第四話 とある船路の一幕―③
そんな一幕を経た後の昼食時。
レイチェルたちの乗る商業船の食堂へと場面は移る。
テーブルを囲んでいるのは、レイチェルたち(リオンを除く)と救出されたキラとバンの五人である。
「………酷い目にあった」
ボソリと呟いたのは、バンである。
責めるような意図はなく、彼の抱いた率直な感想である。
口数の少ないタイプなので誤解を招きやすいが、レイチェルたちもある程度は性格を掴んでいるので悪い方向に受け取ったりはしない。
年の頃は、レイチェルよりも少し上で十八と自己申告。金髪。長身。中肉中背。さしたる特徴と呼べるほどの特徴を持たない少年と青年の狭間。やや老成した空気を纏っているが、それは生い立ちが関係したものである。
無表情と無口がデフォルトで、必要が無ければ何日も無言で過ごせる。だが、無愛想というわけではなく、話しかければきちんと応答する律儀さは有している。
「あははは……」
まだ幼さの面影を残したキラが、困ったように微笑する。
こちらも年齢は十八。茶髪を肩の下まで伸ばし、それを項で束ねている。
硝子細工のような繊細さを含んだ顔立ちとやや痩せた体躯が、脆そうな印象を見る者に与える少年である。頼りないと言い換えることもできる。
この二人もレイチェルと同じ大陸の出身で、お互いに他大陸に渡った後に知り合った渡り鳥仲間だ。
「いやぁ~、あはは。ごめんね。お昼はごちそうするから許して?」
「悪かったわね」
愛想笑いをしながら言うレイチェルの傍らで、腕組みして豊かな胸を強調しながら尊大な態度を崩さないアイリーン。
「ア・イ・リ~ン!」
「土下座をすれば許してもらえるのかしら?」
レイチェルがそろそろ本気で怒りそうな空気を感じ取ったアイリーンは、即座に態度を翻す。キラやバンなどはどうでもいいのだが、レイチェルに嫌われるのは困るのだ。
「いやいや、まあまあ。ご存じなかったことではありますし」
「別に怒ってはいない。無様を晒したのは、こちらの修行不足だ」
忸怩たる風に呟くバン。
「いやいや、予兆の感知すらするヒマのない速攻かつ強烈な爆撃だったから。死人が出ないのが不自然なぐらいの一撃だったから。アレは無理。絶対に無理だから」
手をブンブンと横に振るキラ。
基本的に丁寧な口調なのだが、付き合いの長い人には砕けた口調になるタイプである。
「そう? 十分に手加減はしたつもりなんだけど」
「確かに死人が出る類の攻撃ではなかったのですが」(クライブ)
「一瞬で意識が刈られた」(バン)
「船が沈んだんですけど」(キラ)
「――だったんだよ?」(レイチェル)
「だから、十分に手加減してるでしょ?」
死人がでなかったんだからそれでいいじゃないと言いたげな風情である。力に対する認識というか、その使い方というか、そうしたものに対する考え方にそもそもの隔たりがありそうな感じで首を傾げるアイリーン。
ちなみに、海に浮かんだ海賊連中だが、一人残らず海の藻屑になったと言いたいところではあるが、全員を救出した上で船倉に縛って放り込んでいる。港に着いたら然るべきところへ突き出された上で縛り首になる運命なので、ある意味では気を失ったまま海の藻屑になった方が幸せだったかも知れないが、それもまた因果応報である。
運ばれてきた昼食を平らげながら、会話の流れはお互いの近況へと変わる。
「それにしても、お久しぶりですね。レイチェルさん」
「確かに久しぶりだ」
「そうね。あの『お祭り』以来だから、二ヶ月ぶりくらいかな?」
「そうなりますね」
「元気してた?」
「ああ」
とうなずくバン。
素っ気ない風でもあるが、これがバンの標準仕様である。
「ええ。まあ、それなりに」
「そっか」
にっこりと嬉しそうに笑うレイチェルに、キラは穏やかな表情でうなずきかけてから、視線をアイリーンへとスライドさせる。
「アイリーンさんもお元気そうでなりよりです」
笑顔を崩さずにキラ。
「あんたもね。元気そうでとても残念だわ」
アイリーンも眩いばかりの笑みで、さりげなく毒を吐く。
表面上はにこやかながらも、含みのありそうな笑顔で笑い合う恋のライバル二人。
「いえいえ、先ほど危うく元気でなくなるところでしたよ」
「そう? 何があったのかしらね」
「悪意ある不意打ちを受けたわけですが、いやはや自分の修行不足を思い知りましたよ」
