ふたりが出会った日
(ロボカップにていただきました)
“彼女”ははじめ指先ほどの大きさの1組の胤と種だった。
他の数多の人々と変わらぬ、ただの命だった。
人がいつから胤と種の交わりを胎児として数えるかは時代によって異なるが、運命というものは存在の発生と共に魂に刻まれる。
彼女がこの世に発生した瞬間、私は全知たる己の眼によって、その数奇な運命を識った。
私は全知の眼をもつ悪魔。
彼女の人生にいらぬちょっかいをかけ、かき回すことを今決めた、どこにでもいる寂れた信仰の残滓だ。
これはそんな私と彼女が出会い、そして終わるまでのお話だ。
『君は平凡に生きるべきだ』
とある国の田舎街にある小さな教会に彼女はいた。
お下がりのワンピースに、からからと音の鳴る木靴。
背丈はまだまだ伸び盛り、農作業で荒れた指先は美しく、後ろで三つ編みにした金の髪が稚い。
“彼女”に名前はない。この地方では名づけの風習がないからだ。住民みながお隣さんのようなものなので、どこそこの家の長女で通じてしまうのだ。
彼女を見守るようになって早八年、自然に囲まれた田舎町で両親の惜しみない愛を受けて彼女はすくすくと成長した。
学がない為に己の祈る神の由来を知らず、文字を読めぬ為に聖典を読み解くこともできない平凡で、しかし、無垢で朗らかな少女だ――今はまだ。
「か、かみさまですかっ!?」
私が声をかけると、彼女は両手を組んだ体勢のまま、弾かれたように顔をあげきょろきょろと辺りを見回す。
あどけない顔は窓から差す光で明るく照らされ、ヘーゼル色の瞳は驚きにまん丸く見開かれている。
その様を見るだけでも、声をかけた甲斐があったというものだ。
私は幾分かの笑みを滲ませて再度声をかける。
『いいや、私は悪魔だよ』
「……あくまさんが教会にいていいんですか?」
『おや、教会は誰に対しても門扉を開いているのではなかったかい?』
「それもそうでした!!」
『お、おう、それで納得するのね……』
見事に誤魔化されて朗らかに笑う彼女に、のっけから私は不安が増した。
とはいえ、私に出来ることは声をかけることだけ。やるべきこともまたそれだけだ。
『こほん、私は君の将来を知っています』
「じゃあ、今日のお夕飯もわかるんですね!?」
『今日はシチューだよ。君の好物だったね……じゃなくて』
何千年ぶりかに人に声をかけたが、私はどこかに威厳やら何やらを忘れてきたらしい。
かつてもこのくらいフランクだったら私の民も……いや、それは詮なきことか。
『君には三つの分岐点があります』
「ぶんきてん……?」
こてんと首を傾げる彼女に何と言えば伝わるのか私は暫し思考を彷徨わせた。
『簡潔に言えば、君という人生において既に決定している事項です』
「え、えっと……」
駄目だった。
『今日の夕飯がシチューであることがわかるように、私はちょっと先のことがわかるんです』
「なるほど!!」
彼女は納得したようにふんふんと頷きを返した。それでいいのか少女よ。
『とにかく、聞いてください』
「はい!!」
いい返事だ。
もっとも、彼女なりに真剣な表情を取り繕っているが、ヘーゼル色の瞳に爛々と宿る好奇心までは隠せていないが。
『――君は朝に聖女となり、昼に悪魔を殺し、夜に惨たらしく死ぬ。それが君の運命です』
「私があくまさんをころす……?」
『そうだ。君はいつか、必ず、私を殺す』
彼女はどことなく困ったような表情でその一節を繰り返した。
幼くとも生死についての理解がある。豊かな自然が彼女にそれを教えたのだ。
私は全知の悪魔だ。並行世界の果てまで覗き見ることができる。
しかし、全知であるが故に結末を知ることはできても過程を知ることはできない。
すなわち、因果の収束する“分岐点”は兎も角、蝶のはばたきひとつで変化する無数の“過程”については、その全てを観測しているが為に、却ってそのどれが選択されるかは確定するその瞬間までわからない。
故に、今度の『彼女が悪魔を殺す』という運命についても過程はわからず、その答えだけがわかっている状態だ。
更に言えば、彼女の発生を機に、己の死ぬ瞬間から先の未来も視えなくなった。
如何な全知とはいえ、私という視点を喪えば機能しえないのだろう。
『――というわけで、君が私を殺すのは確定していることなんです』
「ひとをころすのはわるいことだって、しんぷさまは言ってました」
『私は人ではないよ』
「そうでした!! ……でも、おうまさんやお犬さんだってしんでしまったらかなしいです」
『……ああ、そうだね』
男でもなく、女でもない、というか生物ですらない私だが、存在する以上は死にたくはない。
繰り返しになるが、私は全知であるがために、揺らぎのない分岐点しか知ることができない――逆に言えば、過程に干渉することはできる。
打てる手は打とう。この一度だけ運命に挑むのだ。これは私にとっても初めての試みだ。
『だから、私は君にお願いする。できるだけ、私を殺すのを待って欲しい。
――代わりに、私は君のお願いを三つ叶えよう』
「わかりました!!」
『え、即答?』
「はい。私はあくまさんをころしません」
果たして、彼女は悪魔と契約する意味をわかっているのだろうか。
契約は絶対で、因果に干渉したツケは彼女が払うことになるのだが、そこら辺を説明する前に頷かれてしまってはしょうがない。
契約は絶対。悪魔にとってもそれは真実だ。
「さっそくですが、ひとつめのおねがいをしていいですか?」
なし崩しに契約が交わされた直後、彼女はそう問いかけた。
早速か。しかし、好奇心旺盛な彼女だ。日々を鋤と鍬を振るうことに忙殺されている現状ではいくらでも望みがあるだろう。
人類は未だ鉄の嘶きをあげる蒸気の力も、夜を照らす光も手に入れていない。私が叶えられる領域はいくらでもある。
『構わないよ。君はいつでも権利を行使していい』
私は久しく感じていなかった興奮に心を震わせていた。
彼女がどんなお願いをするかは私にも視えない。
世界という大河に於いて、彼女の願いは蝶の羽ばたきに等しく、結果には何の影響も与えないからだ。
『さあさあ何を願うんだい? こう見えて、いや、姿は見えないけど、こう見えて私は願いを叶えることにかけては教会の神様より得意だと自負している』
「すごいです!!」
『それ素直に認めていいの? まあいいか。それで、どんなお願いだい?』
「はい。それはですね――」
そうして、彼女はとびきりの笑顔と共にお願いを詳らかにした。
その日、彼女の家の夕飯はシチューと白パンになった。
成程、夕飯はシチューという私の視た未来に相違はなかった。
『私は意外としょぼい悪魔なのかもしれない』
幸せそうに白パンを頬張る彼女の姿に言い知れない敗北感を受けながら私はひとりごちた。
そして、五年後、運命の告げる通り、彼女の“朝”がやってきた。