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第八話 遺跡都市―②




 トラブルが生じたのは、三件目の酒場でのことだった。


 端的に説明する。


 この店でもアーヴァイン氏の目撃情報は得られず、雑談に興じていたところで、あまりガラのよろしくない酔っ払いがレイチェルたちのテーブルに近づいてくると、


「おう、姉ちゃん。ちょっとオレに酒注げよ」


 むにっ――酔っ払いがレイチェルの胸を揉んだ音。

 ごすっ――レイチェルの裏拳が酔っ払いの鼻面を捉えた音。

 げしっ――キラの蹴りが酔っ払いの顔面を追い討ちした音。

 どすっ――バンの拳が酔っ払いの鳩尾を抉った音。


 電光石火の三連コンボであった。

 どがしゃんっ――吹っ飛んだ酔っ払いが進行上のテーブルを薙ぎ倒した音。


「なにすんだ、てめぇっ」


「ぐはっ」


「ああっ! ボス!」


 そのテーブルにいたお客さんが、セクハラさん(仮名)を殴り飛ばせば、別のテーブルがまた薙ぎ倒されて以下略。


「やんのか、コラっ!」

「やらいでか!」

「よくも、料理を台無しにしやがったな!」

「弁償しやがれ!」

「何処から飛んできやがった!」

「あのテーブルだ!」

「おや? 女の渡り鳥がいるじゃねぇか」

「いや、むしろ女の子だろ」

「じゃあ、一杯お誘いしないとな」

「かなり可愛いし、こんな場末の酒場にも潤いは必要だ」

「そうだそうだ」

「紳士に一杯誘おうぜ」

「なんでそうなるんですか!?」(キラ)

「野郎連れか、でも恋人って感じじゃねぇな」

「いや、別に恋人がいたって、酒場にいる女に声をかけるのは男の義務だ」

「そうだそうだ!」

「この先に進みたければ、俺の屍を越えていけ」(バン)

「バンくん。実はちょっぴりお酒飲んでる?」(レイチェル)

「おーし! 許可が出たぞ。一番、行きまーす!」

「二番は、オレだぁ~♪」

「それはそれとして、料理を台無しにしたおっさんは何処いきやがった!」

「あいつはぶん殴っとけ!」

「おうよ!」

「引き摺り出して、金抜いて、店の裏に捨ててやるぜ」


 まるでお約束のように大乱闘が開始された。

 ――以下、現在。


「………あ~あ~もう。困っちゃったなぁ……」


 はぁ……とため息を吐きながら、テーブルの下に身を潜めたレイチェルは呟く。


 グラスが飛び交い、食器が割れて、料理が虚空で舞い踊る。殴り合う酔っ払いが次々と床に積まれていく。せっかくの丹精込めて作ってくれたお料理が床の上で無残に踏み潰されるのは悲しい出来事です。


 乱闘の中心になっているのは、キラとバンの二人。


 背中合わせに立つ彼らは、雲霞の如く押し寄せる酔っ払いの同業者を、殴り飛ばしたり蹴り飛ばしたりしている。さすがに精霊魔術までは使っていないけども、かなり容赦のない体術で酔っ払い集団を捌いている。


 一人を殴ってしまえば、あとは雪だるま式なのがこの手の店の客層である(多少の偏見が入っています)。


 他所者(後から店に来たという意味で)に仲間(それまで一緒に店にいたという意味で)を殴り倒されては沽券に関わるといわんばかりに、ほとんど全員が乱闘に参加している。主な理由はナンパのためという説もあるけども。


 こういう時の連帯感はお酒が入っているからこそなのだが、その場の勢いというのは面倒である。

 悪意がないのがまるわかりで、むしろ素面である側が気を遣わなくてはいけない。


「どうしようかなぁ~?」


 食べかけだったパスタをフォークに絡ませながら、レイチェルは呟く。


 乱闘のきっかけとなったセクハラさん(仮名)の姿は見えない――というか、むしろ率先してボコボコにされていたのを視界の端で見ていたので、あの言葉通りに裏に捨てられた頃合かも知れない。


