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VS

作者: 蟹井公太

 ――本日も快晴なり。



 VS





 ずどん、という表現ではいささか軽くに過ぎる音がリングに響く。

 双方の衝突による衝撃波は防衛結界の魔粒子をさざ波のごとく揺らす。虹色に揺らめく壁に人々は不安と期待、興奮と羨望の入り混じった視線を向けていた。

 半径百メートルある円形のリング。それを囲む高さ十メートルの壁。リングを囲むように丹念に防衛結界が構築され、その外側は観客席となっている。


 コロッセオ。

 それも、世界にただひとつの目的のためだけに作られた特別製。


 観客の種類は様々。人間、獣人、翼人、魔族、精霊、神霊、質量体、精神体、神話体。ありとあらゆる種族のありとあらゆる種別のありとあらゆる世代のありとあらゆる性別の者らが、この場に集まっていた。

 世界の行く末、それを楽しむために。





 拳の先にまとわりつく風さえももはや凶器。回避と防御をひたすらに存在の許す最上の領域でこなす。そうでなくては、見合った刹那に勝負にもならず勝敗は決す。

 繰り返される攻撃の応酬は、そういった類のものだった。


 アルジェン・アストゥーリ。

 二十一歳。男性。

 純粋な、混じりっけなしの人間。


 レゾナスマレクト・ヴァ・ミーシェリアナミクストレニミス。

 大体七千歳くらい。たぶん。見た感じ男。

 絶対存在。終末の属性を抱えた何か。


 リングの中央で、二人の男が、ただひたすらに殴り合っていた。

 アルジェンは無表情に。レゾナスマレクトは笑顔で。


 ――相変わらず、重い。


 レゾナスマレクトの拳に込められた力が尋常ではない。それは単純な腕力だけではない。気力、獣気、爽気、魔力、霊力、神力、理力、心力、存在力。その全てが濃密に無駄なく絡められ、津波のように押し寄せてくるのだ。一瞬でも気を抜けばその瞬間、呑み込まれて死ぬ。

 故に気は抜かず、故に死なない。

 それがアルジェンのルールだ。己に課した己だけの馬鹿げた法則だ。

 相手の右腕が振り切られた、その隙をついてこちらの拳を全力で見舞う。

 レゾナスマレクトのように無数の力を込めることはできない代わり、ひたすらに高められた気力は可視光すら帯びるほどに高まっている。

 そしてまた、衝撃。レゾナスマレクトが素早く対応したもう片方の手により、互いの拳が衝突したのだ。

 大気が震え、拡散した力により防衛結界が震える。

 それに合わせるように、目の前の男も震えて笑う。

「あっはっはっは! 面白い、面白いなぁおいアルジェン!!

 やはりお前はいい! お前との戦いは体を、拳を、魂を熱くさせる!!

 我のまあそれなりに長い生において、戦事でこのようなことは、なに、初めてであるぞ!!」

「それなりって歳でもねえだろお前は……!!」

 むやみやたら楽しそうな相手と違いこちらに余裕など欠片もない。そもそもが存在としての格が違う。相手は神さえ敵わぬ世界殺し。正面から相対しておいて微塵の余力さえ存在するはずがないのだ。


