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彼女の昼

 二つ目のお願いをきいてから更に五年が経過した。


 五年前、豊穣の地を以て争いを治めた彼女だが、無論それだけで終わる筈がなく、如何にして聞きつけたのか教主の使いとやらが彼女を王都の大きな教会に連行した。

 一歩間違えれば魔女狩り待ったなしだったろうが、国は戦乱を発端とする政情不安に対して彼女を看板にすることで当座を凌ぐことにしたようだ。


 そして、数年のうちに彼女は名実ともに聖女となった。


 元より素質はあった。

 自然が鍛えた天性の感受性は預言という形で布告されれば外れることはなく、私の“眼”に頼ることすら一度としてなかった。

 外面は母親譲りの金糸の髪、顔立ちは素朴ながら器量よし、成長に従い体つきも丸みを帯びてきた。


 精神面で見ても、悪魔すらするりと受け入れる心の広さがある。

 なによりも苦難の中でも笑みを浮かべられる鈍か――精神的なタフネスが聖女という押し付けられた役目を本物にしてしまった。

 不本意ながら、目に見えぬ“私”(なにか)と談笑する姿が聖性を高めた面もあるだろう。

 彼女も特に私を隠す気はなかったようだ。逆に、四六時中誰かが傍にいる王都の教会での生活では隠そうとすればいらぬ詮索を呼びこんでいただろう。

 私は悪魔なので、実際には要るべき詮索であったようにも思うが。


 ともあれ、彼女の“朝”はこうしてその形を整えていった。

 惜しむらくは、聖女という型に嵌められた彼女はここでも名を与えられなかったことだろうか。

 悪魔としての私はそれを残念に思った。


 一方で、長年、彼女と共にあった私は現状を疑問にも思っていた。

 聖女として祀られ、日々を拘束されることを彼女が望むとは思えなかったからだ。

 権力欲や都会への憧れといった物からひどく遠い位置にいる娘なのだ。たとえ、五年前は無知からその誘いを断ることがなかったとしても、現在でも退屈な地位に甘んじていることは不思議でならない。

