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だが剣が喋るはずがない  作者: 娑婆聖堂
第二部 動地剣惑星(まどいぼし)
19/39

魔剣は一日ではならない 後編

階段を駆け上がる途中で気が付いたが、自転車で階段を登るのは実際不可能なのでは?と堂馬は走りながら首を傾げる。しかしそうなると御影は堂馬を騙したことになる。

はて俺は何かしたのだったか。御影に恨まれる覚えは皆目ない。堂馬はただ自転車を持っていった憎つき女を川にでも放り込みたいだけである。

いやしかし最善を尽くさずして人様を疑うのはよくない。犯人のおつむの中を推察し、馬鹿は高いところが好き理論に従って最上階を目指す。


最上階は全周ガラス張りの、センチメンタルな連中が如何にも好きそうな部屋で、食事を取れるようにテーブルが並んでいる。

バーのカウンターも備え付けてあり、ここらで女を口説くのだろう。いずれも堂馬には関わりないことである。むしろ目についたのは、いや誰であろうが目につくだろうが、テーブルの上に乗っているもの(・・)である。

一言で言えば瓶である。変わったことといえば人間が入りそうなほど大きいことであり、実際人が入っていることである。血の気を失った少女が何かの溶液の中に浮かんでいる。見た目からして日本人ではない。エキゾチックな小麦色の肌は、陽の下ではさぞかし健康的な美を振りまいていただろうが、今や素焼きの土器のように生気を失っている。

頭ほどの大きさの瓶の口にあたる部分から献血に使うチューブのようなものを通して血液が抜かれ続けている。本来酒を冷やすはずの冷蔵庫に流れて行く赤だけが、皮肉にも生の名残を示していた。それが一つや二つでなく、数十あるテーブルそれぞれに置いてある。


"うへ、如何にもな貴族的退廃趣味。作った奴人間とタコの絡み見て喜ぶたぐいだぜきっと"

「趣味悪りいな。客こないぞこんなの」

剣は喋らないが嫌そうな気配が二つ。堂馬は社会的常識と目の前の現実を照らし合わせ、精巧な空気嫁(ダッチワイフ)であると結論づけた。酷いホテルである。

「全く倒錯した性癖は構わんが、こういうのは秘するが花というもんじゃないのかね。……おっと」

どこかに隠れていないか探していると、部屋の中央にでんと箱が置いてあった。下二辺が長い六角形で、漆塗りで金の装飾に縁取られている。無駄に高級感を醸し出してはいるが、要するに棺桶である。

「ますます趣味の悪いことで。何入ってんだ?」

試しに開けてみると、中身は土であった。何の変哲もない黒土である。だが何か違和感がある。それなりに山歩きをしている堂馬であるが、土の質が今まで見たどれとも違う。

「まさか外国の土か?やめてくれよな、こういうのがあるから変な病気が流行るんだよ」


微妙に真実を突いた堂馬であったが、やはり常識の壁は厚い。だがここで感染しては伝染され損である。

「良し、塩素まいちゃえ」

何か使えるかもしれないと持ってきた漂白剤を撒いてみる。効果があるかわからないので棺桶を引きずって行ってトイレに流そうとして、視界が悪い事に気付く。霧が漂っている。それもガラスの外側が見えないほどに濃く。そして不審に思い振り返ると、霧は棺桶の中から立ち登っていた。誰かが立っている気配がする。


"不味い。逃げろ小僧ぉ!"

