第一話 とある遺跡での一幕
危険を顧みない旅路を生業とする者たちは、訪れた町で様々な『依頼』を引き受け、その報酬で路銀を稼いでいる場合が多々ある。
それは渡り鳥たちも例外でなく、同時にそれが為し得なくなった者たちは悪事に身を染めて堕ちていくものである。この時代における盗賊や山賊といった人種の約五割がその手合いだというのが、ギルドの調査によって導き出された統計だったりする――というような横道にそれる話はさておき、そうした『依頼』の種類は概ね決まっている。
町の近辺に出現する魔物退治、物品の搬送及び警護、人の捜索、などといったものが主な種類である。
今回。
レイチェルが『ギルド』――渡り鳥(あるいはそれに準ずる職種の方々)への窓口のような役割を担う組織で、それなりに規模のある町にはかなりの確率で支部が存在しており、また横の繋がりも幅広いために情報のやり取りも盛んである――から引き受けた『依頼』は、立ち寄った町の近くにあった遺跡の再調査。
古くから存在し、すでに発掘し尽くされていたと思われていたのだが、近年の大雨の影響で一部が崩れ、さらにその奥――地下へと続く隠し階段が発見されたのである。町長は考古学者の要請を受け、有志による調査団を編成し、調査に乗り出したのだが。
地下に続く階段を下りた先に広がっていたのは、魔物の徘徊する広大な迷宮だった。
死者数名、重傷者多数という散々たる結果を出した一回目の調査を経て、町長はギルドへ要請を出し、それを受けたギルドはたまたま町を訪れていた渡り鳥の一行――レイチェルたちに依頼を持ちかけたというのが事の顛末である。
そして、数日分の食料や装備を整えて、遺跡の調査を開始したレイチェルたちの現在はというと――
ゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロ………
擬音化するとそんな感じであろうと思われる音が轟音で、傾斜になっている狭い通路を埋め尽くしていた。
ありがちといえば、この上もなくありがちな罠。
あまりにもポピュラーなトラップ。
通路をきっちりと隙間なく埋め尽くした丸い大岩が転がっている。ネズミでさえもやり過ごせそうにない悪意に満ちた完璧な計算で仕掛けられた大岩は、哀れな獲物を地面にメリ込ませるために傾斜になっている通路を加速しながら転がり続ける。
微妙にゴツゴツしたわずかな突起が、追われる者たちに悲惨な末路を想起させる。
悲鳴は三つ。
「きゃあああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」
びっくりしました驚きました大変です助けてください――そんな感じの訴えが込められている悲鳴。焦りまくっていながらも、平常状態ならば可愛らしい声なのだろうと思わせる透き通った響きがある。
彼女の名前はレイチェル。
レイチェル=バドウィング。
年の頃は十五、六。ややクセのあるピンクの髪を肩まで伸ばしている。際立った容貌の持ち主ではないが、不思議と見る者に暖かみを感じさせる顔立ちであり、飾らない笑顔が出逢う者を例外なく魅了してきた。
そんな少女である。
もっとも、今は笑顔を浮かべる余裕もなく、必死の形相だが。
長旅に備える風に手が加えられた――言い換えれば、基本的に肌を露出させない若干無骨なワンピース姿だが、腰に捲かれた白と黒の二丁拳銃を収めたホルスターが、不似合いなようでいながらも年季の積み重ねからか様になっている。
先頭を駆ける彼女の後を追うのは――
「………うわぁぁぁぁ………」
とことん平坦で、なんとなくお義理で付き合っていますというような感じの捻くれた印象を聞く者に抱かせる声。
闇色の髪、漆黒の瞳、無機質な無表情を浮かべる面は仮面の如く、虚ろな生気を漂わせている。レイチェルも幼さを残してはいるが、彼は本当の意味で幼い子供だった。自己申告によれば十三歳。成長期に差し掛かったぐらいの痩せ細った体躯の持ち主だ。敏捷性を優先した薄手の軽装。投げナイフや『小道具』を仕込んだジャケット。首には高価そうなリボンをスカーフのようにして巻いているのがチャームポイント。