 そもなぜこんな所でこんなふうにこんな奴とこんな事をするはめになったのか。

 何が悪かったのか誰が悪かったのかといえば、世界と自分が悪かったことになるのか。アルジェンは無感動にそう結論づけた。それ以外の結論など出せるはずもなかった。





 世界が終わる。

 それはアルジェンが生まれた頃にはすでに常識となった言葉だった。

 千年。その周期で世界に降り立つ絶対存在。そのものにより世界は終わるか、あるいは終わらないか。

 これまでに二度、世界は滅びを回避した。

 これまでに四度、世界は滅びに屈服した。

 そして今回。

 それが五度目となるのか、三度目となるのか。それは誰にもわからない。

 世界が終わる。

 それはアルジェンにとって常識的なことであり、前提であり、乗り越えるべき壁であった。

 しかしだからといって、己が当然のようにそのものに直面することになる、などとも考えてはいなかった。

 百日間の闘争。

 滅亡の回避のために与えられた猶予であり、唯一の手段でもある。

 つまるところ、絶対存在が破壊のために肉体をこの世界に定着させる百日間。その百日間の間に絶対存在を殺してみせることが、滅亡回避の唯一の方法である。



「みんながアルを馬鹿にしているわ」

 そんな事を言われたのは十七の誕生日の日のことだった。

「わざわざ兵隊になりにいくあなたを馬鹿だといっているわ」

 兵隊になりにいく。

 彼らの年代ではそれは即ち絶対存在と戦う事を意味していた。それは同時に死ににいくのと同義であった。千年の単位で滅びの危機に瀕する世界ではあるものの、人間の性か、戦いは尽きない。千年おきに一致団結はするものの、水面下で人間同士の戦いが繰り広げられているのは常識だった。

 それ故に滅んだと知っていても。

 今度の百日間の闘争においてどのような戦いになるのかはわからないが、世界中の存在が集結せざるを得ない事は確実であった。

 どうせ兵として招集されることは決まっている。

 なのにわざわざ残り少ない時間を自分から捨てに行くとは。

 そのような具合だった。

「けれど私もあなたを馬鹿だと思っているわ」

 ひたすらに腕立て伏せを繰り返すアルジェンの背中に乗った彼女はそう言った。

「あなたが戦いに行くのではない事を知っているから、余計にそう思うわ」

 アルジェンは口数の多い方ではない。幼少時に両親を災害で亡くし、引き取られた家ではいないものとして扱われた。故にコミュニケーション能力というものをどこかに捨ててきてしまったらしい。

 とはいえアルジェンはそれを不満に思ってはいない。幸い育つに十分な施しは受けていた。その頃からすでに己の目的を持っていた彼にとって、他者の干渉がないというのは好都合ですらあった。

 それを不満に思う幼馴染みの少女がいたとしても。

「けれどわからないの。あなたが戦いに行くのではない事はわかっているけれど、それならなぜ、あなたは兵隊になりにいくのか。どうしてもわからないの」

 こぼれたつぶやきにアルジェンは何も言わず、黙々とトレーニングを続けた。

 彼女はそれでもわかっていてくれると、そう信じられたからだ。

 己が何を語るよりも彼女がそれを理解してくれていると確信していたからだ。

 何のために兵隊になるのか。

 それを知るために兵隊になるのだと。



 お前は兵隊になれ。

 父親の遺した言葉が残響のように脳内に残っていた。

 何を思ってそう言ったのか最後までわからなかった。

 いつ理由を問うても彼は目を弓なりにしているだけ。

 だがそれがきっと大事なものでささやかな事だとは。

 きっと、理解していた。



 アルジェンは強かった。

 村ではその力を発揮する機会などなかったが、どうも気力の扱いに優れていたらしい。

 拳ひとつでグニエ(象のような生き物。耳が四つあり空をとぶ)を倒せる程になると、彼の噂は国中に広まっていた。

 周囲の好奇の視線は煩わしかったが、やがてそれにも慣れた。

 やることは変わらない。ひたすらに己を鍛え続けた。

 兵隊になれ。

 父親の言葉の意味を知るために、ただ兵隊であるために。

 絶対存在降臨がもうすぐになった頃、アルジェンには隊長への昇進が告げられたがそれも無論断った。父親のいう兵隊というのは、きっとそういう事ではないと理解していた。



 絶対存在が現れ、百日間の闘争の開始が告げられた。

 その内容は、少々奇妙なものだった。


『種族を代表して強者を出し、一対一で我と戦え』


 単体で世界を滅ぼすような相手がとんでもない要求を出してきたものである。

 そんな提案無視すべきだという話もあったが、別に百日間の闘争が終わらずとも国を滅ぼす程度片手でできるぞという脅しによりそれもなくなった。なくなったはずだったのだが、三つ程国が消えた。まあ、そういう事らしい。


