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第四十八話 背中


朝。


治癒院へ着くと。


机の上に、北からの便りがあった。


二通。


差出人を見る。


一通はハロルド。


もう一通はミレナ。


ルーエルは外套を脱ぎながら、先にハロルドの封を切った。


北で診た患者たちの、その後。


頼んでいたものだった。


一人目。


発熱なし。


腫脹もなし。


形成した流路に、今のところ大きな変化はない。


二人目。


歩行時の痛みが軽減。


休まずに歩ける距離が、少し伸びた。


三人目。


一度だけ。


夜間に疼痛あり。


翌朝には軽快。


ルーエルは。


そこで手を止めた。


もう一度読む。


疼痛の位置。


時間。


前日に何をしていたか。


残念ながらそこまでは書かれていない。


紙の端に小さく書く。


三例目。夜間疼痛。詳細確認。


次。


四人目。


問題なし。


五人目。


問題なし。


六人目。


少し。


浮腫。


「……」


これも印をつける。


形成した迂回路が問題なのか。


元の流路が変化したのか。


あるいはまったく別の理由か。


まだ分からない。


だから分からないまま書く。


ミレナの便りには、患者本人の言葉が多かった。


足が軽い。


夜に起きなくなった。


仕事へ戻った。


まだ怖くて遠くへは行けない。


そういうもの。


ハロルドの記録と照らし合わせる。


数字だけでは拾えないことがある。


本人の感覚だけでも、判断できないことがある。


二つを並べる。


それでようやく一人になる。


「おはようございます」


声をかけられて。


顔を上げる。


「おはようございます」


いつの間にか診療開始の時間が近かった。


ルーエルは二通の便りを症例ごとに分け、昨夜まで書いていた原稿の横へ置いた。


今日は。


診療。


そのあと。


薬理。


素材。


午後も。


診療。


夜は。


論文。


頭の中で。


順番を並べる。


問題ない。


*


午前の診療は予定通りに進んだ。


発熱。


軽い術後痛。


捻挫。


経過観察。


治癒術を使わない患者もいる。


使う患者もいる。


使えるけれど使わない患者もいる。


昼前。


最後の患者を送り出して。


記録を書く。


時計を見る。


まだ少しある。


薬理部へ。


*


「エルヴェ先生」


奥から呼ばれた。


「ちょうどよかったです」


「結果、出ました?」


「途中までですけど」


北から持ち帰った。


試料。


土。


水。


鉱石。


植物。


現地で使われていた薬剤。


持ち帰れる範囲で渡していた。


研究員が紙を数枚。机へ置く。


「今のところ、強い毒性が出たものはありません」


「今のところ?」


「長く置いた方は、まだです」


「お願いします」


「こっちの薬剤は成分を分けてます。似たものは中央にもありますね」


「量は?」


「少し違います」


「どっちが多い?」


研究員が該当するところを指す。


読む。


北。


中央。


比較。


「これだけで、あの閉塞は起こせそうですか」


「単独では難しいと思います」


「ですよね」


「先生、残念そうですね」


「少し」


「原因じゃない方がいいでしょう」


「患者にとっては」


紙を返す。


「でも、原因が分からないままなのは困る」


「それは、まあ」


「次の結果は?」


「数日ください」


「分かりました」


研究員が少し嫌そうな顔をする。


「毎日来なくていいですよ」


「毎日は来てないです」


「昨日も別の部にいましたよね」


「素材部です」


「同じ建物です」


「別の部です」


研究員は何か言おうとして。


やめた。


「結果が出たら回します」


「ありがとうございます」


それなら来なくていい。


ルーエルは次へ向かった。


*


素材研究部では細い管が三本並んでいた。


「前より細くしました」


一本を手に取る。


柔らかい。


曲げる。


戻る。


もう一度。


少し強く。


曲げる。


途中が。


潰れた。


「ここ」


「やっぱり?」


「はい」


中を見る。


狭い。


「これだと、曲がるところでは使いにくいです」


「素材を硬くすれば潰れにくい」


「でも、入れにくくなる」


「そうなんですよ」


研究員が。


二本目を渡す。


前より。


少し硬い。


「これは?」


「内側だけ変えてます」


曲げる。


一度。


二度。


さっきより。


潰れない。


「いいかも」


「本当ですか」


「ただ」


指先で管をなぞる。


「ここ、引っかかる」


継ぎ目。


ほんの。


わずか。


「駄目です?」


「体の中に入れるなら」


研究員も。


指で触れる。


「……分かります?」


「分かります」


「これ作るの大変なんですよ」


「そうですよね」


「もう少し妥協とか」


「体の中で?」


「言ってみただけです」


三本目。


細い。


柔らかい。


継ぎ目も少ない。


「これは?」


「まだ試作です」


「使っていい?」


「何に」


考える。


「肉に近いもの」


「何です、それ」


「動物の組織とか」


「先生」


「はい」


「今、論文も書いてますよね」


「書いてます」


「急ぎですか、これ」


管を見る。


「期限はないです」


「じゃあ」


「でも、ここまでできてる」


研究員が黙った。


「次に進められるなら、進めたい」


「……」


「駄目?」


「先生がいいなら」


「僕はいいです」


「そうでしょうね」


引っかかる言い方だった。


でも許可は出た。


「じゃあ、条件考えておきます」


「こっちでも用意します」


「お願いします」


管を戻す。


時計を見る。


「先生」


「はい」


「昼、食べました?」


「……」


何時だったか。


考える。


「あとで」


「午後診療始まりますよ」


時計を見る。


本当だ。


「じゃあ」


ポケットから。


朝買っておいたパンを出す。


「あります」