リオン――それが彼の『名前』だ。
「わぁーい♪ 大変ですわぁ。きゃぁ~、怖~い♪」
最後の一つは、前者といささか異なる。緊迫した状況とスリルを心底楽しんでいるかのような響きの込められた、多分に喜びを含む形ばかりの悲鳴。
アイリーン=ウィンスレット。
自称二十歳前後。謎は多いが、実力は確かな三人目の渡り鳥。
まっすぐに伸びた金色の髪。真紅の瞳。透けるように白い肌。幾多のパーツが違和感なく組み立てられたどこの貴族のご令嬢かと思わせる端麗たる容姿に加え、その格好も場違いながらも凄まじい。白い薔薇が装飾された鍔広の帽子に加え、惜しみのない高級素材で仕立てられたとわかる純白の――現状でさえもシミの一つもない――ドレス。幾多の装飾品。
魔物が徘徊し、数多の罠が仕掛けられた遺跡の地下迷宮などにいるよりも、どこぞの王家が催した舞踏会場にでもいる方が明らかに正しいと万人が断言する――そんな違和感を満載した女性である。
そして――
「困りましたね」
無精ひげの生えたあごに手を添えて、なにやら思案下なうなり声と一緒に呟きを発する四人目の渡り鳥。眼鏡の奥にある眼差しを閉ざし、手入れの行き届いていない髪を風にそよがせている落ち着いた感じの中年男性――クライブ=ハードナーは、最後尾という立ち位置を維持しながら疾走しつつも、冷静に現状に至った工程を脳裏で思い返しているようだった。
やや痩身な体格を、長旅と戦闘に備えてバランスの調整を施している重量感のある外套で覆っている。疾走に合わせてはためく重たげな音に混ざって、彼の早口な呟きが同行者の耳に届く。
「あまりにもポピュラーでありきたりな罠であるがこそ、物理的な問題から単純な正面突破は難しい。レイチェルさんの二丁拳銃では破壊力が乏しいので岩の破壊は無理。同様の理由でリオン君の攻撃力も足りない。アイリーンさんは………まあ、思い切り今を楽しんでいるので頼んでも無駄ですね。現状では僕の技でも『貫通』はさせられても『破壊』には至らない。いや、実に困った話ですね。はっはっはっ」
この状況にあって尚、余裕と柔らかな物腰を失わぬ佇まい。それは積み上げてきた年齢に比例していると言えなくもないが、現状にはなんの効果もない。
「つまり、打つ手がないからこのまま走り続けるしかないというわけか。行き着く先が壁だったら………プチッと潰れるな」
朗らかに笑って出された結論に、リオンがわかりやすい翻訳をぼそりと口にする。
「あっさりと絶望的な答えに帰結しないでぇぇぇぇっ! もう少し考えようよ! 明るい未来を模索し検索し実現する工程を!」
先頭を全力疾走しているレイチェルは器用に頭を抱えながら、絶叫同然に言う。
「しかし、このまま走り続けるというのも体力的な問題から困難ですね。とりあえずは、それなりに広い場所に出るまで耐え抜かなければならないわけですが、それはいかにも効率が悪い。となれば、簡単な解決法を模索してみるとしましょう」
思案顔であごに手を添えたままのクライブが、並走しているアイリーンへとこれまた器用に上半身だけを向ける。
傍から見ると不気味だが。
「アイリーンさん」
「んぅ~? どうかした?」
「この状況が既にこの上もなくどうかしているのですが、それはいいでしょう。とりあえず、そろそろ貴女の遊び心も満足した頃合いではないでしょうか? そろそろ現状を打破するための一手を見せて頂けませんか?」
「やだ♪」
あっさりと要求を退けるアイリーン。
その答えは十分に想定の範囲内だったのでクライブは慌てもせずに、冷静に続ける。
「元を正せば、貴女が面白半分に発動させた罠なんですよ。それをこのまま無責任に放置して、レイチェルさんを危険に晒すというのは貴女の主義に反するのではないですか?」
「うん。そーだね。でも、レイチェルは『こういうのも楽しい♪』って――」