 それぞれの種族からそれぞれ一騎当千の猛者が選ばれた。

 人間から選ぶのは難航した。

 他種族に比して脆弱たる人間がこの局面に選ぶべき人材となると、そう簡単に決定できるはずもない。魔術に秀でたものを選ぶべきか、剣技に優れたものを選ぶべきか。

 決まらぬ話し合い。会議は踊る。その中、ある男が言った。

 国に身ひとつ拳ひとつで巨大な魔獣と戦う、そんな男がいると。



 百日間の闘争も折り返して残り五十日。

 この五十日を振り返り長かったか短かったかを考えたが、結局五十日は五十日に過ぎない。そう結論づけたアルジェンは、水を飲んでベッドに横になった。

 絶対存在が用意したコロッセオの、戦士達のための部屋。

 いかにも質素な作りになっていたが、それはアルジェンの趣味に合っていた。おそらく、それぞれの戦士の好みの部屋を用意していたのだろう。

 絶対存在というものをある程度理解しつつあったアルジェンはそう思った。

 すでにのこった戦士はアルジェンを含めて三人。

 人間のアルジェン。魔族のシュピラエッソ。神話体のゼ。

 残り五十日かけてこの三人でレゾナスマレクトを倒さねばならない。気の遠い話だ。

 今日もアルジェンは生き残った。それは即ちレゾナスマレクトを倒したという意味だが、あれはあくまでレゾナスマレクトの百分の一でしかない。また数日後には、レゾナスマレクトと戦わねばならない。



 部屋でぼうっとしていると扉を叩く音が響いた。回廊鶏が扉を叩く音だ。

 体を起こし部屋を開ける。子どもの背丈程の大きさの、藍色の羽毛の鶏の頭にバスケットが置いてある。そこには一言『食事』とメモが入れてあった。

 それを確認したアルジェンは扉の横のカゴからククリの実を二つ取り出し、回廊鶏に与えた。回廊鶏は一声高く鳴き、通路の奥へと消えていった。

 それを見送り、アルジェンは廊下を逆方向へと歩き出す。食堂の方へと。

 しばらく歩くと食堂が見えた。

 人影はない。人以外の影が幾つかあるのみだ。

 料理人たる存在残滓が忙しく厨房を行き来している。そのカウンターの前にはレゾナスマレクトの総体。少し離れた位置ではシュピラエッソとゼが円のテーブルで酒盛りに興じていた。アルジェンはしばらく考えて誰からも離れた位置に座り、即座にゼに首を掴まれてふたりのテーブルに移された。

「何をする」

「何をする、じゃねえっての……」

 ゼの心底呆れた視線に内心でため息をつく。アルジェンはコミュニケーション能力は皆無だが、人の心の機微に関してはそうでもないと自負していた。端的に言って、やることがないから他人を外から眺めていることで人間観察の能力に磨きがかかっただけである。

 シュピラエッソが恨めしい表情でアルジェンを見る。違う俺じゃない俺は悪くない。内心で答えるものの表情が変わらないのだから相手に何も伝わらない。世の中そう上手くはできていない。

 シュピラエッソはアルジェンと同年代の姿をした魔族。常に頭部の二本の角から黄金の魔力が漏れでる程の力の持ち主の女性である。対してゼはアルジェンよりやや歳上の姿の神話体。真紅のたてがみのような髪が特徴的な精悍な顔つきの青年である。

「まったくよぉ、お前はココに来た時から全然変わらねえよなぁ」

「や、それはあなたもでしょ」

 お前だろ、と言いたいところをシュピラエッソに滑りこまれた。なんとかゼと会話の機会を持ちたいのだろう。微笑ましいことだと心の中で苦笑する。相変わらず表情は変わらないが。