「あるなら食べてください」


「食べます」


「ここで?」


「駄目?」


「……どうぞ」


包みを開く。


食べながら。


三本の管を見る。


一本目。


潰れる。


二本目。


継ぎ目。


三本目。


要検証。


紙を出す。


「先生」


「何?」


「食べるか書くか、どっちかにしません?」


「食べてます」


「そうですね」


書く。


*


午後も。


診療。


予定通り。


一人。


予定外が入った。


それでも。


大きくはずれなかった。


診療を終えて記録を書く。


薬理部から追加の紙が届く。


読む。


朝の北からの便り。


三例目。


六例目。


確認事項を書く。


ハロルド宛。


ミレナ宛。


それぞれ。


必要なことが違う。


ハロルドには。


疼痛の時間。


位置。


前日の活動量。


流路の状態。


ミレナには。


本人が何を不安に思っているか。


聞ける範囲で。


無理には。


聞かなくていい。


書いて。


封をする。


その横に。


ネロの記録があった。


適性?


二文字。


少し見る。


今日は。


触らない。


次に来たときもう一度見ればいい。


北の原稿を引き寄せる。


*


症例報告は書ける。


起きたことを。


起きた順に。


余計なことを入れず。


必要なものを残す。


問題は。


技術の方だった。


ルーエルにできた。


では。


意味がない。


他の治癒師が。


どこまで。


再現できるのか。


どの程度の太さなら。


流れを保てるのか。


どこから。


危険になるのか。


迂回させた流れを。


いつまで。


残すのか。


元の流路が。


回復したら。


どうするのか。


一本。


書く。


読み直す。


消す。


書き直す。


自分なら。


分かる。


では。


駄目。


ハロルドなら。


これで分かるか。


初めてこの術式を見る人なら。


どこで迷うか。


手順を。


一つ戻す。


説明を足す。


逆に。


要らないところを削る。


「まだやってるのか」


声がして。


顔を上げた。


マティアスだった。


「はい」


「論文?」


「技術の方です」


先輩が。


机を見る。


朝より紙が増えている。


「間に合いそうか」


「間に合います」


即答する。


「そうか」


疑わない。


一か月で。


できます。


そう言った。


なら。やる。


マティアスもそれを知っている。


「俺、帰るぞ」


「はい。お疲れさまでした」


「お前は?」


「ここまで書いたら」


紙を。


一枚示す。


先輩が。


見る。


「ほどほどにな」


「はい」


「飯は?」


「食べます」


「昼は?」


「食べました」


「ならいい」


外套を取る。


「じゃあな」


「お疲れさまです」


扉が閉まる。


足音が遠ざかる。


ルーエルは原稿へ戻った。


*


一人になると静かだった。


静かな方が書きやすい。


一枚。


二枚。


三枚。


途中で素材部の記録を確認する。


戻る。


北の症例。


六例目。


浮腫。


これも。


技術論文にはまだ入れない。


経過が足りない。


別に印をつける。


時計を見る。


予定より少し遅い。


でも。


今日やると決めたところまでは。


あと。


二項目。


書く。


一つ。


もう一つ。


最後に。


最初から。


読み直す。


誤記。


一つ。


説明不足。


二つ。


直す。


終わり。


紙を揃える。


机の端へ置く。


明日は続きから。


立ち上がる。


少し。


腰が痛かった。


伸ばす。


治った。


「……帰ろう」


誰もいないので。


誰に言ったわけでもない。


灯りを消した。


*


家に着く。


灯りをつける。


静か。


外套を掛ける。


手を洗う。


夕食。


簡単なもの。


食べる。


皿を洗う。


湯を使う。


明日の服を。


出す。


鞄の中を確認する。


忘れ物、なし。


寝る。


全部できる。


困ることは特にない。


灯りを消した。


*


横になる。


目を閉じる。


眠い。


今日は。


よく働いた。


論文も。


予定通り。


北への返事も。


出せる。


カテーテルも。


次へ進む。


明日は。


午前に診療。


午後に。


もう一度。


論文。


その前に。


薬理の――


やめる。


寝る。


寝返りを。


打った。


少しして。


もう一度。


反対へ。


「……」


何となく。


落ち着かない。


疲れているのに。


眠れない。


枕?


違う。


少し。


高さを変える。


違う。


毛布を。


胸元へ。


引き寄せる。


柔らかい。


そのまま。


抱える。


「……」


違う。


何が。


違うのかは。


分からない。


今度は。


肩まで。


くるまる。


しばらく。


そのまま。


「……暑い」


出る。


横向きになる。


目を閉じる。


やっぱり。


何となく。


背中が。


落ち着かない。


ルーエルは。


目を開けた。


暗い。


当然。


何もない。


少し考えて。


起き上がる。


椅子に置いていた。


クッションを取る。


寝台へ。


戻る。


背中側へ。


置く。


横になる。


少し。


遠い。


手を後ろへ回して。


引き寄せる。


背中に。


当たる。


柔らかい。


「……」


目を閉じる。


さっきより。


いい。


背中を。


少し。


預ける。


何が。


違うんだろう。


考える。


でも。


もう。


眠い。


なら。


いいか。


毛布を。


胸元まで。


戻す。


背中には。


クッション。


今日やることは、全部終わった。


明日のことは。


明日、やればいい。


ルーエルは目を閉じた。


今度は、寝返りを打たなかった。

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