霧が渦を巻き、人型をとった刹那、堂馬は気配の源を斬り。

ホテルの屋上部分が打ち砕かれた。堂馬は飛ぶ。勿論翼は生えていないので、落ちる時は自由落下である。

「ぬおおおお!?」

だが、突如暴威を現した嵐は堂馬を更に上空へ持ち上げ、山の方角へ向け運んで行った。






ガラスの割れる音に光世が顔を強張らせる。ひゅごう、と突風が訪れては去り、大気の唸りが遠くへ運ばれて行く。そして誰かの叫びも遠ざかって行った。10秒ほど遅れてガラス片が注ぐ。

「芦屋くん!?空飛べたっけ?」

光世が驚く。今頃どこかの部屋を探索しているはずの友人が空中散歩に出かければそうもなるだろう。とりあえず最上階を目指す馬鹿の習性を見誤った結果である。

「魔女な気配はありませんでしたから空は飛べないでしょう。本丸ですね。やはり行動が早い」

エリッサは立ち上がると煉獄の乙女を担ぎ歩き出すが、光世が止める。珍しく表情が厳しい。

「今の状態じゃ無茶だよ。骨を固定して痛み止めを打っただけだ」

エリッサの左腕は重症であった。少なくともまともに動かせる状態ではない。包帯できつく巻いてあるが、赤いものが滲み、所々黒くなっている。本人も血の気が失せ、唇が紫に変色していなければ蝋人形と間違えかねないほど白い。動けるのは痛み止めの作用と包帯の緊縛で感覚が失せた結果に過ぎない。

無限に近い動力を持つ骨臼といえど、持ち手が倒れてはどうしようもない。

「この子が動くなら問題ありません。あれを滅ぼせるのもこの子位でしょう」

「こっちにも切り札くらいある。外聞だってあるんだ。君は良くやってる。君のおかげで被害も随分と減った。そのまま使い潰したなんて事になったら面目が立たない」

息遣いも聞こえない沈黙が続く。それを破ったのは第三者の苦しげな呻きであった。風花は鍛錬を経たといえ肉体も精神も常人の域を出ない。突如開花した才能に完全に振り回されていた。

「とにかく、まずはこの女の子の介抱だね」

「そこに異存はありません」


幸いホテルということもあって寝かせる類いのものには困らない。とは言え外傷なら処置のしようもあるが、過負荷による筋肉の断裂と内臓機能の低下はどうにもやりようがない。時間と体力が解決することであってエリッサ達に出来ることといえば水分を補給させ、特に悪い患部に手を当てて気功治療の真似事をするくらいである。

「どうですか?」

「元が丈夫だから元気にはなるだろうけど、時間が」

「増援は?」

「厳しいね。いよいよ形振りかまっていられなくなったみたい。多分持ってきた戦力を全部ばら撒いてる。逃げる気だ。城を捨てるとは吸血鬼らしくもない。」


吸血鬼は概してプライドが高い。彼らの持つ力の大きさ故でもあるし、その存在としての性質も関係する。彼らは支配欲、領土や配下をより多く持つことへの執着が非常に大きい。

そも相手の血を取り入れ、その命を我が物とするのは、人間の境界を侵略する事と同義である。彼らは許しが無ければ他人の領域に踏みいることは出来ないし、領土を分かつ最も原始的な国境線である川を渡る事が出来ない。

不自由であることは自由への渇望を産む。彼らの不変の欲望は自らの領域を無制限に拡大することである。全ての知的存在を支配することである。逆に言えば一旦支配したものを捨てるというのは最大の屈辱であり、存在の否定に他ならない。

下位の物は思考の端にも上らないし、上位でもまずやらない行為である。あるいはそれが出来たからこそ、この世知辛い世の中で命を長らえたのかもしれない。


いずれにせよ逃げる吸血鬼ほど厄介なものは無い。逃げ足が速い上に、行く先々で配下を増やして事件を起こすのだから。無理にでも追跡すべきであるが、敵が全力を出しているように人間側も戦力が払底していた。

パンデミックを止めるために、汚染された生物を文字通り根絶しなければならない。都市一つ犠牲にすればあるいは最少の犠牲で討滅も可能かもしれないが、国民国家でその選択はあり得ない。中世の昔ではないのだ。結局切れる手札が絶望的に足らない。あるいは向こうが一枚上手であったか。

