かぶっている合羽の後頭部がちょこんと盛り上がっていた。おそらくお団子にまとめているのだろう。力不足は否めないが、文句も言わずさぼりもせずにせっせと雪かきスコップを動かす姿は生真面目そのものであった。
視線に気づいてか、汗の浮かぶ顔を上げて堂馬の方を見やる。整っているために逆に印象に残らないタイプの造作だが、きめ細かく清潔感のある肌は育ちの良さと自律心をうかがわせる。ぱちくりと開かれた目が、疑わしそうな細めに変わった。
「その鋭くどことなくお喧嘩を販売してらっしゃるような御目つき。ひょっとして稲さんのお兄様では?」
「大した眼力だがなんだ。北山の授業には慇懃無礼の科目でもあるのか?」
淑女教育の生んだハイコンテクスト極みのような発言をする少女。堂馬は知らなかったが、妹の稲の同級生、大徳寺沙霧であった。
人頭ほどもある雪塊が、軒をこすりそうなところまで飛んだ。よけられた雪はアフリカの蟻塚じみて尖頭を突き上げている。
堂馬はすっかり平らになった歩道に立って首をごきりと回した。
「とんでもない馬力ですわね……。芦屋、稲さんがゴリラゴリラ言っていただけはありますわ」
「わざわざ学名で呼ぶとは几帳面な妹め。だが類人猿は足腰が弱い。人間の特徴は粘り強く走れる猿という所だ。お前さんも四股でも踏んだらいいぞ」
「噂にたがわぬお方のようですわね……」
「なんだ稲のやつ、学校でまで俺の話をしているのか?我が妹ながらいじらしいところのある……」
名状し難いジト目で見てくる沙霧を尻目に、一人にやけ面で頷く堂馬。妹が自分のことを自慢していると疑わぬ表情である。
「まあ、妄想の自由も基本的人権の一部ですわね。ともかく、感謝いたします。私だけでしたら半日仕事でしたわ。どうぞ中へ。温かい飲物でもお出しします」
檜の香りであろうか。どこか牧歌的な記憶を呼び起こす空気に満ちた店であった。冷蔵庫の音が低く鳴る他、室内に音は無い。
堂馬は出された生姜湯をすすりつつ、店の主人から茶菓子を受け取る沙霧のお団子を見つめていた。
別に視姦を試みているわけではない。堂馬の好みは身長が高く凹凸のはっきりしたしぶとい感じの少女である。第一妹以下の年齢では、興奮するにも微妙な罪悪感があってできやしない。
そうではなく被害者と、今のところかなり怪しい山央白姫のことである。稲にも聞いてはみたが、被害者については通りいっぺんのことしか聞き出せなかった。ほとんど知らないと言っていたが、嘘ではないのだろう。
興味のあるなしがはっきり分かれて、無い分野には冷酷なまでに無関心。その辺りの性向は、兄ほどでないにしても兄妹に共通する傾向であった。
「そういやあ大丈夫なのか?最近物騒だってのに、一人で手伝いなんてよ」
「あらあ、優しい子やね。だいじょうぶよお。この子のお父さんが迎えに来てくれっから。酒蔵のお仕事でねえ、忙しいからって沙霧ちゃんが手伝いに来てくれたのよ」
答えたのは店の主である老婦人である。本来店主であるはずの夫がこの寒さで悪性の風邪をひき、沙霧の実家から得意先に救援が派遣された訳らしかった。しかしこの時分に女子高生が実家の手伝いとは、見上げた風紀精神である。
「偉いもんだな。今時親孝行なんてやれる奴なんてそういない」
「ほんとにねえ」
「べ、別にいつもお世話になっていますし、こういうことはお互い様ですわ」
「ツンデレだな」
「つんでれねえ」
「もう!」
貰った饅頭をぱくつき、二口で消費する。筋肉盛りの高校生故、堂馬の燃費はすこぶる悪い。
こちらは楚々として、歯を見せないで齧る沙霧。ストーブが上昇流によってかたかたと鳴る。
「そういやあ、熊にやられたっていう先生はどんな奴だったんだ?」
「先生、犬江先生のことですの?」
「多分それだ。稲のやつなにも知らないって言ってな。こっちは兄として、なんだ、情報が欲しいんだ」