「しかし此処に来て早五十日。長かったというべきか短かったと言うべきか……ぬ、どうしたアルジェン」

「いや」

 先頃まで自分も同じ事を考えていたのだが、わざわざ口に出すことでもない。

 そう考えていると、机に大皿が運ばれてきた。

「おう、わざわざすまんな、レゾナスマレクト」

「なに、良いというものだ。こういうこともそれなりに楽しまねばな」

 運んできたのはこのコロッセオの主でもあるレゾナスマレクト。ゼよりも上背があり、十分な筋肉が付いていることが派手な装飾の服の上からでも分かる。

 彼はリラックスした様子でアルジェンの隣に腰掛けた。

「これは我からの特別メニューだ。先の言葉通り、百日間の闘争、その折り返しを祝して、といったところであるな」

「あなたからすれば呪って、ではないの?」

「ふむ。これは手厳しい」

 レゾナスマレクトは薄く笑う。

 アルジェンはそれを横目に料理に手を伸ばした。特別に用意したというように、確かに普段の食事よりも手が込んでいるらしい。

 早速肉をかじると、芳醇な香りが鼻から抜けていった。なるほど、見事なものだと思う。

 四人――主にアルジェンを除いた三人を中心――で適当な会話をしながら食事をすすめる。

 とはいえすでに五十日この場所に缶詰になっているのだから、そうそう話題があるわけでもない。必然的に日々の戦いの話が中心となった。


「それにしてもレゾナスマレクト。そろそろ理由を教えてもらえんのか」

「ふむ、理由とは?」

「なぜ貴様、今回に限りこのような面倒な事をはじめた。残っている記録の限り、貴様は目覚めた後、適当なタイミングで適当に世界を滅ぼしてきたようではないか」

 ゼの言葉にアルジェンはパンを千切る手を止めた。それについては、彼なりに多少以上の興味を抱かせるものだった。

 レゾナスマレクトはふむ、と腕を組んで天井を見上げた。

 数秒間、無言の時が流れ――視線を下ろして肩をすくめながら、苦笑した。

「さて、なんだろうな。我にもわからぬよ。そう……そうだな」

 ちらり、とレゾナスマレクトの視線が自分を撫でたのを感じたが、それが何を意味したのか、アルジェンにはわからなかった。

「教えられたことがあってな。試したくなったのだよ」

「ほう、数千年を生きる貴様が教えられたと。興味深い内容ではないか。一体どんな事を教えられたというのだ?」

「それを訊くのは野暮と言うものであるぞ、ゼよ」

 確かにな、と豪快に笑うゼ。

 何が楽しいんだか、と呆れるシュピラエッソ。

 アルジェンは。

 なぜか妙な共感を覚えた。

 ――試したくなった。

 その言葉が響いた。





 残り二十日。

 コロッセオに残ったのは多くの予想を裏切ってアルジェンひとりだった。

 なお会場内で無数に行われたトトカルチョではある一人の少女の一人勝ち状態であるという噂がまことしやかに囁かれた。

 ただの人間が他の種族を押し退け残るなど、常識では考えられないこと故にしかたのないことではあるだろう。

 まずシュピラエッソがやられた。一瞬の油断を突かれ魔力制御器官である角を損傷。暴走した末の特攻を仕掛けたが、正面からの力押しでは絶対存在に勝てる道理もなく。

 ほぼすべての魔力を使い果たした末に気を失い、もう十日も目を覚ましていない。

 次にゼがやられた。片腕を失い、足の骨を微塵に砕かれた。それでも、大陸を割る一撃を受けて命があったことは流石といえよう。

 いや、むしろそれでも闘おうとしたことにこそ賞賛を浴びせるべきである。

 今もシュピラエッソが眠る横で、その闘志を燃やして回復に専念している。

 とはいえ、流石に残り二十日で癒える傷でもないことは、本人が一番わかっているようであった。


「だからこそ、やりきれないのだろうが」


 アルジェンが見るに、ゼの百日間の闘争への参加理由は多分に個人的な感情が含まれていた。それを言うのなら、アルジェンも同じ穴の狢だが。

 ともあれ、ゼはその目的を……あるいは感情を完結できていないでいる。不完全燃焼というわけだ。これでは報われない。

 思うに。

 ゼは、死処を求めていた。

 神話体であるがゆえに、殺されるまで永遠の存在であるがゆえに。

 あるいは、その存在を使いきるまで存在し続ける定めであるがゆえ。

 豪放磊落を絵に描いたような彼だからこそ、全てを燃やす戦いの中で自分の存在を確かめたかったのではないか。

 そんな事を考える。


 翻って自分はどうだろうか。

 アルジェン自身、個人的な感情に根ざしてこの場にいる。きっかけは国からの指名ではあったが、しかし同時にその話を受けた際にこう思ったのだ。

 ――ああ、よかった、と。

 あの感情が何だったのか解らない。

 あるいはそれを理解するために今も戦っているような、そんな気持ちさえある。





 残り十五日。

 なんとか起き上がれるようになったゼは暇なのか、コロッセオの中をウロウロしていた。たまにレゾナスマレクトと腕相撲をしている。無事な片腕まで壊す気か、と言ってみたところ、それなりに手加減はしている、と返された。アルジェンなら一瞬で消し炭になる衝撃波を撒き散らす腕相撲をしておいて手加減である。