 「一手足りない。といった所ですね。飛んで行った芦屋さんも生きていればいいのですが」

 「いや、そこはあんまり心配していないよ。彼けっこう不死身だから」

 エリッサが訝しげに光世を見る。あの高度からの落下で生き長らえるにはそれこそ神の子ばりのご加護が無くては無理だろう。術理を極めても出来ないものは出来ない。だが光世には確信に近いものがあった。彼があの程度(・・・・)の怪異にやられるはずがない。

 「あるいは彼こそが切り札になるのかな?自分の力に気づきさえすれば」

 「ふむう。妙な信頼ですが、まあ信じるとしましょう。信じる者は救われるものですから」

 エリッサは少し考えた後納得したのかソファに腰を下ろした。

 「そうともなれば先ずは回復に努めましょう。いざとなればロケットパンチでも取り付けてもらいましょうか」

 「ははは、流石の日本でもそんな技術はまだ無いよ」

 「え?」

 「ん?」

 エリッサが富士山麓に宇宙的超エネルギーの研究所や、ロボットの発進する湖が無いことを理解するまで約30分を要した。







 星空の中を飛んでいれば風情もあっただろうが、生憎の曇りで上下の感覚もつかめない。芦屋堂馬、高二にして命綱なしの300m級バンジー体験である。人間というのは高ければ高いほど恐怖を感じる訳ではなく、地上15mあたりが最も恐怖を感じる高度である。

 そこからいえば現在地点は周囲の暗さも相まって現実感がないが、街の灯りがゴマ粒ほどに輝くのは肝が冷える。夜景の資産価値を換算している場合ではない。折からの暴風に揉まれ、無重力さながらに回転している中、まだ残っている思考能力を総動員して脳内に地図を展開する。まともに落ちては万に一つも生き残る目は無い。眼をかっ開いて地形を観察する。

 そして肉体の無意識の部分が風の流れに潜む気配を探る。薄っすらとかかる靄の内に凝った邪悪の意思を視た。

 ”そこかぁ!!”

 身体を捻り、かかるモーメントを操作して斬撃を放つ。風にしては重い、水っぽいものを切った感触が手に残る。無重力の感覚が解ける。上下の方向を認識し、次の瞬間には内臓がせりあがり、また無重力の世界に、詰まる所落下した。

 体を広げて空気抵抗を出来る限り増やす。つい止めてしまいそうになる呼吸を深く、ゆっくりとしたものにする。迫るのは曇天を写す鏡。とうとうと流れゆく川である。視線ごと吞まれそうな闇に目を凝らし、大上段に剣を構える。こっ、と吐いた息で水面を打つかのように丹田に力を籠め。

 水鏡の空を切る。

 水の一滴が礫のように体中をくまなく打ち込め、腕は大岩に切りかかったように痺れる。だがその反作用で斜めに水面に着弾し、小石のごとくはねた。一度、二度と水を切り、三度目でようやく沈む。


 ”信じらんねえ。まさか無傷たあな。川だ、このまま流れちまえ。奴も焦ってるはずだ。海まで行けば追いやしねえ、そういう類だ”

 不思議と幻聴も危機を脱して高揚しているように聞こえる。無論聞く耳持たない。さすがに冬の川で着衣水泳をしては風邪をひく。

"わー!やめろやめろ!やばいんだよ相手が悪い!兵法齧ってるなら逃げるが勝ちくらいわかるだろ!"

 ざんぶざんぶと水を蹴立てて川から上がる。霧が濃い。闇が白く煮え立ち、彼岸もかくやの重苦しい湿り気が河原を包む。地に足をつけている感じがない。夜半ではあるが白昼夢の中に首を突っ込んだ心地であった。

 光はなく、漂う霧の白さが何か照らすわけでもなく只々広がるばかり。歩を進めるが、ざりざり、と礫を踏みしめる音がいつまでも途絶えない。川とはいえ、大陸の幅何kmといった大河ではない。流れのせせらぎは耳に届くので、その反対に歩いても、音が伝えるのはまだ一間も進んではいないという非合理な事実のみである。