「己が未熟を恥じるといいわ。それとレイチェルが誤解するかも知れないから、敢えて訂正しておくけれど、あの攻撃に関して言うなら他意はないわ。私は本当に、あんたなんかには気づいていなかったわ」
「気づいていたら、また違った対応があったかのような口振りですね?」
「あら? そう聞こえた。そんな当たり前の事をわざわざ言葉にする必要があるとは思っていなかったのだけれど」
「具体的にどうするつもりになりかねなかったのかを、是非ともお聞きしたいですね」
「少なくても、あんたが浮くことはなかったでしょうね」
「あはははは。暗に沈めるといってるように聞こえますよ」
「そう言ったつもりよ。うふふふふふふふ」
「あっはははは♪」
「うっふふふふ♪」
微妙に背筋の冷える笑い声に、クライブとバンは苦笑。
「相変わらず、二人は仲良しさんだね~」
そんな無邪気なレイチェルの言葉に、キラとアイリーンはうなずく。笑顔を装うために細めた目は、お互いを蛇蝎の如く射抜いていたが。
ちなみに、レイチェルにも会話の内容は聞こえているのだが、二人が早口なので理解にまでは至っていない。そもそもレイチェルに理解されては困るという一点においては、二人の利害が一致しているのだから当然だが。
あくまでも笑顔でこめかみに青筋を浮かべた二人の応酬が一段落したところで、美味しそうに海鮮炒飯をパクついていたレイチェルがキラに話しかけた。
「ところで、キラ君はいろいろと馴染めてる?」
「どうでしょうね。馴染む努力はしているつもりですけど」
どこか申し訳なさそうなものを含んだ薄い笑みを浮かべるキラ。
「そちらはどうですか?」
「みんなといっしょで、毎日がとっても楽しいよ。あれからもいろいろとあってね。たくさん話したいことあるし、よかったらたくさんお話を聞かせて欲しいな」
「ええ。喜んで」
屈託なく笑うレイチェルを、やや眩しそうに見るキラ。
「………………」
そんな相棒を横目で見やり、軽く肩を上下させるバン。
彼との付き合いが長いという点を差し引いても、キラがレイチェルに好意を抱いているのは明白なのである。本人は周りに隠す努力をしているつもりのようなのだが、その点は相も変わらずに馬鹿正直だ。
やや余談となる話ではあるが――
キラには、とある事情で精神に刻まれた深い傷に苛まれて、塞ぎこんで惰性で無為に日々を過ごしていた時期がある。
アイリーン曰く、『死んだ魚がさらに腐ったような目』で。
レイチェルたちと出逢ったのは、『こいつはもう駄目かもな』と匙を投げかけていた頃だった。
初の邂逅を迎えたのは、ある街で請け負った古代遺跡探索の仕事の時だ。
広がった奇妙な巨岩郡。その内部は岩をくり抜いて作られた巨大な地下都市は、全容が未だに解明されていない底深く広がる迷宮だ。
先発組であるキラたちと後発組だったレイチェルたちが、数日を経て迷宮内で遭遇したのだが、その時にちょっとした一騒動があり、協力して迷宮からの脱出をするような状況になったのである。
そして、レイチェルとキラの二人が罠にかかって、一時分断されるという状況があった。
再び合流した時にキラの目には、燻った迷いになんらかの答えを見出しつつある『光』が垣間見えるようになっていた。
なにがあったのか。どんな会話が交わされたのか。
追求はしていないし、正直なところ興味もない。
バンは、ただ安心と感謝をしただけだ。
それから数ヶ月を経て、キラはようやくの社会復帰を果たした。
一つの恋心の芽生えとともに、かつての繊細さの面影すらも残っていない強かさを持って、恋のライバルに挑みかかれるほどに。
――まあ、いい話風にまとめても、レイチェルは全く気づいていない様子で、恋愛に現を抜かす気も全くなさそうなのだが。
バン的には、苦労しそうだなという感想を抱くに留める。
彼のように傍から見ている分には、アイリーンの存在がかなり凶悪ではあるものの中々に面白い人間模様ではあるのだ。
………妙な八つ当たりが被弾しない限りは、だが。
「そういえば、先程は聞きそびれたのですが、アーヴァインさんはどうして一緒ではないのですか?」
会話の流れの中に生じた隙間に、クライブが質問を挟み込む。
アーヴァイン=スレイプニル。
年の頃は四十代近くぐらい。右眼に眼帯を巻いている。無造作に無精ひげを伸ばしているために野性味が全身から発散されているのだが、裏腹にひどくしなやかな体躯をしているために獣が人間の形になっているかのような印象を受け、ボサボサの金髪がなおさらその印象を高めていた。