「――となれば、わたしがいなくなれば、その内に沈静化するよね」


 空にした皿を乱闘に巻き込まれないように床に置いて、レイチェルは中腰で移動を開始する。


 その途中で、頭を抱えているウエイトレスさんに多めに代価を渡して頭を下げる。


「騒ぎを起こしてしまってすみません」


「いえ、後片付けは大変ですけど、わりとよくあることなので。むしろ、わざわざ代金を払いにきてくださってありがとうございます」


「………………このお店、大丈夫なの?」


 発言内容に心配になることしかなかった。


「そういう街なんです」


 悟りが開けたような笑顔を浮かべるウエイトレスさん。


「あ。裏口はそちらです。それとあなたにセクハラをした人は、この街であまりいい評判は聞かないけれど、比較的大きな『ギルド』の人だから気をつけて」


「そーなの。ありがと」


 裏口まで案内してくれた上に、忠告までしてくれたウエイトレスさんに笑顔で感謝を告げて、店を出る。


 その直前に、キラとバンに目配せと指での簡単な合図を送る。

 こちらの動向を視界の隅で常に確認していた二人と意思の疎通は完了。


 ドンチャン騒ぎのほぼ中心にいる二人には、ほとぼりが冷めるまで適当に暴れてもらって、レイチェルはとりあえずの脱出を図る。


「さて――」


 意外と奥深い店だったからか外に出た路地裏は、通り一つ分程度の距離なのに表通りとは異なり薄暗い。


 わりと建物が密集しているので、表通りに戻るには少し手間取りそうだった。

 適当に見当をつけて、早足で歩き出す。


「………うぅん」


 しばらく移動している間に、悪意を宿した粘着質な視線が背中を追いかけているのに気づいて、レイチェルは少し眉間にしわを寄せる。


 事態の推移を傍観していた時間が長かったので、その間にボコられて捨てられたセクハラさんが体勢を立て直して、仲間を呼んだのだろう。


「嫌なのに絡まれちゃったかなぁ~」


 小さく呟きながら、レイチェルは勘で曲がったりしながら足を動かす。


 あまりいい評判を聞かない大きな『ギルド』の人――とウエイトレスは言っていた。


 この場合の『ギルド』は、渡り鳥たちへの窓口となっている協会的な組織を示しているのではなく、徒党を組んだ渡り鳥の集団を示している。


 個人主義者の多い渡り鳥ではあるが、中には大きな街でそうした組織を立ち上げて羽根を休めたり、住み着いたりする渡り鳥もいる。


 どちらかというとレイチェルの『家族(フアミリー)』も、ある意味においては『ギルド』に分類される関係である。


 さて。

 仮に、そうした評判の悪い集団と揉め事を起こした場合はどうなるか?

 盗賊や山賊よりも腕の立つ連中に付け狙われるという結果になる。

 簡単な『Q&A』を終えて、結論を呟く。


「やっぱり、ここは捕まらないように逃げるのがベストだね――っと!」


 早足から駆け足にしようとしたタイミングで、横から人影が飛び出してきた。

 進行方向を遮られる形になり、足を止めざるを得なくなる。


 不意の衝突事故未遂ではなく、明らかにレイチェルの足を止めるのを目的とした動きだった。さらに後方から複数人の足音。


「やっぱり、地理を把握している人たちからは簡単に逃げられないかぁ……」


 ため息混じりに呟いてから、腰の左右に下げられている白と黒の二丁拳銃に手を添える。


 ギリギリで大人が三人並んで歩けるぐらいの広さの薄暗い裏路地で、前方を待ち伏せしていた一人に塞がれて、後方から二人が距離を詰めてくる。


 さらに、その二人の背後から、ゆっくりと歩いてくる男。

 いや、正確にはどうにも真っ直ぐ歩く余力がないのか、妙に頼りない足取りでフラフラしながら歩み寄ってくる男。


「ぷっ、あはっ、あははははははは♪」


 荒事になるのが前提で身構えていたレイチェルは、その男を見た瞬間に堪え切れずに笑い出していた。久しぶりにツボにはまった為に、お腹まで抱えてしまう。


 何故なら、セクハラさん(?)は有り体に言って、ボコボコだったからである。


 一瞬見た顔の面影など残らずに、完全に腫れ上がった挙句に服もボロボロになってしまっている。かなり手荒な扱いを受けたようだが、どうも評判の悪さが暴行に拍車をかけたかのような有り様である。