 もしかすれば、己はすでに倒れ伏していて、頭だけが空しく前進の指令を発しているだけではないかと自問する。構うものか。脳であれ足であれ行ける所まで行くのみだ。

 彩度のない白の一点に黒が滲んだ。一歩進むと人の形が分かる。次の一歩で金の髪が目に入る。もう一歩踏み出すと、白い暗闇の中唯一灯る、紅い瞳が目に飛び込んだ。それが口を開く。


「ああ、貴君、我が言語は通ずるかね。貴国の言葉に慣れる前に厄介な猟犬が訪れたものでな」

 見目は麗しい。白皙の美青年、といった形容が褒め殺しにならない細身の優男であった。しかしどこかがおかしい。まずもって裸の剣を手に持った濡れ鼠の男を前に叫びもしなければ怯えもしない。危機感がないというよりは蟷螂の斧を視るかのような、武器であるとは知っているが己を殺傷せしめる凶器ではない、といった風情であった。

「ふむ、口がきけないでもなかろうになぜ黙る?……ああ、名乗りか。古風で善いことだ。」

「我が名はヴォルシュ・アーブラハーム。赤のアーブラハームである。」

 時代錯誤な口上を謳うと堂馬を見つめる。その瞳は微動だにしない。奇異な眼差しであった。それはアーブラハームの満身にも言える。人というものは、生きとし生けるものは完全に静止することはない。外を繕おうとも、その体内は生命を維持する為に歯車のごとく回っているのだ。

 だが霧と同じ肌をした青年は、彫像が血迷って動き出したかのように、そして自身が彫像であったことを思い出したかのように不動であった。赤い灯火は如何なる微細動も示さない。

 つまりどう考えても幻覚である。


「疲れてんのかな」

 ”逃げろよ!飛び込めよ!川!”

 またもあてどなく歩き始める。寝ているならば起きるまで進むだけである。夢はいつの間にか覚めるものだ。白い顔がちょうどフクロウのように回る。また口をひらいて。

「成程、物狂いか」

「まあ良い、今更食事に文句はつけん」


 殺気は幻ではなかった。身体の回転と肩の開き、肘と手首の弾性が刀を走り、物打ちが鬼気を抉る。だが刃は空しく霧を掻き、刃文にまとわりつく粒子が引く糸の横に赤い火。

飛びのきながら鎬で庇う腹に、小隕石のような爆発的衝撃が通る。血どころか(わた)ごと吐き出しそうになるのを飲み込む。とにかく足を下に、着地したと同時に転がる。髪が砂利に巻き込まれて何本か抜ける。

満身創痍であった。何か失敗をしたわけではない。理想と言えるほど的確な行動をとった。だからこそ生きている。人から見下ろす蟻は二次元の住人にも見えよう。そこには比率では表せない壁、ある種の特異点の彼方と此方に在るものの差。紙の兵士が鉄の城塞を砕けようか。

 立ち上がる勢いで右の空間を払う。濡れた感触が伝わり、時を同じくして右腕の感覚が失せる。胴体と腕がくの字に曲がり、また小石のように飛ぶ。生理反応で溢れだした涙で歪む視界の中で、胸を半ば断たれた青年が近づく。明確に主要な臓器に達したと分かる傷口が、舟が通った後の湖面の如く微かに揺らぎ、静まると、気障なタキシードを含めて毛羽立ち一つなく治っていた。

「すまんが刃物は通じんよ。二世紀ほど前に錬金術に凝ってな、生命を残らず血液に移し替えておいてある。不便もあるが矢玉も刀槍も、(しん)を貫こうと首をはねようとこれこの通り」


 元より無謀、それ以前に蛮行である。妖刀を携えようと鬼に戦いを挑むのは手斧で戦車を破壊せんと試みるに等しい。既に継戦能力は誤差の範囲である。

”おい!足動かせ!川に入るんだ!”