「言ってない言ってない言ってないぃぃぃぃぃぃぃぃいっ!」
「えぇ~? 『何にもないのもちょっと味気ないなぁ~』なんてこっそり呟いてたじゃない。さっき。だから気を利かせてあげたのにぃ~♪ ほら、おかげで今はとってもスリリングで楽しいって気分でしょ♪」
「やり過ぎよぉぉぉぉぉぉぉっ!」
「という、レイチェルさんの涙混じりの抗議は、貴女の心に響きませんか?」
「………魔族だ」
追い討ちのように付け加えられたリオンの一言に、さすがのアイリーンも困ったように笑みを軟化させる。
「まあ、現実問題………岩を砕くだけの『力』を使うと上の階層がそのまま降ってきそうな感じなのよね。ほら、この遺跡かなり古いし。ところどころ脆いところもあるってあんたも言ってたし。その劣化状態に結構な衝撃と振動を加えるとかなり危険っぽいのよ。おまけに連日の調査とか巣食った魔物退治で、少し構造に被害を与えるような無茶もしてるしね」
……まぁ、やろうと思えば、指を曲げる程度の労力で優しく粉砕できるけど――と心の中で呟くアイリーン。
「………怠慢の言い訳っぽいな」
「あら、本当よ。よかったら試してみる?」
日頃の行いを鑑みてか鋭く見抜くリオンだが、それを証明する手段を持たないので、アイリーンの余裕は全く崩れない。
無謬な漆黒と悪戯っぽい紅の瞳が交わり、刹那の火花を散らす。
「………………」
視線を先に外したのはリオンだった。密やかにため息を吐き、
「いい。止めとく」
「賢明な判断よ。お姉ちゃんは大事にしないとね」
余計な一言に舌打ちを漏らすリオン。
「結論としては、現状維持のまま全力疾走を続けなければならないようですね。このフロアはまだ全体を把握していませんし、白紙の部分を今も駆け巡っているので僕にはよい案が浮かびません――というのが本音です。不本意ですが、何か悲観的ではない方向性で一言ある人はいませんか?」
「心配しなくても、そろそろよ」
あっさりと。そんな一言を発して注意を引いたのは諸悪の根源。
その明らかに重要な部分を省いた言葉の意味を三人は理解できなかったが、そんなことにはお構いなしにその言葉に含まれた意味は、目の前に確かな形で現れる。
急速に開ける視界。
狭い通路から一転して、広いフロアへとレイチェルたちは駆け込んでいた。
行動の迅速さで言えば、それはリオンが誰よりも速かった。
「姉ちゃん!」
瞬時に状況を見抜くと敏捷性に定評のある自慢の両足の瞬発力を最大限に発揮し、レイチェルに抱きつくような形で横っ飛びに跳ぶ。
「ひあ……ん!」
驚きの声を上げるレイチェルをかばうように自身の体を下にしたリオンは地面の上を滑っていく。わずかな惰性を使い切り静止した二人の傍らを、ほんのわずかな隙間だけを残して大岩がゴロゴロと緩まぬ轟音と共に転がり去っていく。
「いたたた………」
少し顔をしかめながら上半身を起こすレイチェルに、寝転がったままのリオンは少し不安そうな色を帯びた声をかける。
「大丈夫か?」
「うん。大丈夫よ。ちょっとだけびっくりしたけど」
「よかった」
安堵したように呟くリオンの無表情がわずかに緩む。それは特に見慣れた者にしかわからない微細な変化だったが、それを見取ったレイチェルは微笑み、素直な気持ちと一緒に手を伸ばしてリオンの頭を撫でた。
「ありがとう」
「うん」
「微笑ましい光景ね。麗しの姉弟愛を感じるわ」
そんな暖かな光景にあっさりと割り込む諸悪の根源――アイリーン=ウィンスレット。
汚れはおろか、ホコリさえも付いていないドレスの裾を微風になびかせながら、意味もなく美しいポーズをとっている。
いつの間に逃げたのかという問いかけは意味を持たない。彼女の実力を思えば、大岩相手に走って逃げる必要すらそもそもないのだ。それをわざわざしたというのは、本当に言葉通りの意味で『遊んで』いたからに他ならない。
「アイリーンさん」
「さんはいらないわよ。レイチェル。何度言わせるのかしら?」
「アイリーン」