 レゾナスマレクトはこの戦いをどう思っているのか。終りが近づいてそれを気にする時間が多くなっていた。





 残り十日。

 シュピラエッソが目を覚ました。目を覚ますと同時にとんでもない悲鳴を上げた。

 まあ当然である。半裸状態の自分の横のベッドにゼが寝ているのだから。さらにいうと魔力を使いすぎて幼児化までしている。悲鳴をあげようというものである。

 と、笑っていたらゼだけならまだしも何故かアルジェンまでぶん殴られた。


「ここに来て初めて見た笑顔がそれってのがすっげぇむかつくんだけど」


 ということだった。

 レゾナスマレクトは腹を抱えて笑っていたが力を失ったシュピラエッソでは叩いたところで大した効果はなく、悔しそうな顔をしていた。





 残り五日。


「ではな」

「がんばりなさいよ」


 夜の闇に紛れるように、ゼとシュピラエッソがコロッセオを後にした。

 この戦いがどのような結果になるにせよ、面倒は避けられない。

 ひとまずゼは身を隠すことにし、それにシュピラエッソも付き合うそうだ。明らかにシュピラエッソには別の目的が見え見えだったが、アルジェンもレゾナスマレクトも何も言わなかった。


「すべてが終わり生きていたら、何、酒でも酌み交わしながら話を聞かせてもらうぞ」


 その言葉がどちらに向けられていたのかは解らない。

 いや、あるいはこの時既にゼは全てを悟っていたのかもしれない。若く見えても彼もまた、千年の時を生きる神話体である。

 遠くに消えた影をいつまでも眺めながら、アルジェンは隣に立つ絶対存在に声をかけた。


「なあレゾナスマレクト。お前は一体この戦いが終わったら、どうするつもりだ」

「我のやることは変わらぬさ。いや、変えられぬ、という方が正しいのかも知れぬな。

 なあアルジェン知っておるか。人が物を食わねば生きられぬように。獣人が森が無くては生きられぬように。翼人が空を飛ばねば生きられぬように。魔族が魔力を持たねば生きられぬように。精霊が他者の精神が無くては生きられぬように。神霊が陽光を浴びねば生きられぬように。質量体が水がなければ生きられぬように。精神体が月光を浴びねば生きられぬように。神話体が己の神話を形作らねば生きられぬように。

