苦手なものは仕方ない 堂馬
板張りの道場、というには手狭な小屋の中、堂馬は木刀を構えて老人と対峙していた。
体幹で押すようににじり寄る。相手は動かない。正眼の切っ先を下げて、臍に向ける。やはり動じない。前動作なく体重移動を利用して左に回る。相手の切っ先は堂馬の中心を指したままである。
やはりというか、化かし合いでは勝てそうもない。
左の踵で踏み込み、膝で体を押し出す。腕は自然に木刀を振りかぶり、右から袈裟懸けに切り下ろした。
肉を割り、骨を砕く一撃はしかし、老人の木刀の鎬に羽毛のごとく受けられて、狙いから5寸ほど逸れる。だが、それも織り込み済みだ。
右手を返し、深く、頭が小柄な老人の腰まで落ちるほど深く踏み込む。向こう脛を水平に一閃。それも読まれていた。右足をひょいと上げてやり過ごす。同時に堂馬の人中に突きが入る。
低い姿勢を更に低く、木刀を床に着けないように相手の左側に肩抜き前転。人中の位置に残っていた後ろ髪が2,3本散った。伸びた右腕を戻しながら両手握りに戻し、左脚の付け根に最小半径での回転斬り。体の捌きのみですかされる。
回転を止め、その反動を全身のバネで増幅させて左手で逆袈裟。先端速度は今までで最高の一撃は、しかし一歩引くだけの動きで回避される。
ずいっ、と懐に入られ、左足を払われる。天地が逆転した。咄嗟に足払いに合わせて跳んだとはいえ、身長180cm、体重75kg超の堂馬が片膝立ちから足を天井に向けるほどの剛力。老人どころか人類の範疇から片足を出している。
簡素な造りの小屋。剥き出しの梁に足が着き。
その梁を足指で掴む。
左足のみで体を支え、回転した勢いを乗せて、老人の左側頭部を打つ。受け流されるが構わない。その腕ごと叩きつけようとして。
木刀の棟に衝撃が走った。
下から受け、それを堂馬が押し込もうとする前に、神速で手首を返し、力を入れたと同時に棟を叩いたのである。
たまらず足を梁から離して着地。その時既に無防備な喉元に切っ先は据えられていた。例え木刀であろうとも、本気で突かれていれば、頸椎の関節はだるま落としのようにはじき出されていただろう。
「……参った」
「うん。ほんなら一旦休憩にしましょか」
「はい。先生」
どこか気の抜けた、妙な京言葉で話す。この老人こそ、堂馬の師匠である天王山万歳である。
堂馬より頭一つ小さい体。ぼさぼさの白髪を無理やり一括りにしている。皺は多いが溌剌とした顔の、上唇の部分に2寸ほどの刀傷が走る。
「だけどさっきのはあきまへんな。危のうなってから奇襲を、かけても奇襲になりません。ええっとなるとこでやりまへんと」
非常に胡散臭い老人である。香港だか東南アジアだかで用心棒をしていたらしく、いくつか日本語を忘れているふしがある。
伝える技も元があるのは確かだが、アレンジが入り過ぎて何の流派かさっぱり分からない。
しかし実力だけは疑いようもない。稽古において堂馬が一本を取れたことはなかった。
木刀を置き、水筒から薄めたスポーツドリンクを飲む。そろそろ雪の積もる季節だが、飲料の冷たさが心地よく感じる。
最近景気が良くなったためか、物騒な噂に事欠かない金城市であるが、そんなものを気にする堂馬でもまたない。
こてんぱんにやられはしたが、確実に近づいている実感がある。次こそは、と意気込んだ所でボロ小屋の戸を叩く者があった。
この頃妙に来客が多いなと、高一の時は四半期に一度来客があるかどうかだった堂馬は、コミュニケーション不全者特有の苛立ちを抱えつつ戸を開ける。
立っていたのは、狭い穴蔵に籠もって剣を振ってばかりいる侘びしいホビットの青年を冒険に誘うドワーフ。ではなく、背は低いが異常に厚みのある中年男であった。
「牛寅さん。なんだってこんなとこに」
「俺だって用もなけりゃこんな寒いあばら屋に入りたかねえよ」
「ご挨拶だな。雨風凌げるんだからいいだろ」
「凌げてねえから言ってんだよ」