「どうしたの? 疲れた顔をしてるわよ。私が癒してあげましょうか? 手取り足取り淫らにねっとりと」
怪しげな笑みを浮かべたアイリーンが、舐めるような視線を注ぐ。
ゾクリと背中が寒くなる。
「いい。いいったらいい。遠慮しとく。遠慮させて。お願い。
それよりも、こんな大惨事なお遊びはもうしないでね」
「レイチェルがそう言うなら、しばらくは控えるわ」
にっこりと悪意のない笑顔で言うアイリーン。
さりげなく『控える』という言葉でオブラートに再発の可能性を示唆されたレイチェルは、悪気のない友達の耳にうかつな発言を金輪際届かすまいと心に誓う。
結局のところ、何の解決にもなっていない無益な会話を聞いてもいなかったリオンは、二人に何気にその存在を忘れ去られている人物を愚直に追いかけている大岩を見ていた。
「あれ? 僕は置いてけぼりですか!」
リオンのような瞬発的な敏捷性には恵まれていないクライブは、横っ飛びに逃げることもできずにひたすら直進を強いられる。
冷静沈着を自身に心掛けているさすがの彼も、ふと気づけば前にいたはずの三人がいなくなって後ろで談笑している――していないが――という光景には、胸を突かれるような寂しさを感じてしまうのだろう。
「そんな悠長な現状認識をして、足の動きを鈍らせていると潰れてしまいますわよ?」
そんなクライブの必死の自己主張に、「おほほ」と高飛車なお姫様笑いで忠告――というにはあまりにも不親切な言葉を贈るアイリーン。
「へ? ………あ!」
言われて自らの速度が落ちているのに気づいたクライブが、反射的に背後を振り返った時には、もう背中に触れる寸前の距離にまで大岩は迫っていた。目が見開かれ、その口が末期の言葉を吐く暇をすら与えずに――
ぷちっ!
一つの命の終焉を告げるには、あまりにもあっけない音だけを残して、大岩は彼の上を通り過ぎていた。
「クライブさーん!」
レイチェルの悲痛な叫びも、大の字で地面にメリ込んだ彼には届きはしなかった。
………念のため、死にはしなかったとここに記しておく。
● ● ●
そんなわりと愉快な一幕を交えながらの遺跡の調査も二日後には終了していた。
都合、合わせて六日に及ぶ探索であったが、人寄せの話題になる成果を期待している節のある町長の期待には及ばず、目ぼしい収穫――太古の遺物や金銀財宝の類――はなかった。
まあ、それはレイチェルたちには関係のない話である。
町まで戻ったレイチェルとクライブはその足で、ギルドの仲介人に報告をしている。
場所は宿屋の食堂。
久しぶりの暖かい食事を味わっているレイチェルの傍らで、ギルドの仲介人とクライブは熱心に話し込んでいた。
ちなみに、リオンは「眠い」と言って部屋で仮眠中。アイリーンにいたっては「めんどい♪」と断言して散歩に行った。
「地下迷宮には、野生の魔物は生息しておらず、遭遇したのは悪霊や亡霊の類が大半を占めた。基本的に遭遇したものは倒したが、数百年単位の間に凝り固まった死者の怨念は、地下迷宮そのものを覆う一種の『結界』と化しており、定期的に悪霊が生産される可能性は高い。よって、教会関係者に浄化の要請を出すことを勧める……と?」
「はい。私はそうする必要があると思います。新たに発見された遺跡の深部は、恐らくはそれなりに人を集める話題になるでしょうが、一般の方々には危険度が高い場所なので、可能な限りの安全を確保するのはこの町の義務だと考えます。余計なお世話かもしれませんが、危険を被る観光地は外聞が悪く、町の評判を落としてしまいますからね」
「ふむ。この件は町長に話をして、考慮していただきましょう」
近眼というわけではないのだろうが、読物を目にする時の癖なのだろう。眼鏡をかけたギルドの仲介人は感心したような呟きを漏らしながら、クライブがまとめた報告書を閉じた。
「素晴らしく詳細な報告書ですね。慣れておられるのですか?」
「ええ。まあ」
感心を多分に含んだ言葉に、クライブはわずかに照れたような素振りを見せる。