 逃げ出そうと思えば逃げ出せる筈なのだ。なんとなれば、三つ目のお願いを使えば余人の手が及ぶこともない。


 故にその日、刻々と近づいてくる彼女の“昼”を感じながら、私はその問いを口にした。

 彼女は好物の白パンを千切る手を止めて、「もう少し秘密にしておこうと思ったんですけど」と困ったように笑った。


「神さまの」

『私は悪魔だよ』

「悪魔さんの坐所(おわすところ)に行くにはこれが近道だと思ったからです」

『…………え?』


 もしも私に顔があれば随分と間抜け面を晒していただろう。

 十七を数える彼女はどことなく深みの増した笑みを浮かべて告白を続けた。


「たぶんですけど、悪魔さんをこっちに呼び寄せることはできないですよね?」

『うん、私の御神体は動かしようがないから、お願いを使ったとしても無理だろう』

「だったら、私が行くしかないですよね!!」


 両の拳を胸前でぐっと握る彼女に対して私はなんと声をかけるべきか迷った。


『……えっと、すごく遠いよ?』

「はい、なので教会の御力を借りようと思います」


 成程、聖女の地位に甘んじていたのはその為か。

 今の彼女が巡礼なり悪魔討伐なり適当な理由を付けて旅に出ると言えば、教会も十全の便宜を図ってくれるだろう。

 あるいは、処分する手間が省けたと喜ぶかもしれない。

 聖女人気は今や教主すら凌ぐ。彼女に具わった鋭敏な感受性ならば、そろそろ危機感を発していい頃だ。


『でも、どうしてそんなことをしようと思ったんだい?』

「え?」


 私の問いに、彼女は不思議そうな表情をして小首を傾げた。

 まるで不意に当然のことを訊かれたような態度だが、私には覚えがなくますます困惑した。

 だが、その時、私の脳裏にひとつの仮説がよぎった。


 ――彼女は、朝に聖女となり、昼に悪魔(わたし)を殺し、夜に惨たらしく死ぬ。


 成程、御神体を破壊されれば私はもはや存在しえないだろう。

 彼女はそれを本能的に察知しているのかもしれない。

 そうであるならば、運命よ、私にも考えがある。


『……詳しい場所を教えよう。途中までは海路で行くといい』

「はい、わかりました!!」


 朗らかな笑みを返す彼女にさらにいくつかの助言を与えながら私は心中で策を練る。

 兎にも角にも時間が必要だ。

 ここで三つ目のお願いを使われれば私は死ぬしかない。

 だから、お願いを使われないように、現実的に可能な経路の策定を企画する。彼女が聖女になって初めて、私は彼女の手助けをした。

 無い筈の胸がちくりと痛む。私は悪魔失格かもしれない。



 ◇



 数年の準備を経て、彼女は悪魔討伐の旅に出発した。

 長い旅になる。おそらくは帰ってこれないだろう。

 彼女はわざわざ田舎町から見送りに来た両親と抱き合い、別れの挨拶を交わし、同道する百人近い信徒と共に船に乗り込んだ。

 港には多くの民が詰めかけ、盛大に彼女の旅路を祝福する。

 膝丈まで伸びた金糸の髪を海風に揺らし、おおらかに手を振り返す彼女の姿は随分と聖女ぶりが板についていて、見ているだけの私ですらある種の感動を呼び起こされた。

 そうして、高らかな角笛の音色を餞に、彼女の旅が始まった。





 旅は予想通り、困難を極めた。

 まず海路の途上で心身の不調により半数近い信徒が脱落した。

 衛生環境から天候不順まで船上の問題は山積みだ。寄港する度に櫛の歯が欠けていくように信徒は消えていった。

 二年の航海を経て、なんとか目的の港に到着した時、残っていた信徒はわずかに二十人と少しだけだった。

 もはや帰りの船を運航できるだけの人員はいない。その事実を突きつけられて更に数人の信徒が抜けた。


 だが、目的地はまだ遠く、そして真の困難はここからだ。

 国、人種、宗教、言語、何もかも違う土地に彼らが育んできた常識は通じない。

 荷物をだまし取られ、人買いに浚われかけ、時にはその国の兵に追われ、彼女は残り少ない信徒を守るために奮闘したが、それでも脱落を防ぎきることはできなかった。


 たび重なる危難に精神を病んだ少年が彼女に襲いかかった時には既に、彼女につき従う信徒はもう一人としていなかった。


 それでも、彼女は死ななかった。


 もはや纏う服装の他に財産はなく、空腹で痩せこけ、重度の疲労が目の下に消えない隈を刻みながらも、その笑みはかつてと変わらなかった。


(何の冗談だ、これは……)


 私は心中を昏い炎で焦がしながら、奇跡のように変わらない彼女を見ていた。

 全知の眼で捉えるまでもなく、こうなることはわかっていた。

 彼女は諦めない。こうと決めたら絶対に諦めない。

 その結果がこれだ。私は悪魔なのに、彼女に苦難の旅路を強いたのだ。


 今も彼女は首を絞められたまま少年を抱きしめ、落ち着かせると、その足でひとつの商店に入った。

 そして、拙い異国の言葉を繋ぎ合わせてあっという間に件の少年を雇わせることに成功してしまった。

 殆ど言葉が通じずとも、突き詰めた人の良さというのは通じるらしい。

 彼女の感受性が鈍っているようには見えないし、私の全知の眼にもその店が後の世に名を残す分岐点が視える。少年の身の保障としては十分な場所だろう。


「あとは、これを……」

『!!』


 躊躇なく、彼女はその場で借りたナイフで母親譲りの金糸の髪を肩口でばっさりと切ってしまった。

 はらりと金の光が風に舞う。

 露わになった白い首に残る真新しい痣が痛々しい。

 だが、彼女は気にすることなく肩から膝までの、滝のように真っ直ぐな金糸の束を少年に手渡した。


「多少傷んでいますが、それなりの値段になるでしょう。当座の生活資金に充ててください」


 呆然と受け取る少年に別れを告げて、彼女は旅を再開した。

 聖女を崇拝する者はいなくなった。

 彼女の“朝”が終わったのだ。



 旅は続く。

 いくつもの山を超え、国を通り過ぎて、彼女は私の居る場所へやってくる。

 彼女は挫けず、変わらず、止まらず、一歩一歩私の元へと近づいてくる。

 だから、残る障害はただ一つ。



 地平線の向こうまで広がる一面の砂の海。

 もうすぐ三十歳になる彼女は目の前の光景にただただ息を呑んでいた。


「すごい。こんな場所がこの大地にはあったんですね」

『……』


 その表情が絶望を理由とするのであれば、まだしも救いがあっただろう。


『引き返すなら今のうちだ』

「……あ、神様」

『私は悪魔だよ。君が聖女であったように』

「あはは、なんだか懐かしいですね」


 ようやく悪魔らしいことができて私のちゃちな自尊心は少しだけ癒された。


『私の御神体へはこの砂漠を抜ける以外に道はない』

「じゃあ、行くしかないですね」

『……そう言うと思ったよ』


 こうして彼女と話すのも久しぶりな気がする。

 打てば響くような会話の応酬が胸の傷をじくじくと抉る。


 そして、彼女は砂の海へと出航した。


 彼女の歩みはそれまでの旅路に輪を掛けて遅々として進まない。

 昼は灼熱の地獄が日陰に縛り付け、凍てつくような夜と忍びよる毒虫が睡眠を妨害する。

 擦り切れた貫頭衣は纏う意味をなくして久しく、健気に足を守っていたカリガも千切れてしまった。


 それでも彼女は足を止めなかった。

 布を巻いただけの足は熱を吸い込んだ砂に容易く足を取られ、火傷と水ぶくれで見るも無残な有様だ。


「悪魔さん」

『……大丈夫。そのまま真っ直ぐでいい』


 それでも彼女は足を止めなかった

 幾度も巻き起こる砂塵に光を奪われ、私の指示だけを頼りに進む姿は痛々しさを通り越して絶望しかない。


「悪魔、さん」

『無理に話さなくていい。次のオアシスまで距離がある』

「……はい」


 たび重なる疲労に彼女の足が折れた。

 それでも彼女は這って先へと進み続ける。

 じりじりと体を灼かれながら、砂を掻くようにして進んでいく。

 何が彼女を急き立てるのか、何が彼女を生かしているのか、私にはもうわからなかった。




 それでも、長い長い時間を掛けて、遂に彼女は辿り着いた。


 砂に埋もれるようにして聳え立つ朽ちた岩山の頂上。

 大きな一枚岩の“悪魔の臍”、それが私が在る場所だった。



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