 日頃の行いはやはり大事なのだと思った。


「な、何がおかしいっ!?」


 唾を飛ばしながら喚く男に、笑いを継続したままレイチェルは指を差して一言。


「全部。」


「な、なんだとぉうっ!」


 口の中を切っているのか、どうも言葉の調子も変に上擦っている。


「ところで、あなたは誰さんかな?」


 見当は付いているのだが、万に一つも別口だったら話がややこしくなるので確認のつもりで問いかける。


「オレの顔面に裏拳入れといてなんだその態度はっ!」


「あ。やっぱり、さっきのセクハラさんなんだ」


「わかってんじゃねぇかよ!」


「いやいや、だって顔が変形してるもん。元々じっくり見たわけでもないし、わかるわけないよぉ~」


「――ぷっ」


 思わず出た一言に、前方を塞ぐ男が吹き出す。


「おい、お前」


「失礼」


 仲間に突っ込まれて軽く頭を下げる辺り、その男性はあまり乗り気な様子ではないみたいだった。


「このオレがギルド――『ファントム・ペイン』のマーベリックだと知った上で、そんな挑発かましてんのかっ!」


 こめかみに浮かせた血管をピクピクさせながらセクハラさんが言う。


「知らないよ。今日この街に来たばかりだもん」


「………………」


 気勢をあっさり流されて、思わず黙り込んでしまうマーベ……セクハラさん。


「それで、なにか御用ですか?」


「このオレになめた真似しといて、逃げられたら面子に関わるんだよ」


「………ちっちゃいプライドだなぁ~」


 小声の呟きはセクハラさんにまでは届かない。


「だから、オレ様流の詫びを入れさせに来たんだよ」


「一応聞くけど、何を求めてるのかな?」


「てめぇに何かしてもらうつもりはねぇよ。オレが無理矢理させるんだ。女に生まれたことを後悔させてやるぜ」


「うっわ……最低。」


 反射行動で手を出したのは悪いとは思っていたので、相手の態度次第では妥協点を探ろうと思っていたのだけれど、やっぱりこの手の輩には話し合いが成立しないのだと再認識した。


「そもそも、先に手を出したのはそっちでしょ。

 知らないの? 女の子に手を出す時は惚れさせるか、代価を払って合意を得ないといけないんだよ。無料(タダ)は駄目なのよ」


「うるせぇっ! お前ら、黙らせて拉致れ!」


「……ったく、へいへい」


 やる気なさそうな声を出しながら、前方を塞いでいる男の人が動き出す。


「後でこっちにも回してくださいよ~」


「なかなかいい体付きだ。じっくりと楽しめそうだな」


 さらに後方の二人が下卑た笑みを浮かべながら寄ってくる。


「とりあえず、そっちがそーゆーつもりなら、わたしも遠慮はしないよ」


 白と黒の二丁拳銃を抜き放ち、その銃口を前後から迫りくる男たちに向ける。

 その迷いの無い動作に、素手でにじり寄っていた男たちの顔に緊張が宿る。


「おいおい、そんな物騒なモンを人様に向けて引き金が引けるのかよ」


「引けるわよ。ちゃんと非殺傷設定にしてるから、当たっても死なない程度に痛いだけだし。ちなみに白い方は『白兎(ホワイト・ラビツト)』で、黒い方は『黒猫(ブラツク・キヤツト)』って名前を付けてますのでよろしくね♪」