 ――この世界には、破壊することでしか生きられぬものもいるということを」

「…………いいや、知らない」

 知らなかった。

「あり方、生き方は生まれた時に定められる。

 何をしたところで人は人、魔族は魔族、神話体は神話体である。そして、その定めからは決して逃れられるものではない。

 それをやめたければ死ぬより他にはなかろうよ。そして我は、世界よりはいくらか我自身の命の方が惜しいのでな」

「そうか。そうだな。俺もそうだよ」

 世界のために死ね、などと。そんな理不尽に従う理由など誰にもない。

 ならば他人が押し付けるしかない。責任を。それがこれまで繰り返されてきたサイクルだ。

 今まで謎とされてきた絶対存在の侵略の理由。

 それはただ彼が生きるためだった。

 単純にして明快で、だからこそどうしようもない理由だった。

「しかしアルジェン。貴様はこの闘いが終わったらどうするのだ? 人間たち……いや、世界の英雄であるぞ」

「英雄?」

「うむ。まあゼはその面倒を嫌ったが、さて、貴様はどうだ?」

 英雄…………。

 その言葉はまるで書割のような印象を与える言葉だった。

 それに、アルジェンにとってはそんな言葉には何の意味もない。

 なぜなら。

「俺は兵隊だ。そんなものになるつもりはない」

「違うなアルジェン。お前は英雄になるのではない。英雄と呼ばれ、英雄にされるのだ。

 避けようのない、これは運命のようなものであるぞ?」

「そう、だな。そいつは困った」

 本当に深刻そうなアルジェンの様子に、レゾナスマレクトが首をかしげる。

「ふむ。なぜそれほどまでに英雄を嫌う……否、貴様は面倒を嫌ったゼとは違うな。兵隊であることができなくなることを厭っているのか。

 不思議なやつであるな。なぜ貴様、それほどまでに兵隊にこだわる?」

「なんで、か。

 さあ、どうだろうな。

 始まりは、父親の言葉だったんだ。よく言っていた。そして、最後にも言っていた。

 最後の言葉。兵隊になれ。お前は兵隊になって……。その先は何かを言ったんだろうが、言葉になっていなくて、ただ息が漏れていた。

 何を伝えたかったのか。俺にどうなって欲しかったのか。

 ああ、そうだな。

 解らなくても、それを続けていれば解る日が来るのかもしれない。

 だから俺は兵隊になったんだ」

「ふむ。不思議な父親であるな。

 しかし兵隊か。兵隊といえば、命令され、自由の少ない存在ではないか。なぜそれほどまでにそれを求めたのであろうな?」

「解らねえさ。解らねえが、そうだな」

 アルジェンはふと思いつき、レゾナスマレクトを見上げた。

「兵隊には確かに自由がなくて、命令には従わないといけない。でも、それでも」

 そんな兵隊に自由にできることがあるとすれば、それは、とても残酷で、けれど大切なことだけだと、ふとそんな思いつきに至った。






 最後の日。

 コロッセオはひどく静かだった。静寂が耳に痛くこだまする。

 闘いを待ちながら、アルジェンは空をみあげていた。

 今日に限っては結界もない、何も隔てる者のない、高い高い空。雲ひとつない青が広がり、無色の光が全身に降り注ぐ。

 アルジェンが勝てば百日間の闘争は終わり。

 レゾナスマレクトが勝てば、その瞬間に世界への侵攻が始まる。

 故に、観客席はがらんとしている。たとえ勝ち目のない絶対存在とはいえ、備えの有無により種族の生存数は変わる。大いなる破壊の僅かな取りこぼし。その隙間を縫うようにして、かつては破滅を乗り越えてきたのだ。

 ほぼゼロからの再スタートとはいえ、生き残るための抵抗を止める訳にはいかない。

 故に、観客席に残っているのは僅かな物好きと。


 彼を。

 アルジェンを純粋に信じているものだけだ。


「……帰らないのか」

 客席に幼馴染の彼女の姿を見つけ、アルジェンはぽつりと呟いた。

 元々どこか変わった雰囲気をもつ少女だった。それがそのまま成長したのか。兵隊になってからは数度しか合っていないが、昔の空気は何ら変わりなく、相変わらず村の男どもの求愛を袖にしているようだった。

 彼女を死なせれば村には帰れないな。と、自分でも意外な感想に苦笑する。

 どうやら両親の墓がある、という以上の郷愁の念というものがあるようだ。思い出などないに等しきとは言え、自分の気づかないところで思い入れがあるようだった。

 彼女を見ていることに気づいたのか、薄い笑顔がその顔に咲いた。そこには何一つ恐怖も絶望もなければ、期待も希望もない。ただ淡々と、ありきたりな毎日そのものの笑顔があるだけで。