 脳裏に木霊する声を聞く耳欠片さえなく。無論逃げた所で、鼠を追い込む猫のように目を光らせる魔人を前に三歩も動けばいいほうだろう。

 何より堂馬の闘争心自体が皆無であった。なぜか体中が痛むが朦朧状態の為に危機感が湧かない。大体が幻覚を相手取ってなにをせよと言うのか。殺気に無意識で反応はするが、それがそのまま必殺となるほど極まってももいない。端的にやる気が無かった。

 本気で抵抗しようとしない堂馬に、呆れたように青年が呟く。


「妙な男だ。剣を使うのかと思えば、置物ではないか。使えもしない棒切れをなぜ握る」

「あ?」

 幻であろうと触れてはならぬ一線がある。その一線が超えられた。

「弩でも銃でも持てばよかろう物を、態々近寄って切りかかるとは」

「猿が!!」

「何?」

 アーブラハームが眉を顰める。

「道理の分からぬ最上大馬鹿者め。我が脳内にいて恥ずかしくねえのか!」

「何を言っている」

 沸騰する血液が倦怠感を追いやり、焼け付く痛みが戻る。その熱ささえ焦がすのは怒り。理解できぬものが我が物顔で己の大事なものを踏みにじる理不尽への激情。ゆらりと立つ姿に、立ち上る入道雲の様な風を感じる。

 堂馬の周りから霧がはがれる。五体に鬼のものとは違う気配が渦巻く。

”何、この力……!”

「なぜ刀だと、知れたこと。好きだからだ!物好きでやっている!物の役にもたたんと理解した上で!泥船に乗って浮世を渡ろうとしている!」

 正眼に構える。棟より昇る透明な剣気。水か炎かその気圧。妖気を退けて余りある意思の嵐。

 吸血鬼が半歩下がる。配下を操り、眷属をけしかける戦いしか経験のない彼にとって初めての、己を殺傷し得る存在との一対一である。

「貴様……!」

 みしり、と拳を握ると腕が真直ぐに戻る。奇跡や魔法ではない、純然たる筋力が骨を圧着する。感じた覚えの無い、しかしどこか懐かしい熱。胸の奥、心臓の内側から吐き出される力。

”小僧、おめえまさか!”

 覚えがある、幼いころ感じたこの熱量は……!


 風邪だな。

 先ほどまでの力が雲散霧消する。

「ん?」

”あれ、え、ちょ”

「十年ぶりか、風邪をひくのは。こうしちゃいられない。家に帰ってさっさと寝ねば!」

”いや待って、落ち着け!今いいとこだろ!深呼吸しろって!”

 思えば刀を取ってこのかた疫病神の世話になった覚えがないが、疲れが溜まっていたのだろう。よくある話だ。夜に霧ときて熱まであるとなれば妙な妄想も見えるだろう。関節痛もひどい。なにか変な力が湧いた気がしたがそんな事はなかった。しかし全身全霊に気合がみなぎっている。これは勝った。

「正気か?自ら勝ちの目をドブに捨てるとは」

「化生敗れたり。幻に人は殺せん!」

 最早言語の仕事は終わった。超常の悪鬼に孤剣にて立ち向かう。勝機は何処に。

 問題一切無し。我に秘剣あり。


 相手の喉元を指していた切先がゆるりと落ちる。薄墨のような線を引いていた刃は、徐々にその身を縮め、終には霧中を貫く一点の星と成る。身構えていた鬼にとっては拍子抜け、構えとしては珍しいほどのものでもない。確かに次の手を読みづらくはなるが、それは人間の話。鬼にしてみればただ見てから避ければいいだけである。

”見切られてるぞ!さっきの力をパウアーにだな……!”