 サドちゃんとアッくんの二人に貰ったこの二丁拳銃は、見た目は汚れ一つないピカピカの新品なのだが、千年単位の古代遺跡から発掘された代物なのだと聞いている。つまりは、太古の魔法文明の遺産ということになる。


 大気を漂う微弱な魔力を吸収し、弾丸として放つという単純構造であり、放たれた弾丸は一定時間が経過すると再び大気魔力に還元されるというエコ設定。扱いが習熟すれば、連射や誘導操作、砲撃などのバリエーションが追加される。


 おまけに、使用者として登録された人物の任意で取り出し自由という便利な機能もついているのである。レイチェルは基本的に常に具現化しているのだが、その気になれば手ぶらを装えたりもする。


 そんな素敵に便利な代物の引き金を――レイチェルはあっさりと引く。

 前を塞いでいた男の足に拳大の魔力弾が直撃する。


「――っ、ぐあぁぁぁっ! 痛ってぇぇぇぇぇぇっ!」


 フルスイングされたハンマーで殴られたような痛みに絶叫しながら、そのまま弾丸の勢いに押されるように吹き飛ばされて壁に激突する。ドガシャンとこれまた痛そうな音がした。


「あなたはそんなに悪意があるみたいな感じじゃなかったから、それぐらいで許してあげる」


「………そりゃどーも………」


 苦痛に顔を歪めた男は、そう言ってからパタリと倒れた。


「ち・な・み・に、あなたたちにはもう少し余分に痛い目をみてもらうつもりなんだけど、どーする?」


 仲間があっさりと倒される光景を見せ付けられた他の二人の男は、思わずといった風に二の足を踏んでいる。


「怯んでんじゃねぇぞ、さっさとやれっ!」


 セクハラさんの怒声も、思い切らせるには至らない。


「基本的に何もしない人が、いっつも一番偉そうだよねぇ~」


 わざわざ相手が動くまで待つ義理もないので、レイチェルは体の向きを変えて、二人の男にそれぞれの銃口を向ける。


「これは真面目な忠告なんだけど、多分、まだわたしに倒された方がそんなにひどい目には遭わないと思うよ?」


「くっ………うぉぉぉぉっ!」


「ちぃぃっ!」


「………いや、そんなあからさまにやられ役っぽく特攻してこないでも………っと。」


 視界の端で、わずかに空気がパチッと帯電したのを見て取ったレイチェルは引こうとした引き金から指を離して、後ろに軽く跳躍した。


 その直後。


 動き出した男たちの背後に、小さな規模で雷光が迸り、バンが忽然と現れる。


 精霊魔術――『雷』属性の恩恵を受けたバンの、一時的に自身に雷を纏わせることで稲妻の速度を再現できる超速移動の魔術。負担が大きいし、直線移動しか出来ないと聞いているが、条件を満たせば、人間の反射神経すら凌駕する。