例えるならば、人型のライオンだろう。
「うん? ………あぁ、あの人が散財したから路銀が底をついた。だから、二手に分かれて資金調達の最中だ」
パスタをフォークでクルクルしながら、バンが言う。
「路銀が底をついたって。………大丈夫なの?」
くるりとバンの側へと振り返るレイチェル。
「渡り鳥は、慢性的に貧乏なんですよ」
――と、切実な響きを宿した声でキラ。
「そうなの?」
レイチェルは家族を振り返る。
「ウチは財布の紐を握ってるのが、堅実だからそんな風にはならないってだけで、渡り鳥は基本的にお気楽極楽主義が多いわよ」
アイリーンがやや偏見の入った発言をする。
「やや極端よりの意見のような気もしますが、一つの場所に長期間留まらない性質の渡り鳥は、金銭面での貯蓄が難しいという側面があるのは事実ですね」
「そうなんだ」
クライブの言葉に、レイチェルはうなずく。
「――ともあれ、その程度では問題にはならない。俺たちからしてみるとそれぐらいの逆境は今も昔も日常茶飯事だ。
金が無い? ならば草でも食えばいいだろう?」
「………………………………………………………………」
「いや、バン。そこまで飢えてるわけじゃないから」
なんでもないことのようにバンは言うが、キラも含めてやや引く一同。
無言で料理の盛られた皿を差し出すレイチェル。
かつて、準備不足から行き倒れた過去を持つ彼女の琴線に触れたらしい。
「? ありがとう」
首を傾げながらも、受け取って食べるバン。
「そういう意味では、アイリーンさんの言う渡り鳥像を体現していますね、あの人は。最近は特にその場のノリで生きているので」
「そうだな。刹那的というのか、そういう傾向が強くなったな」
それが善いか悪いかは判断のつかないバンなのだが、それなり以上に楽しそうではあるので問題視はしていない。
「あ~、なんかわかる気がするわ」
「同類は同類を知る……ということでしょうかね」
しみじみと呟くクライブ。
「なんだと?」
「なんでもありません」
睨まれて、視線を外すクライブ。
「十日後に遺跡都市で合流する予定だが、予定が狂うのは前提となっているので日数はあまり気にしていない」
「遺跡都市?」
「ああ」
「奇遇だね。わたしたちもとりあえずは遺跡都市を目指してるんだよ。なんだか面白そうなところだって話だから」
「ええ。そうらしいですね」
「だったらさ」
ぽんっと手を合わせて、レイチェルが提案する。
「せっかくまた逢えたんだし、目的地も同じなんだから、いっしょに行こうよ?」
その提案に顔を見合わせるキラとバン。
アイコンタクトによる会話で、即座に結論を出す。
「そちらに不都合がないようなら、ボクたちは喜んで」
「同行させてもらう」
「みんなもいいよね?」
「いいわよ♪」
チッとレイチェルに見えないように舌打ちしていたアイリーンだが、彼女が問いかけに振り返ると即座に輝かんばかりの笑顔を浮かべて快諾した。
その変わり身のあまりの早さとキラにだけは確実に見えるようにしている態度に、キラは唇の端を吊り上げて応戦。
「勿論です」
快諾しながらも、内心ではため息を吐くクライブ。
レイチェルに好意を抱いているキラとレイチェルを愛しているアイリーン。
怨敵と書いてライバルと読む関係の二人が表向きは平穏を装いながらも、どのような暗闘を繰り広げるのか幸先不安になるのだった。
キラに関しては『いい子なのになぁ~』という感想を抱いているのだが、過去のアイリーンの嫌がらせの数々でやや性格が歪んだ感がある。出会った当初は死んだ魚のような目で、それからしばらくは繊細で頼りなさげながらも気丈な感じで、ここ最近に至ってはアイリーンと張り合えるまで強かになった。
成長という意味ではかなりの飛躍なのではないだろうか。
あんまりよくない方向への成長のような気がしないでもないが。
そうしたクライブの内心を正確に見て取ったバンは、同情するような視線を向けつつも、不謹慎かも知れないが生温く見守ろうと思っていた。
「それじゃあ、とりあえずは港に着くまで、船の護衛をがんばろ――――っ!」
『おぉーっ!』
なんとなく、握った右手を突き上げる一同だった。
そんな一幕を交えながら、船旅は続く。
その後は特に問題もなく、ほぼ予定通りに港へ到着した。