こうした依頼に報告書の提出が義務付けられているわけではないのだが――律義なクライブはいつも報告書を提出しているのだった。
「すごーい。クライブさんって学者さんみたい!」
食事に意識の大部分を割いているレイチェルだったが、それでも目の端で眺めるぐらいはしていたのだろう。遺跡内で最後の仮眠を彼女がとっている間に作成したらしい件の報告書の詳細ぶり――内部の見取り図には敵との遭遇場所、崩落の危険性があるところや罠の仕掛けられた地点が細かく記載されており、その他にも彼自身が気になった事や歴史的な考察等がレポートされている――に目を丸くして、手放しで賞賛の言葉を贈る。拍手のおまけ付きで。
「………一応、現役の考古学者なんですが」
ちょっと寂しそうに呟くクライブであった。チームを組むと決まった時の自己紹介でその旨は伝えたつもりだったが、どうやら忘れられていたらしい。
ぱっと見の外見が全くそれらしくないというのは自分でもわかっているのだが、一抹の悲しさはある。
「渡り鳥との兼業なのですか?」
「どちらかというと、渡り鳥の方が副業になりますがね。私は『欠けた歴史』………空白の時代の〝真実〟を追い求めているんですよ」
「ほう」
興味を惹かれたように、身を乗り出す仲介人。
「空白の時代は既存の書物には記されていない失われた知識ですからね。それを知ろうと思えば、まだ誰の目にも触れていない古の遺跡を捜し求めるのが一番確実です。いうなれば、そのための渡り鳥稼業なんですよ」
「なるほど」
どこか羨むような光を宿した眼差しでクライブを一瞥した仲介人は、ふとした拍子といった風に口を開きかけたが、それを自制するように再び口を閉ざした。
短い沈黙が両者の間を漂い、それをきっかけにクライブは会話の軌道を修正する。
「おっと、すみません。少し話が脱線してしまいましたね」
「いえ、お気になさらずに。楽しい時間でしたよ」
仲介人は微笑み、居住まいを正す。
「それでは、これであなた方へ依頼した仕事は完了です。ご苦労様でした」
丁寧に頭を下げた仲介人は、銀貨の詰まった皮袋を差し出し、パーティーの財布を任されているクライブはそれを受け取る。提示された額よりも重みがあるのは、想定以上の仕事をこなした彼らに対するギルドからのボーナスだろう。
今晩は少し豪華な夕食にしようと考えながら立ち上がったクライブに続いて、食事を終えたレイチェルも腰を浮かしたのだが、何かを思い出したように仲介人が二人を呼び止める。
「あっと、すみません」
「はい?」
その視線が向けられた先にいたレイチェルが、軽く首を傾げる。
「もう一つ用件がありました。レイチェル=バドウィング様宛のお手紙が届いていたので、それをお渡しします」
「わたしに、ですか?」
「はい。差出人は明記されておりませんが、ギルドを通じて確実に貴女の手に渡るように手配されています」
「んん~?」
ますます不思議そうに首をひねるレイチェルだった。
そのような手間賃のかかる手段で手紙を出される覚えはないし、そんな手段を用いなければならない相手にも心当たりはなかった。
白い便箋には差出人の名が明記されておらず、中身を見ずになんらかの判断をするのは無理そうだった。
「どうぞ。お受け取りください」
「……わかりました。ありがとうございます」
得心には至らないながらも、レイチェルは差し出された『手紙』という名目の封筒を受け取った。浮かしかけていた腰を椅子の上に戻して、封筒から手紙を取り出す。
「あ。お姉さまからだ」
広げた手紙に視線を落とした直後に、レイチェルは弾んだ声を上げた。
「お姉さまというと、レイチェルさんのお姉さんですか?」
「うん。そう」
クライブの問いにどこか上の空っぽい返事を返し、レイチェルは紙面に記されている文字を目で追う。
集中したい様子なので、クライブは仲介人に視線を向けた。
「ところで、我々はこの大陸にきて日が浅いのです。これといった急ぎの予定も無いのでのんびりとした道程にしようと思っているのですが、どこかお勧めの観光スポットなどはありませんか?」