 前兆を感知したレイチェルは気づいたが、セクハラさんたちは未だにバンの存在を認識していない。

 そして、レイチェルが効果範囲から離れているのを確認したバンは、なんの遠慮もなく攻勢に出る。


「――雷刃・乱舞」


『ぱぎゃうっ!』


 放たれた雷撃が三人の男を直撃し、焦がしながら意識を刈り取る。


「少し遅くなった。大丈夫か?」


「うん。大丈夫♪ キラくんは?」


「別方向を探している。ところで、こいつらは?」


 その質問は攻撃する前にするべきなのだが、お互い気にしていない。


「さっきの酒場のセクハラさんとその仲間だよ。逆恨みで追いかけられちゃった」


「そうか」


 小さくうなずいたバンが、完璧に気絶しているセクハラさんの背中に手を添えて、軽く雷撃を奔らせる。ダメ押しを受けたセクハラさんが、プスプスと焦げた香りを漂わせる。


「ついでに記憶も飛ばしておくか」


 本気の声音でセクハラさんの頭に手を伸ばそうとするバン。


「いやいや、特に問題はなかったから、そこまでしなくてもいいよ」


 レイチェルは二丁拳銃をクルクル回してからホルスターに収めながら、下手をすれば廃人コースな対処をしようとするバンをさすがに止める。


「ちょっと面倒なのに目を付けられちゃったけど、これぐらい痛い目みたらもう手を出そうとは思わないだろーし、ね?」


「レイチェルがそう言うならばそうするが、そうした情けを屈辱と受け取る人種もいる。この手の輩は特にそうしたタイプが多い」


「ま、大丈夫だと思うよ。徒党を組んで襲われても、みんながいるしね」


 もっとも、そこまでの歪んだ根性を見せてしまうと、その場に居合わせる『家族(フアミリー)』次第では、セクハラさんの『ギルド』は完膚なきまでに壊滅してしまうので自重して欲しいとレイチェルは切に願わざるをえないが。


「さ、行こ」


「ああ」


 そして、路地裏には焦げた物体が三つと気絶した男一人が取り残された。



 ● ● ●



 それから、すぐにキラと合流して、レイチェルは街の散策を再開する。


「自分の行いを棚上げして逆恨みするような輩にはうんざりしてしまいますね」


 レイチェルから簡単に話を聞いたキラは、肩を緩く上下させる。


「それはそれとして、もしかしたら、養父さんよりも先に僕たちが騒ぎを起こしてしまったかも知れませんね」


「気にしな~い気にしな~い。次に行ってみよ~ぅ♪」


 あの程度のことならば、二重の意味で日常茶飯事なのは疑う余地がない。レイチェル的にも、この街的にも。


 言葉通りの意味でレイチェルは気にしていない。むしろ、被害がかなり軽減できたと思っているぐらいだった。もしも、アイリーンかリオンが居合わせていれば、血飛沫が飛び散るか、何も残らないかというぐらいの惨状が生じていたはずだ。


「ですが、合流予定の時間まであまり余裕はないですよ」


 太陽の傾き加減を見たキラが言う。


「う~ん。それなら、もう一件を手早く済ませて、今日はもう終わりにしよ?」


 ちょうど看板の見えた酒場をレイチェルが指差した瞬間、入り口をぶち抜いて人間が転がり出てきた。明らかに自分の意思とは関係のない不自然な体勢で地面を滑っていく。まるで放り投げられたみたいな感じだった。


 さらにもう一人、さらにさらにもう一人、おまけにもう二人。

 合計で五人の男が、路上に積み上げられた。彼らは完全に気絶しているようで、ピクピクと小刻みな痙攣をするばかりでまるで動き出す気配がない。


「揉め事の予感がしますね」


「右に同じ」


「とりあえず、遠巻きに見学だね」


 ざわめきながらも慣れた風に見学の輪を作っていく人たちの一部になるレイチェルたち。


「――ったくよぉ、人が酒飲んでいい気分になってる時に、わざわざ絡んでくるんじゃねぇよ」


 店の入り口から、のっそりと巨漢の男が出てくる。


 軽く二メートルを越えた長身は、巨漢というよりも巨人と評するべきかも知れない。逞しく鍛え上げられた肉体は筋骨隆々だ。三十路近くのいかにも男臭いその顔に浮かぶ表情は獰猛な笑みであり、左眼の上に走る三本爪の傷跡が凶悪さを上積みしている。


 端的に言って、獣のような男だった。


「「――っ!」」


 キラとバンは息を飲み、反射的に臨戦態勢に入る。


 その男はあくまでも自然体であり、怒気や殺気を放っているわけでもなければ、周囲を威圧しているわけでもない。外見的要素が人を寄せ付けない雰囲気を醸し出してはいるが、その程度ではキラもバンも警戒をしたりはしない。


 彼らを警戒させたのは、その男が意図的に潜めている『実力』だ。


 そして、長く『そこ』に身を置いていた彼らだからこそわかる違和感。

 血の匂いと死の気配を濃厚に漂わせる――戦場の空気をその男は纏っていた。


 あの男は、同類だ(・・・)