 だから、何を求められているのか、アルジェンには理解はできなかったが、何かが伝わった。


「…………またせた」


 リングの正面、影の中からレゾナスマレクトが姿を現す。

 その姿は昨日までと変わらず、しかし満ち満ちたエネルギーは昨日までの比ではない。

 足がひとつ前に出るたびに、世界が恐怖に震えるようだった。

 けれどしかしそれでもだが。


 アルジェンは揺らがない。

 己を定めている以上、その生き方を揺らがせない。

 ふたりは無言で向かい合う。

 この闘いで世界が決まる。


 それでも。

 今この瞬間は、確かにこのふたり以外は存在しない。


――ああ、そうだな。

 ひどく穏やかな心持ちだった。

 ゆっくりと足を進める。一歩を踏み出すたびに、自分の中の何かが確かに形を持ってゆく。

 兵とは。

 あるいは掃いて捨てるほどのものであるのかもしれない。数で数えるものであり、個の資質など何の意味もないのかもしれない。

 けれどそれは大きな場所から見下ろした時で。

 ただ一人の人として兵であれば、そこには確かに、人としての行いが生まれる。

 何と闘い、誰と闘うのか。

 結局のところ、選び決めるのは自分自身でしかない。

 腕二本分距離を挟んで向かい合い、止まる。


「アルジェン・アストゥーリ」


「レゾナスマレクト・ヴァ・ミーシェリアナミクストレニミス」


 互いに名乗り、腕を伸ばす。

 こつん、と拳がぶつかり合った。


「は」

「ふ」


 破顔し。


 ――その日、闘いの音が止むことはなかった。











 消えた英雄。

 そんな物語がある。

 それは新しい物語だった。


 世界を救う闘いに赴き、最後まで闘い抜いたある男の話だ。

 彼は最後の日、その命尽きるまで闘ったのだ。ただひとりで世界を滅ぼす魔王を相手に。

 止むことのない闘いの音が尽きた時、駆けつけた人々の前にはただ荒野が広がるだけだった。

 あれだけの威容を誇った闘技場も何も、全てが破壊しつくされ、ただ闘いの激しさを物語るのみ。

 そして人々は悟る。彼は命を引き換えに魔王を倒しせしめたのだと。

 そして人々は語る。彼こそが真に英雄であったのだ、と。







 そんな物語を嫌うのが、彼らの父だった。

 普段は穏やかというより無感動なところのある父だが、なぜかその話を聞くたびに頭を抱えて床を転げまわる愉快な姿を披露する。母もそれが好きなのか、事あるごとに物語を諳んじるものだから、彼ら双子の兄妹もすっかり物語を覚えてしまっていた。

 まあお互いにドライなところのある両親にもお茶目な面があるということだろう、と幼心にテキトーに考えていた。

 父は村で用心棒のような仕事をしていて、襲ってくる魔獣を追い返したり、深い森に入って魔獣の肉を捕ってきたりしていた。その仕事を一緒にしているのが、近所に住むおじさんだった。

 なんでも、父親のケンカ友達らしい。よく朝まで殴り合いをしている。

 曰く。

「ああやってたまに発散させてないと、ハッスルしすぎるんだよあの生き物」

 仲はいいらしい。

 少し前に、おじさんにそれとなく聞いたことがある。

 父親はなぜ自分の事を兵隊だというのか、と。

「やつのこだわりであろうな。

 兵隊というのはな、基本的に自由はない。上からの命令は絶対であり、逆らえば処罰される。

 しかしながら、それでも、もし、戦争になった時に、目の前の人を殺さずに済ますことができるのも、またそこにいる兵隊なのだ。

 それが正しいのか間違っているのかは解らぬし、そうすべきかもわからぬ。

 しかし選べること。選ぶ覚悟を持つこと、そういうものを、やつは大事にしておるのだな。

 昔に、そうやって選んだものがあるから、尚更なのであろうよ」

 よく解らなかった。

 さらに妹がこんなことを尋ねたことがある。

「ふむ、なぜ魔王は百日間の闘争で、一対一で戦い続けたのか、か。

 そうであるなぁ。例えば、であるが。

 例えば、魔王が百日間の闘争より随分前に降臨していて、なおかつ、誰かに出会っていたのだとしたら、そんな事もあるのではなかろうか。

 そう、その時に、こんなことを言われればあるいは、そんな事をしてみたいと思ったのかも知れぬぞ?」


 その言葉は単純で、けれどとても難しいな、と。そんなふうに思った。

 けれどとても大切で、大事にしたいことだな、とも、思ったのだ。

 だから彼は、妹を連れて今日も村を駆ける。

 村に旅の者が来れば話を聞きに。こどもがいれば、あの言葉を思い出して、笑顔でこういうのだ。



「友達になろう」



 いつかのあの日のように。

 空は。


初の短編投稿をしてみたり、など。

夏らしい爽やかな……爽やか、な……。うんまあ、その。


今流行の主人公最強系の話とか書こうかなぁとか思いつき。

キャラクターとして先にできたのは双子で、双子の話を考えていたらなぜかこうなった。

なぜだ。



なお、この作品は特定職業を過度に賞賛も貶めもする意図は持っておりません。

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