沙霧はしばし難しい顔をしていた。同級生の家族といえど、学内のことを話すのに抵抗があるのは自然であろう。
だが労苦を厭わず手伝ってくれたことで、少しは信頼ができたか、簡単な事実だけならと前置いて語り出した。
「まあ、稲さんが知らないのも無理もないですわ。あまり評判がよろしくないと言いますか。いえ、どこが悪いと言うのではないのです。ただ面白みの無い方で、毎日決まった時間に行動して融通をきかせていただけない方で」
「そういう所は、悲しいことですが、生徒にはなまじ不真面目な人よりも嫌われてしまうのですわ。あの事件の時にも7時ごろに帰られていましたわ」
「おい待て。帰った所を見たのか?」
沙霧の目がぱちくりと瞬く。教師の残骸がその数時間後に目撃されたことを、彼女は知らない。
「え、ええ。わたくしその日は迎えが遅かったものですから。坂を下りる姿が見えましたわ」
堂馬は考える。それなりに夜遅くに学校を出た教師が、その日のうちに死体になる。どうもおかしい。誘拐がどうとか言うより、山の中で全てが完結しているような。
なにか入り組んだ事件である。個々の要素が微妙に噛み合っていない。誘拐なのか、殺人なのか。あるいは事故?野生動物の獣害?
らちが明かないと感じて、別の方向から質問してみる。
「そういや、山央って人も遅かったりしたか?」
「山央様ですか?見てはおりませんが、何故?」
「いや、なんか、凄い圧だし」
「もしかして、疑ってらっしゃるの?」
沙霧の眉が剣呑な角度に変わる。かなり怒っているようだ。
「それは失礼ですわ。確かに、あの方は人より少し、そう少しばかり怖がられる気配を持ってらっしゃいますけど。恥ずかしながら怯えて声をかけられない私たちにも分け隔てなく接してくださっていますのよ。そんな犯罪なんてする方ではありませんわ」
割かし強い口調に、少しばかりたじろぐ。筋の通らぬことをすると弱気になるのが堂馬の弱点である。
「それに、山央様はお身体が丈夫でないのです。鞄も山女様に運んでもらうほどで、スマートフォンも持たれていないので」
「スマホ?」
遮って返された疑問に面食らう。疑問に思うような箇所だったろうか。
「え、ええ。必要な際には山女様のもので用を足すのだとか」
スマホ。何か引っかかった。従者は持ち、主人は持っていない。それはいい。消えた生徒は持たず、いや多分破壊されたのだろう。では教師は?
教師も持っていなかった。綺麗に消えていたのだ。肉も、服も、携帯も。獣の仕業ではない。だが人の仕業でも何故。誘拐、殺人。絡まった糸のような謎。
解けない紐があるならばどうすべきか。
その結び目を斬ればよい。
誘拐と殺人。これが全く別の計画なら?二本の糸が期せずして絡まったのなら。全てが山の中で完結するとすれば。獣害、熊、冬眠。
「冬眠か」
「へ?」
「いや、人間も場合によっちゃ冬眠できるそうだぞ。雪山で一か月遭難して仮死状態で見つかったとか」
「それは」
「案外、行方不明になった奴も見つかるかもな。熊が起きるくらいに」
沙霧が、幼子の我儘に付き合うようにため息をつく。
「不謹慎ですわ。まったく。でも、そうだといいですわね」
堂馬が立ち上がる。外を見渡して、道路を観察。確か近くにあったはず。
そして見つける。今どき田舎でもほとんど見かけない。多分あれだろう。
「つまらんこと聞いて悪かったな。稲に良くしてやってくれ」
「ええ。向こうが大人しくしてくれるなら喜んで。……そういえば、なぜ手伝ってくださったの?会うのは初めてですのに」
ドアを開けるとちりん、と鈴が鳴る。雪はやむ気配を見せない。堂馬は雪を蹴りだすついでにというふうに、なんでもなさげに答えた。
「そりゃあお前、俺は近所付き合いを大事にする方の男なんだ」
そう言って店を後にする。スマホを取り出すと通話履歴を検索。久作の番号をタップした。