「期待に添えられるかどうかはわかりませんが、この時期ですと南にある遺跡都市にいくのもいいかもしれませんね」
「それはまた興味をそそられるフレーズですね」
「観光地としてもそれなり以上を期待できますし、なによりも大きなイベントが年中無休で開催されていますので、ぜひ足を運んでみるとよいでしょう」
「イベント、ですか?」
「ええ。渡り鳥の皆さんや腕に覚えのある方々にとっては、とても楽しい類のイベントです」
「戦技武闘大会でもあるんですか?」
ぱっと聞いただけで浮かんだのが殺伐としたものになってしまったのは、集まるメンツに問題があるのか、自分の発想が貧困なのか、少し悩むクライブだった。
「似て非なるものですかね。私の口から申し上げるのはこれくらいにしておきましょう。あまり話しすぎるのも立場上よくありませんから。あとはご自身で足を運んでみてください。あくまでも、よろしければのお話ですが。
ただ、徒歩や馬車ですとそれなりに距離がありますので、まずは東のアルスウーナの街まで戻り、海路で行くのをお勧めしますよ」
少しだけ悪戯っぽい笑みを浮かべて、仲介人は椅子から腰を浮かせた。
「最後に一つだけお聞きしてもいいですか?」
「内容次第ですね」
「その遺跡都市と呼ばれる街にある『遺跡』は、何の遺跡ですか?」
「百年以上前に空から墜ちてきたお城、らしいですよ」
「へ?」
ピクリと反応したのは、手紙を読んでいるレイチェルだった。
それは周囲の気を引くものではなかったので仲介人は気づかず、「それでは失礼します」と丁寧に告げて、食堂を立ち去っていった。
「あれ?」
「どうかしましたか?」
「………うん。あれ? なんだろうね。わかんないや。どうしたんだろ?」
きょろきょろと周囲を見回しているレイチェルは、自分が何に反応したのかわかっていない様子だった。
クライブもその瞬間を見逃しており、互いにその疑問を深く追求しようとはしなかった。
「ところで、お姉さんからの手紙はどうですか?」
レイチェルは照れくさそうな笑みを浮かべて、
「いろんなことをちゃんと書けって怒られちゃったよ」
「それはまた」
「えへへ」
「それにしては嬉しそうですね」
「うん。手間をかけさせちゃったけど、こうやってお姉さまからお返事がもらえると嬉しいよ」
まるでその手紙が『お姉さま』であるかのように、優しい手つきで胸元に寄せる。
「仲のいい『姉妹』なのですね」
「うん。仲のいい『家族』だよ」
それからレイチェルは読み終えた十数枚にも及ぶ長い手紙を封筒にしまい、
「そういえば、お仕事は終わっちゃったけど、今日はゆっくり休むとして、明日からはどうしようね?」
クライブに今後のことを尋ねた。
行き当たりばったりというわけではないが、基本的に後のことをあんまり考えていないのが、渡り鳥という人種の大多数の習性であり、それはレイチェルも同様である。特に彼女の場合は大前提としての目標はあるのだが、それは理路整然とした道筋を辿っていくものではないのだから尚更にその傾向が強かったりするのだ。
………訂正。レイチェルはかなり行き当たりばったりの女の子です。
故にパーティーの今後の行動方針を決める役割を押し付けられたのは、クライブなのである。他に選択肢が無かったともいうが。
「ああ。それなんですけど、先程の仲介人さんから面白そうな観光地の紹介をしてもらいましたよ。特に今後の予定も決まっていませんから、そこまで足を運びませんか?」
「うん。わたしはいいと思うよ」
内容も聞かずに即決するレイチェル。
悪いことではないのだが思い切りがよすぎるなぁ、とクライブは内心で苦笑する。
「では、他の方たちには夕食の時にでも改めて切り出すとしましょうか」
「それでそれで、どこに行くの?」
興味心身で身を乗り出すレイチェルに、クライブは先ほど仲介人から聞いた話をそのまま伝えるのだった。