↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
24/51

第二十二話 病気になった人、ならなかった人

「空腹だね」


オルガが言った。


朝。


治療所の奥の作業室には、また紙が広がっていた。


以前、管理官を迎えたときにも使った机だ。


あのときは六人で囲むには狭かった。


今日はもっと狭い。


患者の記録。


入山者の一覧。


服薬記録。


セラの測定値。


ミレナの診察記録。


そこへオルガが作った表まで加わっている。


「何が?」


ルーエルが聞いた。


「発症した連中」


オルガが紙を指した。


「山へ入った日の朝、何も食べてない人間が多い」


ルーエルが表を見る。


発症。


非発症。


その横に、入山前の食事。


あり。


なし。


不明。


「……本当だ」


「だから昨日から言ってるだろ」


「昨日はまだ分からないって言ってたでしょう」


「一晩調べたんだよ」


「寝ました?」


「そこからかい」


「大事なので」


「寝た」


「ならいいです」


オルガが紙を一枚取った。


「最初の十三人だけじゃない。あとから増えた患者にも聞いた」


指で印を追う。


「朝早く山へ入った薬草採り。狩りの下見に行った男。祭りの準備で先に入った連中」


「食べてない」


「そう」


「祭りで花を採りに行った子どもは?」


「ほとんど発症してない」


ハロルドが言った。


「子どものほうが弱そうなのに」


「弱いって何が?」


ミレナが聞く。


「身体?」


「雑だね」


「すみません」


「でも言いたいことは分かる」


ミレナも表を覗き込んだ。


「年齢だけなら、何か出てもおかしくない」


オルガが別の紙を出す。


「子どもは食べてる」


「全員?」


「聞けた範囲ではね。祭りの日は朝から動くから、家で食わせてから出してる。それに」


一つの証言を指した。


「山にも持たせてる」


パン。


干した果物。


焼いた穀物。


菓子。


「遠足みたいですね」


ハロルドが言った。


「祭りだからね」


「じゃあ」


ハロルドが紙を見る。


「空腹が原因?」


「違う」


ルーエルとミレナが同時に言った。


二人が顔を見合わせた。


「どうぞ」


ルーエルが言う。


「そっちが言いな」


「医師から」


「面倒だね」


ミレナは紙を一枚取った。


「空腹で山へ入って、発症してない人もいる」


そこへ指を置く。


「逆に食べてから入って、発症した人もいる」


「三人」


オルガが言った。


「今のところね」


「なら原因とは言えない」


「うん」


ルーエルも頷いた。


「でも、関係ないとも言えない」


ハロルドが眉を寄せる。


「どっちです?」


「それを今から調べるんでしょう」


セラが言った。


     *


セラは別の紙を机へ置いた。


「昨日、無症状者を七名測定しました」


「もう?」


ルーエルが聞く。


「比較対象が必要なので」


「七人も捕まえたんですか」


ハロルドが言った。


「ドエル管理官に依頼しました」


「捕まえたわけではありません」


「同じでは?」


「違います」


セラは話を戻した。


「七名全員に、患者と同種と思われる異質反応が確認されました」


誰も話さなかった。


最初に反応したのはミレナだった。


「全員?」


「全員です」


「症状は?」


「ありません」


「熱も?」


「平熱」


「痺れ」


「なし」


「筋力低下」


「なし」


「食欲」


「正常」


ミレナが腕を組んだ。


「つまり」


ルーエルが言った。


「山へ入った人は、症状がなくても曝露してる可能性がある」


「少なくとも今回測定した七名については」


セラが訂正した。


「全員に反応があります」


「量は?」


「患者より少ない者が多いです。ただし」


セラが一枚抜いた。


「この人」


「誰?」


「北斜面へ三度入った狩人です」


異質反応。


高い。


発症者の一部より高い。


「でも元気?」


「元気です」


「昨日も山へ行こうとして、ドエル管理官に止められていました」


「元気だね」


「そういう話ではありません」


「はい」


ルーエルは数値を見る。


異質魔力が多ければ発症する。