 そして、こちらよりもさらに突き抜けている。


 人間じゃなくなるほど人間を殺している。殺した人間を喰らうことで、人間よりも上の位置に達している。桁外れの脅威。何か得体の知れない人外の、怪物の魔気とも言うべき次元の異なる威圧感。


 周囲に気取らせぬように意図的に潜めている気配を、なまじ半端に実力があるために感じ取ってしまったキラとバンの背中を冷たい汗が伝い落ちる。


「危険だな」


「うん。あれは真面目にヤバい。下手に関わると確実に血煙が舞う」


 かつての経験が敏感に危険を察知させ、同時に『勘』が警鐘を鳴らす。


 あの獣のような男は、その気になれば一瞬で周りの人だかりを肉の塊に変えるだけの実力とそれを躊躇しない精神を宿している。


 そう。

 ――たとえ、気絶させた酔っ払いから財布を抜き取っていたとしても。


「これは迷惑料としてもらっとくぜ」


 キラとバンの警戒にも反応を見せずに、軽い足取りで酒場へと戻ろうとする男。


 特に盛り上がるような展開には発展しなかったので、人だかりもまた三々五々と雑踏の中へと帰っていく。


「………………」


「………ふぅ………」


 強張った体から力を抜いて、安堵の息を漏らす二人。

 そんな二人の傍らで、ポカンと口を開いてその男を見つめていたレイチェルが、ポツリと小さな声で呟いた。


「サドちゃんだ」


「「は?」」


 キラとバンの間の抜けた声。


「わーっ♪ わぁーっ♪ 本当にサドちゃんだぁ~っ♪」


 喜色満面という単語に相応しい満開の笑顔で、男の下へと走り出すレイチェル。


「サ~ドちゃ~ん♪」


「あん?」


 怪訝な顔で振り返る巨漢。


 その視線が駆け寄ってくるレイチェルを捕らえた時には、ピョンと跳ねたレイチェルが男の首に両手を回して抱きついていた。


「おっとっと………って、おおっ! レイチェルか」


 危なげもなく受け止めた男が、目を丸くする。


 途端に、内側で渦巻く数多の混沌ですらも沈静化した。まるで直前に感じた魔気が何かの錯覚だったのでは思うほどに、男の抱く異質な気配が雲散霧消した。


「そ~だよ♪ わたしだよ~♪ わぁ~もぉ、すっごい久しぶりなのに、全っ然変わってないね~♪」


「お前は少し変わったな、おい。少し背が伸びたか?」


 レイチェルが落ちないように背中に手を回しながら、男――サドちゃんが言う。


「「え? マジで?」」


 そんな和気藹々とした雰囲気を醸し出す二人の様子に、キラとバンが驚きの声を発する。


「いや、待て。待て待て待て」


「あの外見で、サドちゃん……だと?」


「ありえない」


「信じられん」


 ――サドちゃん。


 かつて、行き倒れたレイチェルを助けた命の恩人。その後もなにかと面倒を見て、一人前の渡り鳥として羽ばたかせた二人組みの片割れ。

 キラとバンが『サドちゃん』なる人物の情報として知っているのはその程度である。


 なにかと話題には出すレイチェルだが、その中身は面白おかしい思い出話が大半で、その人物像というか外見情報などはあまり口にしていなかった。


 故に、キラとバンの中で思い描かれていた『サドちゃん』の人物像は、こうして目の当たりにした現実とはかけ離れたものだったのである。


 キラにいたっては、女性と思っていたほどである。


「それが、まさかのアレ(・・)なのか」


「ああ。驚いたな」


「………うん」


 そんな風に呆然と言葉を交わす二人は置いてけぼりに、レイチェルとサドちゃんの会話は弾みを帯びていく。


「サドちゃんがここにいるってことは………?」


「ああ。あいつもいるぜ」


「やったぁ♪ あ、そだそだ。わたしも『家族(フアミリー)』を見つけたんだよ。二人にも紹介したいから、えっとえっと………どうしよ?」


「まあ、落ち着けよ」


 鷹揚な笑みを浮かべながら、その外見に似合わない丁寧な優しさで、レイチェルを地に下ろす。わずかに足を曲げて、レイチェルに視線を合わせた彼は破顔しながら、眼前にある頭を撫で回す。