クリーム色の年季の入ったトレンチコートに潜り込むように縮こまる。劇画調の線の太い顔に似合わず、細かい性質のようだ。天王山の住む家の横に日曜大工で建てられた道場は、床だけは無駄に頑丈だが、隙間風は外と殆ど変わらない。雨は気合いで凌ぐ仕様である。
「こりゃあ刑事はん。こないな、せまっくるしい所に、なぜ?」
「いや、天王山先生。挨拶もなしにすみません。ちょっとこいつに用がありまして」
「どうせ心霊がどうたらだろ?」
「うるせえ」
刑事、牛寅熊鷹が堂馬を睨む。やくざものでも震えあがる強烈な眼光だが、堂馬とて仮にも武芸者。人を三人くらい殺していそうな目で対抗する。ただの挨拶である。
といって来訪者である熊鷹がガンをつけたままでは話が進まない。目線を外して事件のあらましを語りだした。
山田ハイツというごく普通のアパートで異音がするという。住んでいる家族が管理人に相談したそうだ。出所は7階に住む独身の男の部屋で、聞いてみるとパソコンの冷却ファンを最大で稼動させているらしい。
耳障りなのは確かだが、別に我慢出来ないものでもないし、そんなことで近所と不仲になるのも馬鹿らしいので、その時は家族が引いたそうだ。
だがその音を子供が嫌がった。尋常の嫌悪ではない。小学4年生なのだが、まるで赤子のように泣き叫び、音を嫌がるあまり寝込んでしまったという。
さすがに人の親としてこれを放置してはおけない。管理人に音を止めて欲しいと強く要求した。
管理人としても怪しい独身男性より支払いの安定した家族を優先し、例の部屋に行った。
ドアが開いた時、管理人は後悔した。一人で行ったこともそうだし、世間体から男を追い出さなかったのも、何より部屋を貸してしまったことを。
遮光カーテンを何重にもかけた部屋は薄暗く、熱帯雨林のように蒸し暑かった。ぶうん、ぶうんとファンの回る音。片付いてはいたが、隠しきれない、腐った水の放つ異臭が鼻の粘膜にこびりついた。
男の様子は健常からかけ離れ、落ちくぼんだ目と、充血し過ぎで赤く色づく爛々とした眼。水に浸けた後で絞ったダンボールのような、土気色のやせ細った腕。太い体毛が肌をまだらに覆っていた。
こうなってはなんとしてでも出ていってもらわないといけない。敷金も返すから早いとこ出ていってくれと頼むと、あっさりと承諾された。
一週間で荷物をまとめて出て行くと言った言葉に管理人は不気味なものを感じた。無理を言っているのはこちらなのでそれ以上は要求しなかったが、一週間後に何かあるのではないかと不安でしかたがない。
それで顔は怖いが人情に厚いと評判の熊鷹に相談したわけである。
「じゃあ一人で行けばいいだろ」
「おめ、俺が幽霊苦手なの知ってるだろが!事件性なんてねえから令状もとれないしよ。お邪魔するだけなんだよ」
「まあその面でお邪魔しますはないわな」
「うるせえ」
つまるところ堂馬の無神経を利用したいのである。堂馬は人付き合いは悪いが妙に堂々としているため、相手を頷かせることにかけては一級である。
おまけに怪異現象など一顧だにしない常識の狂信者であり、悪者には強いがお化けだけは勘弁な熊鷹は、そういった事件に首を突っ込んでは堂馬に話を持ってくるのだ。
「そいつが出て行くまであと3日しかねえんだよ。人助けと思って、な?みかんもおごるからよ」
「ダンボール一箱だぞ。……ということで先生、申し訳ありませんが今日のところは」
「かまへんよ。好きにきて好きにいきなはれ」
天王山は鷹揚に手を振った。寛大というかおおざっぱである。
小屋を出て空き地を抜け、住宅街を進む。山がリアス式海岸のように平地を刻む地形。入り組んではいるが広くはない。歩けばすぐに着くだろう。
「にしてもあの爺さん、まさかあのあばら屋に住んでるわけじゃないよな?どこで暮らしているんだ?」
熊鷹が頭より太い首を傾げる。おそらく余っていた荒れ地を安値で買い取って建てたであろう小屋のほかには、竹が風に身を任せて揺れるだけであった。