それだけでもない。


「分からなくなりましたね」


ハロルドが言った。


「前よりは分かってるよ」


「そうですか?」


「分からないものが増えたから」


「それ、進んでます?」


「進んでる」


セラが答えた。


「比較できるようになりました」


ハロルドは黙った。


専門家が二人そう言うなら、そうなのだろう。


     *


「空腹だけじゃない」


ミレナが言った。


新しい紙を引き寄せる。


「山へ入った日の体調も聞こう」


「体調?」


「前日の睡眠。発熱。下痢。仕事のあとだったか。前日から何か食べていたか」


「水分も」


オルガが加えた。


「山で飲んだかだけじゃなく、入る前もね」


「酒は?」


「聞く」


「薬は?」


「私が見る」


項目が増えていく。


ハロルドが紙を見た。


「これ、全員に聞くんですか?」


「できるだけ」


ミレナが答える。


「五十七人」


「そうだね」


「誰が?」


少し沈黙した。


全員がルーエルを見た。


「何で僕を見るの」


「こういうの得意でしょう」


ミレナが言った。


「聞き取り?」


「人に頼むほう」


「ああ」


確かに。


自分で五十七人を探す必要はない。


誰が誰を知っているか。


どこへ頼めば集められるか。


そのほうが早い。


「じゃあ、薬草採りはオルガから採取組合へ。狩人は管理府に名簿がある?」


ドエルを見る。


今日も記録係として端に座っていた。


「あります」


「祭り関係は?」


「町会です」


「子どもは?」


「学校と神殿が名簿を持っています」


「聞き取り項目を統一して、一人ずつここへ来てもらう必要はないです。書ける人は書いてもらって、分からないところだけ後から聞く」


ドエルの筆が動き始めた。


「回答期限は?」


「早いほうがいいですけど」


ルーエルは少し考えた。


「三日だと困ります?」


「困ります」


「五日」


「努力します」


「お願いします」


「……分かりました」


ハロルドが小声で言った。


「先生、こういうの上手いですね」


「何が?」


「人に仕事振るの」


「僕が全部やったら遅いでしょう」


「そうなんですけど」


ルーエルはもう次の紙を見ていた。


     *


聞き取りが揃うまで、治療は続いた。


全員に同じことはしなかった。


もう、その必要もなかった。


異質反応が局所にあり、全身状態が安定している者。


治療する。


広く散っている者。


少しずつ。


治癒魔力に強く反応する者。


待つ。


症状が軽く、自力で異質反応が減っている者。


何もしない。


それでも診る。


ミレナが身体を見る。


セラが測る。


オルガが服薬を確認する。


ルーエルとハロルドが必要なところだけ治癒を入れる。


最初は一人に半日かかった。


次は少し短くなった。


ハロルドが維持できる範囲も増えた。


ルーエルが最初から最後まで触れている必要はなくなった。


「先生」


「何?」


「これ、俺一人でもできるようになります?」


ルーエルは患者の脚から手を離した。


「なるんじゃない?」


「軽いですね」


「できない理由ある?」


ハロルドは少し考えた。


「今はあります」


「なら、そのうちなくなるよ」


それだけだった。


ハロルドは返事をしなかった。


今度は、維持という言葉が少しだけ違って聞こえた。


     *


五日目。


回答が揃った。


五十七人。


完全ではない。


覚えていない者もいる。


食事の内容まで記録していない者もいる。


それでも。


傾向はあった。


「空腹」


オルガが言った。


印をつける。


「睡眠不足」


ミレナが言った。


別の印。


「長時間労働のあと」


もう一つ。


「下痢が続いていた」


「前日に熱」


「水分不足」


紙の上に印が増える。


共通していない。


けれど。


似ている。


ルーエルは黙って見ていた。


「身体が弱ってた?」


ハロルドが言った。


「弱ってた、だと広すぎる」


ミレナが答える。


「でも方向は近いと思う」


セラが測定記録を出した。


「基礎魔力循環量も比較しました」


患者。


非発症者。


回復後。


三つ。


「発症者は低い?」


ルーエルが聞く。