「お互いに時間がないってわけでもねぇだろ」


「うん。そうだね」


「なら、ゆっくりすればいい。俺たちは逃げも隠れもしないさ」


「ホントに?」


「お前には嘘を吐かないよ」


 その言葉に嬉しそうに笑ったレイチェルは、本当に無防備に男に抱きついた。


「おやおや、賑やかだと思えば、これはまた意外なところでの再会になりましたね。レイチェルさん」


 そして、また酒場から出てくる男一人。


 年齢は二十代後半ぐらいだろうか。長身の部類に含まれるだろうが、肉付きは薄く、どちらかというと痩せているというべきだろう。どことなく枯れ木のようで、引きこもりの研究者のような印象を受ける。


 白衣と眼鏡を装備していれば完璧だろうが、実際は旅装に長剣という装備である。


「アッくん♪」


 弾んだ声で振り向くレイチェル。


「お久しぶりですね。お元気そうでなによりです」


 人の好い温和そうな笑みを浮かべながら、これまたサドちゃんに抱きついたままのレイチェルに歩み寄って、その頭を撫でる。


「わふん。髪がくしゃくしゃになっちゃうよ~♪」


「ところで、あちらのお二方はレイチェルさんのお知り合いですか?」


「あ。忘れてた。

 キラく~ん、バンく~ん、こっちこっち~♪」


 ブンブンと手を振るレイチェルに、二人は顔を見合わせる。


「………行こうか?」


「そうだな。いつまでもここで立っていても往来の迷惑になるだけだ」


 完璧に状況に置き去りにされていたキラとバンもようやく気を取り直して、ある意味においては異質な空気を放散している空間へと足を踏み込んでいく。


「こんにちは。私はアッシュと呼んでください。あちらはサザンでお願いしますね」


 アッくんと呼ばれていた男性が、歩み寄るこちらに対して柔和な笑みで歓迎の意を示す。


「キラです」


「バン、だ」


 サドちゃん――いや、サザンと同質の気配を持つアッシュにやや警戒を捨て切れず、愛想のない挨拶になってしまった。

 だが、アッシュはそんなこちらの様子に気を悪くした風もなく、むしろ興味深そうな反応になった。


「おや? では、君たちが彼の――」


「おいおい。いつまで騒いでるつもりなんだ」


 言いかけた言葉を遮る形で、新たな声が割り込んでくる。

 その声がひどく耳に馴染んだ声であったので、二人してバッと視線を移動させる。


 そこにいたのは――

 アーヴァイン=スレイプニル。


 年の頃は四十代近くぐらい。右眼に眼帯を巻いている。無造作に無精ひげを伸ばしているために野性味が全身から発散されているのだが、裏腹にひどくしなやかな体躯をしているために獣が人間の形になっているかのような印象を受け、ボサボサの金髪がなおさらその印象を高めていた。


 例えるならば、人型のライオンだろう。

 そして、キラとバンの養父でもある男だった。


「養父さん!」


「おやまあ、これまた意外な顔触れが雁首揃えたもんだなぁ、おい」


 サザンとじゃれ合っているレイチェル。全体を俯瞰するような視線で微笑ましそうにしているアッシュ。困惑の色を隠せないキラ。何処に視線を定めるべきなのかを図りかねているバン。そんな彼らの様子を面白そうに見ているアーヴァイン。


 それぞれに多種多様な様相を見せるこの状況。


 さて、どうしたものかとキラが内心で首を捻っていると、髪をくしゃくしゃにされたレイチェルがそれを手櫛で直しながら、全員の注目を集めた。


「………えっと、そろそろ他の『家族(みんな)』とも合流する時間だから、この際だからみんなで集まるのはどうかな?」


 異論は出なかった。




 これで遺跡都市編における主要人物は全員登場しました。多分。次の話はかなり賑やかな会話が交わされそうです。

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