 すり足で進める歩に合わせ、河原の礫がきい、と鳴く。一足一刀の間合いが革靴のつま先を舐め。

 堂馬の影が膨れ上がる。星の行き先は上。なんのことはない、破れかぶれの唐竹割りである。人間にしては中々の速さだが、躱すことなど造作も無い。さらりと堂馬の横を通り抜ける。

 後ろにまわって、どうするかを考える。殺すのは変わりないが、恥をかかされたのは許し難い。もう少し痛めつけてやろうかと目をやると。

 後ろ姿が遠ざかっている。走り抜けているわけではない。飛んでいる、胸のあたりが、転がっていく、己の足が。吸血鬼の体は真横(・・)から両断されていた。

「は?」

"え?"

鬼も、妖刀も、魔剣を振るった剣士さえ、星の通る道を追うことが出来なかった。仮想の剣尖は天に沈み、涙滴の軌跡を描いた刃筋は胴を断ち切る。


 秘剣とは何ぞや。第一に必殺。受けた者を生かしておくようでは秘とは呼べまい。魔剣とは何ぞや。第二に奇形。正統ならば隠す故はない。動地剣とはこれ如何に。暗中に惑う奇行の剣。誰が呼んだか惑星(まどいぼし)

 二つの腕で一つの剣を直線に振るう。これは難事である。どうあっても対称に握ることは出来ぬからして、不安定に揺れる軌道を矯正しなければならない。これを正すのが術である。だが不安定というのはどう転がるか分からない、一種の可能性を秘めている。舞踊では前に進む動きで後ろに退く技法が存在する。二つ足の不安定を利用した視覚的な手妻であるが、これを目前で眺めれば近づくはずのものが遠ざかる事になる。

 頭上に掲げられるかに見えた刀は、二つの腕の屈曲運動の微妙な誤差と体幹の操作、わずかに斜めに跳ぶ足運びによって九十度返され、真っ向に打ち込む仮想の敵を睨む対手の勢いに掉さすように剣を置く。

 刀を振り上げる動作で横薙ぎに斬る。その切先の瞬きは、大地を中心に回る天球の中、整然と並ぶ星の列を行き交う惑星(まどいぼし)が如く。


 天の原 行きつ戻りつ 惑星 星は惑わじ 地こそ動かめ


 これぞ流派に伝わる秘の(つるぎ)、動地の剣、惑星(まどいぼし)が秘儀である。


 事態を把握する前に、分かれた肉体を繋ごうと下半身が浮かぶ。それを追うように走る堂馬。身体が戻る寸前に腰から脇下を断つ。それもすぐに戻ろうとしてまた一撃。水そのもののアーブラハームであったが、その身に致命でない攻撃故に、切られたと気づくまでにほんの一瞬時間差がある。その間に斬る。更に、ひたすらに、とめどなく。

「なにを無駄な!徒労を!」

 叫ぶ鬼は、だが気付く。背後に流れるとうとうたる音楽。海へと下る川の音に。この時初めて後悔した。身を隠す前に欲を出したのが失敗だったか。しかし血も無しに長く逃げるのは。誰か別の者を襲って。市街に張り巡らされた警戒線が。

 過去に思考を逃がす中、ぴとん、と足が水に触れた。

「待っ」

 剣を、体を、叩きつけるように振るう。流水が赤く染まる。胸が浸かる。巻き上がる泥水。赤い。首が浸る。頭が入る。切り付け、切り付け。


 ふと、己が水を搔き回していると気付いた。川は黒々と夜空を溶かし、下ってゆく。

 

 「ふんっ」

 「ふはっ」

 「わははははははは!」

 それみたことか。幽霊の正体見たり枯れ尾花。差し詰め水鏡に写る己の影でも切っていたのだろう。調子が悪いおかげで我が内の惰弱さが出てきたらしい。

”いや、おめえ……まあいいか勝ったし”

 何も聞こえないがその通り。勝てば全て良し。そして勝った。何かに。

 今度こそ川から上がると、雲の間から針先ほどの光が出でる。恐らく火星か。寒空の下、暫く空を見上げ、幾度か瞬きをする。ぶるり、と寒気が肩を駆け抜け、息を呑むとくしゃみがでた。

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