「現在値は」


「現在?」


「発症した結果として低下している可能性があります」


「ああ」


原因なのか結果なのか分からない。


「でも」


セラが続けた。


「無症状者の中でも、異質反応の減少が早い者は基礎循環量が高い傾向があります」


「……排出してる?」


「可能性はあります」


ルーエルは紙を見る。


正常な魔力。


異質な魔力。


治療でやったことを思い出す。


異質なものには触れない。


正常な流れを作る。


本人の魔力に運ばせる。


「もともと身体がやってることを」


ルーエルが言った。


皆が見る。


「僕たちは治療で強くしただけなのかもしれない」


セラが少し考える。


「つまり?」


「曝露しても、普通なら外へ出せる」


「正常な魔力循環で?」


「たぶん」


「なら」


ミレナが表を見る。


「空腹そのものじゃない」


「うん」


「食べてない。寝てない。疲れてる。水分も足りない」


「そういうときに」


オルガが続けた。


「身体がいつも通り働けない」


誰もすぐには話さなかった。


ハロルドが最初に口を開いた。


「じゃあ、山へ入る前に飯食えばいい?」


「それだけじゃ足りない」


四人から同時に言われた。


「ですよね」


     *


その日の午後。


新しい紙が壁に貼られた。


北の山へ入る者への暫定的な注意事項。


十分な食事。


水分。


睡眠。


体調不良時は入山しない。


長時間の滞在を避ける。


帰還後、手足の痺れ、発熱、筋力低下などがあれば申し出る。


そして。


症状がなくても、繰り返し北斜面へ入った者は検査を受ける。


「これで防げる?」


オルガが聞いた。


「分かりません」


ルーエルが答えた。


「でも、何もしないよりは」


「そうだね」


壁を見る。


原因そのものは、まだ山にある。


坑道も調べ終わっていない。


異質な魔力が何なのかも分からない。


二十七年前との関係も。


国境の向こう側も。


分からないことのほうが多い。


それでも。


治し方が分かってきた。


発症しやすい条件も、少し見えてきた。


なら。


次は。


「予防できるかもしれない」


ハロルドが言った。


ルーエルは頷いた。


「うん」


治すより。


そのほうがいい。


     *


夕方。


ドエルは管理府へ送る報告書を読んでいた。


長かった。


最初に来たときの書類とは、もう内容が違う。


症例数。


症状。


推定曝露地域。


薬草への影響。


動物への影響。


異質魔力の測定方法。


治療法。


治療適応。


中止基準。


発症危険因子。


暫定的な予防策。


そして旧坑道。


ドエルは一頁戻った。


もう一度読む。


「エルヴェ治癒師」


「はい」


「これ、あなたが書いたんですか」


「みんなの記録をまとめただけです」


「そうですか」


「何か変?」


「いえ」


変ではない。


むしろ逆だった。


このまま領都へ送れる。


少し整えれば、中央へも。


ドエルは最後の頁を見る。


報告者。


ルーエル・エルヴェ。


その下に。


ミレナ・ヴァルデ。


オルガ・フェルン。


セラ・アルディス。


ハロルド・ケイン。


全員の名前があった。


「連名?」


「はい」


「現地責任者はあなたですが」


「僕一人じゃ分からなかったので」


「代表者として、あなた一名でも受理できます」


「でも僕一人でやってないでしょう」


ドエルはルーエルを見る。


本人は、本当にそれだけの理由で言っているらしかった。


「……分かりました」


署名欄をそのままにした。


ルーエルは別の記録を取りに行った。


ドエルは報告書へ戻る。


中央治癒師会登録、上級治癒師。


最初に会ったとき。


年齢の割に若く見える男だと思った。


次に。


妙な治癒師だと思った。


今は。


少し違う。


ドエルは報告書の表紙を閉じた。


これはたぶん。


自分が処理して終わる種類の書類ではない。


     *


その日の便で。


報告書は領都へ送られた。


そこから先で。


何人が読むことになるのか。


このとき。


治療所にいた誰も知らなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。